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コミュニティ内だけで意味づけして縛られていると思うこと【気持ちを楽にするために一歩離れてみる】


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大人の味も個人の好みでしかないだろうな。しえるです。

何ごとも皆が同じ熱量や感覚でいるわけではなく、ガチ勢からカジュアル勢、門外漢にアンチといろんなテンション感の人たちがないまぜになっています。

私が一極集中的でなく、浅く広くいろんなものに興味を持ってきて、各界隈に深入りはしてこなかったからこそ余計に感じる機会が多いのだと思いますが、共通認識のある人たちの間だけで縛られていることが少なくないように感じています。

最近だと体育嫌いな人の意見への衝撃とか、野球のルール知らない子どもたちとかがSNSで話題になったりしていましたが、自分の思想外のことってちょっと考えればわかるというものではなく、意外とわからないものだったりするんですよね。

性格とか個性、感想も変える必要ないですが、一歩引いて視野を広げると少し楽になれることがあると思う話を書いてみたいと思います。

コミュニティ内だけで意味づけして縛られていると思うこと【気持ちを楽にするために一歩離れてみる】

界隈によって変わる意味づけ

「今どんな気持ち?」
「どしたん話聞こうか?」
「コロンビア」

一般人にとっては特に何もない普通の言葉なのではないかと思いますが、古くからのネット民はおそらくなんかしらの絵やら何やらが浮かぶ言葉でしょう。

FF11ブロントさん発のネットミーム「稀によくある」「おれの怒りが有頂天」「苦汗の選択」は一般的には誤った日本語なので、その流れを知らなければ、最初にブロントさんにツッコんだときのようなマジレスが返ってきたり、この人日本語知らないんだなって笑ったりします。

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最近だと、吉野家コピペを使って反応したのが「SNSの反応」として記事に使われ、有名なコピペを知らんのか……となっていましたが、知らない人から見ればネタなのかガチなのかはわからないよなと思います。
これらのミームだって最初はガチから始まってるわけですから。

「ワンパン」という言葉を聞いたとき、私は「ワンパンチ」とか1撃で沈める様子を思い浮かべますが、人によっては「1つのフライパンでつくれる料理」だったりします。

「電子・紙」と言われて、「本」を思い浮かべる人がいれば、「たばこ」を思い浮かべる人もいるでしょう。

このように、なんてことない言葉1つをとっても、普段自分が何に触れているかによって、意味やイメージというのは変わってきたりします。

でも界隈に深入りしていると、「~は〇〇」といったような界隈だけの常識を当たり前のように掲げ、自覚の有無にかかわらず他人にも求めてくる場面が少なくないと、いろんな趣味を浅瀬でチャプチャプ楽しんできたオタクであり、いろんな会社に転職してきた私は感じるのです。

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煽り行為はそれを煽りと思ってる人たちの間だけのもの

格闘ゲーム界隈では、高速で立ったりしゃがんだりする屈伸の動作は煽り行為とされています。
でもそれが煽りだと知らなければ、屈伸はただの屈伸です。特にそれ以上の意味はありません。

ストリーマーの恭一郎さんはゲーム中に英語で煽られていましたが、英語がわからないので効いていないなんてこともありました。

私も子どもの頃、ヨーロッパ旅行中に某国でJap!と中指を立てられたことがあるのですが、親の反応がなければそれは特に何でもなかったでしょう。

サッカーの試合などでたまに起こる差別的なジェスチャーも、問題としてニュースになることで初めて、そういう意味が含められてるんだと知ることばかりでした。

車の運転界隈は特に教習所で習ったことと無関係なローカルルールが激しく、親もしょっちゅう他人の運転を気にしてプリプリ怒っていますが、時には教習所で教わったとおりに運転しただけで、それは煽りだと思われると親に言われたこともありました。
道交法に準じる教習所で習ったばかりの内容でそんなことを言われるようではどうしようもなく、勝手なドライバーの感覚の押しつけに驚いたものです。
最近は運転できてませんが、私は必要以上に他人の運転を気にしないので、基本は煽り行為に気づかないし、なんか近いとかだったら運転下手なのかな?気をつけようと思って終わりでした。よっぽど酷かったら離れるか通報するだけですしね。

このように煽り行為と呼ばれるものって、捉え方の土俵が同じでないと共通認識として伝わらないんですね。
だからそれが煽り行為だという共通認識がない相手には、どれだけ一生懸命煽ってきても、のれんに腕押しなんです。

逆に言えば、お互いに共有してなければそこには何の意味もないわけで、煽り行為に苛立ってしまう人は、他人による意味づけを受け入れて、自分でその行為に意味づけしてしまったことで、自らストレスの原因を生み出していることになります。

煽り行為って、煽りの意識がなくても自然に出ることがあるものも少なくないですし、意味がわからなければ通じないものも多いですから、相手がその行為を煽りだと思っていても、自分でそこに意味を見出さなければ食らわないわけで、自分が煽りたい人ならともかく、煽りあいに興味がなければ何が煽り行為かという見識は深めないほうが快適でいられます。

ちなみに今更ですが、この記事においての煽り行為は、違法行為などの決意を煽り立てる煽動罪ではなく、苛立ちや勝負に対する感情などを煽るものを指しています。

『サピエンス全史』という本では「認知革命」という考え方が紹介されています。

私は全部を読んだわけではないので概要になりますが「虚構を共有する」、つまり国も貨幣も宗教もすべては、ただ皆が同じように信じているだけのフィクションであり、自分の持つお金や所持品も突き詰めていけば、自分が持っていると信じているだけですし、世の中のルールや国境に貨幣の価値も皆があると信じているから存在し得ているだけというものです。

本来土地はただそこにあるだけであり、1人だけで自分のだ!と主張してもおそらく気にも留められないでしょうが、名前や国境が定められ(=定義)何億人が信じること(=共通認識)で虚構の存在が認められるということですね。

そしてその虚構の積み重ねが、自分たちが勉強してきた歴史ということになります。

以前、『サピエンス全史』の「虚構を共有する」 という観念について触れましたが、これらもまた虚構を共有してるから起こることと言えるでしょう。

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そもそも煽り行為は別にネガティブな反応だけでなく、たとえば同じ煽り行為でも格ゲーマーのように、FPSの死体撃ちなど仲間内で楽しんでやっていることだってあります。むしろそっちは見ているこちらも面白いですね。

私も昔よく、モンハン仲間の先輩にハンマーや大剣で剥ぎ取りを邪魔されていましたが、「やめて~素材取らせて~!」と言いながらもイヤな気持ちは特になく、面白がって笑っていました。

仲間内で楽しむ本気の嫌がらせと、見知らぬ他人への無差別な嫌がらせは別物で、後者は受け取らずに済むなら受け取らないに越したことはありません。

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ちなみに暴力や暴言など大多数の人がイヤだと感じる行為は、煽り行為の範疇を超えているのでそもそも受け取る必要はなく、イヤなら逃げるなり毅然と対応するなりしたほうがいいと思います。
まぁ噛まれたり叩かれることですら一部には喜ぶ界隈があったりするので、何ごとも一概には言えないものですが。

知識や文化の違いを受け入れられないことがマナー警察に

スト6の仕様を1年間知らず、図らずしもマナーが悪い男になっていたことが発覚するカワノ - YouTube

格ゲー選手のカワノさんは「リザルトスキップを知らずマナーが悪いことになっていた」という内容の動画を出していましたが、動画のコメント欄でも初めて知ったという人は多く、別にマナーでもなんでもない様子が伝わってきます。
が、中には本当にイライラしている人もきっといるのでしょう。

自分の周りだけだと、似た者が集まってくるのでそれがわかりにくいこともありますが、ゲームジャンルによって常識は変わりますし、自分で開拓していく攻略最前線なガチ勢と、そのガチ勢がつくった攻略サイトや動画を見るゲーマーと、特に何も見てないカジュアル勢では、知識やメタ(装備や戦術など)に始まり、諸々の文化がまったく違います。

ゲーム配信などではさらに見てるだけの動画勢も加わり、大変そうだとすぐに「攻略確認しよう」「〇〇に聞いたら?」などというコメントが湧いたりして、自分で攻略を楽しみたいガチ勢な配信者との温度差を感じたりできます。

また、そのゲームに力を入れている人からしたら、詳しくない人が選択した属性とか装備とか行動が変に見えるところもあるでしょうが、それはただ知らないだけなのに、一部のゲーマーの中にはトロール(迷惑行為)や寄生と受け止めてイライラしてしまう人もいるようだということに最近気がついてきました。

というのもとある攻略サイトを見に行った時、コメント欄でそういう話がされていて「こっわ」と踵(きびす)を返してきたのですが、私はその様子を見て、言ってることが名刺の渡し方だのZoomの入退室の順番だのの謎マナー警察と変わらないなって思いました。
「この場面でこのアイテムを使わないのはトロール」など言うのは、「Zoomで目上の人より先に退室するのはバッドマナー」とか自称マナー講師が新しいマナーを勝手に増やしてるのと大差ないと感じるのです。

たしかにそのほうが強いのかもしれないし、イベントやコミュニティのルールはあるだろうし、同じチームを組んでる日常的な間柄での決まりごととかならまだわかるのですが、少なくともゲームへの取り組み方に決まりなんてないので、こういうマナーと信じている人達の間でだけマナーが存在し、マナーを守らない人たちにぷりぷり怒ってマナー警察が発生していることが多いと感じます。

でもそもそもマナーで言うなら、マナーは強要しないのが最大のマナーだと思います。

以前から「許せないことが自分を縛っていく」ことについて触れていますが、その中にこういう知識の差や取り組み方の違いというのもまた、含まれてくるのではないかと思います。

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私は楽しむためにゲームをやってるので、楽しむのに必要だと思った知識は取り入れるけど、こういうゲーマー界隈の常識にはあまり縛られないように心がけています。

他にも「これやられたら怒る」とか「これは神客」みたいな話題をネットで見かけることがあったのですが、そういったものも結局、一部のコミュニティの中の物差しでしかないわけで、そうでなければならないなんてことはまったくなく、むしろそうじゃない世界のほうが広いと思ってます。

なんであっても言うのは自由ですが、気にするかどうかも自由であり、自分とは違う感性の人は出てくるものですし、イヤなら自分に合わない他人の物差しに縛られる必要もないでしょう、お互いに。

あともう1つ、知識の差や取り組み方の違いという点では、「義務教育も理解してる人と理解してない人がいる」としておくのも気が楽になると最近感じてます。

人はそれぞれ得意不得意がありますし、なんかしらで詳しい分野は持ってるもので、たまたまそれが義務教育に適応していたか、そうじゃなかっただけの差でしかないと思ってます。

だから変なこと言ってても面白く感じられるし、自分が間違っててもOKなので寛容になれます。

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自分に合った遊び方をすればいい

マルチのマナーとか言う人もいるけど、私はそういう義務的なスタンスではなく、「自分がやりやすい環境を整えていくスタンス」でいたいなって思いますし、それが誰かの行動で左右されないことを目指しています。

ゲームはあくまで遊びで義務とかないですし、自分のご機嫌は自分で取るものだなと改めて思った次第です。

私は以前このように書きましたが、オンラインでマルチプレイに野良参加する時、基本自分で倒せばいいと思ってるから、悪意を持って邪魔してきたら抜けるか通報するか、それが叶わなければやり過ごすけど、そういう故意の妨害がなければ、他の人たちがどんな行動をしているかを気にしてないし、他人に左右されない装備で行くのが心の平穏に役立つと考えています。
もし自分の力不足で助けを求めて野良を募集する場合であっても、助けてもらう立場なので、自分はできることをやって、あとはクリアという目的が叶えばいいなぁと願うのみです。

著作物の2次利用禁止などは法律的なところの話になりますが、特にゲームにおいては、メーカー側が定めたルールじゃなければ、マナーなんていうのは一部が勝手に考えてるだけの話でしかありません。
メーカー側はチートや誹謗中傷はやめましょうとは言うけど、スキップしましょうとかこのスキルをつけなさいとは言ってこないでしょう。

たまーに食べ方の順番が決まっていて店主が見張っている飲食店とかもあったりするけど、そういうお店は少数派で、たいていは「おすすめの食べ方(遊び方)はこうですよ」と提示することはあっても、基本は「お好きにお楽しみください」ってスタンスが多いのではないでしょうか。

だからポケモンのテラレイドで味方がバフ技を阻止してきた場合は、まぁムカつきますけど、ハズレだったから次頑張ろうとなるだけです。キックできたら嬉しくはありますけどねw

最近はテラレイドで野良が明らかに相性が悪いポケモンを選んで確定してきたら解散できるように、他のメンバーのポケモンが確定して問題なさそうと確認できるまで、自分のポケモンは確定しないという対処法を覚え始めましたが、こういった自分にできる対策というのは、自分が気持ちよくプレイするために大切だと感じます。

ある時、ストリーマーの釈迦さんが「VALORANTはソロでやりたくない」という話をしていたときも、よく知らない他人の動きに左右されたくないという、私がチームゲームをやらない理由そのものだったので、全員身内でしか行かなくなるのはもっともだと感じたし、やっぱり自分に合った遊び方をすればいいのだと改めて思いました。
友人だったらどんなプレイをしていても気にならないけど、知らない人にやられるのは違うというのはよくわかります。

その時は、新しいゲームをやっていて、まだ攻略が煮詰められていない浅瀬でチャプチャプ遊んでいる時が1番楽しいという話で盛り上がっていましたが、皆がそのゲームのことをわかっていないスタートラインは知識の差というものがあまり出ないけど、攻略が進んでくれば「勝つためにゲームをやる人」と「楽しむためにゲームをやる人」とでは、取り組み方も変わってきます。

ストーリー、アクション、コレクション、勝敗、ビジュアル、重視するものは人それぞれであり、「ゲームは勝つためにやるもの」とは限らず、「勝てたら楽しい」のために義務ピックや強いメタを採り入れるのは1つの手段ですが、「楽しいからゲームをやる」にはそれらは必須ではないのです。
楽しいからゲームをやってる場合、負けてもゲームが楽しいこともあります。

「ゲームをやって疲れたい」のならともかく、「ゲームを楽しみたい」からやっている場合、「勝てたら楽しい」という本来得たかった気持ちを忘れて「勝ちたい」となって、義務ピックやメタに疲弊しているのであれば、それは本末転倒になっちゃってると思います。

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釈迦さんの釣り配信では、「魚群探知機はチート、アシスト(ガイドスタッフ)はついてるけど自力感を楽しみたい」という話をしていて、これもまた通ずる話だと思います。

全部を自力で楽しみたい人、程よく文明の利器や詳しい人の助けを借りて楽しむ人もいるし、魚群探知機で確実な大漁を味わいたい人もいるでしょう。
魚が釣れなくても楽しくて、毎月のように釣りに行くほどハマる人もいます。

釣りをするのに、魚が釣れなくちゃいけないなんてことはないですし、旅行や読書、映画鑑賞だって、毎回素晴らしいものに出会わなくちゃならないなんてこともありません。

つまんなかったな~と、しょぼくてガッカリだったとしても、残念だったね~と語り合う時間が生まれるのも1つの思い出になりますし、1人でそれを楽しめたらもはや最強です。

自分が気持ちよく過ごすために日々試行錯誤して選んでいくか、自分よりも他者が決めた価値観を優先するか、すべては自分の選択です。

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人が決めたものは後手であり、事象は日々変化するもの

ラベリングや名前っていうのは、概念となる事象が先にあって、皆がわかりやすいようにカテゴリを分けたり、共通認識できるよう名づけられたりしているはず。

しかし、名前が先行してしまうと、ラベリングに当てはめようとしたり、内実が違っていてもラベリングを見て判断してしまったりということが起こっているように見えます。

やはり言葉先行の考え方は危険だと感じます。

何ごとも先に事象があって、それに対して人間たちが事後対応し、共通で認識できるように名前やルールがつくられてきたのが、これまでの歴史だと思います。

その事象自体に変化があれば、対応というのもまた変わってきますが、毎日見ていると変化に気づかないけど、久しぶりに見ると変化に気づくように、日常の些細な変化に気づかず、昔の感覚を引きずって現実に即してないものというのは少なくないと感じます。

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人それぞれいろんな状況や考え方があるものですが、マナーだから守るという考え方だと、形にこだわって何のためにやっているのか本質を蔑ろにしてしまったり、融通が利かず頭でっかちになったり、自分はちゃんと守ってるのに、守ってない人が許せない!と正義感を振りかざしたりすることがあると感じます。

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コンプレックスを感じているから、周りからこう思われているのかな?と気になってしまいますが、そこに注目をしているのは同じくコンプレックスを感じている人たちだけです。

ひとりぼっちにコンプレックスを感じている人だけが、その人が何人でいるかを気にしているのです。

だってみんなが!という気持ちが生まれるのもわかりますが、自分が身を置いていた環境によって影響を受けているだけな部分はおそらく大きく、そうじゃない人たちに目を向けてみるのはいい機会になると思ってます。

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そもそも客側の自分は他人を取り締まらなくていい

先日、リアル脱出ゲームフェスに行った時、あれだけたくさんの人がいると、中には指示の前に中身を確認したり、なんなら解き始めたりする人もいるのだということに初めて気がつきました。

謎解きのルールは基本、指示があって初めて内容を確認し、制限時間があれば制限時間内に条件をクリアすることを目指すのですが、最近は彼女にいいところを見せたくて、答えを知りたがる人もいるくらいだと知ったばかりだったので、皆が皆、正々堂々と取り組んでいるわけではないということがわかってきました。

参加人数が多い公演に行くと、クリア率が4~5割程度あることも少なくなく、何ページも続くクリア者の発表にうわぁ~となることもあるんですけど、中にはそういう人たちもいるのだと考えると、クリアできなかったことに落ち込まなくていいのだと思えました。

そしてそういう人たちがいることは、同じチームで組んでるとかでない限り、私には関係がなく、同じ場にそういう人たちがいたとしても、「ルールに沿って解けた時にこそ喜びもひとしおなのだし、私たちはそれで解けても嬉しくないよね」という話に落ち着きました。

自分がスタッフだったとしたら注意すべき案件でしょうが、私は客でしかないので、それ以上は特にその人たちに触れることもありませんでした。

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別の日には、謎解き店舗の狭い店内に集団で座り込んで問題を音読し始める方たちがいたこともありました。

私たちは先を進んでたので、ネタバレ食らわなくてよかった~とはなりましたが、謎解きの基本ルールはネタバレや迷惑行為を阻止する内容が主で、周りに聞こえるように大声で話すことや、人の往来が激しい場所に座り込むことはNG事項ですので、ルール的にアウトではありました。

でもこれも注意すべきはスタッフさんなので、私は謎解きの邪魔になった時にどいてもらうよう声をかけたくらいで、後は我関せずでした。

このように、自分に害がある時やあまりに度が過ぎる場合は言うけど、それ以外は全部、同じ客の立場である私には関係のないことです。
自分が運営・主催側の立場の人間でなく客という立場なのであれば、ゲームの他ユーザーもライブの他のお客さんも全部、自分と変わらない立場です。

「スタッフさん、これ注意しないんだ~」とは思うし、「うわぁヤバ客だ~」とも思うので、それを許す会社なんだと自分の中で評価が下がることはあるけど、それ以上は何もありません。後でこういう思考の題材にさせていただくくらいです。

配信の視聴者であれば、自治しようとする人は自治厨と呼ばれ、「どの立場で言ってるの?勝手に仕切るな」という意味で嫌がられることも多いですが、中にはファンの間で気を付けてくれ?という立場の配信者さんも見かけたので、そのコミュニティによる部分はあるでしょう。

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人によって見方は変わる

にじさんじのコンビユニット「ChroNoiR(くろのわーる)」の葛葉くんと叶さんそれぞれの視点の配信を見ていて、自分が何を信じるかによって、同じ事象に対してでも反応がこんなに変わってくるんだという興味深いことがありました。

葛葉くんはにじGTAの中で、ルールの勘違いによって警察に捕まってしまった場面があったのですが、その時葛葉くんは「マジ荒れないでー」「視聴者も学んでいかなきゃいけないね、一定数いるからさ、理解ができてない人が」「見ないでー荒らす人は!GTA見るの向いてないから見ないでー!」とまぁ正論を言っていました。

そんな葛葉くんに対し「葛葉も杞憂しないで、全然荒れてなかったよ。うちらを信じて」というコメントがあったのですが、「いや、信じてるけど信じてない。信じてるリスナーもいるけど、人を信じてないからオレ」「人生ですらミス許されんのに、なんでゲームでミス許されないの?」「言われる筋合いがない」「鳩(相手のところへ文句を言いに行く人)は絶対いるんだから」と、この場から荒らす人が出てくることを断言していました。

それに対し、叶さんは別の件で「その人の配信を見ていない人が鳩をするから。逆にこっちの配信を見てる人は、鳩やめてって散々言ってるのに鳩しないでしょ普通」と話しており、鳩がいたとしても自分の視聴者ではない可能性を考慮し、鳩はよくないし注意喚起もするけど存在は無視という、自分にできることを全うして後は問題にしないという形をとっていました。

コンビで真逆の反応をしていて面白いなと思って記憶に残っていたのですが、これもまた、視聴者というお客さんを自分が思うように意味づけし、受けるストレスの度合いを変えているように見えました。

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メタに縛られてるのは一部だけの話

先日「皆が同じ戦略や最強構成などのメタで何が楽しいんだ」みたいな声をどこかで見かけたのですが、別に皆同じメタでやってるわけじゃないのになぁ~と思いました。

たとえば私はモンハンライズで、狩猟笛やリ=コンクエスタというスラアクを使っているのとかは確かに動画で見たのがきっかけだったけど、戦い方はだいぶ自己流です。

スラアクはPSP時代に仲間に教えてもらった基礎はありますが、ライズで登場した鉄蟲糸技は完全に自分の好みというか、自分が使いこなせるものを使っています。
ちなみに具体的にいうと、金剛連斧・スラッシュチャージャー・属性解放突きでサンブレイクまでクリアしました。
戦い方については何の動画も見ておらず、でも話を聞いた感じだと多分メタに沿ってたらワイヤーステップや飛翔竜剣を使うんじゃないかと思いますが、私は直線の距離を詰めるシンプルな技が好きで、立ち位置が大きく変わる大振りの技は合わなかったんですね。

狩猟笛もXでずっと回復しかできなかったところから始まって、使っているうちに笛の仕様を学び、こうしたらいい感じかもと自然に流れができていきましたが、世の笛ハンターがどういう戦い方をしているのかは全然知りません。
でも、それで原初メル・ゼナまで倒してるし、どちらも戦ってて楽しいので満足しています。

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他にも「ライブで皆同じ反応をして何が楽しいんだ」と、ライブの観客が皆同じ動きで乗っているのを揶揄している声を見かけたこともありました。

これもほぼ同じ話で、実際にライブの観客をよく見ると、実は全員が同じ動きをしているなんてことはありません。

ペンライトやサイリウムなどを持つ人と持たない人、手を左右に振るにしても右左右左の人と、左右左右の人がいるし、手拍子にしても表拍か裏拍か、2拍の人、4拍の人、8拍の人、同じ曲でもなぜか3拍などの奇数拍という逆に器用な人もいたりします。

音楽に合わせて動かない人も全然いて、棒立ちの人、腕組みして立ってる人もいるし、オリジナルの振り付けを踊って自分の世界に入ってる人、スマホを触ってる人、メモしてる人、寝てる人、イチャついているカップル、それはもういろんな人がいます。

私自身もヘドバンは楽しくないからやりたくないので、多くの人がヘドバンしている中でも頭を振らずに、私は私なりに音楽に乗っています。

人は自分が見たいように見るものですが、「日本人は右に倣えだ」という思い込みのフィルターを外してみると、思ってるより自由に楽しんでいることが見えてくるのではないでしょうか。

メタも所詮そのコミュニティの間だけの話

「VCR GTA1」で犯罪アクションゲーム『グランドセフトオート5』のスト鯖にハマって、その中の一部の人たちが国内大手鯖の「ストグラ」に参加した後、開催されたスト鯖「VCR GTA2」では、ストグラで培った知識やストグラのルールをどこまで取り入れるかについて、議論や賛否両論が起こっていました。
というのもGTAをあまり知らない人もいる中で、各犯罪の攻略の流れを知っているストグラ経験者がどこまで口を出すのかというバランスが問題視されたのです。

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でも私が見ていたお肉の組はそんな議論など無関係のごとく、当時ストグラはほぼ参加してなかった釈迦さんや未参加のさささんやかるびちゃんなどが率先して攻略方法やギャングとしての動き方を考えていました。
これはストグラ組が口を出さないでくれたおかげでもあるのですが、それでも自力でストグラ勢と同じメタに辿り着いたり、時にストグラ組が知らない強ポジを編み出したりしながら攻略していく姿にワクワクし、とても楽しませてもらいました。

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所詮メタといっても、そのコミュニティにいる人たちの間だけで生まれた話でしかなく、新しい人が混ざれば新しい視点が入り、メタは回っていくものです。
世の中には進んで攻略法を発掘していく人がいて、その攻略を取り入れる人がいて、そんなの関係なく遊んでいる人もいて、それぞれが自分に合った楽しみ方をしています。
もしメタに振り回されるのが苦痛だったりするのなら、それは自分に合わない向き合い方なのかもしれません。

スポーツやeスポーツでも、人気なメタはありますが、独特な構成や戦術で取り組んでくるチームというものはいて、そういうところから新しい風が吹くこともあります。

サッカーだと、その時々によって採用されるフォーメーションや戦術のトレンドが見えてきますが、その前にはきっかけとなったチームの台頭があるはずです。

結果が出るまでは、なんでそんなやり方をしているんだとか、今の主流はこうだろとか批判を浴びたりすることもあったりしつつ、それを応援している人もいつつ。
そして結果が出れば、手のひら返しで賞賛され、批判していた人たちはそんなことはなかったことにしたり、とうにどこか次の場所へ行ってたりして……なんてのもお決まりと言って過言でない流れだったりします。

こういう世界的な大会が開かれたりするものだと、業界全般にメタが広がったりしますが、世の中世界大会があるものばかりではないですし、大会を見ない人だっているもの。

最近だと、パリ五輪で金メダルを獲得した吉沢恋選手は、東京五輪で見た技が、ふだん自分が公園で遊んでいたスケボーの技と同じだったことに気づいたのがパリ五輪出場につながったとして、話題になっていましたが、同じような人が他にいてもおかしくないし、もしかしたら五輪よりすごいことをやっている人がいる可能性だってありえます。

強い人が皆選手になるとも限らなくて、一切表に出たくない強者がいたって全然驚きません。すべてがいつでも見えるとは限らないのです。

「私もこれ、できるじゃん」で金メダル!?…女子スケボー・吉沢恋(14歳)と赤間凛音(15歳)“本当の関係” 2人に見た「東京五輪のデジャヴ」とは?(2/3) - スケートボード - Number Web - ナンバー

逆にコミュニティ外が縛られているパターンもあると思う

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k4senさんの配信雑談で紙の本を読むことに抵抗がある話を聞いて、私は意味がわからないことばかりでした。

「栞(しおり)挟むの恥ずかしいしな」「わかる」とか「本読んでるアピ」とか、そういう風に捉える人もいるんだとビックリです。

私ははじめに、これはふだん本を読まれない方の感覚なのではないかと推測しました。

子どもの頃から親戚の家や図書室で借りたりして本を読んでいる私には、今も図書館に行くし、紙の本を読むのも、栞を挟むのも、息をするくらい自然なことなので、そこに疑問を持ったことはありません。
靴紐がほどけたら結ぶように、ただどこまで読んだかをわかるようにするための行動でしかないからです。

もしかしたら中には、紙の本を読みたいけどやったことないから躊躇している電子書籍読みの方もいるかもしれません。だとしたら、生まれた時から電子書籍があるデジタルネイティブ世代の新しい感覚なのかも?

ゲームのオートセーブが当たり前になっても、やめる時はつい自分でセーブをしてしまう私ですが、紙の本にオートセーブはないからなぁ…としか私には思えませんw

実際のところがどんな方々なのかは今回は知る由がありませんが、コミュニティ外が縛られるパターンというのは、やったことない人がイメージだけで話したり、こういうものと決めつけたりすることもよくある話な気がします。

今、私が書こうとしているのも、本を読むのが恥ずかしいと思うことへのイメージですしね。自分が当てはまらないことは、なかなかわかりにくいものです。

今は少なくなってきていると思いますが、昔はよく、漫画やゲームをやったことない親が悪影響だからと禁止してくるとかありましたね。

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また、触れたことがない人ほど、完璧を求めて厳しくなってしまうきらいもあると思うんですね。

同じ本の話でいえば、本は1度読み始めたら、最初から最後まで読んで理解しなければならないと思って読んでいる読書家は、少ないのではないかと思います。

私は読書状況もあわせてメモできるブクログという読書記録のサービスを20年近く愛用していますが、これまで1,500冊以上読んできたなかで、「いま読んでる」という読み途中の本は300冊超あります。

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知りたいところだけ読むことはあるし、合わないと思ったら途中で読むのをやめるし、理解できないことだってあるし、読んでる中で知らない言葉が出てくるなんて数えきれないほどあって、調べながら読むのは日常茶飯事です。

本は全部読まなくていい、というのは本当ですか?目次で気になるところのみを読め... - Yahoo!知恵袋

知らないことって何が大切なのかがわからなかったりしますが、実際に触れてみることで、どこが大事で、どこは力を抜いていいのかというのがだんだんわかってきたりします。

私が本を読むのが恥ずかしいと思うのは今更難しいけど、手をつければ始められることであれば、1度触れてみると、見えてくるものはあるはずです。

「自分だったらもっとできる」とか「そのくらい私にもできるだろう」って思うことも多々あります。

けど、結局やっていない時点で「実際にやる」ということが難しいものなんだと思います。だってやっていないのですから。

簡単ならやればいいだけの話です。やっていないなら、できないにほぼ等しいです。

世の中の活躍している方たちとの違いって、ただ行動グセがついているかどうかなのでは?という点につきるのかなと感じています。 

以前にも「世の中は簡単そうで難しいことだらけと思っていた方が楽かもしれない。」という記事を書きましたが、私はいろいろ経験してきて、何であっても知らないことやできないことというのは当たり前だという感覚を持つようになりました。

通ってきた道は人それぞれ違うし、義務教育だってどこまで理解し、どこまで応用できるかは人それぞれだからです。

だから「わからないこと、できないことはあっていい。けどやってないことは『やればできる』とはならず、やってない時点で『できない』ことだ」という感覚でいます。

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どういった態度の環境と接するかも自分の選択

ネットは雑学にあふれていますが、たまに「恥ずかしながら知らなかったのですが」「今更聞けない」などとついていることがあります。

私は相手のコンプレックスを煽るような言葉は好きじゃないし、過ぎた謙遜は傲慢であり、「それを知らない人を勝手に辱めないでくれ」と思ってます。

そんな失礼なやつは見るに値しないと決めているので、どんなに気になる内容でも開かないし、そっとミュートしています。

ネットで情報を受け取るのに、どういった態度の相手から情報を得るのかというのもまた自分の選択であり、世の中には優しく教えてくれる人が他にいると思ってるので、わざわざイヤな気持ちを自分から受け取りに行く必要はありません。

何ごとも自分が何を受け取っていくかという選択の連続だなと感じるこの頃です。


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