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【久しぶりにハマった海外ドラマ】対極的な2人の女性が主人公のフランス犯罪捜査ドラマ『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』


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フランスドラマを見るのは初めて。しえるです。

最近は好きなシリーズの放送終了などもあって海外ドラマからしばらく離れていたのですが久しぶりに、フランスのフランス2局で放映されている『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』という面白い作品に出会えました。

日本での放送は少ないようで、NHKでのシーズン1放送は先日で終わってしまい、今はどうやら10月15日までスカパー!のAXNミステリー見逃し配信で見られるようです。

テレビの不調があって何話か見逃してしまったのですが、それでも続きが楽しみな作品であり、もっといろんな動画配信サービスで見られたらいいのになぁと思ってしまいます。

【久しぶりにハマった海外ドラマ】対極的な2人の女性が主人公のフランス犯罪捜査ドラマ『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』

『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』とは

『アストリッドとラファエル 文書係の事件録』は、パリ警視庁のラファエル警視と犯罪資料局の文書係として働くアストリッドという2人の女性が中心となって事件を解決していく、フランスの犯罪捜査ドラマです。

話はラファエル警視が事件捜査の一環で、過去の似た事件の資料を読むため、犯罪資料局に赴いて、文書係のアストリッドから資料を受け取るところから始まります。
ラファエルが目を通し始めると頼んだ資料とは別の事件のものが混ざっていることに気がつきますが、すぐに頼んでいないほうの資料も関連資料であることがわかり、「あなたは優秀な捜査官たちが見逃した事実を見つけた」とアストリッドの能力に気づいて捜査協力を求め、正反対な2人が関係を築きながら事件を解決していく内容となっています。

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対極的な主人公の2人の女性

パズルや謎解きが好きで洞察力が高く博識なアストリッド・ニールセンは自閉症で、予定外なことや不慣れな環境への対処が苦手、ルールやルーティンを破ることを極度に恐れます。
几帳面で物の位置が変わると直さずにはいられないところや、いつもの店のいつもの席など特定の環境じゃないと食べられないところ、コーヒーはアクリルアミドが発生するから飲めないなどとこだわるところは名探偵モンクに似ていますね。

警察官であった父の捜査資料をきっかけにアストリッドは会話できるようになり、それからというもの、父が捜査する事件を通して親子の会話をする子ども時代を過ごしたアストリッド。
父亡き後は、父の友人で後見人となったガイアールが局長を務める犯罪資料局で働くようになって、捜査資料を管理する中で知識を深め、隠れた犯罪科学のスペシャリストになっていました。

一方のラファエル・コスト警視は約束をすっぽかしたりや遅刻は日常茶飯事、机は散らかり調書も大ざっぱ。肝が据わっていて、仕事熱心なあまりに突っ走って釘を刺されてしまうことも。
柔軟な人情派でアストリッドのことを偏見の目で捉えず、アストリッドの言葉を正面から真摯に受け取ります。

そんな対極的な2人が得意を生かして、お互いの不得手を補い合いながら事件を解決し、一緒に過ごす中で互いを理解しようと歩み寄ることで友情を築いて成長していく姿は見どころです。

アストリッドの日本語吹き替えを貫地谷しほりさんがやっているのですが、この吹き替えの表現がまた素晴らしくて、アストリッドがどういう人かを理解するのを一段とスムーズにしてくれていると感じます。
Wikiの声の出演にこの作品が載っていないくらいなので、どのくらい網羅できてるのかはわからないですが、これまで10件にも満たない程度の声優経験とは思えないくらい自然に難しい役を演じていて、役者さんってすごいなぁって思いました。
どちらかというと、もし日本語版をつくるとしたら貫地谷さんはラファエルのほうになりそうと、これまでに見た作品の印象から考えてしまうのですが、イメージとは違う役を声だけで表現できてしまう演技の幅広さに感心してしまうばかりです。

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もちろんアストリッドを演じたサラ・モーテンセンさんの演技の素晴らしさは言わずもがな。さじ加減はとても繊細なものだと思うので、真摯に取り組んだ撮影だったというのが伝わってくる気がします。

視点を変えて考える

ラファエル「刑事目線から離れて、見方を変えなきゃ前に進まない」

――第1話「パズル前編」

『アストリッドとラファエル』は全体を通して「視点を変える」が1つのキーワードになっていると思います。

私はよく自分の狭い思考から抜け出し、もっと広い視野で考えられるようになりたいと考えているのですが、このドラマでは柔軟な対応をするラファエル警視と、パズル好きで多角的に物事を見て視点を切り替えて考えることが得意なアストリッドや自閉症という身近にいない方たちの会話に、ハッとさせられることがあります。

アストリッド「物を見る視点を変えなければいけません」

――第10話「五線譜の暗号」

アストリッドは誰もが気に留めない視点で事件の違和感に気づき、そこから事件の真相に辿り着いていくのですが、その際に大好きなパズルを解くのと同じように現場を多角的に捉えて考えています。

そんなパズル好きのアストリッドは古今東西のパズルゲームを知っていて、毎回違うパズルの話題が出てくるのですが、事件だと登場人物が何か発見しないと内容が見えてこなくても、パズルの問題であれば自分でも解く体験ができます。

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1話目で出てきた9つの点の問題(正方形に並んだ9つの点を4本の線で一筆書きにつなぐ)など、いかに自分が思い込みに囚われてしまうかにハッとしたり、ヒントを得てもすぐに解けるわけじゃなくて「あれ?あれ??」となりながら解いたりして、視点の変え方や頭を使う練習になって面白いです。

アストリッド「私ならパニックで『あー』、すごくストレスになる状況ですけど、コスト警視はきっと、カギが折れたら悪態をつくはずです。『クソッ!』とか『最悪、こんちきしょう』とか……」

――第9話「消えた遺体」

アストリッドは想定外のことが起こるとパニクってしまって対処することができず、ラファエルが交渉して解決する様子がありましたが、付き合いが進むうちに「こんな時ラファエルだったらこうするだろう」と考えることで、前なら何もできなかったアストリッドが行動できるようになっていきます。

私は昔、自分の考えというものがなかったので、その時興味のあったスポーツ選手などの本を読むことでいろんな考え方を取り入れて、そこから自分が共感できるか、そうは思わないと感じるかという反応を蓄積することで自分軸を形成しましたが、「あの人ならこんな時どうするだろうか?」というような考え方はしたことがありませんでした。

なのでそこから派生させて、何か困った時は自分の経験だけに頼らず、「こんな時、誰ならスムーズに乗り越えるかな?」「その人はどんな風に乗り越えてみせるだろうか?」と考えてみるのもいいかもしれないと思いました。

多分それは生きている人でなく、ドラマやマンガの中に出てくる存在しない人物であってもよくて、行き詰まった時に「ラファエル警視ならどうするかな?」みたいに考えるクセがついたら、これまで出会ってきた頼もしい人物がみな自分の手札として召喚できるようなもので、心強い限りになるかもしれません。

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自閉症友の会」の対話を聞いていて感じたこと

私はこれまで自閉症の方と出会って話した記憶がありません。

  • 知的障害ではありません。なお、知的障害を併せ持つ人もいます。
  • コミュニケーションや社会性に特徴があります。
     他の人の視点、気持ちに気づきにくく、自分の思いが強いため、会話ができる人でも、相互のやりとりに難しさを感じることがあります。
     抽象的な表現は苦手な傾向があります。絵や写真など視覚的にわかる説明や短く具体的な言葉などの工夫をしていただくと伝わりやすくなります。
  • いつもと同じ状態ややり方を好む、興味の幅が狭くこだわりが強いなどが感じられます。
  • 刺激への過敏が見られる人や逆に鈍感な人もいます。
  • 自閉症」「広汎性発達障害」「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」などは共通した特徴を持っており、2013年5月にアメリカ精神医学会が改定した診断基準(DSM-5)により「自閉症スペクトラム」や「自閉スペクトラム症」と呼称されるようになりました。

日本自閉症協会によると、自閉症スペクトラムの傾向についてこのように書かれていますが、実際どうなのかや自分が出会った時にどんなことを考えるのかといったところは、今の私にはわかりません。

それでも海外ドラマや映画ではちょくちょく出てくるので、なんとなくのイメージは持っています。

たとえば、テレビドラマ『TOUCH』のジェイクは11歳ながら言葉を一切発することなく、感情も表に出さず、ただ接触は極度に嫌がることから、シングル・ファーザーのマーティンがどうやってコミュニケーションを取るかを模索している中で、ジェイクが示す数字から物語が展開していく内容となっていました。

映画『フォレスト・ガンプ/一期一会』の主人公フォレスト・ガンプも、知能指数が低いというような表現があるだけで自閉症という言葉は出てきませんが、「知らない人の車に乗ってはいけない」という言いつけによってスクールバスに戸惑い、運転手と自己紹介しあうことで解決するというシーンなどは、『アストリッドとラファエル』の中でも「アストリッドのこと責めないで、たぶん友情の不文律に行動の制約を受けていたせいだ」と話していたような、言葉による制約に縛られやすい自閉症ならではの整合性の取り方ではないかと感じます。

『アストリッドとラファエル』の作中では「大人の自閉症友の会」として、自閉症の方や身近に自閉症の人がいる方が集まって、依存症治療と同じように自助グループのミーティングでそれぞれの経験をシェアする様子が多々描かれており、どういう思考経路なのかを垣間見るいい機会となりました。

対話が成り立ち相手への理解を示しているミーティング

A「仕事仲間とうまく通じ合えなくて悲しいです。みんな僕を知的障害者だと思ってて」

B「違うよ、あんた14か国語しゃべれるもん」

A「あぁでも喋り方は全部おんなじ、変なアクセントで」

C「この前自閉症じゃない同僚の人が赤ん坊の写真を見せてどう思うか?って聞くから正直に答えました。
えぇっと、この子まるで顔の潰れた肥満の老人みたいだねって。そしたら傷ついたみたい。世間の人と付き合うのって難しいですよね」

モデレーター「繊細な人が多いからね。角が立たないよう気を遣う」

B「どうしてこっちが気を遣うの?私は自閉症だけど、恥じることないし、病気でもないんだから。適応しようと頑張りすぎると燃え尽きちゃうよ」

D「ちょうどいいバランスを探らなきゃダメなのね。息子が自閉症なの、9歳よ。
でも、まだしゃべらないの。将来は息子も、職場で人間関係の苦労を経験してほしいわ、それは人付き合いをしてるってことだから」

――第1話「パズル前編」

自閉症の者同士で話す姿を見ると、オブラートには包まないかもしれないけど、聞かれたことに素直に答えていて、全員が声を発しているわけじゃないけど皆が会話できないわけでもないし、むしろ複数人が参加したうえでちゃんとミーティングが成立しているし、相互のやりとりができないわけではないと感じます。
社交辞令はしないし、人に握手を求めて握手した直後に服でゴシゴシするなど失礼だと感じるような仕草もありますが、質問への回答や自ら差し出した握手は、彼らなりの歩み寄りではないかと思います。

1つの世界の常識は、別の世界では非常識、自閉症など共通要素のあるコミュニティの中では相手への理解を示し、共感する様子も見られることから、日本自閉症協会が示した傾向にあった「他の人の視点、気持ちに気づきにくく、自分の思いが強いため」はあくまで自閉症じゃない人から見た勝手な捉え方でしかないのではないかと感じました。

先の会話の内容を考えれば、多分自閉症の方から見たら「他の人の視点、気持ちに気づきにくく、自分の思いが強いため」はそっくりそのまま返しますって思ってもおかしくないと感じるんですよね。

「相手は褒めてくれるだろう」と期待するのは自分の思いが強いだけですし、人が他人の視点や気持ちに気づけるのであれば、自閉症の方の視点や気持ちがわからないのは矛盾していますし、レイプやデートDVパワハラやセクハラなどが無自覚に横行もしないはずです。

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アストリッド「父の死は恐怖でした。経験したことのない恐怖が悲しみに勝りました。
どう反応すべきかわからず、泣かずにいたら、悲しくないのかと驚かれました。それは誤解です」

A「現代社会では母親の葬式で泣かない男は死刑になるおそれがある。カミュの異邦人だ」

モデレーター「そうだね。異邦人のように僕たちの反応はほかの人に誤解されてしまう可能性がある」

――第9話「消えた遺体」

身内を亡くした相手の状況に、自分なりに寄り添う姿や、誤解を多く受けてきたであろうことを思いやり共感する姿も見られます。

人によって親がどういう存在であるかはそれぞれですし、突然亡くなったのか、長年の闘病の末なのかなどの心構えの差や自分が何歳の時か、亡くなった直後、通夜やお葬式、1週間後、1か月後、四十九日、三回忌といったタイミング、喪主を務めているかどうかなどによっても心境というものはいくらでも様々に変わるでしょう。
また感情を認知したり、消化したりするのにかかる時間だって人によってバラバラだと思います。

カミュの『異邦人』は読んだことがありませんが、簡単に内容をまとめれば、母親が死んでも感情を示さず、葬式の翌日には海で遊び、女性と寝て過ごし、太陽のせいだとして人を殺して死刑判決を下されますが、自分は幸福であり、処刑の日は罵声で迎えてほしいと願う男を描いた小説なのだそうです。
正直私はこの男の気持ちはまったく理解できません。

でもアストリッドの心境に対しては少なくとも、相手のほうが配慮不足だと感じます。

アストリッドの母は幼いころに家を出ていて、父が殉職したことで身よりのなくなったアストリッドには、紆余曲折を経て犯罪資料局のガイアール局長が後見人につきましたが、子どもの時に両親がいなくなってしまったら「どう生きていけばいいのだろう?」とそれは怖くなるでしょうし、親の死のショックが大きすぎて受け止めきれず呆然としてしまうことだってあるでしょう。

親の死ひとつでも、もしかしたら親からひどい扱いを受けて、解放されてよかったと感じる場合だってあるかもしれず、これもまた、悲しい以外の感情が生まれることに思い至らないで「他の人の視点、気持ちに気づきにくく、自分の思いが強い」のはどちらだと思ってしまいます。

価値観のベクトルの違い

モデレーター「心を開かないね」

ラファエル「えぇ」

モデレーター「いいこと教えましょう。自閉症の人って頑固だけど、1つ弱点があるんです」

ラファエル「嘘でしょ?ありえない」

モデレーター「本当です。それは特に興味のある分野」

ラファエル「興味がある分野ね」

モデレーター「そう。たとえば、僕の場合はいくら政治やサッカーや天気の話をして気を引こうとされても反応しません。
でもあなたがマイクロプロセッサの話だとか、パシフィック231Gのいい情報があるとか、あるいは電車と機関車の違いを知りたいなんて振ったら、もう我慢できなくなる」

――第1話「パズル前編」

自閉症友の会のモデレーターであるウィリアムが、アストリッドと打ち解けるためのアドバイスをラファエルに話している内容も、別に自閉症に限った話じゃなくて、多くの人に当てはまる内容じゃないかと感じました。
コミュニケーションを取ろうと思った時、相手が興味ありそうな話題を振るのは常套手段の1つで、好きな人が好きなものを知って話すきっかけにしたりなどいくらでもあるでしょう。
ただ社交辞令をするかしないかの違いで、私だって相手にあわせて話すことはあっても、やはり好きなものの話には他より食いつきがいいですし、興味ない話は眠くなるだけです。

これらを鑑みるとおそらくは自分や他者、物事への頭のリソース配分のバランスが特徴的であり、極端に興味がある分野に全振りしてトップクラスの成績を残すアスリートなど(最近で言えば大谷翔平さんとか藤井聡太竜王とか)を理解できないのと変わらない気がします。

放射性 矢印 ベクトル 価値観 興味 個性 思考

自分のこと、他人のこと、趣味のこと、仕事のこと、生活のこと、お金のこと、恋愛のこと、身体のこと、政治のこと、学問のこと、未解明のこと、生きているうえでいろんな要素があって、それに対して自分という限られたキャパシティのリソースをどう配分していくかは人それぞれなわけで、どんなにすごいと思う人でもいずれかの分野へのベクトルが大きいだけでしかなく、そのベクトルの向きや数、大きさなどのバランスが個性として表れているのだと感じます。
これは対象が事細かに分かれている人もいれば、ジャンルごとでまるっと大きくベクトルが向いてる人もいるだろうと思います。

そしてすっごく引いて人々を見ると、多くのことはこの矢印の派生を考えれば納得できる話だと私は思っているのですが、自分の視野からだとベクトルの真っ只中にいて、自分の矢印のことはわかりにくく、それでも自分と共通点があるベクトルにいると共感しやすいけど、大きさの違いや自分にないベクトルの存在は理解しにくいのではないかと想像します。

元々ドラマを見る前からの私の考えとして、『ベロニカは死ぬことにした』という本を読んでから、「こころの病気」とか「発達障害」として、異常のように扱うことに対して疑問を持つようになった経緯があります。

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『Shrink』という精神科医のマンガでは同じ特性を持っていても、日常生活に支障がなければそれは発達障害ではないと話していましたし、厚労省が「発達障害は生まれつきの特性です」としながら、「自閉スペクトラム症」「注意欠如・多動症」のように「症:病気の性質。病気のようす。」という文字を使うことには違和感を覚えます。

だからBさんが「私は自閉症だけど、恥じることないし、病気でもないんだから」と話していたのはとても印象に残りましたし、この自閉症友の会の話を聞いているかぎりは、やはりベクトルの配分の違いが差を感じる要因として大きいように感じます。

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モデレーター「彼らにとっては普通だ、会話中自分の話もする」

A「馬鹿げてる、興味持てないよ」

E「それわかる。私もよくあるけど、どう返していいのかわからないから、結局そのまま流してる」

A「なんて答えればいい?」

モデレーター「自分の話もしてみたらどう?」

アストリッド「自分の話ですか?捜査の話をしているほうが落ち着きます。論理的ですから」

E「なんの捜査をしているの?」

アストリッド「ここでは言えません」

E「興味のある分野なら話したくないはずがない」

アストリッド「ここでは言えません。……とは言え、この会で話す内容は口外しないというルールがありますね。だったら…」

――第6話「閉ざされた部屋」

先の考えを踏まえたうえで、このような会話から察するに、自分を含めた生活や仕事などで必要なこと、自分が興味を持ったことに対してはベクトルが大きく向いていて、逆に他人や自分に無関係なことへのベクトルは極端に小さい傾向があるのではないかと思いました。

ラインの違い

価値観のベクトルがバラバラなことから、当たり前の感覚や真善美の判断をする基準(ライン)もまた、自覚の有無にかかわらず人によって全然変わってきます。
先ほどの画像の矢印の形や色、向きや大きさが皆それぞれ違うと思えば、それは自然なことかと思います。

A「だけどさ、考えてみたら、どうせ遺体は燃やして小さい箱に入れるつもりだったんだから、たいしたことないよ」

ラファエル「すごく不適切な発言」

A「ほんと?ご、ごめん」

――第9話「消えた遺体」

人によって心のラインが違うからこそ、どこまで言っていいものなのかなどを他人とコミュニケーションをとっていく中で学んでいくのも、人は皆変わらないと思います。

程度に差はあれど「それ言うか」と感じるようなことを言われたり聞いたりすることは誰でもあると思いますし、自分も無自覚のうちに言ってしまったりしていて、それを注意してくれる人がいなければ何がいけないのかわからず、同じことを繰り返してしまうのもまた同じなのではないでしょうか。

そういったものは家庭で学んだり、学校や恋愛で他者との距離感を覚えたり、人を傷つけてしまったり、ケンカしたりすることで自分の言動を修正していきますが、友の会のモデレーターを務めるウィリアムやドラマ内でのアストリッドの成長を見ると、自閉症だから能力が劣っているとかそういう話ではなくて、異質だからと笑われて対等に扱われなかったり、言葉を発さなかったりなどで学ぶ機会が少ないのが大きいのではないかなと感じました。
(そうじゃなければ、ハッとして「ご、ごめん」って謝らない気がします)

そして「これは言うのはやめておこう」と考える内容もまた、自分の経験における価値観の違いによって人それぞれで変わってくると思います。

たとえば、他人に配慮して婉曲表現を使う気遣いはされていても、「自他の境界線」があいまいで内容自体が相手の境界に踏み込んだ発言だと感じることも多々あります。

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私は自分の気持ちが大事だからこそ、相手のことも尊重はしつつ、大事なことは多少の言い合いが発生したとしてもぶつかって解決したいと考えますが、波風を立てたくないから核心に触れずにどうにかしてやり過ごしたい方だっているでしょう。

こういったものは価値観の取り扱いの差で、あくまで自分の価値観に沿った配慮が主になってくると思います。

皆が皆、赤ちゃんの顔をかわいいと思っているわけではないだろうし、私はそもそも人に我が子の顔の感想を求めるなよって思ってしまうのですが、けどそれでも正直に言わない時がいいこともあるという経験などを経て、自分の印象に関わるからそれを言ってしまうかどうかというセーブが働くわけで、結局はその当人同士の経験値やどうありたいかなどを含めたコミュニケーションの問題です。

でもなぜかまったくそこに関わっていない人が「失礼だ!」と異を唱えたりするし、にもかかわらず「あの人は何点ね」と美男美女の有名人を評価していることだってあったりして、自他の境界線にバラつきがあり、一貫性があるとも限らないのが人間だと思います。

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最近読んだ記事で「言いたいこと」の認識の違いについて書かれていて、それあるなぁと思ったものがありました。

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ダイヤからみると、非ダイヤさんの「言いたいこと」ってのは、
「言うべきこと」なんだよね。

「我慢してたけど、もう我慢したくない。」
「言われてムカついたから言い返す」
「嫌な気分になったから、言う」
「悲しかったから、言う」

その
「言うべきこと」を何年も何十年も、怖くて言えずにいたから。
今でも、
その「言うべきこと」がなくならないのよね(≧∀≦)
でも、怖くて言えないから。笑、
その「言うべきこと」を「言いたいこと」だと思ってるわけだね。

相手を気にするがあまり、「言うべきこと」を言えずにいることって少なくないと思います。

だから言いたい放題言っているように見える人に対して、相手を認めていると「あの人だから」と受け入れて、そうでない場合には「気を遣いなさいよ」と当たりが強くなることもあるように感じます。

「『許せない』って1つの正義感だと思うのですが、許せないとしてしまうと自分も許されなくなってしまうのです。他人の失敗を許さなければ、自分の失敗が許されないことになってしまうし、自分の中で許せていないと、他人がするのも許せなくなってしまうという相互関係にあると思います。」と何度か書いてきましたが、これもまたその一環かと思います。

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アストリッドは不躾に接触してくる人に対して「触らないで」と言いますが、「本当は触られたくないけど、そんな拒絶の仕方をしたら相手に悪い」「ここで声を上げたら場を乱してしまう」と考える人だっているでしょう。
自分を犠牲にすることを許しているのは自分であってもそれはさて置き、「私が我慢して社会に適応しようとしているのに、失礼な人だ」と相手の非礼を責めたりすることもあります。
でも私だったらこれを「失礼なのは不躾に触ってきた人だし、無関係にもかかわらず相手の気持ちを尊重しないで攻撃するあなたもまた失礼な人だ」と思ってしまうでしょう……口には出さないけど。

これは価値観や優先順位の違いであって、何をもって知能や技術などの良し悪しを判断するかなどと似たような話だと考えます。

「頭がいい」ひとつとっても、学力の話もあれば、思考の柔軟さもありますし、知識の多さ、仕事を上手にこなすことなど、いろいろな視点があると思います。

アクセントなら地域によって変わるものですし、誰もがラッパーやアナウンサーみたいに滑舌よく話せるわけでもありませんから、訛っていたり、滑舌が悪かったりしても、それは発声における特徴なだけであって、勉強ができるかなどと関係するわけではありません。
でも発声を気にする人からは、音読をスラスラ読めなくて注意されたり、訛りや吃音をからかわれたり、標準語に矯正されたりすることだってあります(今もあるかは知りませんが)。

ネットが一般的になって、ふだん日本語で会話していても文章に変換できなかったり(たとえば「延々と」を「永遠と」と書くような間違い)、文章を正しく理解できない様子が可視化されやすくなってきましたが、このことで障害扱いされることはなければ、それどころか物書きの仕事をしている方だっています。
YouTubeのテロップでも簡単な間違いが散見するように、そこらにありふれているので、気にしない人が多いんだろうなぁとは思いますが、でも私は国語や漢字が好きなので、その人の発信する内容が面白いと知っている状態でなければ、変な間違いが多いと気になってしまって、中身の価値が薄れていくように感じてしまいます。

www.youtube.com

登録者数767万人のYouTuber集団・フィッシャーズのマサイくんはパソコンや映像制作に関する知識が深く、OP・ED映像やBGMをつくったり、YouTubeチャンネルの設定などを担うフィッシャーズのデジタル担当とも言える存在ですが、勉強はてんでダメで、フリップに書いた文字が間違っていることもしょっちゅうです。
パソコンやカメラのことになると饒舌になって知識がすごいなと感じるし、わかりやすく説明するのも上手だと思うのですが、これもやはりそれぞれのベクトルによって見え方が変わってくると思います。

ガイアール「コスト警視のおかげで君は成長した」

アストリッド「でも私は変わっていません。今も自閉症です。
これからも同じですし、このままでいたいです」

ガイアール「そこが君のすごいところだ。
自分らしさを失わず自信をつけた」

アストリッド「人と違う私を皆笑うが、私は人と同じ彼らを笑う」

ガイアール「リドローの言葉か?」

アストリッド「カート・コバーンです。ラファエルの息子のテオに教えてもらいました」

――第10話「五線譜の暗号」

所詮はそれぞれの価値観で勝手に見ているだけの話で、どんなに社会の声に聞こえても誰かの価値観が絶対的なことはないですから、他者の価値観に惑わされすぎる必要はなく、経験を重ねながらいかに、自分に合った価値観を育てられるかどうかが大きいのかなと思いました。

その過程では悲しかったり苦しかったりすることもあるでしょうが、誰もが自分の価値観で物を言っているだけだというのがわかるので、「自分は自分の価値観でいいんだ」と専念できるようになっていく気がします。

プログラミングの演算的な思考

ラファエル「これ全部ここだけの話ってことでお願い…」

モデレーター「心配しなくていいよ、自閉症の人間ほど秘密を守る者はいないから」

A「ただし明確に秘密って言ってほしい。時々どっちだろうって混乱するから」

――第6話「閉ざされた部屋」

自閉症は抽象的な表現が苦手な傾向とありましたが、理解力が高いからこそ、言葉やルールの威力が大きく、額面どおりに受け取って自分で塩梅を調節することができず、優先順位や行動が縛られてしまうようですね。

言葉の価値が低い人からすれば「以下」と「未満」はどちらも変わらないのかもしれませんが、アストリッドにとっては重要な違いでしょう。(これは私にとっても重要な違いです)

アストリッド「青が私。――もしもし?

コストです。――あ、会って話したいんです。提供したい情報が。

どなたですか?――あ、アストリッドです。情報があるんです。

何の?――2つの事件の。

い、いつ?――しょ、署に伺います。……署に伺います…。

青が私……もしもし……もしもし…」

ラファエル「はい?どちら様?……いたずら電話?誰?」

アストリッド「……『はい』って言った……『はい』は書いてない……」

――第1話「パズル前編」

チャートを作って話す内容を想定して準備しないと電話ができないとか、「最優先」と言われると作業中の必要なことも後回しにしてしまうなど、融通が利かない一面はおそらく、コンピューターのプログラミング演算的な考え方なのかなと思いました。
アレクサなどAIに話しかけるように主語述語などをハッキリさせないと伝わらないだろうし、挨拶なのか質問なのかというような判断も苦手なのかなと想像します。

コンピューターもAIも、人間がどういう風に動いてほしいかを指示(プログラミング)することによって初めて機能しますが、その指示が足りなかったり、あっても的確でなかったりすると動かなかったり、思っていた結果が得られなかったりします。

それと同様に「番号教えて」と言われても「何の番号ですか?」となるし、「この話=秘密だよ」と伝えることで「秘密=他の人に話してはいけない内容だ」と分類処理されるのでしょう。
「秘密だよ」と言ってもベラベラ話してしまう人もいる中で、この思考回路であると考えれば秘密を守ることに自信があるのも頷けますが、周りにいる人による影響が大きくて怖そうだとも思いました。

以上のことから私の中で「自分を含めた生活や仕事などで必要なこと、自分が興味を持ったことに対してはベクトルが大きく向いていて、逆に他人や自分に無関係なことへのベクトルは極端に小さい」、そして「プログラミングの演算的な思考で、言葉やルールの効力が強い」傾向があるのかなという印象を受け取りました。

これらはあくまで私がフィクションドラマから勝手に受け取ったことであり、実際のところは知らないままだし、いろいろな自閉症の方がいることと思います。

ただそれでもこういった仮定のモデルがあれば、今後出会った時にどう接するかを考えやすくなる一助となるかもしれないし、照らし合わせることで自分の中の仮説を修正していけるんじゃないかなぁ…なんて後づけもしつつ、ついつい考えてしまいました。

DeLaurentisの挿入歌も素敵

www.youtube.com

物語の後半で流れるようになったDeLaurentis(デローレンティス)の『The Angel』が心に染み込んでくるようで印象的でした。

www.youtube.com

DeLaurentisはフランスのアーティスト一家に生まれた女性ミュージシャンなのですが、Pushというサンプリング楽器1つで伴奏しながら自分の声を録音し、歌いながら重ね合わせていく姿を見てさらにビックリ。

また気になるミュージシャンが1人増えてしまいました。

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