昔はひとりでは何もできない子でした。 しえるです。
以前は、何をするにも誰かいないと不安で仕方ありませんでした。
それが今では、すっかり「おひとり様行動」大好き人間です。
次のようなことはひととおり経験してきました。
ひとりで買い物、ひとり散歩
ひとり暮らし、ひとりで家具の組み立て
ひとりでごはん、ひとりバイキング
ひとりケーキ、ひとりラーメン
ひとりカフェ、ひとり居酒屋、ひとりでバー
ひとり映画、ひとり謎解き、ひとりカラオケ
ひとりライブ参加(ハロウィン含む)
ひとりサッカー観戦(J1・J2・ユース)
ひとりサッカーチーム練習見学
ひとりドライブ、ひとりタクシー
ひとり新幹線、ひとり飛行機、ひとり人力車
ひとり国内旅行、ひとり温泉旅館宿泊
ひとりで店番、ひとりで商談
ひとりで飛び込み営業
何にハードルを感じるかは人それぞれですし、家族構成や家庭の事情などによるところが大きいと思います。
もともと自立心が高い方には、当たり前に感じることも多いかもしれません。
しかし大事に守られて育つと、こういったことでもひとりでするのには非常に勇気が必要だったりします。
でもひとりでできることが多くなると、経験値と対応力と自信が増えていきます。
行動力は上がるし、ひとりの楽しさも集団の楽しさもそれぞれ味わえるようになります。
自分の周りで興味があるのに躊躇している人がいると「じゃあ一緒に行こう!」と誘って行っちゃうのですが、せっかくこういう場を作ったのでこのブログでも、ひとり行動の楽しさや、私ができるようになったまでをお伝えできればと思います。
おひとり様の行動力が上がると得られるものが多い件。【「ぼっち」という自虐はやめて「おひとり様」満喫しませんか?】
- おひとり様の行動力が上がると得られるものが多い件。【「ぼっち」という自虐はやめて「おひとり様」満喫しませんか?】
この記事を書こうと思ったきっかけ
最近、本田直之さんの本を読んでいたのですが、超簡単にまとめると「ひとり旅した方がいいよ!」って内容だったんですね。
おそらく本はターゲット層が違うのでしょうが、身近な人を見ているとそれ以前に「ひとり行動」に対して感じているハードルが高い人って多いよなぁって思ったんです。
私の周りにはひとりで何でもしちゃう人と同じくらい、ひとりじゃ何もできない人もたくさんいました。自分含めて。
学校なんて連れションがザラでしたし、ひとりで近所の買い物や外食もできないって方にとって、ひとり旅なんてとんでもないハイレベルだよなぁって。
なので「おひとり様」が苦手な方にとって、はじめの一歩の入門編となったらいいなぁと思っています。
「ぼっち」という自虐はやめて「おひとり様」満喫してみませんか?
「ひとりぼっち」が怖い理由
孤独を恐れているから
「ぼっち」とバカにされるんじゃないかとか、一生ひとりなのかなとか、怖いですよね。周りからどう見えるのかなとか、どうやって生きていけばいいんだろうとか、気になってしまいますよね。
できないと思うから
対応できる自信がない、または最初から自分にはできないと思っている部分はかなり大きいかなと思います。
だからこそ生きるために結婚したり、会社に入ったりしますよね。
無意識に全責任を負う怖さを感じとっているから
他人に意思決定を任せていれば、自分は考える必要も、悩む必要もありません。
選択された結果に責任を感じることもありません。だって誰かが選んだものだから。
変化することは怖いこと
人には「コンフォートゾーン」というものがあります。
居心地がいい安心できる場所という意味で、まさに今の自分が当たり前だと思っている慣れ親しんだ環境のことです。
人が成長するには「ラーニングゾーン」という未知の学びの領域に踏み入れる必要があり、その間には「フィアーゾーン」という恐れの領域が存在すると言われています。
つまり変化、成長するということは知らない世界へ踏み込むことであり、わからないものには怖さがつきものです。
おひとり様で得られたこと
人目が気にならなくなる
ひとりだと恥ずかしい、人目が気になるって方は多いと思います。
「周りの人は皆、たくさんの人に囲まれていたり、うまく付き合っているのに、なんで自分にはできないんだろう?なんで自分はひとりなんだろう?」
というように隣の芝生が青く見えてしまっていませんか?
これはすべてうまくいっているように見えているだけで、実は皆、何かしらの問題やストレスを抱えています。
美人かどうかとか、能力の差とか、性格の差とか、年齢や性別などの立場関係なく、もれなく全員です。
自分の家族も、先生も、上司も、友達も、先輩も、後輩も、自分が悩んでいるのと同じように、何かに悩んでいます。
昔の自分はこれだけ悩んでいるのは自分だけで、他の人たちはなんでもできるんだと思っていた時がありましたが、そうではありませんでした。
そしてよく「誰も自分のことなんか気にしていませんよ」ってあると思うんですが、「気にしているのはコンプレックスを感じている人だけ」の方がより正確だと思います。
コンプレックスを感じているから、周りからこう思われているのかな?と気になってしまいますが、そこに注目をしているのは同じくコンプレックスを感じている人たちだけです。
ひとりぼっちにコンプレックスを感じている人だけが、その人が何人でいるかを気にしているのです。
意外と周りもひとりだと気づくし、ひとり同士で友達もできる
おひとり様に慣れていくと、視野が広がって周りが見えるようになっていきます。
たとえばひとりで居酒屋に行ったとします。
カウンターに通されて座ると、隣も、逆の隣もおひとり様だったりします。
あれ?みんなひとりじゃんってなります。
そしてマスターが声をかけてくれて、そこから隣にいたお客さんと話し始めて仲良くなったりなんかしちゃいます。
またそのお店に行くと、この間話したお客さんがいる!ってなって、始まりはひとりだったのに気づけば常連さんと仲良くなって、ひとりじゃなくなります。
こちらの佐賀牛も旅先の居酒屋で隣にいたおじちゃんと仲良くなったおかげで出会えました。
場所を変えても同じようなことが起こります。
これも実体験ですが、今度はサッカーのお話です。
ひとりで練習見学をしていると、周りにも同世代の子がひとりで見に来ていたりします。
いつの間にか知らない人同士集まりだして会話し始めます。
サッカーという共通言語があるから話が弾んで、そのまま一緒にご飯行って連絡先を交換したりします。
練習を見学に来るほどなので、サッカーに対する熱量も近いです。
私はそんな感じで練習場で出会った子たちと仲良くなって、一緒に遠征したりしていました。
余談ですが、後になってその中の1人が同僚の学校の後輩だったというサプライズもついてきました。
別に事前にSNSであいさつしなくても、類は友を呼んでしまうし、世間は狭いもので人のご縁は繋がっているものです。
おひとり様が気にならなくなった時、知らない人と話すというハードルも低くなっていると思います。
これは個人的体感ですが、無理やりと思えるくらい必要な出会いはちゃんと用意してくれます。
逆に何もしないで逃げ続けちゃうと、出会うタイミングを逃してしまったり、出会いに気づかなかったりしちゃいます。
意思、ひいては意志決定力が上がる
ひとりで行動するということは、ほとんどの選択肢が自由です。
逆に言えば「何でもいい」が通用しません。
すべて自分で選べるし、決めなくてはなりません。
何をするのか、どこに行くのか、いくらかけるのか、すべて自分で決めます。
どれを選ばないのか、何をやめるのかも全部自分で決めることになります。
最低でも「何かをする」か「何もしない」ということを選ぶことになるのです。
選択の自由と責任は対になっています。
全部自分で選んだのだから誰かのせいにはできません。
負う責任が大きくなるので、自分ごととして真剣にならざるをえません。
でもその分、誰かに従って生まれるどうにもならないストレスが減ります。
そして選んでいると自分の好みがわかってきて、選ぶのが楽しくなってきます。
経験値が上がって視野が広がる
時にはトラブルも発生します。
移動で間に合わず置いていかれたり、何かが壊れてしまったり、お金がピンチになったり。
でも解決するのは自分しかいません。怖いけどやるしかありません。
いざ向き合ってみると、もっと選択肢があって選べることに気づきます。
失敗しても次の手を打てることがわかります。
そしてひとりでいても、手を差し伸べてくれる人が現れることを知ります。
あとは同じ過ちをしないようにしようといういい教訓になって1つ賢くもなります。
こうしてまた同じような事態に遭遇しても落ち着いて対応することができるようになっていきます。
相手への思いやりが生まれる
ひとりだと全部自分でやらないといけません。
自分でやってみて大変さが身に染みるからこそ、相手への優しさが生まれます。
ひとりで来るのドキドキしたでしょう?とか、準備するの大変だったよねとか。
思いがけないトラブルはつきもので、相手にもやむを得ない事情があったのかな?と考えたり、手助けしたりすることができるようになります。
自分を知る
こうしていろんな経験を積み重ねていくと、自分に何ができて何ができないのかがわかります。
また、自分の欲求や思考のクセに気づきます。
どれも集団行動では気づきにくいものです。
実は知らない所で誰かが助けてくれていたことに気づいたりとか、実は遠慮してただけで私がやりたいのはこっちだったとか、普段の性格と違う一面を見つけたりとか。
これまで見えていなかった別の道が見え始め、当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったことがわかっていきます。
ひとりでいると、自分が見たいところを見れるので、自分が何に注目する人なのかなど新たな一面に気づきやすくなります。
自分の意思の主張ができるようになる
誰かから何か言われることもあるかもしれないけど、だからって自分の意見を封じ込める理由はありません。
ひとりでいて見えてきたものは、間違いなく自分の中にある大事なものなので手放さないでください。
誰かが何かを言う権利があるように、自分にも意見を口に出す権利があります。
そしてその意見は、別にその人が好きか嫌いかは関係なく、ただその意見が自分とは違っただけだということもわかってきます。
誰かのお陰で生きられているという気持ちがあると、そこの居場所を失うわけにはいかないから、嫌だと思っても飲み込んでしまいますよね。
家庭でも、学校や会社でも、なにかの所属先に居続けるためには多少の我慢が必要と思ってしまいますよね。
でも一方的に関係が成り立つわけではなくて、お互いがいるから関係が成り立っているはずです。
男も女もいないと子供を産めないし、社長も従業員が必要だから雇用しています。
反論してこないから大丈夫だとなっているだけです。
偉そうにしている人も、偉そうにさせてくれる人がいるから、偉そうでいられるのです。
もし反論を認めてもらえなかったとしたら、そこに人権を求めるのは無理と思って離れるのも大事です。
私は搾取されると思ってブラック企業から離れました。
状況によって対応は変わってくると思いますが、どうやったら離れられるか自分のために真剣に考えてみてください。
むしろいることによって、そんな違法な存在を認めてしまうことになります。
違反者に制裁を与えたければ瓦解させるのが1番だし、その方が他の被害者を生まず、社会のためになります。
自信が得られる
友達ができて、意志決定力が上がって、
自分で決められるようになって、
経験値増えてレベルアップして、
トラブルも乗り越えて、視野が広がって、
相手を思いやることができて、
自分のことがわかって主張もできるようになりました。
怖いもの、だいぶ減っていませんか?
自分が得た経験は、誰にも奪われることはありません。
私はすべて乗り越えてきたんだっていう実感が守ってくれるようになります。
私が「おひとり様」を満喫できるようになるまでの体験談
1つの例として「旅」をテーマに自分の変遷を振り返ってみます。
私のひとり旅デビューは、10歳の時にペットのインコと一緒に新幹線に乗って、片道7時間かけておじいちゃんに会いに行ったことでした。
(今思うとめちゃくちゃ可愛い思い出!笑)
でもそれ以来、自分からひとりで行動した記憶が大人になるまでありません。
むしろいかに何もせずに楽な方へ逃げるかしか考えていませんでした。
ひとりじゃ何もできず、誰かに寄りかかりまくっていました
学生時代何もやらなかった反動で、大人になってから興味持ったことに色々手を出し始めるのですが、初めの頃は何をするにも誰かと一緒に行動していました。
ライブに行く時はSNSで会える人を探していたし、遠征もライブ仲間についてまわっていました。
そう、私の旅行好きの始まりはライブ遠征からでした。
受け身だったのがだんだん主体的に
最初は誰かの遠征についていくという感覚だったのですが、だんだん自分が主体となって遠征に行くという形に変わっていきました。
「滋賀のライブ行かない?」「行く~」と誘われる側から「名古屋のライブに行こうよ」と誘う側に変わったのです。
それでも街中を歩く時、何も考えずついていってるだけなのがバレて「少しは自分でも考えて歩きなさい」って怒られたりしていましたが。笑
だんだん自分の欲求を満たし始めるようになった
そして遠征に慣れるにつれて「どこに行きたい」という気持ちが生まれ始め、そこに行くためにはどうすればいいのか?と、友達と一緒に自分達で考え始めるようになりました。
日帰りだったのが1泊するようになり、2泊するようになり、そしてやがてライブのついでではなくただの旅行もし始めたり。
最初の頃から信じられないくらい行動力が徐々に広がっていきました。
今じゃひとりでも北海道から九州までふらっと飛んで行ってしまいます。
ひとり旅をする時はだいたいの大枠だけ決めて、あとはなるようになぁれ!の精神です。
往復の交通、宿泊先、行きたいところだけ決めて確保しておくという感じですね。
こんなゆるさなので、現地に友達が来ていることがわかれば合流したり、たまたま入ったお店で仲良くなった佐賀牛のおじちゃんに翌日会いに行ったりとか、なかなか柔軟に楽しんでいると思います。
類は友をちゃんと呼ぶ
こんなゆるいノリなので一緒に旅できる友達は限られてくるのですが、気づけば似たような友達が集まっているので特に問題はありません。
家族にはたまにマイペースすぎって怒られますが、だったら何分までに戻ってこいって先に言え!と言い返しています。笑
経路や旅程プランを考えるのが上手な子の場合だと行きたい所だけ伝えて、あとは全力で甘えています。笑
その代わり私は、その友達より気になる面白そうな場所や穴場を見つけるのが得意なので、ちゃんとお互いの得意を生かしたWin-Winの関係になっていたりします。
どこそこ行きたいから、このくらいの日程で行かない?と誘うと、Excel使って交通費やルートを自らまとめてきてくれるんですよ。すごくないですか?
自分だけじゃなく周りのきっかけを作るようになった
私の周りには自分からは動かないけど、誘ってみたら「実は気になっていたんだ」と言って来てくれる子がいっぱいいました。
私が全国津々浦々、駆け巡る姿を見て、最初は「なんでそんなにあちこち行くの?」とか「そんなにお金と時間かけているのが信じられない」と言っていた人が、実際に自分に好きなものができた時に「私の追いかける気持ちがわかった」となって趣味の楽しみを分かち合えたのも嬉しかったです。
中でも印象的だったのは、友人の妹の変わり方です。
私が誘って友人がサッカー観戦するようになったのですが「実は妹がサッカー好きでいつもチェックしているけど、試合観戦はハードルが高いと躊躇して、家で楽しむだけに留めている」という話でした。
「そういうことだったら一緒に試合観に行こうよ」と誘って3人で観戦する機会を増やしていったんです。
そしたら試合観戦を重ねるうちに、姉妹だけでも観戦に行くようになり、やがてひとりでも観戦するような立派なサポ女子になっていったのです。
身内でそういう経験を重ねるうちに、これをもっと広い世界でできたらいいなぁと思って、場所をブログに移して今こうやって記事を書いている次第です。
いろんな意味で誰かの背中を押してあげられるようなブログでありたいと思っています。
長いこと孤独を恐れていました
ひとりっ子なので、昔の自分は孤独をものすごく恐れていました。
兄弟がいる方がめちゃくちゃ羨ましかったです。
何かあったら協力できるけど、私は自分しかいないじゃないかと。
ハブられたことも、嫌われたこともありますし、プチ炎上したことすらあります。
(炎上は友人内で説明不足の行き違いから発生したもので、叩かれた内容は実際には起こっていないものでしたが、500件を超える私への非難のグループLINEが届きました。その時唯一、非難に混ざらないでいてくれた子は、今も大事な友達です。)
友達がいなくなると絶望したし、恋人ができないとなんで私は…となってました。
当時はもちろんすべて辛かったけど、今思うとどんな時も誰かしら手を差し伸べてくれる人がいたなぁと思います。気づけていなかっただけで。
周りの人達の関係を羨んでいただけで、なんだかんだで本当の1人になったことはなくて、今の私から見れば、いつだって人に恵まれているなぁと感じます。
それを言うと、周りからは変なヤバイ人にも当たりすぎだよと突っ込まれてしまいますが。
話したことがなかったクラスメイト
別のクラスの友達、違う学校の友達
保健室の先生、図書室の司書さん、塾の先生
習い事の先生、バイト先の仲間
別の部署の方、別支店の同僚
営業先のお客さん、パートで働きに来てくれた方
趣味で出会った人たち
居酒屋で隣にいたお客さんやマスター
誰かを失っても、新しい誰かに出会ってきたし、至近距離で問題があった時でも、いつだって次の距離のゾーンには心の拠り所がありました。
視野が広がると、そういった部分にも気づけるようになってきます。
今は、支えてくれる両親がいて、心を許せて本音で話せる友人がいて、ただただ愛してくれる相方がいて、そして何より自分という最大の味方がいることを知っています。
なので特に保証があるわけではないけど、安心してひとりの時間を満喫することができています。
それでは今日も良き1日となりますように。
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