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【心のトレーニング】大人になってから生きやすく。流れに身をゆだねながらも「今この時の私のスタンス」を大切に。


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自分で舵をとるために。しえるです。

はてなブログのお題で「思い描いていた『大人』になれてる?」とありましたが、私は子どもの頃、そもそも「大人になること」を一切と言っていいほど、思い描いていませんでした。

なんだかんだで好きな人たちはいたけど、周りの人が自分と同じ「人」だと思って生きれていなかったので、目の前にあるものごとが現実で「自分も大人になって生きていく」ということを長らく理解できてなかったんだと思います。

そんな私が今、大人として生きていて、以前よりも生きることへの理解度は増し、健全な考え方もできるようになってきて、ずいぶん変わったなと感じますが、今回は大人になってから生きやすさを見つけていった私の、最近トレーニング中の考え方について書いてみようと思います。

【心のトレーニング】大人になってから生きやすく。流れに身をゆだねて「今この時の私のスタンス」を大切に。

これは私には向いていませんでした

ciel-myworld.hatenablog.com

私は考え方をいちいち良い悪いと判断してしまわないよう、どうしたら中庸を保っていられるかを模索しています。

以前、「全部間違えている」という考え方は面白いと思ったことを書きましたが、いざ実践してみようとすると、適度に「自分の考え方も間違ってる」と捉えることが難しく、元々「間違ってる」と思っていたことをより「間違ってる」と思ってしまって、それが間違いだという「自分の中の正しさ」を助長してしまう感覚になってしまっていました。

これは「誰かのことを強く間違っていると思う」というよりは、元々10代から自分に信頼をおいていない考え方をしていた人間だったので、「自分の良くないと思う部分をより良くないと思ってしまう」という「自己卑下」という形で、「自分の中の正しさ(自分が間違ってるのが正しい)」という思い込みを助長してしまったのです。

miyearnzzlabo.com

先日「人が自分を否定することを信用するな」という星野源さんのトークを見かけたんですね。
ここでは他人に否定される話しか書かれていなかったのですが、この「人が自分を否定すること」って自分も含まれていると思うんです。

「そんなのできっこない」って他人から言われるだけでなく、自分の中でも発生するんですよね。

元々「自分を間違い」だと思い込んでいた私は過去の自分に引っぱられて自信をなくす一方になってしまうから、「間違い」ベースの考え方は向いていないんだなということがわかりました。

それがあなたのスタンスなんですね

「あぁ、この考え方は付け焼刃では難しいな…」と感じていたところに、どこかで「人は正しいこともあれば、間違っていることもある。それがあなたのスタンスなんですね」という体の話に出会ったんです。

どこで見たのかが全然思い出せないから、どこまでが自分の解釈でどこまでが受け売りなのかもわからなくなってしまったのですが、「それだ!!」となりました。

これだったら内容がどうであれ、「それが今の自分のスタンス」の一言で全部片づいてしまうし、「人には人の乳酸菌」のように「相手には相手のスタンス」があると思えるし、「過去の自分のスタンス」と分けて考えることもできるので、スタンスをいちいちジャッジすることもなければ、長い目で見れば所詮一時的なスタンスなので「全部どうでもいい」って思えます。
人間万事塞翁が馬」とは言いますが、何事もいいことか悪いことかなんてすぐにわかるものではありませんしね。

  • 「生まれで全部が決まってしまうというスタンス」
  • 「他者に厳しいスタンス」
  • 「男は女におごるべきというスタンス」
  • 「他人に口を出すスタンス」
  • 「自分の考えを押しつけるスタンス」
  • 「投票に行かないスタンス」
  • 「すぐに性的な考えに結びつけてしまうスタンス」
  • 「他人ばかり見ていくスタンス」
  • 「学力や記憶力だけで評価するスタンス」
  • 「見た目や肩書きで判断するスタンス」
  • 「理由に他人を使うスタンス」
  • 「返事をしないスタンス」
  • 「誤字脱字や変換間違いを気にしないスタンス」
  • 「荷物置いたままでもPC開きっぱでも大丈夫なスタンス」
  • 「ぶつけても気にならないスタンス」
  • 「割り込んでいくスタンス」
  • 「やりたくないことをやるスタンス」

どれも「今の私のスタンス」には関係がない話だから、たとえ不賛成や反感を覚えていたものであったとしても「あなたはそういうスタンスなんですね」で片づいてしまいます。

私はこういう考え方はどうかな?と試したり、気持ちが楽になった考え方をブログに書いたりするけど、それは「今の私のスタンス」なだけで、「他の人のスタンス」には関係がありません。

「うわっ…」と思ったときに、「いったいどの部分に反応したのだろう?」を言語化することでどんなスタンスに引っかかりを覚えるのかを発見できるし、問題を分けて考えることもできそうです。

「相手のスタンス」がいいなと思えば取り入れていくのもありです。

「今の私のスタンス」は未来から見れば「過去の私のスタンス」となるので、過去の自分に引っぱられる必要もありません。

「このスタンス好きじゃないな…」と思ったらスタンスを変えていけばいいだけの話です。

自分がそうしたいと思うだけの話で、正しいか間違っているかの話じゃないからジャッジすることがないし、変化も柔軟に受け入れられるしで、心の交通整理にピッタリなのでは?と思ったので、「人には人のスタンス」「今のスタンス」という考えを心がけておくようにしたいです。

マルチモンハンへの応用

私はSwitchのゲーム、モンハンライズ:サンブレイクでよく遊んでいるのですが、モンスターが強くなってきて装備を強化したく、複数人でやったほうが早く終わるので、オンラインでマルチプレイ(知らない人と複数人で狩猟)に野良参加することがあります。
基本的に自分で倒せばいいと思っているので、周りのハンターがどんな動きしているのかは共闘するうえで必要な分しか気にしませんし、相手の装備なんて気にしたことがありません。
相手が上手いか下手かなんてどうでもいいですし、クエスト失敗となってしまう力尽きられる回数が決まっているので、乙りやすい人がいたら気にかけようとか、参加時点で3頭狩猟の1頭も倒せてないのに失敗リーチがかかっていたら潔く抜けようってくらいです。

それでもいろんな人が遊んでいるので、SNS上にはびこるハンターの声なら「他人に口を出すスタンス」でしかないので「うるせぇ」の一言で終わるのですが、実際に変な野良に当たった時にどうすれば精神衛生を保てるかというのは、自分が楽しく遊ぶうえで大事なポイントになってきます。

以前は、ファーム(体力ゲージを増やすなどハンターを強化して回る)しているとモンスターがいる場所を知らせてくるのがイヤだなと思っていたんですけど、「ファームしてないで来い」と急かしているわけじゃなく、「ただ罠をしかけたりしているだけかもしれない」と思ったら気にならなくなってきました。

最近ではファームしようとしたハンターに対して「虫集めするなら消えろ」というチャットを投げかけられたことをにショックを受けたツイートをしていた方がいました。
まぁまず集めているのは虫よりも鳥なんですけど、これが自分だったらどう考えればいいのかな?と想像してみると、「ファームするならいてほしくないスタンス」の暴言厨と、「生存したいからファームはするし、暴言は受けたくないスタンス」の私なら利害一致で「じゃあ抜けます」で終わりだなって思いました。

以前は3~4回に1回くらいの高めな頻度で全滅が起こるのがイヤで、だったら1人でやるほうが効率いいとマルチをやっていなかったのですが、攻撃しながら回復できる狩猟笛なら、いちいち武器をしまって回復薬を飲まなくていいから楽だし、周りにも効果があるからついでに全滅も阻止できるという理由で、もっぱら狩猟笛で行っています。

ただ、先日は回復すると「粉塵ありがた迷惑」的な内容(実際はもう少し煽り要素高め)のチャットを自動送信設定している人がいたんですね。

粉塵というのは狩りに参加しているハンター全体を回復するアイテム(生命の粉塵)のこと、自動送信というのは「こういう状況の時、この定型文で自動的に反応する」という設定をできるものなのですが、まぁ明らかに私に向けた言葉なんですよね。

最初はちょっとムッとなったんですけど、この人は「粉塵不要のスタンス」「知らない他人に嫌味を言うスタンス」で、私は「自分のために回復しているスタンス」なだけの話ですし、わざわざ生命の粉塵を使っているわけでもありません。
「まぁ嫌味を定型文に入れているような相手が勝手にイラつくだけならいっか、残りの2人は死なずに済んでるし」と思ったら気にならなくなりました。

また別の日にはボウガンで拡散弾・徹甲榴弾という、近接武器ハンターもろともぶっ飛ばしてくるハンターと一緒になったことがありました。
ちょくちょくブランクがあり、そういうハンターに当たったこともなかったので、4月下旬に「緩衝」という味方に吹っ飛ばされないスキルが追加されたから、イコール「ぶっ飛ばしてもOK」って解釈に変わっていたことを身をもって知りました。
でもだからと言ってクエスト中に緩衝スキルをつけられるわけじゃないし、4人中3人ぶっ飛ばされ続けているし、全然戦えないし…でモヤモヤしていたのですが、途中から吹っ切れて「よし、皆がぶっ飛ぶのをわかってても近接ハンターがいるところにぶっ込んでくるなら、お前が倒してくれ!」と初めて真面目に戦うことを放棄してみました。
自分で倒すというスタンスであっても、わざわざイラつく環境に身を置き続ける必要はないし、無事ちゃんと倒してくれる人でよかったです。

「緩衝」や「ひるみ軽減」など味方の攻撃に影響されないスキルをつけるのがマルチのマナーとか言う人もいるけど、私はそういう義務的なスタンスではなく、「自分がやりやすい環境を整えていくスタンス」でいたいなって思いますし、それが誰かの行動で左右されないことを目指しています。

ゲームはあくまで遊びで義務とかないですし、自分のご機嫌は自分で取るものだなと改めて思った次第です。

不健全な環境で育ったということ

私は両親のことが好きですが、2人のすべてを受け入れているわけではありません。

ムカつくところだってあるし、私が10代の頃に将来を描けず、自分のことが大嫌いで仕方なかった一因だとも思っています。
私は自分で嫌気が差して、自分の良くないと思うところを直そうとしたり、あれこれもがきながら自分の人生に向き合ってきたけど、元はといえば、そう思ってしまうような環境で育ったことが発端です。
自分のいとこの方がもっとひどかったと思うくらいなので、うちより悪い環境なんていくらでもあるだろうし、生活面では恵まれていたと思うけど、10代は精神的にひどい過ごし方をしていたし、理不尽に感じたことや寄り添ってくれなかったことなどは多分忘れることはないんだろうなと思います。

ただ、特に母とは度々大人になってから本音でぶつかり合ってきたし、両親もまたその両親や家族との間に問題を抱えているし、生きた時代の価値観に縛られているのだともわかっています。(それらは親自身の問題なので私には関係ないですが)

先日は映画の話をしていて、「昔は5時間の映画上映でトイレ休憩がないこともあった」という話を聞いて驚いたのですが、休憩なしが当たり前すぎてか「今はたった2時間の映画の途中でもトイレに立つ人がいる」とディスっており、そのトイレに行くことを許さない感覚の違いにまたビックリしました。姿勢低くしてはほしいところではあるけど、自然現象だし、チケ代払ったその人自身の選択なのに…。
なんか昔トイレに行きにくかった感覚があった気がしてたけど、こういうところだったのかもしれませんね。

ほかにも、いくら問題があるとはいえ、父のきょうだいのことを母が「失敗作」呼ばわりしたことには言葉を失ってしまったのですが、とりあえず「ひどいこと言うね」と言って、その話には乗らないように拒否しました。

そもそもの感覚が違うと思うこともあれば、自分が「今の自分いやだな~」と自己嫌悪を感じることで、親も同じことをしていることも多々あったりして、自分の中の価値観の源に気づくこともあります。

だからこそ多くの人生は、「そういう環境で育ってしまったんだから仕方ない」として、それを踏まえたうえで「私はどういうスタンスでいたいか?」を1つ1つ紡(つむ)ぎあげていくものなのかもしれない、と今は思います。

それは家族だけにとどまらず、社会全体を見てもたくさん転がってる話だと思います。

絶えない差別や「いじめ」という名の傷害、子どもを自分の物扱いする親、パートナーを自分の物扱いする「恋愛」と呼ばれているもの、立場の利用や自分の保身だけを考える政治家や役職持ち、当人の意思や自立を尊重しない過保護、犯罪、非難側含む炎上騒ぎ、本人の話を聞かずに噂を信じる無関係な人たち、他人の人生に無責任に口出す人たち、多様性をうたいながら逆の意見に不寛容な人、依存の関係、ヤングケアラー、PV稼ぎの中身がないメディア、口の悪い下品な人、いくらでもありますけど、それぐらい不健全な環境ってそこらじゅうにあふれているんだろうと思います。

もちろん全部がそうではないですし、早熟な方は健全な環境で育ったんだろうなぁと思いますが(若くして悟らざるをえないくらい過酷な環境を乗り越えた可能性ももちろんあります)、何かしらで功績を残していようといなかろうと、大なり小なりどこかしらこういった問題を抱えていることは少なくはないのではないかと感じます。

税金は取られ損の意識はどこから 専門家が指摘する企業頼みの構図:朝日新聞デジタル

自称専門家は「日本のような成熟しきった社会」とか言っていたりしますが…。増税を憎んでるんじゃなくて、まずその前に支出バランスが適切なのか?って話だし、去年は自殺者もまた増えていて、そんな健康で文化的な最低限度の生活が営めていない未熟な状況にもかかわらず。

「成熟社会では、人々が 『生活の質的豊かさ』への志向をより強めていく。人々の価値観が物質的豊かさから生活の質の豊かさに重点を移していく。質的豊かさのためにお金を使うようになる。 時間を大切にするから都心居住も促進される。 オフィス街自体も、オフィス機能への純化を追求した時代から、そこで働く人のためのレストラン・買い物・文化・アミューズメント・リラクセーションなど、楽しみや快適さを付加したまちづくりをしていく時代へと転換していく。」という意味での成熟社会ならわかるのですが…。
過去に上手くいっていたと勘違いしていた仕組みの齟齬(そご)が出ているのが現代だとも思います。

これまでならこういうこと考えるとモヤッとしてしまっていたけど、でもまぁそれらは全部そういうスタンスであっただけで、自分のスタンスとは無関係であり、自分のスタンスはいつでも変えていくことができるし、そのことは忘れちゃダメなんだと思います。

私は現代の基準において社会不適合者なんだろうと思うけど、現代社会もまた正解ではありません。

そんなことを先週末から書き始めていたら、しいたけ占いで「私は私の方向性」とか「『うるさい』と感じる場所から脱却して、自分の味方や夢を増やしていく活動をしていく」と書いてあって、ピッタリな内容に笑ってしまいました。

5月15日(月)~5月21日(日)の獅子座の運勢 | しいたけ占い | 占い | VOGUE GIRL

環境違えば常識も変わる

先日は不法入国で捕まった人の家族の話に「何言ってんだ、犯罪だぞ」的な反応も多かったんですけど、南アフリカ出身のカラードであるトレバー・ノアさんの本を読んだあとだから、「あぁ、生まれた環境による前提の常識や感覚が違ったんだろうな」と私は思いました。

偽造パスポート、不法入国で捕まった人の妻さん「たいして悪いこともしてないのに捕まって収容された」 - Togetter

カメラに入っていた写真を次々と見る。自分にとって家族の写真がどれほど大切か考えながら。――僕はカメラを盗んだんじゃない。誰かの思い出を盗んだんだ。誰かの人生の一部を盗んでしまった――。
実に不思議な話だけど、いかさまをしていた2年間、それが犯罪だとは一度も思わなかった。正直言って、悪いことだとも思わなかった。――所詮誰かが見つけてきたモノだし、白人には保険もあるし――。

たとえばトレバー・ノアさん自身、今でこそグラミー賞の司会者など活躍していますが、海賊版CDを作ったり、拾った家電を売ったりして生計を立てていた過去があり、それが当たり前な日常で犯罪だとは想像ができない環境で育ったわけです。

とられるものがあるくらい豊かな暮らしをしている人が、犯罪を頭ごなしに非難するのは簡単だ。だけど僕がフッドで学んだのは、なにが正しくてなにが間違っているか、どういうのを犯罪と呼ぶのか、どの程度の犯罪行為なら関わるのをためらわないかは、人によってさまざまだということだ。

トレバー・ノアさんは母が南アの黒人、父はドイツ系スイス人の白人で、当時は異人種間での性行為は犯罪であり、生まれたことが犯罪な状況でした。お母さんの機転でそのまま南アで育ちましたが、ほかの混血は皆、生まれるとすぐに海外へ逃亡していたそうです。
そんな南アは、レイプや盗みは犯罪でも、暴行はOKとされてしまっていたり、違法販売はもはや犯罪とすら認識されていないような環境だったようです。
環境の差と言ってしまえばそれまでですが、犯罪に対する価値観の差は日本でだって見受けられるもので、よくある光景でいえば「こんな迷惑行為をしている」と軽犯罪に厳しい人が、他人のプライバシーを晒したり、誹謗中傷することには無頓着だったりしますね。

フッドで犯罪行為がまかり通っているのは、政府がしてくれないことをしているからだと僕は気づいた。犯罪が面倒を見てくれる。地域住民に根ざしているのだ。犯罪は、支えが必要な若者を見つけて手を差し伸べてやる。犯罪には見習い期間も、夏限定の仕事もあるし、出世する機会だってある。犯罪は地域社会に関わっている。犯罪は差別をしない。

日本でも闇バイトなど問題になっていますが、社会が機能していないから犯罪が支えている状況と捉えることもできます。
逮捕すればいいという近視的な話じゃなく、その状況を踏まえたうえでどうするか?という根本的な解決に向けて動かないとなくならないのだろうと思います。

悪く見積もってもちょっと心のシャッターが閉められるだけ

過去の自分の言動を思い出すと、周りの見えてなさや自分の小ささに恥ずかしくなることもあるのですが、それが当時の自分にとって精一杯だったと認めるようにしています。

そして、その一時の恥という気持ちや「嫌われたくない」「がっかりされたくない」という感覚は大きく感じてしまうときもあるけど、たいていそこまで大したことじゃないのかもと思うようになりました。

今、私が好きな人たちのことも100%すべてを好きなわけじゃなく、好きなところもあれば苦手なところもあります。
きっと私も全部をいいと思ってもらっているわけじゃなくて、イヤだな~という部分もあるのでしょう。
でもイヤだなと思うときも1個ですべてが嫌いになるわけじゃなくて、いくつもの積み重ねで徐々に心のシャッターが閉じていくものだし、好きが上回っていれば「まぁそんなところもあるよね」で済みます。
と考えると、スタンスの差って微々たるものなんですよね。

むしろ見せたらダメだと恐れているものは恥でもなんでもなくて、実は共感されたり、パンクしたことがある人たちなどが理解してくれたりすることもいくらでもあります。

 

先日、迷子鳥を嘲(あざけ)るような発言をした眞鍋かをりさんに批判が殺到して、一部で話題となっていました。

眞鍋かをり「迷子の鳥を見つけるのは無理」発言に批判殺到 ペット探偵は「決して『無理』ということはない」 | Smart FLASH/スマフラ[光文社週刊誌]

迷子鳥チラシに…眞鍋かをりさん「無理じゃ〜ん」発言 騒動後初の放送では言及なし、BSの動物番組|まいどなニュース

私は特に眞鍋さんを好きとも嫌いとも思っていなかったんですけど、「迷子鳥を捜す飼い主を嘲るスタンス」なんだという点は、愛鳥家の私にとってはやはりいい気持ちはしないので、心のシャッターをスッと下ろしていたのですが、そのときに「あ…ただそれだけの話だった」と気がつきました。
別にシャッターを下ろしたからって、眞鍋さん嫌い!最低!とは思わないし、「ふ~ん、そんなこと言うんだ…」ってだけなんですよね。ただ1歩引いただけ。

 

本当にダメだと思ったとき、人はちゃんと離れていってくれるんですよね。
そしてある程度良識があれば、心のシャッターを閉めきって終わりなんですよね。
相手は会いたくないだろうし、自分も顔から火が出るので、そのときはつらくても後々にはWin-Winです。

あることないこと言いふらす人、こんなヤバイやつだったとちょくちょく振り返る人もいますけど、そんなことを話題にするような人たちはたかが知れていますし、「何か言われてるんだろうなぁ~」とは思うけど、それも期間限定の話か今後の人生に関わりないことがほとんどだから、まぁ自分がかけた迷惑代やそういう環境にいたことの勉強代くらいかという程度で済みます。
自分が持ち家に定住する気がないからこそできる考え方な部分もあると思いますが、その考えになったのは「何かあっても身動き取れるほうがいいから」という理由が基なので、結局自分のスタンスや選択しだいですね。

大人になって考え方のクセを変えたことで生きやすくなってきたからこそ

過去は変えられないけど、これからを変えることはできるし、考え方1つで気持ちが楽にもなれば、見え方がまったく変わることを、私は大人になってから自力で学んでいきました。

今だってつらいこと、イヤなこと、うんざりすることはいくらでもありますが、それでも昔に比べたら息がしやすく、快適だと思います。

よく「人生をやり直せるならいつに戻る?」みたいな話題ってあると思うのですが、10代の頃は「強くてコンティニュー」を望んでいた私だけど、今では「1mmもやり直したくない」という感覚が強いです。

きっと子どもの頃から気づける人はいるんだろうけど、私にはそれができなかったし、もう1度同じ体験はしたくない…1度で十分です。

「道具は楽するために開発されてるんだから、チカラいらないの。
 チカラ入れてるってことは、使い方間違ってるか、精度が落ちてるか、道具のチョイス間違ってるかのどれか」

最近見かけたこの言葉、元々は良い状態で道具を使うことについての話なのですが、人にも応用できるんじゃないかと思っていて、別にチカラを入れて食いしばるために生まれてきたんじゃないんだし、チカラを入れなきゃならない状況というのは、考え方が適していないか、疲れ切っているか、環境が合っていないか…と考えることもできそうな気もします。

この先どれだけ生きるかなんてわからないけど、どうしたらさらに生きやすくなり、快適な時間を増やせるのかを模索することは大切にしていきたいと思います。

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今週のお題「おとなになったら」


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