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ゲーム配信で見た『ロストジャッジメント』が面白かった話と「正義」について考えさせられた話。


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しえるです。

最近、釈迦さんの配信で見た、元SMAPのキムタク演じる元弁護士探偵・八神(やがみ)が主人公『LOST JUDGMENT(ロストジャッジメント):裁かれざる記憶』というリーガルサスペンスアクションゲームが面白いと感じました。

私はこれまで名前は知っていても自らの視界に入れる機会を作ってこなかった『龍が如く』シリーズの作品で、キムタク1作目である『JUDGE EYES(ジャッジアイズ):死神の遺言』の続編となっています。

過去作については一切知らず、たまに過去作に関連する話題が出てくることもありましたが、それでも十二分に楽しむことができました。

ネタバレはないように書いていきますが、もしかしたら勘のいい方が何かを察してしまうような表現はあるかもしれませんので先にお断りしておきます。

ゲーム配信で見た『ロストジャッジメント』が面白かった話と「正義」について考えさせられた話。

豪華俳優陣の出演などリアルとのリンクが面白い

龍が如く』シリーズは、有名な俳優さんが名前は違えどそのままの姿で作中に登場する作品で、これまで堤真一さん、中井貴一さん、藤原竜也さん、ビートたけしさん、寺島進さん、竹中直人さんなどといった豪華メンツが出演してきています。

『ロストジャッジメント』では、木村拓哉さん以外にも光石研さん、中尾彬さん、山本耕史さん、玉木宏さんといった面々が出演していて、そっくりのCGに本人ボイスのキャラクターが中心人物となって話が展開していくので、1つのドラマを見ているような気分になります。

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また、新宿歌舞伎町をモデルとした神室町や、みなとみらい・中華街周辺がモデルとなっている伊勢佐木異人町といった架空の街が舞台となっていて、新宿や横浜を訪れたことがある人ならなじみのある光景をキムタクが走り回るのが面白いです。

企業とのタイアップで実際の店舗や商品も出てくるので、街中にすしざんまいや富士そばがあったり、井村屋のあんまんや伊右衛門が売られていたりします。
すしざんまい店頭にある社長人形はつい反応してしまいますねw

サスペンスとしてストーリーが面白かった

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本作は痴漢の罪で捕まった現役警察官・江原(光石研)が、実刑判決を受けた公判中に、数日前に横浜で見つかった身元不明の腐乱死体は自分の息子を死に追いやった教育実習生であると話し始めるところから話が始まります。

「その死体の主は、御子柴弘(みこしばひろ)といいます。
彼は4年前、私の息子を自殺に追いやった。万死に値する人間です。

それが何の罪にも問われず、ずっとのうのうとしていたんですから
……法なんてものはまったくの役立たずだ。」

STORY | LOST JUDGMENT 裁かれざる記憶 | SEGA Official Website

江原による憎しみを隠さない突然の発言にざわつく裁判所。

腐乱死体が発見されたことはまだ公表されておらず、関与が疑われるも江原は痴漢容疑で勾留されていて、たった今痴漢の罪で実刑判決を受けたばかり、江原の無実を裁判所が証明した形となっています。

ここからキムタク扮する八神と一緒に真実を明らかにするためゲームを進行していくことになるのですが、ふだんドラマや小説を読んでいてもそこまで推理をしない私も、つい配信を見ながら一緒に考察をしちゃうほど色々考えさせられ、続きが気になって仕方ありませんでした。

オマケ要素が盛りだくさん

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このゲームのメインは江原と腐乱死体の関係を探るリーガルサスペンスのストーリーで、無双系のような集団戦で半グレたちをボコボコにしながら、事件に関する証言や証拠などを集めたりしていきます。

手がかりを調べるために神室町・伊勢佐木異人町とまたにかけて活動するにあたって、想像以上にたくさんの寄り道要素が登場してビックリしました。

たとえば八神は、横浜にある高校の依頼を受けてイジメ調査に乗り込むのですが、その一環でダンス部の指導に踊ってみせたり、ロボット部でロボコン大会に出場したりなど、いろんな部活に参加することができます。
特にダンス部は、音ゲー形式でダンスの練習や大会出場のアドバイザーをするという話になって、「ダンスのことなんてわからない」と元SMAPが言うのも面白ければ、「初めてだけどなんとなく踊れちゃった」と言う八神に(そりゃジャニーズだからな!)と総ツッコミが入るのも面白かったです。

ほかにも探偵として別の依頼を解決したり、猫が案内してくれるという幻のラーメン屋台を探したり、街中でボクシングジムやスケボーパークに通ったり、野球のバッティングセンターやインドアゴルフに励んだり、ドローンレースに参加したり、SEGAの別ゲームをプレイしたり、女の子との出会いがあったりなどとにかくたくさんあって、つぎ込もうと思えばいくらでも時間をつぎ込めるボリューム感でした。

釈迦さんは相変わらずゲームが上手いものですから、どのミニゲームもすぐに順応しちゃっていて、バッティングセンターでは曲がるボールがどこに来るかを次々と当ててしまうのが不思議でなりませんでした。

正義について改めて考えさせられました

このゲームの主軸として「法と正義」というテーマがありました。

イジメはクソってすると、イジメてる人たちがその瞬間、割とさらし者にされるというような描写、あれはあれですっきりしないんだよな。
それも結局イジメてるみたいな、どんどん連鎖していく感じ。
結構そういう描写のとき、コメント欄でも同じことが起こっているような感じ、正直したね。

イジメるやつが100%悪いし、何されても文句言えないぐらいだと俺も思うんだけど、何してもいいわけじゃないと思うんだよね。
される側がどうっていうより、してる側がどうなの?って感じ。

結局どっち見てても気分悪いんだよね。
最初にイジメてたやつがイジメてるところを見るのも気分悪いし、そいつらをよってたかって大人数で殴り合ってるのも見てて正直気分悪い。

じゃあどうすればいい?
じゃあどうすればいいかっていうのが難しいから、このタイトルの題材に選ばれたんだよね。

ま、でも実際、ほんとに正解ないと思うよ。
それ見てて気分悪いからつって、じゃあそいつら放置しとくのって言ったらそれも間違いなく違うしね。
考える機会になっていいことだと思います。

https://www.twitch.tv/videos/1571021364(※ストーリー最終盤面の配信回です)

ゲームを終えたあと、釈迦さんがこんな話をしていました。

実際にイジメてる側のキャラクターがひどいと思うものの、それに対する当たりが強くて言いたい放題だなぁと感じていたので共感する部分がありました。

前にもブログで書いた話に近いものがありますが、私の中で「何かを悪とした瞬間、たとえ正義のためでも構図は逆転する」「正義感が加害となる」という認識があります。

ciel-myworld.hatenablog.com

ただ、その時はあくまで言論を中心に考えていた内容でしたが、今回は身近な人の生死が関わってきていて、そのうえでどう捉えるのかという話になってきます。

民主主義自体がさ、少数派は切り捨てられるわけじゃん、実際が。
いい悪いの話じゃなくて、事実として。

何があろうと殺しはダメ?
ま、ダメなんだけど、それは。

ダメなんだけど殺されてんだよね、こっちは。直接的にじゃないけど。
今回の話で言ったら殺されたのに、殺した相手は罰を受けずに普通に生活しているんだよ。

ただそれを殺していいかっていうと殺しちゃダメなんだけど、でも殺したい気持ちはわかるって話なんよな。

だからいい悪いじゃないんだよな、もともと議論のポイントが、これって。

だからどっちが正しいって言い切れない話なんよ。

そう、論理が感情なんだよね。論理と言うか倫理か。気持ちと倫理、主観と客観。

だからもうこれはどうするとかじゃなくて、できるだけ未然に防ぎましょうっていう話で終わりだけどな、正直。

できるだけ数を少なくするしかできない。少なくする努力をする。
まぁ理想はなくそうだけど、なくなることはないからね。

そうなってくると法の問題でもないしね、そのまだ手前の段階だしね。

釈迦さんはこのように話していましたが、たしかに最終的に人を動かすものとして「感情」というのは大きいと思うんですよね。

殺しちゃいけないって倫理観は正しいものだというのは大前提のうえで、受けた苦しみだとか辛さといった感情もまた本物ですから。

人それぞれの真善美の価値観や民主主義社会における倫理観があるわけですが、ふだんどんなにきれいごとを言っていても、結局は自分が当事者となったときにどうなるかって話だと思うんですよね。

だから今回はあまりフォーカスされなかったけど、親と子の接し方みたいなところも本来はフォーカスされるべきやろな。

人によって正解は違うから。
求められる答えって人によって変わるからな。

だからと言ってつらい思いをしたから何してもいいっていう話ではないのもそのとおりで。

まずそもそも何かあったとき、つい直接的な何かのせいにしてしまいがちなんですけど、そんな1つの要因だけで起こる物事ってないと思うんですね。

釈迦さんが言うように親子の関係がどうだったのかもあるし、他に話せる友達やコミュニティがいるかどうかも大きいし、加害者側の家庭環境はどうだったか?もあるし、何か環境を変えるための建設的な行動をしたか?もあるし、性格や体調でも見え方って変わってくるし、思い込みはないか?こじれた受け取り方をしていないか?どれだけ周りが見えているか?などといった理解力の話もあるし…、名探偵コナンでも勘違いから起こる事件もよくありますしね、これは創作ではあるけど、実際にありえる話だと想像します。

間接的な要因っていくらでもあるから、私は感情的になったとき、時間をかけて内省するんですけど、感情抜きに公平に見られていることって本当になくて、感情は判断を鈍らせると感じるし後悔も多いと感じます。
だから感情的になる物事ほど自分が本当に一切非なく、こじれずに物事を受け取るのって難しいなと痛感しますし、そんな中で皆が皆ブレーキを踏むわけではないし、むしろアクセルを踏む人もいるということは頭の片隅に留めておきたいところです。

一人ひとりの環境や考え方が違うからこそ、人によって状況も受け取り方も必要なものも違うし、だからこそ、そういった状況に陥らないために何ができるかって試行錯誤していくしかないんだと感じます。

ふつおたのはかば #98 メンタルって鍛えられるというより麻痺してくだけ - YouTube

そんなことを考えている中で聞いたこの東海オンエアの虫眼鏡くんのラジオでは、東海オンエアメンバーの遅刻に対して「社会人として云々~」と怒る人がいた話や、コメントに対して何も思わなくなっていて、これってメンタルが強くなってるわけではなく麻痺していってるだけかもしれないというような話をしていたのですが、それらに対して感じたことがいくつかあります。

1つは「許せないこと」が自分を縛っていくということ。

今の私の中での大きいテーマとして「いかに自他を許容するか」というものがあります。
「許せない」って1つの正義感だと思うのですが、許せないとしてしまうと自分も許されなくなってしまうのです。
他人の失敗を許さなければ、自分の失敗が許されないことになってしまうし、自分の中で許せていないと、他人がするのも許せなくなってしまうという相互関係にあると思います。

社会人の遅刻の話も、あくまで自分が選択したコミュニティの中で遅刻しないようにというルールがあって、そのために自分が遅刻しないように行動しているだけにすぎないのに、自分とはまったく関係のない他人でも遅刻するのが許せなくなってしまっています。
それはその閉鎖的なコミュニティのルールのために遅刻しないようにしているからであって、別に遅刻する日があってもいいし、単に遅刻しないほうが自分の仕事がはかどるという感覚で行動していたら、そもそも他人の遅刻って気にならないと思うんですよね。
赤の他人が遅刻したところで何も影響ないわけですし、身内だとしたら多少怒ったとしても「じゃあどうする?」って話になるだけですから。
「次は気をつけてね」と声をかけるのか、人の遅刻を強く糾弾するのか、「大丈夫だよ」と許すのか、自分が遅刻した時に同じ扱いを受けてもいいと思える反応を選びたいところです。

前にタクシー運転手のタメ口に対して怒っている方もいましたが、その方も同様だと思います。
相手を敬って敬語を使うのではなく、「敬語で話さなければいけない」と考えているから「自分は敬語を使ってやってるのに!」となって、他人のタメ口が許せなくなるのでしょう。

president.jp

許せないことと義務感がつながってしまっていて、これはもはや善悪や好き嫌いを超えた別の話となっているのです。
その義務感を緩めることは、手段が目的になってしまわず、お互いの人権を尊重し、生きやすくするものだと考えます。

そういった考え方って全部自分に返ってくると思っていて、先日もアメトーークのすぐナメられちゃう芸人を流し見していたとき、すぐナメられちゃう芸人は他人のことをナメているなって感じたんです。

もちろん失礼な人と距離を置くというような対応も必要だと思うんですけど、いかに「自分の好き嫌い」や「世間の評価」と「相手の価値」を分けて考えるかというのは大事だと改めて感じたし、つい好き嫌いの感情に引っ張られてしまうもので、自分にとっての課題だと感じています。

他にもちょっと前にオンラインk4senフェスで「最初に相手を高く見過ぎて減点方式で勝手にガッカリして嫌いになってしまう」という子を「えぇ…」と引いて見てしまう自分がいたのですが、途中で「そんな自分も昔はそうだったじゃない、何様?」と気づいて、今自分の考え方が変わったとしてもその考え方をしてしまう気持ちは知ってるはずだし、過去の自分の否定になってしまうなと反省しました。

これには今読んでいる『きみはペット』で「ルミちゃんはおまえが置いてきた過去の世界……つまりクラシックバレエの象徴だ。おまえはそこから抜け出し前へ進みたい。でも彼女を愛しく思う気持ちもある。一度は情熱を傾けた世界だから当然だな。でもおまえはその愛情と向き合おうとしない。過去は忘れなければいけないと思ってるせいで。武志……過去ってのは忘れられるもんじゃないんだぞ?大事なのは向き合うことなんじゃないの?」というセリフが刺さりました。

最近の自分は「自分を責める」機会は少ないに越したことはない派です。

もう1つは感想、批評、批判、八つ当たり、悪口などの境目って難しいなということ。

自分が、主観の感情と客観的な意見をきちんと分けて考えられているかというとそんなことはなくて、今の私はどこまでが正義の振りかざしで、どこまでが自分の一意見で、どこまでが反応を狙った意図によるもので、どこまでが本当の自分の感情なんだろう?とよくわからなくなります。

 

最近の身近でわかりやすい自分ごとで言えば、先日行ったサマソニのこと。

サマソニに行ったことは一切後悔しておらず、今日も無事日常を過ごせていますが、ワンオクの声出し煽りの件があって、そこで私はとても嫌な思いをしました。
単純に堂々とルールを破る宣言をして、自分の想定をはるかに上回るリスクにさらされたという不快な気持ちがあるし、時間や体力の負担をかけてでもその時間帯で1番見たいと思っていたアジカンを選んでいればよかった、という後悔の念で包まれていました。

私は大まかな感覚値として、人はだいたい2:6:2くらいに意見が分かれて、6割は日和見の人たちだと思っているのですが、マナーを守らない人が2割いたとしても、これまでのサマソニと日本人の性格であれば、席を選べばある程度ルールが守られるだろうと踏んでいたので、余程のことがないとひっくり返らないだろうと思っていた余程が起こってしまったことが想定外という感覚でした。

私は演者側の立場はわからないけど、観客として2020年からずっとHYDEさんの活動などを通じて、コロナ禍におけるライブのあり方の模索を一緒に経験してきました。
だからこそ、その間何もしてこなかったワンオクが、他人らが築き上げた土俵でこれまでの先人の努力を踏みにじるような行いをしたことにも腹が立ちました。

でも後になって、じゃあ何で私は嫌だと思った時点で退出せず、我慢することを選んだんだろう?という話ではあるんです。
その時は次のポストマローンのために席を確保しておきたいという頭があったのはたしかだけど、それでも通路に出てベンチでやり過ごすとかはできたはずなんです。
正直その選択肢は当時浮かんでいなかったし、ワンオクが終わったら席が空いて、後から来ても席が確保できただろうなというのは結果論なんですけど、結局根底にあるのって私が会場で不快だと感じた「感情」で、それがなぜかという理由はたしかに感じているものだとしても、後から理由づけをして固めていったものではあるとも思うんです。

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あれを100%間違いだって言えるのは、当事者じゃないからだと思う。

100%を求めすぎだと思うわ、人に。

ああいうのをどうするべきだったかって言えんのって、てか言うべきなのって当事者とその周りの人間だけだと思う。てか当事者たちだ。

ただ、その現場やそれまでの流れを見ていない人や、「ライブ」「フェス」ってだけでひとまとめに叩くような主語を大きく捉える人が、上から目線で追及するのは違うとも思ってしまいます。

サマソニに限った話ではないですが、当事者ではない人ほど、100%を求めてくることって多くなりがちという気がするのですが、その現場にいないから現実に則した見方じゃなくて理想論を無責任に言えちゃうし、基礎や歴史をないがしろにすることもあるし、結果論だって話すし、見ていないから偏見や思い込みだって混ざってしまいます。

そもそも人は完璧ではないですし、後からだったらいくらでもじっくり落ち着いて考えることはできるけど、さまざまな制限や関係値、感情があるその場では限界があるというものですし、その場にいないとわからないことっていっぱいあると思うんです。

 

お客さんというものは、ある意味当事者で、ある意味当事者じゃないという点から時にややこしいこともあります。

実際にその場にいてライブを見たり、動画や雑誌などでインタビューを見たりとかはしているけど、舞台の裏側のすべてや私生活のことは知りません。
自分のフィルターを通して見ているから主観的だろうし、それが偏ってこじれた見方となっていることだってあります、時には無自覚に。

でも逆に言えば、有名人とファンという関係においてはファン側に対して「どうせこうなんだろう」という偏見を持ってることだって往々にしてあるだろうとも思います。

だからお互い様な部分はあるわけで、客が「適当言ってんね」なことを言ってるのと同じくらい、演者側も事実に即していない思い込みや偏見、適当な発言はあると言えます。
これも大きく見える部分を見て、少数派は切り捨てられるってやつでしょうか。

だから当事者間でも、抽象的なイメージで語られて「自分はそうじゃないのに」って反発心が生まれたり、悲しい思いをしたりすることもあることでしょう。

 

そして、感覚って簡単に麻痺していくよなぁと思います。

最初は「何これ」と思っていたものも、数か月、数年とその環境を経験すれば当たり前になってしまって、それがわからなかったころの感覚はどうしても色褪せてしまいます。

 

そして喜怒哀楽が偏ってしまうことも起こりがちだと感じていて、それはふだん自分がどこに目を向けているかで分かれていきます。

私はこの1週間くらいはなんか落ち込みがちで、笑ったりなどの感情が動きにくいことが増えていたので、ネットや配信を見すぎだと思ってSNSを見る時間を減らしたり、チャット欄を非表示にしたりそもそもの配信見る時間を減らしたりするようになりました。

 

私が思うに怒に偏った正義中毒も、何かに怒るのって最初はただ本当に怒りを少し感じただけだったはずなのに、いつの間にかあれこれ理由を見つけて怒りを増幅させたり、そういった状況を求めに探しに行ってしまうことってある気がするんですね。

SNSや写真文化が広まってより感じることですが、そんな考え方は悪だ!と叩いたり、こんな悪いことをしている!と晒したり、そんな風に晒すお前はどうなんだとなったり、誰かを注意したり……、それらはみんな正義からくるもので、そこら中にあふれています。

でもそれが自分を棚に上げていたり、本当は底に悲しいって感情が埋もれていたり、全然関係ない話の影響を受けていたり、実際には自分がイヤなだけなのに誰かのためと勝手に他者を掲げたり、他人の厳しさにイラっとしたり、自分なりの正論を言うのが気持ちよくなっちゃっていたり、言いたいことも言えないこんな世の中で本気を冗談としたり、冗談を本気ととるあべこべさがあったり。

別に正義というつもりはなくて、ただ自分の意見を言ってるだけのつもりも、本当にそれだけ?とわからなくなってくるなぁと感じるこの頃です。


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