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超怖いけど気づくと芋づる式に視野が広がる、自分の理解とこれからに向き合うための勇気を。


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いよいよ本丸と向き合っていかなければ…。しえるです。

日々の生活で立ち止まってしまうとき、よく昔の自分のブログに助けられています。
「そうか、そんなことを考えていたのか」と振り返れるのはとても参考になって、見失いかけていたものを思い出させてくれます。

この1年くらいほとんど何にも考えられてなかったけど、ちょっと本腰入れて勇気出すかぁ…って話です。

今のところ、どんな内容になるのかはあまり想像がついていません…。

超怖いけど気づくと芋づる式に視野が広がる、自分の理解とこれからに向き合うための勇気を。

何事にも先輩がいていつも助けられています

ciel-myworld.hatenablog.com

前に「他人は自分の鏡」だと実感したことや「許せないこと」が自分を縛っていくということについて書きましたが、他人を許せない時って自分を許せない時だと思うので、「自己受容」が「他者受容」につながっていくのではないかと感じていて、私はもっと肩ひじ張らず楽になりたいのでもっと「自己受容」を進めていけたらと思っています。

私の今のテーマは「自己受容」と「手放し」です。
自己受容についてはグラミー賞で少し触れましたが、自分が許せない何かを手放していく必要があると思うので「自己受容」と「手放し」の2つはセットだと感じます。

…そう思いながら、ギューッとハートを抱きしめるひよこをトップ(サムネ)に入れてしまうあたりが、私の最大の課題の表れなのでしょう。

ciel-myworld.hatenablog.com

以前「どこまで行っても、それを経て一段上の次元の次の考えに移行している人はいるもの」と書いたように、自分が今こうやって考えることはたいてい、先に考えたりやったりしてる先輩がいるものだと思います。

だからこそ今の私がふわふわ~と考えていることを明文化してくれている方というのはいるもので、私が何かにつまずいたとき、読んだり見聞きしたりするものにハッとさせられ、ヒントをもらうことがよくあります。

私の長文記事の多くはそういったものを基に自分の中で咀嚼して、気づきやそのときの考えをまとめたものなので、書くことも、後で見返すことでも、自分の中の思考や今後の方針の整理にとても役立っています。

自分が何を恐れているのか

ciel-myworld.hatenablog.com

芸人の岡野陽一さんの記事を見て、「全員間違えているんだから間違えて当たり前だし、仕方のないこと」と考えるのはいいかもしれないなぁという話を書きましたが、そのためには「自分が何を間違ってると判断しているのか」に気づく必要がありそうだと思えてきました。

k-nali.hatenablog.com

僕らが究極に欲しいのは、
存在への許可で。
僕らが究極に怖いのは
存在の無視。

というのも「自己受容」は自分に許可を出してあげることであり、自分が何に許可を出せていないのかを知る必要があると思ったのです。

そして、自分が「大丈夫かな……怖いな…」と不安になることの多くは、過去に染み込んだ価値観や他人と比較して発生してる何かな気はしていました。

NARUTOを読んだときも「自分でこうと決めたにもかかわらず、『こう思われてしまうかもしれない』と他人の反応を気にしてしまったり、『上手くいかないかもしれない』『どうせわかってもらえない』と不安になったりしてしまう間は、自分が決めたことを信じ切れてない状態なのかな…と思う今日この頃。」と書きましたが、結局は他人や恐れを言い訳にしながら、その状態になることを自分が受け入れられていないのかもしれません

なぜ?を追求

www.twinrayhanabi.com

そんなことを考えていると、「静かな場所でじっくりと、心を込めて、嘘偽りなく自分と対話してみる。」として、「なぜ?」の羅列に出会いました。

「なぜ、取り繕おうとしたの?」
「なぜ、計算するの?」
「なぜ、ストレートに伝えないの?」
「なぜ、〇〇は言ってはいけないと思ったの?」
「なぜ、言い訳したくなったの?」
「なぜ、あなたがあなたのままでいられなかったの?」

「自分が自分に対して答えられるまで。この問いに直面せざるを得ない現実が、何度でも繰り返される。」の言葉に、核心を突かれたようでドキッとさせられます。

なぜなら実際に似たようなことで感情がずっと動いているし、同じ人に心がざわざわしてしまうし、自分でも核心に触れず、周りの外堀を埋めていた自覚があるから……。

心の奥底にある気持ちを引っ張り出すために

ciel-myworld.hatenablog.com

これまで何度か書いてきたように思いますが、私は「どうしたい?」と自分の気持ちに焦点を当てる作業は必要不可欠と考えています。

そしてこのブログを通じてだいぶ、以前なら言いにくいと思っていたことを書けるようになりはしたけど、それでもまだまだ言葉に出しづらいことがあります。

これは「どうしたい?」だけだと、「そんなことできっこないよね……」と心の中に留めてしまうものがあって、それだけ自分によるブロックは大きくて、許可を出してあげるには「なぜ?」の追求が必要なように感じました。

今まで書けずにいたこと

例えば、私が今まで直接的かつ積極的に書けなかったことの1つに、「このブログやしえるを支援してください」とか「YouTubeのチャンネル登録してください」といった行動を促す系があります。
もし言えたとしてもつい「よかったら」をつけたり、こっそり添える程度だったりします。

本当はYouTubeの登録者数が300人を超えて、収益化の条件まであと700人を切ったから1,000人以上を目指したいなと思ったのですが、ブログと違って私が好きだなぁとか癒されたなぁとか面白いなぁと思った中身のない動画をふわっとあげているだけで、なんで300人いってるのかもわからないくらいには、ブログと違って自信なんてものは皆無で、あいまいにしか言えませんでした。本当は登録してほしいのに…。

しえる-ciel- - YouTube

最近はバズったら宣伝みたいなのもよくあって、そもそも私がバズりたくはない(知る人ぞ知るみたいに端っこでやっていたい)のもあるかもしれないけど、みんな素直に宣伝したり、サポートを募ったりしていてすごいなぁと思ってしまいます。

はてなスターとか相手の負担が小さいと感じるものだったらまだ気にならないんですけど、タイムラインに現れるフォローや金銭類のかかるような相手の負担が大きいんじゃないかと感じるものだと気兼ねしてしまうんですね。

それはこれまで停滞する日本・世界やコロナ不況といったニュースを目にしているのもそうだろうし、ゲーム配信のスパチャで「ゲーム買うお金がない」と言いながら結局ソフト代の5倍分ものスパチャしている人や「お金がない」と言いながらひろゆきさんに何千円もスパチャしている人を見かけたりしてきたのもあるかもしれません。

ただよくよく考えれば、私は「お金がない」という言葉のほうを見てしまっていたけど、実際にスパチャできているんだし、今の日本でもお金を稼げている人は実際いるし、結局「どこにお金を使うかを決めているのは相手だ」ということが見えてきました。

一部の声を肯定も否定も理解もする必要はない

ciel-myworld.hatenablog.com

私はいろんなもののファンでありながら、一部のファン界隈心理というものがわかっていないと思います。
例えばフォローするかも情報を追うかも自分が見続けたいかどうかを判断して決めるものと考えているから、なんで活動者が登録してと言うと登録率が上がるのかがわからなければ、なんでファンについてこいと言えるのかもわかりませんでした。
したければするし、したくなければしないよとしか考えられなかったし、自分の人生だけで手一杯な私の考えもあるけど、なんで他人の人生をそんな気軽に?と感じてしまっていたのです。

でもそもそも人生なんて大げさなものではなくて、ただ好きという気持ちを受け取るよとかガンガン活動していくよってだけの話だったかもしれないし、自分はついてこいなんて言うことないから、アイドルやインフルエンサーがついてこいと言っていようが私には関係のない話でした。

発信者目線の話を聞いていると、どうしても熱狂的なファン(またはアンチ)の話が大きく聞こえてきてしまうけど、ストリーマーの釈迦さんはたしか配信のチャット欄に書き込むのは1割くらいだと話していたし、河野太郎さんのTwitterアンケートを見てロム専は約6割もいるんだなとわかったりして、これは一部の話だと視界をリセットすることができました。
やっぱり全体の割合を見るのは大事ですね。

私の好きなラルクは、先日公開されていたアマプラの30thドキュメンタリーでライブ以外では一切メンバー同士の会話がない様子が映っていて、これまでにも解散危機があったのもあって、あぁまたこれとない繊細で絶妙なバランスでギリギリ保っているんだなぁと感じました。
が、それでもhydeさんはラルクもやりたいと公言しているし、リーダーのてっちゃんはなんだかんだでラルク大好きなのが伝わってくるし、ライブみたいに普段も喋れたらいいのにみたいなことを話していたので、ラルクを続ける意思があることに感謝し、あとは本人たちのタイミングに任せて、動きがあった時には全力で楽しむだけだなと思っています。

ラルクにとってファンやいろんな人たちが関わってるからという気持ちは大きいんだろうし、実際ラルクが解散したら私は悲しくて呆然とするだろうと思うけど、でもそれがしがらみで苦痛だったらとっくに解散している話で、ライブの時にも大変でもやめるつもりはない意思を感じるから信頼して次を待っているし、ラルクとファンはうまくお互いの人生を支え合っている感じがします。

中にはそうじゃない人もいるだろうけど、結局背負えるのは自分の人生だけなので、それはその人の問題でしかないですし、願わくばファンはこれからも負担ではなく絆であってほしいところです。

ciel-myworld.hatenablog.com

たしかにそういった商品の価格は上がるので、出費はかさみます。
しかしそれは、先ほど紹介したように働く人たちの生活を保障しているからなわけです。

つまり、生産する人々の生活が保障されるために必要な、本来の適正価格ということになります。

もちろん余裕がないのに無理して買う必要はありませんし、自分の財政状況に見合ったお買い物という考え方は大事だと思います。

ただ、自分が安いものを買いたいって思えば思うほど、人や環境を消耗させる会社が儲かるということです。

お金をかけることについても、私は自分が何かしら満たされるかが1番大事で、対象や業界を支えるためなんてエシカルな考え方が生まれたのもここ数年の話で、それでも基本はお金を払う価値がありそうだと思った活動者の提供物との等価交換の感覚が染みついていると思います。
でも今は「推し活」という言葉もできているくらいで、市場があるから展開も幅広く、市場規模もお金をかける感覚もずいぶん変わっていて、クリエイターに優しい時代になってきていますね。

そもそも他人に捧げることを喜ぶ人たちもいるということもなんとなくは知っていますし、だからこそマネージャーみたいに他人を支えるのが得意だったり、YouTuberのヒカルチームみたいに誰かの傘下に入る人たちがいるのもわかります。

それと同じで、誰かにお金をかけることに喜びを感じる人たちというのはいて、私は特に自分より明らかに稼いでいるであろう活動者に課金という感覚が理解できなかったけど、スパチャに喜んでくれる活動者や自分のスパチャが読まれたこと、読まれるかな~と楽しみにする時間、何より活動者が活動を続け、それを自分が享受できる一部となることなどに支払ったお金の価値がきっとあるのでしょう。
それに皆が皆一般の稼ぎなわけでもなく、いっぱいお金を稼いで誰かに費やすことが好きな人だっているでしょう。
私は誰かにプレゼントを贈ることが少ないほうだと思いますが、相手に何が合うかな、何だと喜ぶかなと考えるのが楽しい気持ちはわかるので、どれもきっとそれの延長線上なんでしょうね。

お金をかけた分の見返りを求めて闇落ち(アンチ化)するような光景も見かけているので怖いなとも思いますが、それもまたファン自身の問題なんだろうなと思います。

そしてその一方で、適正価格を破壊するような値段均一ショップや激安スーパーなどの人気も衰えてなければ、他人の技術をタダで使おうとする人たちというのも後を絶ちません。
また稼ぎたい人は人が集まるものに注目しますから、お金を持ってる人や大手メディアはすでに売れているものにお金や時間をかける場面も多くなっています。

今が資本主義じゃないのなら別にいいんですけどね、薄利多売の大手に淘汰されて生活が苦しくなってしまったり、技術が失われてしまうことがあって、過去の功績者でも亡くなってから評価されることもありますが、できるなら生きているうちにのほうがより多くの人が幸せになれるのにって感じてはいます。

手芸屋が百均に淘汰された結果安っぽいものしか買えない現象が発生している→手芸に限らずあるある - Togetter

でも別にこれらはどれもすべてじゃなければ、肯定も否定も理解もする必要はなくて、ただそういう人たちもいるということを受け入れればいいだけなんだなと気がつきました。

そして、そんな中で自分はどう動く?というのが肝心なのでしょう。

私に“投げ銭”しないで!セレーナ・ゴメスからファンに課金しないでと異例のお願い - フロントロウ | 楽しく世界が広がるメディア

これは余談ですが、世界でもトップクラスに稼いでるであろうセレーナ・ゴメスが、ファンの投げ銭に困って止めていたという話のほうが私は共感できるのですが、この場合、課金を拒否されたファンはどういう感覚なのだろう?というのはまだ、私にとって未知の領域です…。

価値を見くびっていました

ciel-myworld.hatenablog.com

つい最近まで「提供されるものに価値を感じる」と「その人自身を応援したい」は連鎖するものだと思っていました。
「価値」を感じるから「応援」という行為に繋がるのだと。

しかし「提供されるものに価値を感じる」と「その人自身を応援したい」はそれぞれ独立していて、たとえ自分にとっての「価値」がなくても、「応援」という気持ちは生まれることに気づきました。

そう考えると、それまで等価交換とばかり思っていた2年半前の私が気づくことができたのは、自分にとって提供物の「価値」が低くても活動者自体に「価値」を感じて「応援」の気持ちが生まれることまででしたが、「応援」の気持ちそのもの自体にもまた「価値」があるんですね。
きっとお金を出して買ったフォロワーの数字は虚しくなるだけだろうって思っていたのは、その「応援」がないからなんでしょう。

昔も同人誌とかありましたが、最近だとファンが切り抜きで稼いだり、描いたイラストが公式のグッズやスタンプになったり、特にK-POPではファンが専属カメラマンになってグッズ販売したり、応援の価値が(場合によっては公認で)金銭化するケースも増えています。

そして、あれだけ色々スポーツを応援しに行っていて、応援は力になるとは思っていたのに、結局最後は選手やチームの力と思っていたのだなと気がつきました。

私が何かをしてもしなくても、他の人の人生はそれぞれ自力で回しているものではあるけど、何かすることで生まれるものは間違いなくありますもんね。応援の価値をちょっと舐めていました。

これまでの私は、アンチや推し疲れなど負の部分を見過ぎていたし、自分にとって推しの存在がいることが当たり前すぎて、「推し活」なんて言葉がなかった頃からしてきた自分の推し活の価値がわかっていなかったし、先ほどの一部の声を見ての判断も含めて、相手には相手の人生があると思っていながら信頼はしていない杞憂民だったんだなと思いました。これはたいへん失礼な話でしたね…。
なんだか昔、自分が好きなお店は誰にも教えたくないとか思って、自分の拡散力を高く見過ぎていたときくらいのおこがましさを自分に感じてしまいます。

高く見過ぎず、低く見過ぎずって難しいですが、誰もが自分で選んで自身の人生を生きているのだし、改めて応援ってとても尊いものだなと感じられるようになりました。

改めて他人は参考程度に自分の人生に集中して、読み応えのあるものを提供していけたらと思いつつも、応援したくなるような人になりたいものですね。

とは言うもののどうすればいいかわからなくなってきています

ciel-myworld.hatenablog.com

最初は無理だったらまた働けばいいと思いながら力を入れ始めたブログでしたが、自分が思っていた何倍も自分の個性にピッタリで、大変なこともあるけどとにかく楽しいし、何時間でも何日でも何年でも取り組んでいられると感じます。

ただ、金銭的にキツいなと感じるようになってきました。

ciel-myworld.hatenablog.com

散財については早めに学習できていたので、今はメリハリをもってお金を使えているほうだと思うのですが、昨年は想定外の家電系不調ラッシュで、今も多機能レンジのオーブン・トースターが使えない状態を放置しているところ。
チケットを取っちゃっていた分は全力で楽しんできましたが、今後は支出の優先順位などを見直していく必要がありそうです。

親には心配かけているし、仕事を増やせば解決するのはわかっているけど、ブログを書きたいというやりたいことがあるからこその葛藤が生まれています。

私は今まで夢なんて持ったことがない人だったから、よく耳にしてきた芸人さんや俳優さんなどがバイトに明け暮れているうちに本職になったとか、夢を諦めたとかそういう話はこういう時に起こるんだということを今、身をもって知っています。

togetter.com

前に「店がつぶれてから好きだったと言わないでくれ。」と言うのは「つぶれる前にやばいと言ってくれないとわからない」と思ったのですが、その「やばい」と言うのって勇気がいることだよなとも思いました。

「他のみんなだって自分の人生・生活がある」「自分の経営の仕方の問題」「誰に助けを求めればいいのか」いろんなことがよぎるうえに、目の前に迫りくる現実にパニックになっても全然おかしくありません。

でもそんな一方で、世の中にはヒモとかパパ活、プロ奢ラレヤーなどもいます。
ちゃんと需要と供給があるからこそ成り立つ関係なわけですが、素直に他人のお金で生きたいって行動するのすごいなって思っちゃいます。

ブログで食べて行けるようになりたいなと思うし、何時間でも何日でも何年でもできることだと感じてはいるけど、あくまで自分が勝手に書いているだけだし、書いた後でうわぁ~となることもあるけど、それでもただ書かずにはいられないだけです。

「ただただ私の好きなものを広めたい」

「自分の価値観の近い人と分かち合いたい」

「必要な情報や言葉を、必要としている人の元へ届けたい」

「自分と同じような悩みを抱えている方の役に立つ内容を書きたい」

「私自身の体験が誰かの励みになるかもしれない」

「自分が求める、自分にとって読みやすい記事を書きたい」

「皆にとっての『私の好きな場所』が増えますように」

ブログの理念もほぼ変わってないですし、それが資本主義の世の中で是とされていることとは違う道を進もうとしていることも知っています。

bunshun.jp

ただ生まれてきただけなのになんでこんなに多くの人が頑張って頑張って追い詰められているんだ、と今の世の中に疑問も持っています。

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100万人以上のフォロワーがいながら、何か月だろうが自分が休むべき時には休みながら、自分のやりたいゲームをやるだるまいずごっどさんは素晴らしいと思っています。

私は東海オンエアみたいに自分の道を進みながらも、一般的にはそれ誰?という存在でいたいというめちゃくちゃなことを願っていますから、自分のワガママという自覚があります。

でも今まで夢がなかったからこそ、自分のやりたいことがあることは素晴らしいと思っているし、私が憧れを抱く今活躍している人達もそういうものを追求した結果のポジションのように見えるので、これはこれでいいのだろうとも感じています。
そして、自分が自分のブログに助けられているように、どこかの誰かには深く刺さるはずだと思っているし、この先より重要になってくる価値観や考え方も書けている一定の自信はあります。

ただ、ネットの端っこでこっそりと隠れ家カフェ的な存在で、自分の思うままにブログを書いて食べて行くにはどうすればいいのか…まだ答えが見いだせていません。

叩かれるのって怖いですよね

素直に言いづらい背景のひとつに、過剰な叩きというのはやっぱりあると思います。

なんのために怒るのか。多くは、理解してほしいことがあるからだろう。

そういうときは怒るのではなく、話をするべきなのだ。
「怒り」に任せた会話には、雑音が混じる。
実際、「人が人に怒っているときに発される言葉を聞いていて「今のはベストな言い方だな」と思ったことがない。 

私の大好きな東海オンエアのリーダーであるてっちゃんはこのようなことを本に書いていて、そのとおりだとは思うのですが、なぜそうなってしまうのかを私は少しわかる気がします。

ciel-myworld.hatenablog.com

というのも、何事にも先輩がいるのであれば、後輩もまたいるもの。
まさに自分が通ってきた道だからです。

私は現代のビジネスで成り立つ資本主義な社会の仕組みを知ったり、自分の視野の狭さや自分と他者の境界線に気づいたり、自分の身の丈に応じて問題解決を図ることを知ったり、いくつもの段階を経たことで、世の中ですごいだの天才だの崇められている人を、同じ人として見ることができるようになって、そこからは世の中の見え方が180度変わりました。
でもだからこそ、自分が向き合うべき問題を他人のせいにしたり、人の才能を妬んだり羨んだり、他人を指摘することで何者かになれたつもりだったり、他人を自分と同じ人だと思っていなかったりする人たちの気持ちがわかるし、別にあなたに対して言ってないよとか、特定の誰かを否定してるわけではないものでもそう受け取ってしまう気持ちもわかります。

最初の環境は絶対のものではなくて、人の力で変えられるものがある、ものの見方が変わるとずいぶん楽になるよと思いつつも、それが見えないのもわかるし、周りが敵に見えてしまう気持ちも知っています。

このブログはそんな気持ちを知っている自分がどうやって乗り越えてきたかについても触れていて、自分の好きな場所に変えていく一助となればいいなぁという思いもあるのですが、自分で見ようとか気づこうとしないとなかなか届かないだろうというのも想像がつくし、届かなさや今もこうやって縛られてる根強さを知っているからこそ、それも一緒にこちらを向いてしまうのが怖いと思ってしまうのです。

ciel-myworld.hatenablog.com

これまで正義についても何度か書いてきましたが、私自身、自分が見て育ったものがすべてだと思っていたからこそ苦しんできた背景があります。

私の場合、立場の強そうに見える者が絶対だったし、何やっても他の人と感覚が違うことしかわからなくて、自分で自分を間違っていると思うしかなくなっていたし、たまたま目が合っただけでも自分が何かしたと思ってしまっていたくらいでした。

そうすると、余計世の中で正しいとされるものに固執してしまうんですよね。

最近読みたいと思っている本の1つですが、正義の味方というのはたいへん危険をはらむものです。

ciel-myworld.hatenablog.com

だからこそ、全部間違っていると思う考え方は画期的だと思ったし、こうやって自分が何をいまだにジャッジしているのかと向き合っています。

そもそも、根っからの悪人なんてこの世にいない。
人はみんな、誰かにとってはいい人で、誰かにとっては悪い人かもしれない。
人間関係には、「自分と合うか、合わないか」という尺度があるだけだと思う。

できる人がいる以上、できる「可能性」だけなら自分にも絶対にあるはずなのだ。
まぁね、マジで《選ばれし者》系の職業もあるとは思う。
そうだとしても、世の中の人「向いてない」って諦めるの早すぎ説、あると思うのです。
その「できない」、実はただの思い込みかもしれないですよ。

きっと私の根っこにはいまだ、自信のなさというものがこびりついているのだと思います。

ただ、この記事を書いていて、私も他の人たちもみな、乗り越える力を持っていると信頼する気持ちが何より大切なのかなって気がしてきました。
じゃないと、できないって言っているようなものですからね。

久しぶりに『天才の根源』を読んでいると、てっちゃんいいこと言ってるなぁって感じます。

値段つけられるのってすごい…

営業や飲食店をやっていたときからずっとですが、値段をつけることって難しいことだと感じています。
料理や製造業であれば原価という実際にかかったお金があるからもう少し考えやすいのかもしれないけど、デザイン費とか人件費みたいなものって目に見えづらければ、出来ばえの判断も難しいし、公私の区別など境界線があいまいで、かかる時間や労力なんて人や制作物によって違うし、勤務時間というものがあったとしてもそれ以外に勉強したりリサーチしたりしてることだってあると思います。
この人の働きや時間に値段をつけるってすごい行為だよなといつも思ってしまいます。

何万字程度のブログだって書くのは大変なのに、何百ページの本とかどれだけ大変なんだよと思うし、人生が詰まっているなと感じる本だってあれば、1冊の辞書に何年かかるんだよってのもあって、その割に1冊の単価は安いし。

かと思えば、大前提として実際に技術も度胸もすごいと思うし、練習大変だと思うし、世界中を湧かせていると思うけど、なんで一部のスポーツ選手は体動かしてるだけで成績が確定する前に何億確定なんだよだし、ソーシャルワーカーは必要なのに安過ぎだろって話だしで、自分が生まれる前から続いてる世の中の価値観って意味不明だよなぁと感じます。

今の時代はYouTuberやライターなどもあれば、アスリートや歌手もYouTubeやったり本を出したりもするしで、さらに人生がコンテンツになってきている中で、そういう意味でもまた、公私の境界線があいまいでよくわからなくなってきています。

むしろ24時間選挙のことしか考えてない政治家は、政治のことも考えてなければ市民の生活のことも理解していないわけで、問題しかありません。

稼ぐためにはマネタイズをしなければいけないし、投げ銭、メンバーシップ、メルマガなども視野にはいるのですが、私はこんなことを考えては、働くとは?値段とは?とよくわからなくなってしまっていました。

これを書いてきた今は、現状がどんなものであっても皆、ちゃんと自分の人生を生きているし、できる人が自分にできる範囲で支え合っているというのはわかってきました。

でもこれまでは仕事や私生活でもそうでしたが、相手には相手の人生があって、相手のお金の使い方も、相手の時間の使い方もすべて相手のものであり、自分がどこまでやっているのかがわからないと考えてしまうから、頼るというのが本当に苦手だと感じていました。
つぶれる前に助けてと言えない本屋さんと同じです。

仕事でもチームゲームでも「ダメだったら言って」と言ってるのは「ダメになる前なら助けられるから」なのはすごくわかるんですけど、すべてが数珠つながりな現実のことになると「ダメっていつ?どれ?」ってなってしまいます。
言っても「やってないじゃん」「できないのが悪い」って返されることはありますしね。

動画文化で長文を読む人が減っている中で見てもらうだけには限界を感じるし、でも自分が書いていることに実際どれだけの価値を感じるかなんてわからないし、誰かの期待や要望に応えることはできないし、私が書く内容は絶対のものでもないし、他人の分まで責任は持てないから、オンラインサロンとかも皆よくできるなぁと思ってしまいます。

「支払いはお気持ちで」。お店ではなく、利用客が料理の値段を決める店。 | TABI LABO

「値段は決まっていません!」満足した分だけ支払う実験的試み『鬼丸食堂』ってどんなお店? | オタ女

配信などを見ていて、自分が納得するだけのお金を支払える投げ銭っていいなぁとは思っていて、実際の店舗でもお客さんが料理の値段を決める飲食店というのも存在します。

値段って価値相応か否かや得したかどうかなどのジャッジが生まれてしまうし…ということから、こっそり『OFUSE』というクリエイター支援のリンクだけ貼っていたのですが、こんな感じなので今まで一切触れられずにいました。

ふだん登録してくださったり、ここまで読んでくださっている方への感謝をより一層感じるとともに、だからこそ勇気を出して書きますが、もちろん可能な範囲で大丈夫ですので、今後ぜひこのブログに貼ったリンクから購入したり、OFUSEでご支援いただけたら本当にうれしいです。

そして、これから先もおもしろいもの、興味深いもの、よかったものなどを書いていけたらと思うので、末永くお付き合いいただければ幸いです。

しえるを応援する

縛られているもの代表

k-nali.hatenablog.com

・今しか生きられないのだから思い立ったら、すぐ諦める。

 (どうでもいいことは、すぐ諦める)

・たった一度切りの人生を、必ず無駄にする。

 (無駄じゃない人生なんて存在しない)

・将来のために、自分のために、大切な人のために、つまんないことをやらない。

 (つまんないとは積極的にしない)

・明日死ぬかもしれないのだから、絶対に後悔しないような今日を生きよう!とはそもそも思わない。

 (決意しすぎもよくないw)

・どんな時もまず深呼吸して、そしてすぐ感情的になる。

 (感情に素直に)

・人生何が起こっても、必ず誰かのせいにする。

 (せいにするけど、責めはしないw)

・誰よりも先に積極的に、サボって行こうと思う。

 (人生をサボりたい)

・必ず自分はできると信じて、真剣にやらない。

 (できるんだから、楽しむよ)

・一度決めた目標は、必ず達成しない。そもそも、覚えてない。

 (楽しむよw)

・なんのためにやってるのかを、常に考えず、目的をすぐ忘れる。

 (楽しむよw)

・一度転んだとしても、そこで諦める。立ち上がらない。前に進む気もない。

(転んだまま、そこでくつろぐよw)

・みんなから「それ無駄じゃない?」って思われることをする。

 (評価されなくていいw)

・みんなから、尊敬されない。人として尊敬されない。

 (評価されなくていいw)

・社会人として終わってるし、そもそも始まってすらいない。

 (始まる気もない)

・長いものに巻かれるだけじゃなく、積極的にペコペコする。

 (えこひいきしてもらうw)

・自分の信念を強く持ち、テキトーに人の意見に同調して、その場を乗り切る。

 (信念があるからこそ、嘘つけるw)

・大切なことは、絶対に絶対に、すぐ忘れる。

 (忘れちゃった( ̄∀ ̄)

・自分を信じて、強い心で夢を叶えない。

 (夢なんかどーでもいいw)

・必ず幸せになってやる!とかいうエネルギーがそもそもないし、エネルギーすごく邪魔。

 (エネルギーってちょっと、灯油臭いw)

・自分の意思を強く強く強く持ち、例え周りの人に反対され批判されても、自分を信じて、誰のせいにする。

 (白目剥く)

・「あいつが悪い、私のせいじゃない」と胸に刻む。

 (運が悪かっただけw)

・一度言ったことは、どんな状況になろうとも、それを守ろうとか思わない。

 (二言ありまくる)

・謝って許されるなら、超謝る。

 (謝罪って無料だと聞きましたw)

・心に決めたことはすぐ、覆す。

 (世界で一番無駄なことは、決意)

・自分都合で生きる。

 (私の人生やし)

ほんとに意識高くて、ごめんなさい。

なんか答えめっちゃ書いてあるぅー!!と思わず笑ってしまった記事ですw
すでに取り入れている考えもありますが、私がつい反対のことをやろうとしてしまう、できないものたちですね。

私がよく動画で見るレペゼンフォックスのふぉいくんやCRのおぼさんは、この感覚を自然にやっているように見える節があって、見習いたいなぁと思っています。笑

これには1つ大事な事前準備があって、一旦自分の人生を自分ごととして受け止める必要があると思っていて、話はそれからになるとは思います。
そして世の中にはそれができて今の自分を生きている人とそうじゃない人がいると感じています。

なんだそれは…と思う人も多分いるのだろうけど、これをやりきるのは何より難しくて怖いと今の私は感じてしまいますし、このくらいのゆるゆるさになるのが私の当面の目標です。

そんな中で最近より思うようになったんですけど、今の常識って未来から見て非常識だと思うんですね。
奈良時代から江戸時代まで続いたまろ眉(引眉)も、古墳時代から明治時代まで続いたお歯黒も、街中で刀を振り回していたのも、今ではありえないと思います。

同じようにきっと、何百年後の人からすればまた、令和の変なところってネタにされることがいくつもあることでしょう。
だから現在の些細な流行に乗る必要もなければ、今の価値観に引っぱられる必要もないのだと思いました。

改めて今一度自分に時間を使おう

k-nali.hatenablog.com

これを読んで、今自分が何をしたがっていたのかを少し理解できた気がします。

1、幸せってさ。
「自分を知ること」から始まるよね(о´∀`о)

自分に嫌気が差して人生を投げやりになっていたり、他人に添えないことに絶望したり、仕事で忙殺されたりしてきたことで、自分に向いてないことや関わりたくないこと、やりたくないことというのはわかってきていたので、試しにそれらを一旦排除してみました。

それはとても快適なものではあるのですが、でもそれ以外をどういう状態にすれば私がのびのび快く生きられるのかというのは、いまだにわかってはいません。

ciel-myworld.hatenablog.com

というのもブログを本格的に書き始めながらも、コロナもあったし、自分が好きなことができていなかった期間の反動もあって、今こんな娯楽があるんだ~と浦島太郎状態になっていた時間を取り戻すかのように、本を読みまくったり、ゲームをしまくったり、動画・配信を見まくったり、お出かけしたり、部屋やPCの環境を整えたりしていましたが、コロナが落ち着いてきて日常に戻っていく中で、貯金だって無限じゃなくてそろそろキツイぞってなって、収入源をもっと増やさないと……みたいな考えってやっぱり出てくるんですね。

元々貯金があることの安心感は知っていたんですけど、お金が目減りしていくのに、収入が不安定なのはとても怖いことだと感じるので、これは全然快適ではありません。

ほんでもって、
めちゃくちゃ誤解されてるのが。笑。
ながらで、考えてもいいとされてること。

仕事しながら
歩きながら
家事しながら
子育てしながら

自分について考えてたら
「自分がわかる」という。

無理なのに(・∀・)笑

そこまで追い込まれ始めてようやく「あぁ、そうだ、だから私はそもそも、会社とか契約をしてしまったら、またよくわからないまま日々に流されてしまうから、それをしないでいたんだ」ということを思い出しました。

ciel-myworld.hatenablog.com

去年は特に、日々起こる問題や気になることに目を向けていたらすっかり失念してしまっていましたが、そもそもは私が再び苦しまないで済むように、自分がどうしたいのかを理解するために、自由な時間を選んだはずなのです。

私は「趣味がない」とか「何もすることがない」という感覚は持ち合わせたことがないけど、「将来の夢」「ライフプラン」とか「自分がどうしたいか」というのはずっと苦手で、作文で1字も書けないような子でした。
だからこそ深掘りして理解していく必要があります。

youtu.be

Diosのたなかくんがメインゴールに向かって動く重要性について話していて共感したのですが、メインゴールがないままのサブゴールってラットレースみたいなもので、根本的な解決にはならないんですよね。

コロナが落ち着いてきたことで活動が活発になる人たちが増えてきて、つい目移りもしてしまっていたけど、その結果、自分と向き合えていなければ、私にとっての思考整理となる記事の時間もあまり取れなくなってしまっていたのもまた、私の望むものではありませんでした。

今週の白川さんのように、自分に「ごめんね」って言ってあげたいですね。

ciel-myworld.hatenablog.com

この先、一旦予定が結構空白の状態になるので、ちょっと節約モードに入って、本腰を入れて勇気を出しながら自問自答を繰り返してみようと思います。

youtu.be

最近、YouTubeに懐かしい曲がおすすめに出てきていたんですけど、今聴くとこれ泣いちゃいますね…。


今週のお題「メモ」今週のお題「変わった」


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