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第65回グラミー賞授賞式を通じて見た多様性のあれこれで感じたことと「自己受容」についての覚え書き


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授賞式はグラミー賞のが1番好き。しえるです。

最近どこが「岸田政権は、持続可能で多様性を認め合う、包摂的な社会を目指すと申し上げてきた」なの?と感じるニュースが多くてうんざり気味ではありますが、そんな中で見た第65回グラミー賞授賞式は相変わらず愛と自由と多様性にあふれていて素敵でした。

でもそんな中で「多様性多様性うるさい」と感じる方々がいることもたしか。

私が思うに、多様性ってただ「自分を無理やり変えずに済むこと」なのではないでしょうか?

第65回グラミー賞授賞式を通じて見た多様性のあれこれで感じたことと「自己受容」についての覚え書き

初のトランスジェンダー女性受賞

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ポップ・グループ賞を受賞したサム・スミスとキム・ペトラス。

今回私がスピーチしているのはトランスジェンダー界初の受賞者になったからです。

トランスジェンダーの先駆者のおかげで今夜私はここに立ててます。

LGBTQの権利のために――闘ってくれるマドンナ、そして母。

ドイツの名もない街の高速道路の隣にある家で母は私を女性として育ててくれました。
母の支えがなければ私はここにいません。

キム・ペトラスは男性としてドイツに生まれたものの、法律では18歳からしか性転換を受けられないことから13歳にしてテレビなどで気持ちを訴え始め、多くの支持を受けて特例を認められ、当時世界最年少の16歳で性転換手術を受けて女性になった方です。

www.vogue.co.jp

キム・ペトラス - 男の子からトランス・ポップ・スターへ!カミラ・カベロのツアーでオープニングアクトを務めた大注目アーティスト、キム・ペトラスがオンライン試聴会を開催! Q&Aで語ったキムの“日本愛”とは? - tvgroove

コラボを組んだサム・スミスも、「ノンバイナリー」という性自認やふるまいを「男性」「女性」という枠組みに当てはめない考え方ですが、トランスジェンダー(性不一致)界初の受賞者にスピーチを任せたようでした。

今の私は所詮どんな人であろうと、結局はただの「人対人」でしかないと思っているので、相手のジェンダーアイデンティティがどんなものでも関係ないし、細かいラベリングは苦手だというのは以前にも書いたとおりなので、どんな分類があるかは全然覚えられないんですけど、それでも当人たちには重要な違いなのだろうし、「自分の当たり前が普通」と思い込みやすい世の中で、細分化して認識や許容を広めていく過程は必要な工程なのかもしれないなって思いました。

そしてアイデンティティが何であろうと、すべては「人対人」であるからこそ、相手が何を望んでいるのか、相手がどんなことを嫌がるのかが1人1人違うのは、どんな人が相手でも同じであり、気にかけるべき大元は変わらないんじゃないかなって思ってます。

個人的に今後で気になるのは銭湯などがどうなっていくのかな?くらいです。

ciel-myworld.hatenablog.com

赤が印象的な2人のステージは大迫力でした。

Sam Smith & Kim Petras’ RACY ‘Unholy’ Performance At 2023 Grammys - YouTube

明るいリゾのスピーチが最高でしたw

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レコード賞を受賞したリゾのスピーチは、授賞式をアデルと満喫していた中で受賞に驚く様子から姉に学校サボってビヨンセのライブへ連れて行ってもらった話まで、とにかく表情豊かで、思わずこちらまで笑顔になってしまいました。

この賞をプリンスに捧げます。

彼が亡くなった時にポジティブな音楽を作る決意をしました。
"文句を言うなら聴くな"の精神でね。

当時はポジティブな音楽が主流じゃなかった頃で、かなり誤解されました。
疎外感を感じていまいた。

でも自分を信じ続けました。
世界をより良い場所にするために自分が変化そのものでなくては。

そして今周りを見ると、自分の体形や肌の色を肯定する曲にあふれています。
気分はサイコー!(Feeling f**king good!!!って叫んでました。笑)

そして誇りに思います。

暗くて怖い出来事があふれる世界で人は善良な行いもできるし、善良であると信じています。本質的に善良なのです。

誤解されていると感じている人や疎外感を感じている人、自分を信じてください。
するとあなたを信じ応援してくれる人が周囲に集まります。

ここでビヨンセが大きくうなずいているのもアツいのですが、ただ根っから明るいだけなのでなく、明るくいようと決意して、努めて維持した自発の結果なのだというのが伝わってきて、グッときました。
笑顔が多いだけでも「悩みなさそうでいいよね」扱いなどされたりするので、どういうものと戦ってきたかはわずかながらでも想像できる気がします。

これを聞くとやっぱり、今自分がいいと思っているけど評価されないことや、ある何かに疑問を感じた時など、「まずは自分が動く」ものであり、何かが到来するのを待つのではなく、自らの信じる未来に向けて行動していくだけなんだなと思います。

そうすると自身の考え方が評価されていくかもしれないし、もしかしたらどうして今そうなったのかがわかって納得することもあるかもしれないし、それでもやっぱりおかしいと思うなら自分が感じている価値観を少しずつ形作っていけばいいんですよね。

自分の考え方がメジャーではないと感じることや、自他ともに今の時代にはびこっている固定観念の大きさにしんどくなることってたくさんあったんですけど、彼女たちの精神を見習っていきたいです。

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私がリゾを知ったのは『Good As Hell』という曲で、楽しい気分になりたい時によく聴いています。

進む音楽を支えている人々の可視化

今日はある試みをします。

最も詳しいのはファンですよね?

これまでもコロナ禍のリモートスタイルではライブハウスの経営者が登場したり、スピーチで受賞者が家族や仲間たちに感謝を伝える場面をたくさん見たりしてきましたが、今回からは授賞式にノミネーターの家族や友人知人、元同僚やファンなどが参加するようになり、パフォーマンスの前フリをしたり、受賞予想と称して魅力を語るなどで、さらに音楽を支える人が多く登場するようになりました。

昔海外サッカーの試合でも、たしか長年のサポーターとかだったと思うのですが、一般人の追悼が行われたりなどしているのを見て、日本じゃ見たことない光景に驚いたりしていたものですが、こういったフォーマルな表の場に出てくるまで範囲が広がってきていることに再び驚いています。

以前って裏は見せない文化があって表ばかりが目立っていたから、何も知らないで好き勝手に言う場面であったり、その裏でたくさんの人が動いているという認識不足を感じる場面ってもっと多かったと思うのですが、今は日本のテレビ番組でも裏方や個別のパートに注目するようになったり、YouTuberの撮影クルーを含めたファミリー感やファンとの近さなど、視界の範囲が広がりつつあると思いますし、こういった流れはまだまだ続いていくのかな?って感じます。

最近だと切り抜き文化が流行って浸透してますけど、是非はさておき、公式より面白い切り抜きが生まれるのはファンの視点ならではだなぁと感じることもありますし、顔出ししていない人達には手描きのアニメを入れたりしてるのもあって、愛だなぁって思うこともあります。

笑ってはいけないAPEXで笑っちゃう三面狂神ww【葛葉/だるまいずごっど/じゃすぱー/三面狂神/CRカップカスタム/手描き】 - YouTube

特別視しすぎる必要はないと思うこと

今年は新しい試みをします。

パフォーマーの紹介を本人と近しい家族や友人にお願いします。
受賞スピーチで名前がカットされる人たちです。

候補者のブランディ・カーライルを紹介したのは彼女の家族で、3人とも女性。
イギリス俳優のキャサリンとは結婚して10年以上経つそうで、娘2人と紹介する姿はとても微笑ましいもので、ほっこりしました。

私は誰と誰が付き合っているみたいなゴシップに興味がほとんどなく、ジェイ・Zとビヨンセぐらい有名なカップルでないと覚えられないくらいなので、ブランディ・カーライルがレズビアンカップルで家庭を築いているのも初めて知ったのですが、こういった家族が自然に続いていて、このような場に出てくるのはとても素敵だなと思います。

ja.news24viral.com

多分こういった多様性を前面に出しているのは意図的なものだろうとは思いますが、それができるのはいろんな家族の在り方が実在できているからというのには変わりないんですよね。

日本で精子卵子提供に規制はないですし、養子縁組や里親制度もあるんだから、男女の婚姻数の減少や少子化を嘆くなら、両親の性別が何だろうと家庭が築きやすい世の中になった方がいいとしか思わないんですけどね…結婚したい人たちはいるのですから。

「国を捨てる人出てくる」はむしろ逆 同性婚のため日本を離れた僕:朝日新聞デジタル

多分私がこんな風に何も気にしてないのって、性別を特に重要視していないからなのでしょう。
大事なのはただ「尊重」の精神に尽きると思っているので、ポリコレとかも結構どうでもいいとか思っちゃっていたりします。
1人1人を見ていれば、当てはまるものをタグ付けすることはあっても、カテゴリ分けする必要ってあまりないんで……。
それに、私は「その人がやりたいようにやればいい、ただし他人に何かしらの犠牲を強制させないのであれば」という考えではあるんですけど、多様性のないコミュニティも1つの多様性ではあるとは思うんですよね、あくまで賛同はしていないですけど。
だからこのパターンが足りない!って話は、そのパターンがない場合だってあるだろうし、いろんなパターンあるんだから全部網羅するのなんて無理ゲーじゃね?って気持ちがどこかあります。
だから全部を特別視する必要がないのでは?っていう……。

最近、ある意味人は皆特別でありますが、ある意味では逆に特別じゃないって思うんです。

何言ってるんだって感じかもしれませんが、家族や先祖のつながりによって生まれて、自分の得意不得意や考え方は自分だけのものという意味では特別だと思うのですが、人を才能や肩書きなどで見て特別扱いして「自分とは違う」と思うのは違うとも感じていて、どんな人も自分と変わらない人でしかなくて、皆同じように悩んだり頑張ったりしながらその時できることをやって、人間関係や生活を築いているだけで、そういう意味では特別なものではないと思います。

だからこそ性別でも多様性でもなんでも、必要以上に特別視すると、どこかで何かが苦しくなってしまう気がするので、過度な特別視はいらないと思っています。

多様性=ただの尊重だと思います

リゾは最高ね。

世界では分断が進んでいますが音楽は違う。

音楽はひとをつなぎ言語や国境を超越します。

シザがこう切り出していたように、会場ではさまざまな国籍やルーツ、人種の方々が一堂に会していました。

ファッションやアイデンティティも多種多様で、色とりどりのドレスにスーツ、セーター、Tシャツ、デニム、スカジャン、ジャージ、帽子をかぶっている人、サングラスをしている人、タトゥーの入っている人、ハイヒールの人、スニーカーの人、露出の多い人に少ない人、年齢も性別も肌の色も体型もさまざま、車いすの方もいらっしゃいましたね。

式の途中でも参加者は自由に移動しているし、スマホをいじっているし、形式的なマナーに厳しくなりがちな日本だといくらでも小言が入ってきそうな要素がありまくりです。

でも式の秩序は保たれていて、客席のすぐそばにステージがあるのですが、これは参加者同士という対等な関係で、パフォーマーへのリスペクトがあるからではないかと思いますけど、ステージの邪魔をするような客席の悪目立ちはなく、飲み物を飲んだりスマホで撮影したり、踊ったり口ずさんだりノッたり、リラックスしながら思い思いにステージを楽しむ様子が映っており、とにかく会場が温かいと感じます。

もちろん座ったままの人達もいて、これがすべてだとは思っていませんし、そうじゃない部分や意見もあることとは思いますが、私は見た目や形式的なマナーがどうかよりも何より尊重の精神の方が大事だと思うし、Adoさんの『うっせぇわ』じゃないですけど、「室内では帽子やサングラスを取りなさい」「お行儀よく式に集中していなさい」などとうるさい世界より、私がいたい世界はこっちだなって思います。

映画館で喋っていたらうるさいですし、スマホをいじれば画面がまぶしくて視覚的に迷惑ですが、表彰式なら進行を妨げるほど騒いだりしてなければ特に問題はありません。
このように自分が興味ない部分は参加しなければいいだけの話であり、そこで無理やり見させたり、わざわざ相手を邪魔したり、否定する言葉を投げかける必要はないと思うのです。

思想の自由について

【首相秘書官差別発言】『内心の自由』を間違えている人たち - YouTube

先日、ロザンの動画を見たことで憲法は「国民の権利・自由を守るために、国がやってはいけないこと(またはやるべきこと)について国民が定めた決まり(最高法規)」だと知り、へぇ~となっていました。(公民苦手でした)

だから宇治原さんは、要約してしまえば表現の自由を持ち出すのはそもそも違うし、発言を評価される余地はあるよというような話をしていてなるほどと思ったのですが、もし仮に憲法を持ち出す点をスルーしたとしても、憲法では「基本的人権の尊重」が定められており、「法の下に平等で、差別されない」という話であるので、どっちにしろ他人に自由に口出ししてOKって話にはならないから、理由として破綻してるよなぁ…って思います。

日本弁護士連合会:憲法って、何だろう?

多様性って全部を好きになる必要はないと思う

彼女の強い信念のために闘う姿が私は大好きです。

「リゾのビッグスター発掘(Lizzo's Watch Out for the Big Grrrls)」で彼女は私のスター性を見出してくれました。
自分にも可能性があるなんて驚きでした。
10歳から"ビッチ"の精神で踊り続けてたけど、表舞台に立つのは無理だと思ってました。
リゾには感謝しきれません。

彼女は体型や肌の色、セクシャリティで悩む人たちに扉を開き道を示してくれました。
ついに"この時代"が来たのです。

リゾのパフォーマンス紹介に登場したのは彼女の番組出演者のジャイラ・サリヴァン(Jayla Sullivan)。
トランスジェンダー女性のバーレスクダンサーですが、そうなれたのはリゾと番組のおかげなのだそうで、次の記事によると、リゾの肯定があっても長年無理だと思ってきた心の鎖は根深く困難なものであったようですが、しだいに自分を受け容れられて、誇りを持てるようになったようです。

For Sullivan, Pride is a time of love, freedom and acceptance, and a celebration of what LGBTQ+ people have overcome in their lives to be their truest selves.

“Going through the year, I think Pride should be every single day,” she says. “But when you’re working 9-to-5′s or working in corporate America, you forget to celebrate yourself, and Pride gives you that excuse to take that moment of selfishness and just be like, ‘You know what, I’m here, I should be proud, I should be loud, I should unapologetically be myself.’ That’s the power of Pride, that overwhelming feeling of acceptance and love.”

私は正直な所、第一印象として見た目のインパクトにビックリしてはいます。

でもどんな方なんだろう?と思って調べた時に見た記事の内容が、今私が1番大事だと思って試行錯誤していることだと感じて、親近感が湧いたのも確かです。

そしてあまりよく知らない人に対して、それ以上思うことは何もありません。
そういう人がいるんだなぁ~と知っても、その度に全力で興味を持つ必要はないですし、再びお目にかかることがあるかどうかもわかりませんしね。

www.wweek.com

思うに「みんなと仲良くしなさい」は無理がある話で、「好きな人嫌いな人、共感する人理解できない人はいてもいいけど、だからと言って相手を排除する必要もないので、そっと隅に置いておきましょう」でいいし、それも尊重の形なんじゃないかなって考えちゃいます。

オシャレしてると思われない芸人が人目を気にせず楽しめる世の中

先日、アメトーーク!でオシャレしてると思われない芸人がやっていましたが、服の問題と言うより他人の目と人柄の話がメインだったんじゃないかと思います。
芸人だから大喜利だと思われてしまうのは実際ボケでやる人もいるだろうから職業柄ならではだなとは思うんですけど、少なくとも「イジりが怖くてふだん着てこられない」と思わなくてよくなる世の中が来たらいいよねって話が多様性の話だと思います。

「イケメンだったら……」という話も出ていましたが、正直モデルのコーデやインフルエンサーのメイクだって、うわぁ素敵!と思うことなんてほんの一握りだし、写真が素敵だなと思っても、コーデがいいなとは思うことは少なくて、それでも堂々とファッションを楽しんでいる姿がカッコイイだけなのだと私は思っちゃっています。

最近あるコーデサイトにアップされていたどこかの誰かの写真が、20年前の私のおばあちゃんと同じ格好だなぁって二度見してしまったこともあったけど、きっと彼女はそれをかわいいと思って着ているのだろうし、それでいいんじゃないかなぁって思います。

「服好きなん?」と驚かれてしまう話については、本来服に興味がなかったら優先順位が低いはずで、誰かに選んでもらうとか無難に走りがちだと思うんですけど、出てきた芸人さんたちの多くは、センスの良し悪しはさておき、服が好きじゃなかったら買ってないだろうなって服が多かったので、それを見て服に興味がないと思えるのはそう受け取った人が短絡的なだけだと感じてしまいます。

フジモンさんの色の組み合わせが変というのは賛同しますが、ブランド店に出禁を食らってるのはおそらく、服が似合わないからとかよりも、その人柄にブランドのイメージが定着されたくないってだけの話だろうと察するので、ふだんの言動が招いた結果でしかないですよね…。
(コンビでオソロに見える写真なんか、面白いけどもはや全く関係ない話でしたし…。)

千頭身の都築くんとかは特に独創的でしたが、周りが他人の意見に左右される中で、彼だけは独自にファッションを楽しんでいるんだろうなぁというのは伝わってきましたし、グラミー賞のメンバーの中にいたら全然違和感ないんだろうなぁと思います。
ビッグ・バニーもスカートを履いたりしていますし、他にもサム・スミススティーヴ・レイシーは授賞式でハイヒールを履いていましたし。

そして私は都築くんの格好も、ビッグ・バニーのスカートも、サムやスティーヴのハイヒールも、特段素敵だなぁと思ってるわけではありません。

でもそれでいえば流行だって同じことで、個人的にはフーディの紐を蝶々結びにしてるのを見てもかわいいとは思えなくて、苦しくないのかなぁ~変なの~と見てしまいますし、ぶっちゃけ私が子どもの時に流行っていたものは今もリバイバルしているのでやっぱりかわいかったよなぁと思ってはいるんですけど、それでも昔流行ったものを今見ると意味わかんないものもいっぱいあったりします。
そもそもファッショントレンドなんて商業的に用意された流行ですし、取り入れたからオシャレになるわけではないというのは、ベッカムヘアとか色々見てきていますからね…。

それでも私が「変だな」と思っていても、所詮は1人の他人の意見でしかなくて、私の感想はたいていの場合その人にとって重要ではないですし、身内なら多少気になるのもわかりますが、特に身内でもない他人が何を着るかなんて自由であって、私の人生にも何ら関係ないですから直接伝えることもありません。
今やネイルや脱毛をする男性が増えているように、違和感がなくなって見慣れていく可能性だって全然ありえます。

私はhydeさんが好きだけど、彼の着る服をカッコイイとは思うことは少ないですし…ライブでカッコイイ時はスタイリストさんたちグッジョブ!と思っていますが、まぁhydeさんがどんな格好しようと、どんな活動をしようとhydeさんの人生だし、自分が興味あるところだけ一緒に楽しませてもらおうという精神です。

下記ブログはとても共感するのですが、好き嫌いとジャッジは別物だと思います。

”【重要保存】ジャッジを辞めざる得ない方法 - ナリ心理学ブログ2

精神性も楽しさも大事よって。
彼女は進むべき方向を示している。つまり楽しもうってことよ。

“私の魂は壊せない”って今必要なことでしょ。

ビヨンセファンのアリシアがこう言っていましたが、要は「自分が思うことを誰かの心ない言葉によって変える必要はない、楽しもう」ということだと思います。
だからオシャレしてると思われない芸人は、それが自分に似合っていてオシャレだと思うならそのまま貫けばいいんじゃないかとしか思いませんでした、都築くんみたいに。

それは誰かに言われたからやめるとかじゃなくて、自分がこうしたいと思うからやるという「自立」の価値観ですし、もちろん「流行に乗りたい」「誰かの意見に従いたい」という価値観だって別によくて、面と向かってだったり色々言われてウザいんだろうなというのはわかるけど、センスなんて経験値で上げていくものだし、ダサいと思う人がいる一方で、それが素敵だと思う人もいるだけの話なので、自分の自信のなさやファッションセンスを棚に上げて他人のせいにするなよという印象も受けました。

Page 2/2 | 「女としては私の方が上!」結婚&出産…独身へのマウント。白川さんの「私は私」理論とは?/メンタル強め美女白川さん4 | ダ・ヴィンチWeb

他人の意見をいかにスルーするかは私の課題でもあって、私はこのマンガの白川さんのように「そもそも人の人生にそんなに興味がない(良い意味で)」とはずっと思っていて、「人にどう思われるかが自分の人生で重要事項ではない」とも考え始めているので、あとは「闘争心のアンインストール」を目指しているところです。
私は元々感情豊かなタイプでしたが、一人っ子で兄弟がいる子に比べて幼少の経験値が少なくて友達とぶつかってしまったり、理不尽な怒られ方をしたりなどで自分の感情に自信が持てなくなり、自我や怒りの感情を封印してしまっていた時期がありました。
まぁ感情が豊かなのに抑え続けるのは無理が生じて壊れてしまうもので、紆余曲折あって今は自我を確立し、改めて感情の出し方を学び直している所だと自分を俯瞰して思います。

「1人で来てるやつおるw」(実体験)とか「目が見えないのに美術館来て何が楽しいの」(下記リンク参照)とかマンガに出てくるような失礼なモブって現実にもいるもので、どう考えてもそういう言葉を投げかける人がしょーもないとは思うんですけど、それでも感情って動いちゃうんですよね……。

白杖を持って美術館に行ったとき心ない言葉をかけられた「全盲とは限らない」「音声ガイドやヘルパーさんの説明を聴く楽しみ方も」 - Togetter

「たとえ誰かに下に見られても関係ない」けどまだ白川さんの領域にはいないから、私は失礼だなと思ったら距離を置くことしかできなくて、なので思いがけず殴られるとつい殴り返したくなってしまうので、ファイティンポーズを取ってしまわなくなるように、イラっと来たときは「私はなんで引っかかったのだろう?」と考えるように訓練しています。

ciel-myworld.hatenablog.com

最近もニュージーランドの元議員の「私たちがしようとしていることは、愛し合う2人の人間が結婚という形で認められるようにする、それだけのこと」という演説が話題になっていましたが、こういう主張の多くは、本当に「ただそれだけのこと」でしかないと思います。
でもだからこそ「ただそれだけのこと」が法などで許されないのが意味わからないです。

冒頭で「気にかけるべき大元は変わらない」と書きましたが、相手がどんな性別だろうと、ヤることや得することしか考えていないやつはウザいし、自分が恋愛感情を持っていない相手から好意を向けられた時に困るのも一緒であって、相手のふるまいは相性があるので気にしても、相手の個性って特に関係ないんですよね。

一緒にいたいと思える相手に出会えることは幸せなことだと思うし、他人がダサかろうが、変なこと言っていようが、昔に比べたらだいぶマシになったこの世界で、自分の人生には影響がないことがほとんどで、それが政治家などの場合は投票で意思表示したり、引っ越したりしていくしかないのかなって思います。

www.asahi.com

違いから生まれるもの

今年は"ハーモニー"についてよく考えます。
異なる音符が一瞬で重なり合い、より美しいものになる。

今はたくさんの分断が起きていますが、音楽は違いを超え我々をつなぎます。

1950年代には人種差別を拒んだ黒人と白人がR&Bとカントリー、ゴスペルをロックに融合しました。
1980年代には黒人ラッパーとユダヤ人系の白人の若者が、史上最高のHIP HOPを作り上げました。

"違い"が新しいサウンドを生んだのです。

音楽は音だけでなく人間のハーモニーでもあります。
人種や性別や宗教、アイデンティティ性的指向、我々は違いを理解しつつ、分断を拒絶し、喜びと結束とハーモニーを探します。

それが音楽です。今夜はそれを祝福します。

3年連続で司会を務めている南アフリカ出身のトレバー・ノアの進行も好きで、中国の偵察気球を出してきたのにはタイムリーすぎて笑っちゃいました。

そんなトレバー・ノアが追悼の入りに話したこの内容がまた素敵でした。

たしかに人間同士でぶつかりあったり、不快な気持ちになったりすることはあるものですが、違うからこそ驚きや喜びを感じたり、恩恵を受けたりできるものでもあり、違いがあるからこそ自分の了見の狭さに気が付けるものなので、違うことを否定する必要はないんだと思います。

別にどう思うかは自由であって、「わからない」「理解できない」ならそれでよくて、自分が理解されない側なことだってありますし、最初苦手とか嫌いと思っていても好きに変わる瞬間なんていくらでもありますし、ただそういうものとして「尊重」すればいいだけなのではないでしょうか。

だから実際に「多様性を押し付けてくる」人は、相手を尊重していない人だからイラっと来るだけで、多様性に問題があるのではなくて、その人がイヤなだけなのではないかと推測します。

これは以前書いたエシカルについての時と同じことだと思うのですが、人のため、環境のため、世のためといって価値観を押し付ける必要はなく、自分も他人もただそれだけのものとして、何が快適か取捨選択だけしていった方が、自分にとって楽になるんじゃないかなって感じます。

最近、自分は自分が心地いいと思うものだけを見過ぎていたなと思ったので、あえて違う意見を見に行くこともあって、この記事もただグラミー賞を見ただけだったら素敵だったなぁで終わっていたのですが、「多様性うぜー」とか「多様性って仮装大会?」みたいな声を見かけて、考えさせられたことを何度も何度も練って書いてみています。

書きながらも別の知見で考えさせられることはたくさんあるので、この記事内容は思考の途中ではあり、一旦区切りをつけないといつまでも際限ないので無理やりまとめようとしていますけど、やっぱり私の中にないものを見ることでこうやって自分の思考の幅が広がるのは面白いことだと思います。

ciel-myworld.hatenablog.com

余談ですが、彼の本が気になったので近々読んでみたいと思っています。

グラミー賞は音楽の式典なので、主に音楽制作者の視点ですが、これは音楽界隈に限る話ではないと思っていて、私がよく触れる漫画やゲームなどの世界にもこういった感覚を感じる側面があって、そういうところも好きなんだろうなと思います。すべてにとは言わないですが。

たとえばゲームも、ある一面ではたしかに言葉やマナーが悪かったりもするのですが、たとえば『VALORANT(ヴァロラント)』というゲームのeスポーツ大会では「VALORANT Game Changers」という大会を開き、すべての人に出場機会を作るような素晴らしい側面も持っていたりします。

https://valorantesports.com/news/game-changers-east-asia-qualifer/ja-jp

正直私は以下のような「女性限定」という文言をこれまで見ていたため、大会の趣旨を誤解して認識してしまっていたのですが、実際には「女性やその他の疎外された性別にさらなる露出と機会を提供するために作られたプログラム」とのことで、すでに大会が存在する男性以外のすべての人に出場機会を設ける目的で作られた大会でした。

女性限定の公式大会「2022 VALORANT Game Changers CHAMPIONSHIP」ドイツ・ベルリンで11月15日から開幕!|RAGEのプレスリリース

そのことをノンバイナリー詐称のニュースで知ったのは複雑な気持ちではあるのですが、それでもRiot Gamesの門戸開放の精神が素晴らしいことには変わりないと思います。

Riot Games、VCT GCで性別詐称・チート行為を行っていた選手に8年間の出場停止処分を発表。人種差別的言動などその他3名にも処分 | VALORANT News.jp

他にも日本と韓国、ウクライナとロシアの選手が同じチームに在籍して協力して優勝を目指していたり、オンライン上でつながるゲームだからこそ一般人のゲーマーですら世界各国のプレーヤーと一緒にゲームする機会が自然にあったりなど、国の垣根が低い界隈だと感じます。

ふだん英語を喋らない日本人の中ですら自然に英語のスラングが出てくるのも面白いですし、特に日本で活躍する韓国人の配信者って多くて、韓国の考え方や文化を知るいい機会にもなっています。

韓国人から見た日本に対する意識を話すKH 【EFT】 - YouTube

正直まったく知らない人を稼がせる気はないので、よくある○○人の反応的な動画は一切見ないんですけど、こういう風にゲームや界隈の接点があることで興味を持てるので、韓流やK-POPに興味が薄くても、共通の娯楽が人をつないでくれるし、リアルな声を聞くと理解が進みますね。

いつだって時代の価値観に沿わない人たちが切り拓いてきた

40年間音楽をやってきて学んだことがあります。

もしあなたが“衝撃的”“スキャンダラス”“厄介者”“問題児”“挑発的”“危険人物”と呼ばれたらあなたは何かを持ってる。

私はこの場を借りて反逆者たちに感謝を伝えたい。
新しい道を切り開いて非難に耐えた人たちよ。

これを見てるトラブルメーカーのみんな、あなたの大胆不敵さが気づかれないはずはないわ。
あなたは見られてる。声が届いてる。そして何より評価されてる。

雑音や疑いの声やくだらない批判を乗り越えて「Unholy」という美しい曲に昇華させました。
グラミー賞を受賞した2人のアーティスト、サム・スミスとキム・ペトラスです。

サム・スミスとキム・ペトラスのパフォーマンス紹介に登場したマドンナ。

歴史を振り返れば、過去には過去の違う価値観が席巻してきたことは一目瞭然であり、歴史の変わり目を未来で称賛されたりはしますが、その真っ只中はいつだって逆風の中で必死に戦ってきたのだと思います。

で、その認識や称賛の機会などは増えてきているにもかかわらず、それでも他人への批判はなくなりません。

やっぱり俺は好きな事で生きていきたい - YouTube

最近でいえば、レペゼンフォックスのDJ社長がよく燃えてるなぁと感じるこの頃。

DJ社長は以前私が無理だった社長に似たところが大いにあるので、メンバーらの振り回されはある程度想像がつくのですが、私はそれを自分が遂行することを受け入れられなかったからやめたし、それでもレペゼンはメンバーがついていきたいと思ってるから成立しています。
そしてその両者の合意があるうえで、DJ社長がぶっ飛んでいるのが面白かったはずなのに、普通を求めるようになるんだなぁって感じましたし、メンバーも大人になってブレーキがいい意味でも悪い意味でもかかるようになっていて、現状維持の意識ってこういうものなのだろうなと感じます。
DJ社長が変なことやってるなぁと思っても私には関係ないですし、その過程で面白そうだと思ったら一緒に楽しめばいいと思っているのですが、そうじゃない人もたくさんいて、それだけ人によって他人の距離感や視界には差があって、その違いってなかなかなくならないのでしょうね。
きっとこれからもDJ社長はいっぱい失敗するだろうし、よくわかんないことやっていくんだろうなぁと思いつつ、それでも夢を叶えるまで走り続けるんでしょう。

そしてそういった話はDJ社長に限った話ではなくて、有名無名や意思表明の有無にかかわらずあちこちで起きていて、志半ばだったり、苦しいままだったり、その先の世界を知らずに去ってしまった方々もまた大勢いるのでしょう。

最近、2011年に亡くなった歌手のエイミー・ワインハウスの映画を観て泣いてしまったのですが、このような本人の意志を無視し、商業に滅ぼされるような犠牲のあとで理解するのでなく、近い人間なら尚更のこと今現在の理解に努め、今現在を大切にする意識は大事なんだろうなぁと感じます。自分のことでいっぱいでなかなか気づけないのももちろんわかりますけどね。

授賞式のふとした瞬間にビヨンセの功績を感じます

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1回目は遅刻+2回目のスピーチは短めに感謝を伝えるのみだったビヨンセですが、表情や仕草、間などでたくさん伝わってくるものがありました。

前々回の時に紹介したビヨンセのスピーチに感銘を受けて、尊敬するようになっていたので、今回の受賞による歴代最多受賞記録更新の快挙は私も嬉しかったです。

そして参加者の中にはビヨンセの影響を受けて育った人もたくさんいて、リゾも「あなたのゴスペルメドレーは私の人生を変えた。“私もこうなりたい”と思った。だからありがとう」と話しており、人が創り上げてきた熱量と行動の系譜を感じます。

ciel-myworld.hatenablog.com

クィア・コミュニティーのおかげでこのジャンルは生まれたの。

クィア」という言葉を私はここで初めて知って、クィアと打つと勝手にクリアに変換されるくらいにはまだそんなに浸透していない言葉だとは思うのですが、性的マイノリティの総称なのだそうで、元々は「風変わりな」「奇妙な」という意味で蔑称として使われていたものだったのを、当事者たちが自らポジティブな意味を込めて使うようになっているのだそうです。

自分を形成してきたものと何かを生み出すということ

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授賞式の中ではファンたちの声も紹介されていたのですが、最後にトレバー・ノアの計らい?(台本?)でそのファンたちが壇上に上がり、トレバーに代わり受賞者を読み上げるというくだりがありました。

どちらにしろ粋で素敵だったし、78歳のハリーファンのおばあちゃんは幸せ者すぎますね!

この部門の候補者たちに僕は勇気づけられてきた。
人生の岐路や孤独な時期にみんなの音楽を聴いていた。

明白だが大事なことを忘れないでほしい。
音楽に順位はない。

受賞しやすい曲を作ろうと思うアーティストはいない。

受賞には心から感謝してる。

年間最優秀アルバム受賞したハリー・スタイルズのスピーチは「創作家」だなぁと感じてすごく好きです。
ミュージシャンも皆ただ、自分の色をそれぞれの形にしているだけなんだというのが伝わってきて。

このブログでも私は「特にお気に入り」くらいの書き方はしても、ランキング形式で紹介したことって多分ないと思うんですけど、この気持ちが根底にあるからなんだろうなって気づきました。

活動を続ける中で、お金や名声、技術やセンスに不安などで惑わされることもあるだろうけど、これが根本なのだと感じます。

これは余談ですが、グラミー賞のハリーのパフォーマンスでステージにトラブルがあり、実は突然の逆回転に対応していたということを知ってすごくビックリしました。

素人目にも複雑な構成だと思うのに、特に違和感ないように対応してみせたのがすごすぎます。

yorozoonews.jp

彼のモットーは"人のことは気にせず好きなことをやる"なの。
ドラァグクイーンになったり、性別にこだわらずキスをする。

男性優位主義にとらわれない。
ラテン系のクィアの女性としては多様性を自ら見せてくれていて嬉しい。

彼は自分のルールで対話を促してくれる。

バッド・バニーファンのナターリアはこう言います。

youtu.be

この作品には苦労しなかった。

自分の愛と情熱に従ってアルバムを作ったからだ。
愛と情熱それだけ。

愛と情熱に従って動けばいろんなことが楽にできる。

バッド・バニーを見習って、まっすぐに生きたいと思いました。

多様性に必要だと感じる「自己受容」

私がこれを書いている時に、こんな記事を見かけました。

「自己啓発」や「自己実現」の次に、どのような価値観が到来するのか? | Books&Apps

ここまで書いてきた内容がすでに次の価値観を表していると思っていて、それをワンフレーズで言うなら「自己受容」に尽きると思います。

「自己受容」とは「ありのままの自分を受け入れること」ですが、最年少で性転換したキム・ペトラスとノンバイナリーを公表したサム・スミスも、ポジティブを歌い続けたリゾも、ノミネーターの影響を受けたファンたちも、自分のファッションを貫く都築くんも、先陣を切ってきたマドンナやビヨンセも、めちゃくちゃながらも魅力あるレペゼンフォックスも、世のルールにとらわれないバッド・バニーもみんな自覚の有無にかかわらず、大元には「自己受容」を感じます。

自分を変える必要も、自分のやりたいことを無理して見つける必要もなくて、ただ「今の自分」を受け容れるのが真っ先に必要だと感じるこの頃で、授賞式に出てきた数々のメッセージも共通して「自己受容」の過程や結果に関するもののように見えました。

前に「他人は自分の鏡」だと実感したことや「許せないこと」が自分を縛っていくということについて書きましたが、他人を許せない時って自分を許せない時だと思うので、「自己受容」が「他者受容」につながっていくのではないかと感じていて、私はもっと肩ひじ張らず楽になりたいのでもっと「自己受容」を進めていけたらと思っています。

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