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【好きとは】ファン心理とか健全なイベント運営について考えていたら今の自分を見直すきっかけになりました。【エゴ供養】


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原点回帰で今の自分の気持ちについて考えてみる。しえるです。

 

長年何かを好きでいるには、信用・信頼関係の構築も大きな要素となります。

また、今の自分が本当に好きなのか、惰性になっていないかの見極めも大事かと思います。

 

いま私は、自分の中で当たり前になりすぎていた好きなものについて、今後の付き合い方について見直す時が来ているのかもしれません…。

【好きとは】ファン心理とか健全なイベント運営について考えていたら今の自分を見直すきっかけになりました。【エゴ供養】

HYDEさんのソロ公演で思ったこと

私は8月にHYDEさんのソロ公演に行ったとき、自分の判断で行ったとは言え、次の点からHYDEさんの公演への信頼度は少し下がりました。

  • 距離をあけているのは演者と観客の間だけで、観客同士の距離感はとても近い
  • 会場内の飲食控えアナウンスは見当たらず
  • 公演中の会話控えをお願いしているのに、むしろMCで笑わせにくる
  • 二酸化塩素の空間除菌アイテムを来場者に配付

もちろん常に当時のガイドラインに沿って開催されているのはわかります。

昨年12月末のANTI WIRE公演は収容率50%で隣に人がいないので安心して楽しめました。

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ROENTGENツアーが始まる前に行われた平安神宮公演は配信で見ていましたが、当時感染が増えていた関西圏で収容100%とは言え、屋外公演でMCもありませんでした。

ciel-myworld.hatenablog.com

しかし、8月の公演はデルタ株が急速に拡大している中の屋内100%収容で、すぐ隣に人がいて、同行者同士で会話している姿も散見されました。

蒸し暑い日だったので最初は水分補給をしていたのですが、途中からこの状況で水筒やペットボトルから水分補給するのは危険だと気づいて我慢するしかありませんでした。

私自身のワクチンをしばらく打てそうにないという焦りも大きかったですが、明らかに状況が悪化している中で、昨年末より感染対策が弱まっていると感じるのは、なかなかキツかったです。

 

さらにはHYDEさんがMCで「もしかしたらこの中に陽性の人もいるのかもしれない。けど、こうやって会って愛を共有することで免疫力が上がるよね」というような主旨のことを言われていたんですね。

私の中ではこのMCが結構トドメに感じて、大後悔に襲われました。

 

もちろん、HYDEさんは少しでもファンたちの辛い気持ちを和らげて、楽しませようとしてくれるんだろうなぁとは思います。

でも「愛があるからこそ、自分が負担を背負っても安全な環境にする努力をしたり、会わないという選択肢をとるんじゃないの?」と私は考えてしまうのです。

 

なので数日後の私は、1万円近いチケット代より川口公演に行かないという選択をとりました。

 

また、スポンサーとの関係もあるとは思いますが、二酸化塩素の空間除菌アイテム配付というのも、同様商品を消費者庁が行政指導している現状がある中での実施に不信感が募りました。

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ラルカフェにも行けなかった話

楽しみにしていた渋谷での30周年記念イベント・ラルカフェも結局行けませんでした。

チケットは買った時点ではデルタ株がそこまで拡大しておらず、友人と行く約束をかわしていましたが、直前でスタッフに感染者も数人出ていたのもあり、友人と話し合って行くのを断念。

 

昨日まで開催していたので、1人で行くという選択肢もありましたが、ワクチンはまだ1回しか打っていないし、そもそも運営が信用できないと思ったため、危ない橋は渡るまいと諦めました。

渋谷ツタヤのスペース貸し切りに莫大なお金がかかることも想像に難くはないですが、期間限定の飲食やって感染者が続けて4名出ている時点で休止や中止、返金などの対応がなされないのは、感染拡大防止や客の安全を考えてくれていないなと感じます。

さらには感染確認日から発表まで時差がありすぎる件、テナントでの感染発生発表とラルカフェ公式発表の間に数日のラグがあったことも不信感しかありませんでした。

楽しみにしていたので本当に残念でなりません。

ciel-myworld.hatenablog.com

ラルク30周年ツアーへの複雑な気持ち

12月にラルクの30周年ツアー公演が埼玉や東京など関東地域で開催予定で、現在ファンクラブ先行が始まった状況です。

 

ラルクに限った話ではないのですが昨年以来、これまで少なくとも3件は運営が信用できないと感じて、チケットを買っていたけど参加辞退をしたイベントがあり、数万円がただ吸収だけされてしまっているので、さすがにチケット購入には慎重にならざるをえません。

 

現時点のガイドラインで緊急事態措置区域でのイベントは5,000人上限の収容率50%の開催制限がかけられています。

すでに行われた大阪公演は、完璧にではなさそうですが「隣の席には座らないようになっていた」という声もTwitterで見かけました。

 

しかし「状況によって収容率を変える場合がある」とも案内されています。

これっておそらく制限が緩和されたら増やすって意味でしかないと思うんですね。

状況が悪化しても販売したものを一部キャンセルさせるのってすごく難しいですし、そもそもガイドライン的にも早めに販売している分はキャンセル不要となっているので、一度引き上げられた収容率が戻ることはなく、考えられるのは相当ヤバくなったら中止くらいでしょう。

 

私は10月にはワクチン接種がフル状態になります。

けどデルタ株以外にもミュー株・ラムダ株イータ株・カッパ株と続々変異株が出ていますし、ワクチン接種後のブレイクスルー感染や、WHO(世界保健機関)が「コロナもインフルエンザのように変異し続けるので根絶の可能性が非常に低い」という見地を示した報道もあるので、まだまだ状況は読めません。

japanese.joins.com

ただの感染症なのでどんなに気をつけていても、かかる時はかかるものだと思います。

100%安全なんてものは存在しません。

それでも個人的には、かからないためにできる限りの最善を尽くすという考えがあるので、ルールさえ守っていればいいという話も違和感があります。(ここではルールを守らないというそれ以前の話は置いておきます。)

そもそも未知のウイルスに対して、適切なルールが設けられているかだって確実なものではないのですから。

一応今は、大阪公演で定価トレードも行われていたので、最悪直前に行かないという選択をとれる可能性もあると思って申し込んでみています。

 

開催時期の状況しだいで観に行きたい度というものが変わってくるので、現時点でどの選択肢を選ぶのがいいかがわかりにくく、悩ましい日々が続いています。

運営の信用度が可視化されてきた気がします

もちろんこれは私の考えるリスク感覚と価値観の相違があるだけの話であり、それぞれの財政事情だってあるし、行きたい方たちもいらっしゃるので、個々がそれぞれの価値観でリスクを選び取っていけばいいと思っています。

 

ただ私にとって、元々好きなものがたくさんある中で、有事における相手の考え方や言動というのは、昨年からたくさん考えさせられることがありました。

たとえば、料理がおいしいお店の奥から怒鳴り声が聞こえてきたとかそんな感覚です。

某ペットショップの奥から動物の悲鳴が聞こえてきた時も怖かったなぁ…。

目に見える部分で危なさを感じるなら、経験則的に裏側はもっとヤバそうと思ってしまいます。

調子の悪い時に相手がどう動くかって結構本質が見えると思っていて、このコロナ禍ではだいぶ浮き彫りになったように感じます。

 

新型コロナがある中で、会社や個人としてどう対策を講じていくか。

何がデマで何がリスクの高い行動か、情報を判断し、限られた条件の中でどう落とし込んで行くのか。

本当に今大切でやるべきことは何なのか。

そういったものが行動として全面に出てくるので、相手の視線の先にあるものや信念といったものが見えやすくなっていると感じます。

(手越くんが独立した時、是非は一旦さておき、事業主として軌道に乗せるための準備を不要不急!と無関係な人が糾弾する姿の方が違和感しかありませんでした。これも1つの生計とリスクの判断結果にすぎません。)

dot.asahi.com

この人のここは好きだけど、この部分は信用できないから画面で見ているだけでいいやとか、状況が変わっても対応はしないのかとか、逆に臨機応変に対応してくれるんだなぁとか、たくさん気づきを得る毎日です。

 

個人的には相手のよいところを見るようにしていきたいとは思うものの、やはりなるべくは真摯に健全な活動を取り組んでいるところにお金を払いたいもの。

 

そして私はおそらくこの先、「コロナがヤバかった時、この団体はこういう対応をしていたな」という今の印象がついてまわるんだろうなぁとも思います。

 

現に10年前のラルクのライブ(ラピニュ)のスタッフ誘導はひどかったな…とかいまだに忘れはしません。

1月の真冬、年越しで始まったライブで会場の外に出て電車に乗れたのは朝の7時でした。

クロークに預けた荷物が全然受け取れず、もみくちゃで将棋倒しに何度もなりかけ、何時間もTシャツで凍えながら過ごしたのは忘れられないですね。

 

別に今はそんなこともあったなぁと思うだけだけど、ライブ運営会社のイメージは強く残っているものです。

larcnews.blog.fc2.com

鹿島アントラーズいいなぁと思った話

J1の鹿島アントラーズは8月末に茨城県独自の非常事態宣言を受け、9月のホーム2試合を無観客試合としてきましたが、次のホーム2試合で5,000人を上限に観客を受け入れることを発表しました。

ご来場されるお客様は、県からの要請に従い、ワクチン2回目接種後2週間経過の証明、または試合開催前1週間以内のPCR検査もしくは抗原検査の陰性証明にご協力ください。

その有観客試合では、Jリーグ界で初の「ワクチン2回接種」か「PCR検査陰性証明」を来場客に求められるそうです。

www.antlers.co.jp

茨城の県有施設のみの要請なので、同じ茨城であっても市有施設での水戸ホーリーホックの試合は有観客で行われているようですし、地元埼玉の浦和レッズ大宮アルディージャもまた有観客で行われています。

そんな中で県の要請とはいえ、これは来場者にとって一つの判断材料になりますし、ビッグクラブが実施する意義というのは大きい気がします。

B'zの対応がすばらしいなと思った話

来週末と月末にはB'zが東京・大阪で有観客公演を開催予定です。

ミスチルGLAYとの対バン発表にテンションが上がりましたが、希望するミスチルとの公演が大阪だったため、行くのは諦めて配信チケットを購入しました。

公演発表時に、「新型コロナウイルス感染症拡大防止に関する注意事項とご案内」を掲載させていただきましたが、会場内外での感染リスクを少しでも減らし、出演者・私達スタッフと、ファンの皆様が一体となって、安全な空間作りにご協力いただけないでしょうか?

こちらの公演では、任意ではありますが「ワクチン接種証明書」or「72時間前までのPCR検査陰性証明」を提示した方にステッカー贈呈という対策が追加で発表されました。

先日、マッチングシステムについてご案内させていただきましたが、新型コロナウイルス感染症の現状を鑑み、今回のB’z presents UNITE #01は、従来のマッチングシステムを行わず、有観客公演チケットの払い戻しをご希望のお客様には払い戻しを、有観客公演チケットをご購入希望のお客様には直前販売にてチケットを販売することにいたしました。

また、直前にやっぱり行くのをやめたいってなった時に払い戻しを受けられ、逆にやっぱり行きたい!となった人には直前販売の機会が設けられることも同時に発表されました。

これってこのご時世で1番、全員がWin-Winになれるシステムなのではないかと感じます。

 

チケットの発売は何か月も前に終わる中で、開催時の状況が見えないまま「チケット譲渡の機会を用意しない」「中止以外で払い戻しはしない、買うのは自己責任」「会場の感染対策は運営次第だけど、コロナにかかるかどうかは自己責任」というのは正直、結構キツイものがあります。

  • 主催者はなるべく多くの人に来てほしい。
  • やっぱり行くのをやめたい人はチケ代が戻ってきてほしい。
  • チケ売り出し時の状況的に買ってなかったけど、やっぱり行けそうとの判断に変わってチケットがほしい。

この三者の関係を満たさないかぎり、必ずどこかで「悲しい」「損をした」という気持ちになる人が生まれてしまうのではないでしょうか。

実際、私はチケ代が戻ってこないのがやっぱり悲しいです。

bz-vermillion.com

ちゃんと見ている人は見ている

最近、ちょっと面白いなと思った記事があります。

gendai.ismedia.jp

ワクチンを打ちたくても親によって打たせてもらえない15歳の子たちを取材したというもの。

二律背反な政治家や周りの大人の言動に矛盾を感じながら、現在の状況を冷静に判断できている子たちの声が見られました。

私は親の言うことに疑問を感じながらも話を聞いてもらえず、「親が正しくて自分の考えが間違っているんだ」という自己否定の方向に進んでしまった子なので、こうやって自分で情報を比較検討しやすい環境があり、声が埋もれないようすくい上げる人がいるというのはいい流れだなぁと思います。

「中学生は世の中に意見を言う機会がないだけで、今の大人たちのすることはけっこう見てますよ。反面教師が多いのは残念だけど。私たちが大人になって、社会の中心として働くのはまだ先のことですが、今の筋の通らない世の中は少しずつ修正していきたいと思います」

こどもは大人のすることを見ているし、お客さんも事業主がやることを見ています。

全員ではなくても見ている人がいますし、何より自分がずっと見ています。

信用って築くのは大変なのに、崩れるのは一瞬なんですよね。

そこに必要なのは正しさではなく、健全さなのだと思うこの頃です。

ファンってなんだろう?好きってなんだろう?

今までは不満に思うことより圧倒的に得るものが多かったからこそ、長年ラルクのファンでいるわけですが、立て続けに起こるモヤモヤにファンって何なんだろう?私は何が好きなんだろう?と細分化して考えることが多くなりました。

 

そんな中、これまでに行ったライブをなんとなく振り返ってみたところ、どんなに忙しくなっても何とかして毎年2ケタはライブに行っていたことを思い出しました。

ライブ Live ログ log 公演 コンサート 記録

上の一覧は記録のほんの一部ですが、引きこもり生活に慣れてしまってすっかり忘れていたので、私ってこんなにライブが好きだったのかぁとなんだか驚いてしまいました。

まるで別人になってしまったような感覚です。

当たり前であった好きのあり方を見直す時期?

私は20年以上ラルクが好きなので、もはや好きなのが当たり前になっています。

そしてこれまではライブやイベントがあれば、迷わず参加するのが「普通」でした。

 

ラルクから始まり、いろんな音楽を知っていって、音楽や人間性が気に入ればライブに行くというのが常だったので、気になるライブに行くか迷うとしたらお財布かスケジュールの都合くらいで、ほかの理由で行くか行かないかを考えたことがありません。

 

でも最近のコロナ禍によって色々思うところがあって、この先の「好きなものとの付き合い方」というのを改めて見直す時期なのかもしれないと考えるようになりました。

依存的ファンからの移行

以前は好きなことに打ち込むことに、自分と向き合うことから逃げるための依存という側面もあったように感じます。

すべての経験が役に立っているので、過ごしてきた日々はとても大切な時間ではありますが、ガムシャラに好きを追いかけていた反面、生きにくさを感じ続けていたのもまた事実です。

 

他人のファン歴を気にしたし、どれだけ多くのライブやイベントを現地で味わえるかを重視していたし、歌詞を覚えられなくてhydeさんの歌詞間違いに自分だけ気がつけないのが嫌でした。

どのライブに行っても挨拶する友達のいる別のファンや、SNSなどで発言が注目されるフォロワーの多いファンが大きく見えてしまうこともありました。

 

そうやって、ラルクを通して他者と比較して勝手に落ち込んで、より「自分がいかに好きか」を追い求めてしまっていたんだと思います。

 

今はそういった依存からは抜け出している最中で、私自身がよいと思ったものにだけ反応し、時間をかける価値があるのか?と考えるようになりました。

音源やグッズも、1つ1つ「私はどう思う?」「本当にお金を出して欲しい?」と使いみちや収納、本当に実際使うかなどあらゆる面からトコトン精査するのです。

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昔は1つのツアーでこんなにグッズを買い込んでいましたが…

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今では買ったとしても平均2~3つくらいです。

まだまだ判断精度を上げているところではありますが、昔と比べるとお金のかけ方がだいぶ変わったと感じます。

 

そうしていると、他のファンがどうかっていうのを気にすることはなくなり、hydeさんら好きなアーティストを1人の対等な人間として見るように変化していきました。

「好きー!かっこいいー!」という偶像崇拝から「すごいなぁ」という尊敬に変わった瞬間ですね。

ciel-myworld.hatenablog.com

それからは人や言動、曲の見方がこれまでとガラッと変わりました。

ただ曲調や世界観が好きだったものが、その裏にあるものに惹かれるようになって、改めて好きになってよかったと思いました。

だからこの数年のライブは毎回泣きっぱなしなのかもしれません。笑

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昔、サッカー選手のイニエスタかメッシあたりが「僕はサッカーが人より得意なだけの普通の人だよ」みたいなことを話していた記憶が残っているのですが、今なら言わんとしていることがなんとなくわかる気がします。

YouTubeなどで目に入ってくる金銭感覚にはついていけません

YouTubeでスパチャとかファンからのプレゼントというのを見かけることが増えましたが、これに関しては昔からあまり理解のできない自分がいます。

 

それなりに長いファン人生で、ファンレターを送ったことはありますが、プレゼントを贈りたい!と思って実行したのは、HYDEさんの地元・和歌山で行われた50歳の誕生日記念ライブくらいな気がします。

これはもう特別な日でしかなかったので、純粋にお祝いしたい気持ちしかありませんでした。

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高い確度で届くファンレターなら理解できますし、まだ相手が売れていないから支援したいというのもわかりますが、お金払って短時間で流れてしまう不確実なメッセージを送るのがわからないですし、どう考えても売れていて自分より稼いでいる人にはなんで??としか思えませんでした。

 

だから湯水のごとく行われるスパチャも、それを「ナイスパ!」と称賛する文化もよくわからないし、視聴者のコメントが間違っていたら「謝罪のスパチャ」と配信者が要求するのなんて軽犯罪じゃね?とすら感じてしまいます。

 

ちょっと前に見かけたので言えば、ゲーム配信のスパチャで「私もやりたいけど、お金がないから買えません」「結局買ってしまいました」と各6,000円投げている人がいて、「いや、スパチャの額よ!」ということがありました。

結局その流れだけでソフト5本分も出費してしまっています。

ひろゆきさんのYouTubeとかでも思いますが、そのスパチャ代でいろいろできるだろうに…という場面は思いのほかよく見かけるのです。

なんだか金銭感覚が違いすぎて、ぽかーんとしてしまいます。

 

あと自分のコメントに反応がもらえるのは嬉しいと思いますが、「〇〇と言ってください」とお金を払って、作業で言わせた言葉ってもらって虚しくならないのかなぁと思ってしまいます。自分だったらそう感じてしまうと思うので…。

というのも昔、hydeさんを思い通りに動かせるという夢を見たことがあるんですけど、虚しすぎてつまんなーと思いながら目覚めたんですよね。

 

もちろん楽しみ方は人それぞれだと思うので別にいいんですけど、調べるほどではないながらも何がそこまでさせるのかがわからなくて、いつも不思議だなぁと思って眺めています。

すべては自分のために

何かを好きになるとき、基本は私にとって心地の良い作品や空間を提供してくれているから好きになります。

そして合わなくなったなと思ったらだいたい自然と離れていきます。

商品を買ったり、公演に行ったりするのは、自分の好きなものを楽しむためという理由がほとんどです。

 

それは自己肯定感が低かった頃からあまり変わらず、自分の趣味や相手の空気感が合うかどうかという判断でしかありませんでした。

長いこと他人軸で生きていたけど、そうやって好きを通じて自分軸を形成してきたんですね。

 

そして主体的に考えられるようになってきた今、コロナもあってかなりリアルに判断基準が自分の健康や今後の人生にまで関わってきています。

 

そう考えると、自分にとって大好きなものはたくさんありますが、自分の命や人生以上に大切なものってないんですよね。

 

するとどんなに好きだと思っていたものであっても、感染対策が疎かと感じる不誠実な運営部分が見えれば、それは自分の命を脅かす危険因子に成り代わってしまう可能性があります。

YouTubeとかテレビ番組のような、遠い所で行われていて自分に関係ないものであれば、危なそうだなと思うくらいでどうでもいいんですけどね。

でも自分を守るためとはいえ、失った数万円のチケット代というのは金銭的にも精神的にもそれなりにダメージを受けます。

その失ったお金は一時的なもので、自分の今後と比べれば微々たるものだとも思いますが。

 

自分が健康でさえいれば、別の好きなものや楽しみ方だってあるし、失ったお金を取り戻す機会だっていくらでもつくれます。

「命あっての物種」という言葉もありますが、自分が倒れて苦しい思いをしたり、最悪亡くなってしまうリスクの高いものこそ、やはり1番に避けざるをえません。

news.yahoo.co.jp

好きな気持ちが強いからこそ、どうにもならないことがもどかしい

これまでは好きな相手に考え方の違いがあっても、ここは合わないなぁと思えばスルーすればいいだけの話でした。

この人のソロ活動はいいやとか、このグッズはいらないやって感じですね。

 

しかし、自分なりに精査したうえで好きで行きたいと思った「ライブ」という共通事項について、相手はできる限りやる方向で動くというのに対し、私は状況しだいでは行きたくない方が上回ることがあります。

どっちの考えも仕方ないとは思っているのですが、ここの温度差というのが続くとやっぱりモヤモヤは溜まってしまうのです。

 

私だってライブ行きたかったのに!チケットだって買っていたのに!

でもその状況、危ないじゃん!感染リスク高いじゃん!

五輪もそうだったけど、これなら行けるって思える運営をしてくれよ!

決行してしまえば開催側はチケ代入るけど、私はただ失っただけ…。

このご時世苦しい状況なのはわかるけど、その客だってまた同じ状況でやってんだよ!

 

…とはまぁ思うわけです。

好きだからこそ、信用させてほしいっていうエゴなんですけどね。

相手にだって色々あるかと思いますが、そう思ってしまうのが止められません。

SNSなどで現地の画像を見ると余計につらくなるので、最近はなるべく見ないようにしていました。

 

こういう思考ループに入ると、私って本当にライブに行きたいのかな?イベントに行きたいのかな?というのがよくわからなくなってしまいます。

現地ならではの空気感とか受ける衝撃の度合とかを知っているから行きたい気持ちが強いのだと思うんですけど、もう配信でいいのかな?こうやってライブ離れしていくのかな?という気持ちが生まれる日もあります。

好きっていったい何なんでしょうか。

(なんだか恋愛とか結婚生活みたいな話になってきてしまいました…。)

最大の好きを見直して、自分が思う「健全なファン」を満喫したい

以上までを昨晩に書き終えていたのですが、今朝こんな記事を見てまた1つ気がつくことがありました。

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いま世界的に「欲望がなくなっていく」状況にあるけれど、これは多くの人が自分の中にある欲望を見直す、唯一無二のチャンスだと自分は思っている。

グダグダ書いていた自分の奥底にあったものはこれかもしれない!と感じました。

私が最も手放せないでいるもの

私は長年の断捨離を経て、だいぶコンパクトな暮らしになりました。

ciel-myworld.hatenablog.com

そんな私にとって、何よりも手放す判断ができないものって「ラルクにまつわるもの」なんです。

プライベートな過去の思い出の品よりよっぽど難しいと感じます。

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まだグッズの判断は簡単なんですよね。

以前はライブの度にタオルを買っていたりして、タオルやリストバンドだらけでしたが…

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今はお気に入りのタオマフだけを残して、ライブの時には使いまわしています。

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昔持っていた本や雑誌のほとんどは今は家からなくなりましたし、雑誌を新たに買うこともなくなりました。

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しかし、切り抜きは今も取ってあったり…

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パンフレットを買うのが当たり前なのは相変わらずです。

保存のために袋に入れたままにしているけど、それが却って見返しにくくしているジレンマ。

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たまに見返したいと思いながらも、10年間で各0~2回の出番なDVDたちになっていることは気づいてはいます…。

こっちも袋のジレンマが…取り除いてしまった方がいいのか??捨てようかな?

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1ボックスうん万円のファンクラブ会報集や雑誌まとめ集が1番場所を取っていて、尚且つまったく開ける気配がありません。

「いつかは来ない」論は知っているし、たくさん手放してきて本当にそうだなと思っていますよ…。

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バラのファンクラブ会報は結構よく読むのですが、パンパンになってきました。

最初の3年分とか持っていない所があるから、会報集を手放す気になれないんですよね…。

 

このように、必要でないものは買わないという選択肢を取るのが当たり前になっても、一度買ったものを手放すのって本当に難しいなと感じます。

 

たとえば新しく好きになったものって、精査するようになった自分が判断したものなので、取捨選択は楽なんです。

でも昔から今も変わらず好きなものって、今までの好きが蓄積しすぎて「今」の好きがわかりづらいと感じています。

 

先述のとおりラルクは20年以上好きで、好きなのが当たり前すぎて、そこに疑問を感じることはつい最近までありませんでした。

実際に今も曲や世界観が好きだし、人として尊敬しているし、生で聴く音に毎回感動します。

 

でも昔はDVDが出れば買ってすぐに開封し、何度も繰り返して見ていました。

最近買ったのはだいたい見ているけど、昔買ったのはまだ見ていないものも積まれています。

YouTubeHYDE CHANNELすらあまり見ないし、昔とは確実に熱量が違います。

今までだったらライブは1日1日が別物だと思っていて、なるべく多くその場に居合わせたかったけど、ライブに行かない生活が長くなって、ツアーであれば基本的に「近所で1回行ければいい」にまで感覚が変わりました。

 

実際にならないと本当の気持ちはわからないですが、多分昔より「ラルクがいない世界は無理」感は少なくなっている気がします。

もう新しい曲は聴けないのか…もう生で聴けないのか…という寂しい気持ちはきっと生まれると思いますが、共に過ごした日々はなくならないし、受け入れられる気もします。

 

それでも頻繁に読んだり見たりするわけじゃないのに、本やCD・DVDというものは使わないと知りながら、手放すにはすごく抵抗を感じるのです。

 

そしてこれは多分、長年よりどころとしてきたラルクという昔からの蓄積をはがし切るのが怖いのだと思います。

はがしたからといって別に嫌いになるわけじゃないし、何も変わらないと思うんですけど…それがアイデンティティのような心境になりすぎてしまっているのかもしれません。

 

こうやって考えている時点で、他者から影響を受けることはあっても、他者がアイデンティティとなっていることに、心の底では違和感を覚え始めているのだとも感じます。

消費の欲望の結果の好き

欲望で動くのが得意な人は、やりたいと感じたときにはもう動いている。かれらは「やってみたいことがあってね……」という話はあまりしない。「今こういうことをやっててね……」と、いつも現在進行系で話す。

私は先の記事における「欲望で動くタイプ」寄りだと思います。

しかし現代は、欲望を抑え込んでいても、CM、広告、SNSが「欲しいもの=欲望」をたくさん運んできてくれる。欲望の対象はたっぷりあるから、わざわざ抑え込んでいるような欲望についてあえてじっくり考える暇がない。

このように、消費行動を喚起するために外部からやってくる欲望を消費の欲望とよぶことにする。

しかしまた「消費の欲望」に能動的に突っ込んできたタイプとも言えます。

気になったことはとりあえず試してみて、実際に行ったりやったりしてみて納得して次に行く。

またはひたすらのめり込んで味わいつくして、次へ行く。

そんな生き方を送ってきました。

 

だから次から次へと欲望が枯渇しないんだけど、関心が高いうちに消化しなかった跡が残りがちになっている現状もあります。

見たい!読みたい!行きたい!と思って、色々実行もしてきましたが、すべてをできるわけでもなく、消化しきれずにリストに残ってしまうのです。

 

これまで溜めてきた欲望の残滓を一旦リセットして、今の好きを見直すのもありかな…と感じました。

今、大人たちはコロナに翻弄されて右往左往し、半ばパニック状態で、他人の話をきちんと聞けなくなっている。あちこちで諍いが起きたり、考えの違う人をSNSで口汚くディスってしまうのも冷静に人の話を聞けないことが理由ではないか。

思いのほか長くなってしまいましたが、今回は現在の私が感じているファン心理などについて書いてみました。

念のため、あくまで私がそう思っているというだけの話であり、いろんなファンのあり方があると思いますし、自分の考え方と他人の考え方が違うからと言って、それはただ考え方が違うだけで、どちらかの存在を消滅させる理由にはなりません。

いろんな考え方があるからこそ、私は私なりに思うことがあって、ここで自分の中のモヤモヤやエゴを昇華させておきたいなぁという気持ちで書きました。

 

と最近、反対意見の方にちょっと強めにこられてしまったので、念押しで書かせていただきます。

こんな長文になってしまうほど、いろんな過程を経て生まれる自分の考えがあり、それがまた1人1人の他者の中にも起こっているわけですから、一部分を見て過剰に反応するのではなく、お互いを尊重しあう文化が浸透してほしいものですね。

いつも最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。


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