
余計な考えを入れたくない時もある。しえるです。
先日とある親子が話していて、園児ほどの子が「言い訳はやめて!」と返しているのが印象に残りました。
子どもが希望を伝えるのに対し、親御さんができない理由を言い聞かせていたらその言葉が子どもの方から飛び出したのですが、どこでそんな言葉を……と考えたとき、それは周りの大人が言っていたのを聞いて、使ってるのかなと想像してしまいました。
人の言葉で紡がれてる観念という永久機関【大人の言葉で育つ子どもの連鎖】
誰もが大人の言葉で育つ子ども
育った環境で当たり前が変わるという話は書いてきましたが、子どもはスポンジのように様々なことを吸収して育ちます。
そして誰もに子ども時代があり、よっぽどのことがない限りは、誰かしら大人の話を聞いて大きくなることでしょう。
なので自分の礎となっているのは周りの大人によるところが大きいことになります。
大まかに考えれば「時代や政治など情勢による環境」と「家庭や地域などの身近な環境」の掛け合わせが大部分を占めると思いますが、それらの環境に属する大人が発する言葉や態度などから受け取ってきたものはまた、人それぞれ違うと思います。
これは人とのコミュニケーションだけでなく、過去の大人が用意したインフラやルールなどの環境、見た本、アニメ、動画、配信、ゲーム、記事、舞台、テレビ、ラジオ、報道など人がつくり出したコンテンツの影響もありますし、響く部分は人によって違うので、同じ家庭で育ったきょうだいでも受け取るものが変わってきたりしますね。
中には子どもがつくり出したコンテンツもあるでしょうが、その子どももまた、程度の差こそあれ大人から影響を受けているはずなので、そこは微々たる差でしかありません。
そもそもクラスメイト間や園・学校内などで起こるあれこれなども、親の思想を受けた子どもたちの代理戦争みたいな部分も多いのではないでしょうか。
未成年だった私もブログやSNSを書いたりしていましたが、当時は私と同じような人に紛れるだろうと思っていたけど、今は似た人はいても、よく見れば一人一人違うのだと思っています。
自分がそう思っていた時を振り返ると、一緒に見えてしまう時というのは経験不足などで世界の分岐の広さを知らなかったり、ピントが外れていたり、解像度が粗かったりしたなと思います。
普段は大人から影響を受けたものについてそこまで意識していないけど、子どもの頃に親しんだ漫画を読み直したりすると、ふとした瞬間にその時代の価値観に気づくことがあって、当時は何の疑問も持っていなかったからそれが当たり前だったりしたんだろうな~と感じます。
キャプテン翼くらいになってくると、カオスだな~って思うんですけどね。
ちなみにキャプ翼は、応援の言葉がゴール決めないと離縁、子どもが色仕掛けでヒッチハイク、ヒッチハイクのために同級生を轢かれさせようとするとか、ふとした1コマが今では考えられないほど過激すぎて逆に面白いですよw
過去に受け取った言葉で自分の首を絞める
そんな中で、受け取った言葉に縛られてしまうこともあります。
- 〇〇してはいけない、〇〇しなくてはならない、〇〇するべき、〇〇しなさい
- 男は〇〇、女は〇〇、恋人は〇〇、父親は〇〇、母親は〇〇、子どもは〇〇、大人だから〇〇、その他@@は〇〇というカテゴリでの当てはめすべて
- 若いといえるのは〇〇歳まで、あとはおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんと老いて衰えていくだけ
- 子どもは親のもの、子どもを「持つ」という考え方
- お世辞、社交辞令、本音と建前で成り立っているという考え
パッと例に浮かぶのはこんなところでしょうか。
全員がそう言ってるわけじゃないのに、こういうものと思い込んで、当然のように話してしまいがちなものです。
自分がそう思っていることに気づくこともあるし、人から言われて「え?」と思うこともあります。
こういった過去に受け取った言葉で自分の首を絞めることがあるし、現在進行形で受け取った言葉に将来の自分の首が絞められていくこともあります。
年々年代が早まっていく「おじさん」「おばさん」の例
これからするのは叔父・伯父・叔母・伯母以外での「おじさん」「おばさん」の話になります。
私は「おじさん」「おばさん」という言葉があまり好きじゃないのですが、それは親戚以外で聞いてきた言葉に自虐的な思想を感じてきたからなんじゃないかなと推測しています。
多分、朗らかな「おじさん」「おばさん」名乗りをあまり聞いてこなかったから、言葉の印象が悪くて好きじゃないんですね。
もちろん「おじさん」「おばさん」という言葉に抵抗がない人もいると思うけど、私はこれまでの見聞からなんかイヤな感じがするのです。
私には当時20歳そこそこの叔母がいたのですが、「おねえちゃん」と呼んでいましたし、一回り上のいとこも名前にちゃんづけでずっと呼び続けていて、そのこと自体はどれも気に入っているんですけど、親がおばさん呼びを避けたというのもまた、1つのメッセージ性としても受け取れます。
のちに、実際「おばさん呼びするのがかわいそうだと思った」とも母から聞いています。
他にも私が大人になって入社したときも、周りの30代が自ら「おじさんだから〇〇」「もうおばさんだから〇〇」と自分で言ってるのを何度も目にしてきました。
当時の自分が思うおじさんおばさんはもっと上だったし、後輩の私がおじさんおばさんと思ってない、むしろ若々しさを感じる人からも自らそういう言葉が飛び出すので、私は違和感を覚えて「若いじゃないですか」と言うのですが、年下の私が言っても説得力がないのか、受け取ってもらえずじまい。
私は最初の職場に大好きな先輩たちがたくさんいるけど、その反応が出るときは、年齢への諦念とか自虐の雰囲気で、壁みたいなものが発生するので、その時だけは苦手でした。
子どもの頃、40代、50代をおじさん・おばさんと思った感覚はあるけど、今は寿命が延びてるにもかかわらず、なぜか逆に20代ですらおじさん・おばさんと呼ぶ層もいるほど。
私が見ているゲーム配信界隈は特に若いので、20代のストリーマーが「もうおじさんだから」と話し、40代はおじいちゃんとか長老、要介護扱いだったりしています。
もちろん冗談交じりだというのはわかったうえで、私はその文化はめんどくさくてあまり好きじゃないし、大好きな釈迦さんであっても釈迦さんの歳に対しての反応は好きじゃないのですが、でも、それが生まれたのは、子どもがそう思ったというよりは、大人が自虐をした結果だと思うんですね。
それを見た子どもは「20代はおじさん(おばさん)なんだ~」と認識し、5年後10年後くらいには自分もおじさん・おばさんの仲間入りし、10代以下に向けて「もうおじさん」「もうおばさん」になってしまったよと自虐して、年を取ることを嘆く永久機関となっているのではないかということです。
そういう私も、高校を卒業して制服を着なくなった時、一気に老けた感覚になりましたし、ラルクとかB'zの稲葉さんとか職場の先輩とかを見ていて、上の世代の若さを感じながらも、自分が年を取っていくのはイヤだなと思っていました。
「自虐したほうが楽」という声も見かけましたが、思ってたより若いとわかった今、それは年齢にコンプレックスや怖れを感じる子どもを生み出す永久機関の歯車になることを意味するようにしか私には見えません。
マツコ「何歳からおじさん・おばさん?」論争に持論「自虐した方が楽。30になったらもうおばちゃんよ」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
おじさん・おばさんの表現がしっくり来てる方はそのままで構わないと思いますが、その先の人生の方が長い可能性は大いにあるのに、たかだか10年20年でもう若くない、終わったというような感覚を抱えて生きるのは不毛で生きづらいと思うんですね。
実際、私は歳を重ねることをイヤに思ったり、怖がったりしてましたし。
年上の立場になってきた私は、一回り近く下のいとこからも、いとこの子どもたちからもちゃんづけで呼ばれていて、自分でもおばさんと言わないからおばさんという言葉に無縁で生きていますが、言葉をもっとポジティブに使うことで、印象を変えていくことだってできるかもしれません。
「おじさん」「おばさん」と呼ばれたくないなぁ、年を取りたくないなぁという思いを抱えながら先制で名乗られる「おじさん」「おばさん」は、「おじさん」「おばさん」はなりたくないもの、年は取りたくないものというイメージを受けてしまいますが、ただの事象への名称であり、年を取るのは楽しいことという観念で、「早くおじさん(おばさん)になりたいなぁ~」くらいのものになったとしたら、大人も子どもも年を取るのが憂鬱にならないし、呼ばれ方で嫌な思いをすることもないし、マウントやディスりを入れる方が変な人になるし、気が楽な世界だろうなぁと思います。
そして「20歳も30歳も40歳も50歳も素敵」だと歌う竹内まりやさんの『人生の扉』のように、そういう気が楽な世界はすでに、あるところにはあるのでしょう。
私が竹内まりやさんの『人生の扉』を聴いて育っていたとしたら、こんなことを考えることもなかったんだろうなぁとも思うので、私は色々な考えを経たうえで、今『人生の扉』を好きになるという形がちょうどよかったんだろうなと思います。
世間のイメージというのは他人の噂のようなもの
私は子どもから「おばさん」と呼ばれる分には、子どもの年齢観を考えればそりゃそうだよなぁと思うので気にならないと思いますが、わざわざ「おばさん」と自分で言うことはしませんし、大人が発する年齢に対する古い観念に巻き込まれたくはありません。
ある時から母が28歳で止まってしまったので、子どもの私は30代ってよくないのかなという印象を持って、30代を迎えるのがなんとなくイヤだったのだろうし、でも30代って思ってたより若いから、今まで見聞きしてきた30代のイメージって当てにならないなともなりました。
他人の噂や口コミは伝聞にすぎず、本当のところはわからないから自分の目で判断するというのは、人や商品だけでなくほかの事象全体にも応用できるものだと感じますね。
シルク「今、30代ですけど」
ンダホ「まだ、まだ29!」
シルク「でもさ、30代って周りで言ったらクソ若いからね!めちゃくちゃ若い」
ンダホ「そうなんだよね!人生60をみたとして」
シルク「クソガキだと思うよ30」
ンダホ「半分だもんね」
シルク「だからYouTuberで30超えた時に『いやおじさんだよ』って言う理論がそもそも間違えてると思うから。ここで逆に『YouTuberで言ったら30代おじさんだよ』ってなるのであれば、ここで若返ったやつ勝ちじゃん。もうそれだけの話なんだよね単純に。逆行すりゃ勝ちだから」
ンダホ「いやなんか思ったより若いよね、30。想像してた30より遥かに少年だったから、なんか逆に変」
シルク「周りが無理って言ってるんだったら『なんで無理なんだろう?』まぁ申し訳ないけど『お前だからじゃね?』って結構思っちゃう」
30代に突入したフィッシャーズの2人の会話は一部共感を覚えるもので、「お前だからじゃね?」の精神は私も持ち続けたいと思ってます。
いろんな人の話を聞く機会はあるけど、自分が経験したわけじゃないからあくまで他人の体験談で、それは噂でしかないし、どうせ信じるなら気分が暗くなる噂より、希望を感じる噂がいいです。
人の言葉で紡がれてきた観念の永久機関
ちっちゃな園児くらいの子が「言い訳はやめて!」と返していたように、言葉を使って自分の思いを表現し始めた頃にはもう、すでに周りの大人の影響をたくさん受けているものなのでしょう。
育つ中で浴びてきた数々の他人の言葉は、その時々の大人の思想によって紡がれた言葉たちの果てで、それらの言葉を基に自身の観念がつくられ、自分に課し、人に伝え、それを受け取った子どももやがて大人になって……という永久機関となっています。
日々の生活でどんなに人と関わりないと思っていても、店員さん、配達員さん、ゴミ収集の方、役所の人、大家さん、インフラを支える方と、関わってる人はいるでしょうし、無言ですら1つの態度で、そこから受け取るものはあります。
ただし、その永久機関は1つではなく、無数に永久機関をつくれて、意識すれば自分で選べるようになってきます。
この1つの永久機関は1つの観念であり、この世は数多の観念にあふれていて、自分で選ぶことができるのを知っている人もいれば、自身が育った1つの永久機関を正解とする人もいて、それが思い込みと呼ばれるものにもつながっているのでしょう。
先ほどのフィッシャーズのように、「いやなんか思ったより若いよね、30」となって、「お前だからじゃね?」という精神を持つことができるし、これは子どもの頃に染みついてしまった「30代ってなんかイヤだなぁ」という気持ちを抱えながらでも持てるものだと思います。
私はシルクくんのようにスパッと昔からの観念を切り替えてなかったことにはできないですが、それでも「思ってたより若い」「大人は思ってるより大人じゃない」などと自分が感じてきたものがあって、無意識に根づいてしまった「なんかやだ」という気持ちはどうしようもないからそのままに、こんな記事を書くくらいには、私にとっての新しい観念を開拓しています。
観念に言動を合わせてる?
最近思うに、言葉によってつくられた永久機関、「これはこういうものだ」という観念によって、多くの人はそれに合わせて行動してしまうところがあるのではないでしょうか?
というのも、私と父は昔からよく照明に頭をぶつけたり、ドアに足の指をぶつけたりしてきている距離感バグってる仲間だと思っていたのですが、「年を取ったから距離感つかめてなくてぶつけてしまう」と言うようになって、違和感しかないんです。
いや、何を言ってるんだ、昔からだろと。
子どもの頃からぶつけてる私は、年のせいにされちゃたまったもんじゃありません。
老いると忘れやすくなるというのも「鍵をかけたか忘れちゃう」というのをすごく気にしているのですが、いやいや、そんなの日常茶飯事だろと思っちゃうんです。
実際に感じる老いというのもあるだろうとは思うんですが、そういう証拠を集めるような姿を見ていると、自ら率先して永久機関にはまりに行っているように見えてしまうんです。
観念の外側に目を向けてみる
固定観念から抜け出し、別の観念を選んだ人が記録を打ち出すことで、新しい観念に目が向けられ、やがて日常という永久機関になっていくというのがパラダイムシフトの流れなように感じます。
100m走も10秒の壁をカール・ルイスが破ってからどんどん記録が更新されたし、フィギュアスケートは今じゃ当たり前のように4回転が跳ばれているし、サッカーのキングカズはいまだに現役選手だし、最近の常識破り代表といえばなんといっても野球の大谷翔平選手でしょう。
この方たちも他人が話す言葉は散々聞いてきただろうけど、それを受け入れず、自分が求める、自分が信じるものを紡ぎ、育てた言葉があるんじゃないかと思います。
もっと身近なところでいえば、パソコンをずっと触っていたら肩こりや視力低下などに悩まされるというのはよく聞く話です。
そういうものなんだと思っていれば、それらの現象はうんざりしながらも自然に受け入れて付き合うでしょう。
しかし、私の好きな長時間配信者の釈迦さんは肩こり知らず。
釈迦さんがこの話をすると毎回信じない人が一定数出てきますが、整体師?が認めるほど肩こりがなく、身体がやわらかいのだそうです。
配信を見ている限り、姿勢が特段いいという感じでもないのですが、半日とか1日中PCゲームをやり続けるようなゲーマーでも肩こりと無縁なのですから、そうなれる可能性は他の人にもあるのでしょう。
私自身も園児の頃からずっとパソコンやゲームなどに親しんできていますが、相変わらずスマホやパソコンを触ってばかりな今も視力低下に困ってはいません。
散々深夜に本を読んだり、電気を消した中でゲームしたりもしてきた私は視力がいいのに、家族の遺伝を恐れてそういうことをしないよう人一倍気を遣っていた友人は視力が落ちてしまったりして、行動が関係ないこともあるんだなと子どもの頃に思ったのもよく覚えています。
QuizKnockのような勉強が好きな頭がいい方たちの話を聞いていると、普通の人がふわっと受け入れてしまうことに疑問を持ち、追究する形で学んでいくことも多いように感じるのですが、それと同じように、固定観念もたいていはふわっと受け入れてしまうものなのかもしれません。
でも固定観念に疑問を持ち、追究していくことで新たな道というのは拓けていくのではないでしょうか。
タイポグリセミアにほとんど引っかからない私
もう1つ、最近気づいた私の個性の話なのですが、私はタイポグリセミアという、最初と最後の文字が合っていれば、その間の順番が入れ替わっていても読めてしまうという現象にほとんど引っかかりません。
「もろちん」を「もちろん」と読めてしまうというのですが、私には「もろちん」にしか見えません。
子どもの頃に間違えて覚えたとか、初めて見る言葉の読み間違いはありますけどね。
校正者は「間違いに気づくために後ろから読む」という話を何度も耳にしたことがあるけど、私はそれだと校正ができず、いつも前から読んでチェックしています。
これは私の特性で、入れ替わってても読めてしまう人は多いのかもしれませんが、そうじゃない人もいるのだというのは何にだってあるのではないかと思います。
その情報は最新のもの?
他にも答えは出てないけど個人的に疑問を抱いているのは、女性は30代を超えたら産むのが難しくなるという話。
あゆやバービーさんなどのような芸能人だけでなく、私の周りには30~40代で産んだ友人が何人もいるし、70代で双子を出産したニュースはあるし、ギネス世界記録の最高齢出産も66歳358日*1です。
インドで70代女性が双子を出産。世界最高齢の記録更新?が物議をかもしている。 | ハフポスト WORLD
もちろん上振れの話ではあって、大変なことだってあるだろうし、特にギネス級の記録なんてイレギュラーな話だとは思います。
繊細な話題だとも思うので、今回私が触れたいのはただ1点。
私が子どもの頃と今とで年齢に対する感覚がずいぶん変わっていて、それがちょうど延びた寿命と同じくらいズレていると感じる話を別で書いているのですが*2、「そもそも高齢出産云々の話って最新の話でもそうなの?」とふと思ってさらっと調べてみたんです。
そしたら、よく見ると女性の卵子の数の変化のグラフが1971~72年のもので、染色体異常リスクのグラフは1983年のものでした。
さすがに論文とか本までは調べていませんが、ネットですぐヒットする情報ってこんなものだったんです。
人間の歴史というのは、寿命だけでなく身長など身体面でも変化があるもので、少し前に『どうぶつ百景』という展示を観に行きましたが、そこで描かれていた日本人は小さかったのが印象的でした。
ちなみに江戸東京博物館によると、江戸時代は男性が150cm台、女性が140cm台程度だったそうです。
江戸時代の男女の平均身長はどれくらいか。(2004年) - 江戸東京博物館
国民健康・栄養調査によると、2019年の男性平均が163.1cm、女性平均が151.3cm。
20歳以上でいえば男性平均が167.7cm、女性平均が154.3cm*3なので、それを考えると現代人ってずいぶん身長が伸びています。
歴史を鑑みれば、40~50年前とは寿命も身体も技術も環境がずいぶん変わっているはずで、ネットには不安煽り商法もたくさんありますし、疑問を持つには十分な古さで、せめて2000年代に入ってからの話を基にしてくれないと信じられないなって思います。
話はそれからだ。
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*1:https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/oldest-person-to-give-birth?fb_comment_id=755712581177503_923220714426688
*2:平均寿命が80代を超える今、ンダホくんが自然と「人生60をみたとして」と言っているようなことが起こっていることについてを書きたいのですが、なかなかまとまらずにいます
*3:国民健康・栄養調査14 身長・体重の平均値及び標準偏差 - 年齢階級,身長・体重別,人数,平均値,標準偏差 - 男性・女性,1歳以上〔体重は妊婦除外〕 | 統計表・グラフ表示 | 政府統計の総合窓口

