今後に必要だと感じたので少し前の下書きを仕上げました。しえるです。
私は元々、ゲームは序盤だけ自分でプレイして、難しくなってきたらあとは父に交代して、クリアしていく姿を見て楽しむという子ども時代を過ごしていたので、他人のプレイでも結構満足感を得られちゃう人なのですが、東海オンエアのてつやくんのゲーム配信をきっかけに、やっぱり上手な人や発想が独特な人がゲームする姿を見るのは面白いなぁというのを思い出しました。
そこで今回はゲーム配信を見ていて面白いと思ったところや学んだことを書いてみたいと思います。
【配信から見えてくるもの】ゲームだっていろんな形で社会を学んで日常に生かせると思う話。
リアルな他者の視点共有
ゲーム配信で個人的に特に面白いと感じるのが、「〇〇視点」といろんな人の視点で見られるところ。
現実では他者視点の想像はできてもリアルタイムで共有することはなかなかできませんし、テレビやYouTubeなどで各視点の場面があったとしても、そこには企画や編集の意図が介在しており、その裏方に焦点が当たることも少ないです。
しかしゲーム配信であれば基本生配信なので、もしかしたらマッチングするかもしれないくらいには身近な世界でのリアルタイムのできごとであり、そこにあるのはゲームとプレイヤーだけで、裏方的存在も配信システムなどの環境ぐらいなので、ゲームの中の世界とはいえ、とてもリアルな他者の視点を見ることができます。
行動の意図や相手の状況を垣間見られる面白さ
自分じゃない他人の視点を見られるだけでも、どこに注目しているかや自分にはマネできない技術などを同じ目線で体感できて面白いのですが、一緒にプレイしている人たちも配信をしていることが多いので、「いったい何があったんだろう?」と思ったら、その人の配信を見に行けば相手視点をリアルタイムに共有できるのもまた魅力です。
「なんでその動きをしたんだろう?」という疑問が湧いても、上手な配信者さんはだいたい意図や状況を話しながらプレイしてくれているし、チャット欄の疑問に答えてくれたりもするので、自分が理解できるかはさておき、当人の考えを聞けることも多いです。
結局この時のほろんさんは、ほろんさん視点で見ても意味不明すぎましたが…いろんな考え方があれば、時には理解できないこともあるものですし、「はぁ?」とはなるけど、その暴走と感じるできごともまたいい味です。笑
これは釈迦さん視点で見ていたら運命の交錯と大どんでん返しが面白かった回で、私がこれまで見てきた圧村の『Among Us(アモングアス)』の中で1番大好きな試合です。
その状況に持ち込んだタコマンさん視点を見るとまぐれじゃないことがわかり、やっぱり見所がありました。
ちなみにこの『Among Us』というのは宇宙船を舞台とした人狼ゲームで、よく「アマアス」「アモアス」(公式に沿えばアモアス)と呼ばれています。
5人のチーム同士で対戦するFPS『VALORANT(ヴァロラント)』や、3人1組が20チームが一堂に集まって生き残りをかけて競うFPS『Apex(エーペックス)』、5人のチーム戦でお互いの陣地を攻め合う『League of Legends(リーグオブレジェンド)』などチーム戦形式のゲームは、大会観戦だと全体図を俯瞰(ふかん)したり、別チームの状況を把握できたりします。
しかし、CRカップなどの配信でプレイヤーの1視点から見れば、限られた視界&情報とリソースの中で、刻一刻と変わる戦況に対応しながら自分にできる力の限りで戦っているのがわかるし、自分でプレイしてみればどれだけすごいのかもより実感しやすいでしょう。
プレイしている本人は後から見返して、別のメンバーの状況を知るような状況で、当事者視点に立てばだいたい、敵の接近に気づけなかったり、味方をサポートできなかったなどの状況の裏には、別の何かを警戒していたとか、別の作業をしていたなど何か理由や意図があることが多いと思います。
たとえばサッカーなどを見ていると「今のパス取れるだろ!」とか「シュート打てただろ!」とかヤジが飛んだりしがちですし、eスポーツ大会配信でもまたそういう声もあったりします。
2006年のワールドカップでは柳沢選手が無人のゴールにシュートを決められなくて「急にボールが来たので」と答えたことがしばらく話題になっていましたが、当時の柳沢選手の視点は柳沢選手だけのものでしたし、そのシュートを決める難しさを本当にわかるのはふだんサッカーに真摯に取り組んでいる人だけでしょう。
でもゲームの大会の個人視点配信であれば、1人1人の視点やチーム内の報告の様子、プレイ後の感情が見えるので、自分と同じ人間がその場の緊張感の中でプレイする難しさや、人1人のキャパシティの限界を仲間うちで補い合っている様子が見えやすくなると感じます。
私は小さいころ、多くのスポーツで同じ人やチームが勝ち続けているように見えたことから「強いところが勝ち続けるもので、弱いところは弱いままなのだ」と思い込んでいた時期がありましたが、結果を良くするために練習するのだし、先日のCRカップスト6などのように、真剣に勝利を望む人たちが集まる大会においては、いつだって監督やコーチなども含めて1人1人が勝つために限られた期間の中で対策など力を尽くして準備し、戦った結果なのだということが今はわかりました。
そして私としては正々堂々の勝負のほうが面白いし、そうじゃないと勝っても心から喜べないだろうなぁとは思いますが、もしそこでチートやドーピングなどでズルして勝とうとする人がいたとして、良し悪しを度外視すれば一応その人なりの勝つための準備の仕方ではあるのかもしれませんね。私は支持できませんが。
スト鯖は多視点の醍醐味の極み
VCR GTA
— VAULTROOM (@room_vault) 2023年7月17日
7.18 20:00頃
サーバー開きます🎊🎊
thx
MUSIC : @Ayase_0404
初めてのタイトルなので至らない所もあるかと思いますが、楽しんで頂ければ嬉しいです#VCRGTA #vaultroom #CrazyRaccoon pic.twitter.com/YSmPd8jV3F
「スト鯖(さば)」と呼ばれる、大勢のストリーマーが1つのサーバー(鯖)に集まって、同じゲーム空間の中で過ごす『Rust』や『Ark』なども一大人気コンテンツで、現在も「VCR GTA」が開かれていますが、このスト鯖もまた、人生と同じように1人1人の参加者にストーリーがあって、それぞれの視点から共有できるのが醍醐味です。
たとえばVCR RUST内では、釈迦さんら多くの参加者がMOTHERさんが主催した演劇を観に来ていました。
それがただ観客目線だけでなく、MOTHERさんの劇場づくりから劇中の演者目線まで、催しを手がける側の視点も見られたのは、学生時代以来、特に演者側に回ることがなく、もっぱら観客側の視点で日々を過ごしていた私にとって、とても面白かったです。
タイトルによって内容や雰囲気は変わるので、私自身の楽しみ方もそれに伴い変わるのですが、1番メタバースっぽくなっていたRustは、皆がそれぞれ自由に過ごしていたのでとにかくいろんな視点でリアタイも動画も楽しんでいましたが、同じメタバース系でもGTAは職業の指定から始まっていて、「警察vs.ギャング」という大枠のロールプレイがあり、癒着や裏切りなど誰がどこでどうつながっているかがわからないのを調べていくのが面白いと私は思うので、最初に見た釈迦さんやSasaさんらの警察側視点だけを見て今は楽しんでいます。
倫理観崩壊の治安が悪い中で、シートベルトしないと痛い目に遭うよとか、これやったら逮捕されるとか身をもって学んでいる人がいたり、犯罪していたけど取り締まる警察が大変そうなのを見て改心して警察に転職する人がいたりして面白いですw
スト鯖GTAで警察官となった釈迦が初仕事で渋谷ハルを逮捕する【GTA5】 - YouTube
正直いつも100人近い多くの人たちが参加されていて、1日10時間以上配信されるような人も続出するくらいなので、全部を追えはしないのですが、全部を把握できないのは現実と同じで、それでもいくつもの他者の視点を通じて多角的に追体験できるというのが貴重だなって思います。
どんなにすごく見えても経験値を積んでいるだけ
私が初めて『Among Us』を知ったのは、YouTubeなどで著名な活動者たちが集まった赤髪のともさん主催による【ボスアモアス】でした。
私がボスアモアスを見るきっかけとなった東海オンエアのてっちゃんは、経験数3回のみというほぼ初心者さんで、私自身『Among Us』というゲームを見るのが初めてだったので、似たような感覚で楽しむことができました。
インポスター(人狼)は、宇宙船の出発準備(タスク)をするクルー(村人)たちに紛れながら妨害し、バレないようにクルーを狩っていくのですが、通常の人狼と違って会話だけでなく、マップ上で実際の移動や行動も伴わなければなりません。
誰かに会うかもしれない中で人目を憚(はばか)りながらのキル、それぞれの行動ルートと目撃談の整合性、タスクをするふりをしながら加える妨害行動、動揺を表に出さない会議での冷静な受け答え、何か1つでも欠けてしまえば疑われて追放されしまうかもしれないので、考えることがたくさんです。
ただタスクをこなしながら起きたことに対して受動的に推理していくだけのクルーに比べて、インポスターは圧倒的に労力が多いので、見ているだけでも難しい役回りだなと感じます。
私にとって大好きなストリーマーとなった釈迦さんを知ったきっかけもまた、このボスアモアスだったのですが、素人目に見ても明らかに1人飛びぬけて上手く、8勝1敗(勝率約9割)という圧倒的な強さで、クルーでもインポスターでも次々とスマートに勝利していく様子に衝撃を受けました。
しかし初心者目線では「これだけ強かったら余裕なんだろうな…」と思っていたのですが、釈迦さん視点で見てみると思いのほかギリギリの綱渡り感が伝わってきます。
どちらにしろ経験値が高くて上手いという印象は変わらず…むしろさらに強まりましたが、傍からはスマートに見えても、実際には心臓バクバクで、時には胸を痛めながらプレイしているのを見て、こんなに上手ですごくても同じ人なんだなぁとしみじみしてしまいました。
その後、釈迦さんに激ハマりして、過去のアモアス配信はほぼひと通り見たのですが、始めた当初の釈迦さんははボスアモアスで見た初心者の動きとなんら変わらず、タスクのやり方がわからなくて戸惑ったり、サボタージュ(インポスターの妨害行動)に対応できずそのまま負けてしまったり、クルーの目の前でキルして即バレしてしまったり…といったところから、ひとつずつ失敗しては学んで上手くなっていった様子が窺(うかが)えました。
なんであっても上手く切り抜けられる人は、それだけの場数を踏んできたにすぎず、1つずつ上手くなっていった人ほどそれを知っているから経験が浅い人にやさしいのではないかと思いました。
100%正しい人はいない
圧村のアモアスを見ていると、皆「誰が人狼か?」などを考えながらプレイしているのですが、どんなに鋭い人でも時に間違った推察をすることがあります。
「これナビゲーションでさつじんが起きてますね…令和の古畑任三郎と呼ばれたシャカキンです。……えっ!行われてない。ポンコツでした。」
釈迦さんは間違えてもフラットに即間違いを受け入れるところが素敵で、私が見習おうとしている1面であるのですが、間違えるのは別に悪いことじゃないし、ただ間違えただけなので、じゃ次どうする?って考えていくだけの話でしかないのだと思います。
そして人はこのように合ってたり、間違ってたりする生き物なので、「この人の言うことは絶対」的な感じで妄信してしまうのはやはり危険だと感じます。
人づての情報に頼りすぎない
東海オンエアのてっちゃんはマイクラでTNT(爆弾)を使った整地をするため、「レッドストーン」という動力を送りこむアイテムを敷こうとします。
(わかりにくかったら「レッドストーン=電気」でそういうものがあるくらいに受け取っていただければ大丈夫です)
てっちゃんはレッドストーンの動力源である「トーチ」・回路となる「ダスト」・伝達装置の「リピーター」を組み合わせて使うことや、レッドストーンの信号範囲は15マスといった情報は持っており、視聴者もアドバイスをくれるのですが、細かい所が皆あやふやなため、リピーターが15個めに来なくてはならないのか、それともリピーターまでの間に15個並べるのかと実際に実験をすることで体得していました。
今じゃネットには情報があふれており、本当に詳しい人による役立つ知識も、コピペにコピペが重ねられた適当なものも、玉石混交で一緒くたとなって同じように並んでいます。
そのため簡単に情報は手に入るものの、真偽や情報の価値を見極めるには本人の判断力が必要になってくるし、実際にやってみないとわからない部分も出てくるので、てっちゃんのように自分の手を動かして、自分の目で確かめるという姿勢はとても大事だなって思いました。
そして、このひと手間をかけたことによって、自分に経験値が積まれて知識の吸収度が高まり、ほかのことへの応用にも発展できるようになっていくのだと感じます。
人のせいにせず自分を省(かえり)みる
このアモアスの試合では、同じインポスターの仲間であった大川さんの軽いいたずら心によって、ただ同じ場にいただけの釈迦さんが怪しまれる状況に置かれてしまいます。
しかし釈迦さんは「大川さんが変な所でキルするから!」と他人のせいにすることなく、「勝つチャンスがあったのに、自分がテンパってしまって冷静な行動ができなかった」と反省しきりの様子でした。
以前、圧村の精神性が好きだという記事を書きましたが、ストリーマー同士の会話を聞いていると、負けるとすねたり、他人のせいにしたりする人も、中には存在することが伝わってきます。
勝敗など結果が出るゲームだからこそ、その人本来の気質が見えやすいところがあるし、第三者視点で俯瞰して見えるからこそ「人の振り見て我が振り直せ」をしやすいなと感じます。
これらを踏まえると、もし別の誰かに対して勝手に全幅(ぜんぷく)の信頼を寄せて、何か起きたときに幻滅して手のひらを返すのだとしたら、それは相手が間違えたことに問題があるんじゃなくて、そもそもただ相手に100%乗っかろうとするほうが違うんじゃないかという話で、「だったらなんで反対意見を考えて言わなかったの?」「信じると決めたのは自分でしょ?」としかならないので、相手にあたるのはお門違いだと思います。
どうせ、おれが間違えたら、おれを叩く側に回るんだろ??
じゃ、依存してる自分が悪いやん。
余談ですが、先日これを書いてる最中(さなか)で見たナリ心理学の記事では、「尊敬」や「信頼」という言葉を使って他人へ依存している人に対してけちょんけちょんに言っていて、潔すぎて気持ちがよかったですwそれそれ!ってなりました。笑