今年一ハマったのは圧村かもしれない。しえるです。
ストリーマーの釈迦さんをきっかけに好きになり、このブログでもたびたび紹介しているゲーム『Among Us』の圧村。ciel-myworld.hatenablog.com
今日もたった今20時から、Twitchで釈迦さんらが参加する「Twitch Streamer Battle: Among Us」が配信されているので、私はウキウキで見ていることでしょう。笑
『Among Us』(以下アモアス)という人狼ゲームは、シンプルな内容ながらバランスがよくできていて面白いなぁと思うのですが、プレイするには人数や環境が必要そうでなかなか敷居が高いゲームだとも感じます。
自分でやらない代わりに圧村の配信にのめり込んだ私は、圧村以外のアモアス配信も覗いてみたのですが、特に響くものがなくてすぐに見るのをやめる状況が続き、村によって内容がガラリと変わるアモアスは「釈迦さんや圧村だからバランスよくて面白いんだ!」と気がつきました。
【結局は中の人が大事】圧村のアモアスだから面白いことに気づいた話。【技術×パーソナリティ】
圧村に浸透しているルールが見ていて心地よい
圧村という名前は「参加者の圧が強い」という意味でいつの間にか浸透していた名前。
でも圧が強いにもかかわらず、私はどこか清々しさすら感じてしまいます。
というのも私目線では多少ピリッとすることはあっても、人を不快にさせるような圧はほとんど見られないんですよね。
最初から今の形になったわけでなく、徐々に村のスタイルができていったと感じていますが、そのだんだんと形成されていった暗黙のルールやそれを保つメンバーたちの精神性がいいなぁと思います。
人に次の動きを指図しない
so5uさんの発した「命令すんな(命令)」がよくいじられていますが、圧村では自らの動きを宣言したり、流れで一緒に行動することはあっても、誰かに「〇〇して」と行動を制限することが基本的になくなりました。たとえ言いかけたとしても自然と自制が入って提案に留まります。
でもほかの村(メンツ)になると、会議中に「次は一緒に行動しよう」とか「役職は次こうして」といった、自分以外の誰かの動きをコントロールする発言を見かけるようになります。
それが会議の中で主導権を握ってバレないように誘導していくとかであれば、技術が高いということですから見所となりますし、大歓迎です。
でも私は「このタイミングでこの行動をしていないのはおかしい」という取り締まりを見ても何も楽しくないと感じますし、皆がそれぞれ自分で考えて好き勝手やって、新たな流れが生み出されるのが面白いなぁと思います。
自分の中ではこう思うなぁってことがあっても相手には強いず、自分の中で思うだけに留めておくか、あくまでより面白くするための提案として話してみて、取り入れるかは相手に任せるのが基本となっていて、ゲームでどんなにヤンチャしていても自立した大人な空間だなぁと感じます。
前の試合の結果を変に持ち込まない
自分の悪手などによって次の回が慎重になったり、イップス気味(いつもできていたことができなくなること)になったり、しばらく悔しがっていたりすることはあっても、負けてふてくされるなどで感情を引っ張る場面はほとんど見かけません。
ムカつくー!って霊界など合間にグチって終わりで、次の試合ではその試合のことに頭を切り換えているように見えるので、だからこそ勝率を上げて活躍することができるんでしょうね。
いい意味で自分のことばかり考えている
村の利がないことをするとツッコミが入ったり吊られたりしますが、基本的に「誰かのせい」という話はほぼ出ません。
試合後「今のはマイバッドでした」と自分のミスだと申し出る人がほとんどで、遠まわしに誰かのミスだと話すのはタコマンさんくらいです。笑
あと実際の意図かはわかりませんが、比較的経験の浅い人が外した時に、「誰も守れなかったほろんさんのせい」と経験値がある人の勝敗にはあまり関係な部分になすって笑いに変えていたりなどはありますね。
むしろキレイにやられると「今のうまいわぁ…」と感嘆したり、「こういう時はどうすればよかったのかなぁ」と反省会が始まったりで、皆がそれぞれ次どう自分に生かしていくかばかり考えているんです。
多分、今後に生かす意味以外で、他人のミスにそこまで興味がないのではないでしょうか。
「なんでこうしたの?」と聞いたりするのもまた、今後の参考になる建設的な会話だと感じます。
自然と随所で見られるeスポーツマンシップ
圧村のメンバーはeスポーツの重鎮たちが多く参加しているのもあってか、基本的な行動がスポーツマンシップに則っていると感じる場面が多く見受けられます。
たとえばシステムのバグで発生した、本来ならなかったはずの会議は使わずにスキップしたり、ゲームの行く末を左右する誰かが落ちてしまったら面白い展開だったとしても廃村(試合中止)にしたり。
一度何かしらの事情で「このターンは人も人狼も何もせずに」と話していたにもかかわらず、話を聞いていなかったso5uさんがサボタージュ(妨害)した時は総バッシングされていたものですw
「勝つためなら何でもやる」ではなく、「全力で勝ちに行くけどフェアに、やってて楽しいのが1番」というスタンスの人がそろっていると感じるんですよね。
また、失敗を重ねて上手くなっていく経験が豊富だからか、圧村の新参者のミスに対しても「初見殺しだよね~俺もやったわぁ」などと声をかけるところもいいですね。
自分だってミスするし、お互いさまという精神が浸透していると感じます。
窮地でも諦めない
最初は犯行現場を押さえられたらあまり抵抗せずに吊られていたのですが、「完全に目撃されても諦めずにパッションで」という提案もあり、どんなに形勢が悪くても何食わぬ顔でのパッションバトルが起こるようになりました。
1人の時は「無理―!きちー!!」と言いながらも、会議になったら精一杯抵抗することで勝利に結びつくこともあったり、pokoちゃんのブロッコリー出荷タスクみたいな変なパッションが生まれたりしていてとても面白いですw
時にはiSeNNさんのハイエナ警官っぷりやHolonさんのゴリ押しっぷりに、村目線でムカつくこともあるのですが、それだけ勝ちにどん欲ってわけでそこから結果を出したりしますし、後から参加してきた人のパッションが出てくると「いい圧出るようになったよなぁ」と霊界で称賛していたりします。
むしろバレバレな状況で見つかって諦められちゃうと、それ以上は何も起こらないのでつまらなくなっちゃうんですよね。
釈迦さんのノリが好き
ゲームの上手い釈迦さんが見ていて面白いというのは大前提にありますが、それ以外にも釈迦さんの喋りやノリが好きというのも大きいと感じます。
前にiSeNNさんが、ミュート忘れで聞こえてくる釈迦さんの喋りを聞いて「俺、釈迦ラジオ結構好きなんだよね」みたいなことを言っていたのもわかる気がします。
自分の成功も失敗もフラットに話す
釈迦さんはゲームをやりながらよく「今の俺うまくね?」って言っています。
でも時には自分より上手なプレイにやられることもあります。
そんな時、釈迦さんは「今のうめー!!」って素直に相手を称賛するのです。
俺もうまいし、相手もうまい。っていう感じがいいなぁって思います。
また、釈迦さんは「俺うめー」と変わらないテンションで「俺やったわー」という話もします。
悪手を打ってしまったり、推理が外れたり、ドヤ顔状態で勝ちを逃したりしても、「やっちゃったわー」ってさっきまでやらかしていたことをあっけらかんと話すのです。
「これナビゲーションでさつじんが起きてますね…令和の古畑任三郎と呼ばれたシャカキンです。……えっ!行われてない。ポンコツでした。」
こことか潔すぎて笑ってしまいますw
また、「今日俺ダメな日だなー言ってることだいたい間違ってる」という時も、「いや、酒のせいにするのはよくないっすね。やっぱ酒飲んでても強くないとダメっすね」って考え方を話してたのもいいなぁと思いました。
この試合では、ねろちゃん(動画当時はえろちゃん)が明らかにおかしな証言をしてしまうのですが、試合後「もう寝ます…俺今日無理、ダメだ…頭が回っていない…」とそそくさと去ろうとします。
それに対し、
釈迦さん「いや待って待って、そういう時でも俺はやっているよ」
iSeNNさん「俺えろちゃん上手いと思うけどね、今日」
釈迦さん「トロールしてるえろちゃん見てぇな。もうAmong Usガチ勢としてのプライドで、変なことしたら落ちたくなってるやん」
HENRYさん「穴に入りたいみたいなw」
ほろんさん「そういう日があっても俺はいいと思う」
と続々声をかけられ、ねろちゃんは「もうちょっとやります」と続投を決めます。
圧村のこういうところがまた好きだったりするのですが、私はどちらかというと、このねろちゃんに似た感覚が強い人間だったので、このねろちゃんの気持ちはよくわかるなぁ…と感じました。
ちなみに最近は「共感性羞恥」という言葉があることを東海オンエアで知りましたが、私はあくまで「あるよねぇ」って思うだけで相手の羞恥心は特に関係なく、恥ずかしくもならないので、多分ただの「共感」なのだと思います。
たとえば昔の私は、学校の授業も、クイズ番組も、他愛のない会話でも、自分の中で答えは浮かんでいるのですが、少しでも確証がなければ表に出さない傾向がありました。
それは「間違っていたら恥ずかしい」という感覚から来るものでした。
そんなだったので、自分が得意だと感じる仕事で失敗したくないと感じすぎて、好きな仕事がつらくなってしまったこともあります。
以前は「それ違わない?」という内容を堂々と喋っている人を見ると、相手を疑うというよりは「自分の記憶が違ったのかなぁ…」と考えてしまいがちで、後になって自分の記憶が正しかったとわかっても、やっぱりあんな風に自信満々に喋れないなぁと思う機会もちょくちょくありました。
今は謎解きの経験や圧村を見ていて、合っているかどうかわからなくても自分の考えを話すことは大事だし、どんなにめちゃくちゃなことを言っていてもパッションで乗り切れてしまうものだから、結局は自分が正しいと思うものを信じるしかないし、自身のメンタル勝負だと思うようになりました。
そんな私は現在、自分に「間違えてもいいんだよ」って学ばせている最中なので、堂々と自分の間違いを話せる釈迦さんすごいなぁ~と思いながら見ています。
いつも自然体な釈迦さんは見習う部分が多いですね。
視聴者との距離感がちょうどよい
釈迦さんはTwitchのチャット欄に対して、程よい距離感なのも見ていて心地がいいです。
基本的に過度な反応をしないから、チャット欄が荒れてようがなかろうが配信には影響がないんですよね。
これは釈迦さんがネタバレ回避するためにチャット欄をほとんど見ていないアモアスだけでなく、釈迦さんのほかのゲーム配信もたまに見るようになって、より強く感じるようになりました。
最初に「人に次の動きを指図をしない」圧村がいいと書きましたが、釈迦さんはそのルールが浸透する前から個人的に誰かの行動を縛るのを嫌う発言が見られました。
そしてその上で、釈迦さんは「指図は受けない」という姿勢も貫かれていると感じます。
ゲームでわからないことが出てきたら視聴者に「教えて!」って呼びかけて教えてもらったり、自主的にデータを取っている視聴者アナリストに勝率などを聞いたりと有効活用しつつ、指示的な内容は軽く受け流しながら配信でわかりにくい部分は説明をし、チャット欄が荒れても「コメントって声が大きいように見えるけど、視聴者の10%未満にすぎないから」と言いながら冷静にBANしていきます。
私自身はチャット欄は非表示で配信を楽しんでいますが、チャット欄で目に余る行為があった時には深くは言及せずに「こういうことが起こると俺は悲しい」とだけ言って対処するので、私のところまで余計なノイズは入ってきません。
そしてちょっとした嫌味発言には「福岡が田舎?しょうがねぇよな、田舎者は福岡に来たことねぇよな」のような程よいジャブを食らわすので、聞いていて子気味よいんですよね。(ちなみに釈迦さんは福岡出身)
そうやって自分のペースは崩さず、自分主導でフラットに接し、それでいながら時には、共同で遊べるポケモンの地下大洞窟を視聴者に開放するなど、一緒にやりたいやつは勝手に集まれ~って門戸を広げることもあって、いろんな層が気持ちよく楽しめるんじゃないかと感じます。
その前に見ていたゲーム配信は東海オンエアのてつやくん界隈のもので、てつやくん自体は釈迦さんに近い考えだと思うのですが、どちらかというと静観タイプ。
別の配信者が混ざると「〇〇しろ」という視聴者の指示厨、そんな指示厨に対して別の視聴者が「指示はやめなよ」「気にしないで大丈夫ですよ!」と反応、視聴者が間違ったことを言ったら「インポスター!謝罪のスパチャ!」と煽る配信者みたいな感じで、それぞれが反応し合う比重がゲームより大きくなりすぎていると感じました。
視聴者同士でやり合う姿はコメント欄を見ないことで解決できますが、仲間の配信者と視聴者のやり合いなど面白さより不快感が増して、東海オンエア勢の配信が激減したのもあり、見なくなっちゃいました。
釈迦さんのチャット欄では細かいルールは設けず、シャットアウトする基準をモデレーターさんにだけ伝えて弾いてもらっていると話しています。
そうでないと、自分にとって都合のいい環境にしようと自治し始める人が現れて困るのだと言っていて、てつやくんの配信界隈でノイズが大きいと感じる一因にそういった線引きの差もありそうだなぁと思いました。
昨晩は、今日の試合に向けて圧村で練習していたのですが、大会にポイント制が導入されていることで村利より自分の利益に走ってメチャクチャだったので、「ルールってむずかしい」と考えさせられます。笑
そこはルールの中で勝ちに行くという姿勢から来るものですから、ルールがゲームを面白くもつまらなくもしてしまう側面はありますね。
ゲームを面白くすることに力を入れる
アモアスは細かい設定ができるので、「会議時間を短くしてみよう」「どの役職の組み合わせにするか」などゲームを面白くするために設定を調整したり、「今日は単独行動してみようかなぁ」「普通ならやらないけど、あえてやってみよう」と自分の行動を工夫してみたり。
多分毎日のように同じメンツで同じゲームを繰り返していたらメタ(流行戦術やお決まりの流れ)が固まって飽きると思うんですけど、より楽しむためにアップデートを待つだけでなく、自分でできる工夫をしている姿をよく見かけます。
そうやって自分たちがギリギリの攻防戦を繰り広げられるバランスのよい設定を探り続けているからこそ、私もそのバランスの絶妙さを楽しめるのでしょう。
また「ローラーで勝ってもつまらない」といずれは当たりが出るというような戦術を嫌ったり、「初心者だから」とか「くしゃみしてた」とかを理由にするのを「ずるいなぁ」と捉える精神からも、フェアに自分の力でゲームに勝つことを楽しんでいるんだろうなぁという様子が伝わってきます。
自分は負けたくないからゲームをしなくなっていった時期があるので、こうやって純粋にゲームを楽しむ姿がいいなぁと感じるし、こちらまでワクワクしちゃいます。
そして圧村はそういう姿勢のメンバーが中心に集まっているので、やっぱり圧村は見ていて楽しいなぁと思います。