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老若男女関係なく人生のバイブルになりえる男子向け性教育本「RESPECT 男の子が知っておきたいセックスのすべて」に大切なことが詰まっていました。


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思うところがありすぎて…。しえるです。

今回紹介する本は、2010年にスウェーデンで10代の男の子向けに発売された性教育本の日本語訳版です。

そもそも性教育というと日本では、とりあえず保健の授業とかセックスや妊娠のことを想像してしまう気がしますが、私はこの本を読んでもっと人生全般に関わってくるものであり、生きていくうえで大切なことがたくさん詰まっているという認識に変わりました。

子どもの性教育として良い本なのはもちろんですが、親もハッとされられることが多々あるのではないかと感じますし、むしろ窮屈な時代に生きた大人にこそ、響くものもあるかもしれません。

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過去最大級なボリュームとなってしまいましたが、どれも欠かせない要素かなと思ったので詰め込んでしまいました。これでもまだ書ききれていませんが…。
書き方には十分注意しているつもりではあるのですが、特定の誰かを責めたいわけではなく、過去の価値観による影響が大きすぎるというお話のつもりです。
本の内容を基に、なるべく多角的を心がけて書きたい気持ちはありますけど、私の目線になってしまうのはあしからず。

※この枠内は書籍『RESPECT 男の子が知っておきたいセックスのすべて』からの引用です。

※青字斜体はネット記事などからの引用です。
※緑字斜体は過去の当ブログからの引用です。

老若男女関係なく人生のバイブルになりえる男子向け性教育本「RESPECT 男の子が知っておきたいセックスのすべて」に大切なことが詰まっていました。

「包括的性教育

私はこの本を読んで初めて、「性教育=人権教育」だったんだということを知りました。

性教育」とはこれまでの私がイメージしていた男女、体の仕組み、生殖のこと以外にも、LGBT、人間関係、価値観、加害、人権などといった、もっと人生全般にかかってくるものであり、「包括的性教育」という言葉があるのだそうです。

リスペクト=他者の尊重=自分の尊重

[日本語の《リスペクト》は「日本代表金メダルだって!まじリスペクト!」など、偉業や優れた業績を称えたり、目上の人への敬意を表したりする状況で使われることが多い。
でも、この本では「他者の感情、願望、または権利をじゅうぶんに尊重する」という意味合いだ]。

私自身もたしかに「Respect」を「尊敬」という意味で認識していたように思います。
尊敬」とは「その人の人格をとうといものと認めてうやまうこと。その人の行為・業績などをすぐれたものと認めて、その人をうやまうこと。」という意味です。

しかし、「Respect」には「尊重:価値あるもの、尊いものとして大切に扱うこと。」という意味もあり、この本ではこちらの「尊重」の意味を指しています。

「尊敬」というのが何かしらの理由をもとに価値を認めて敬うのに対し、「尊重」というのは理由なしにただ価値を認めて丁重に扱いますので、両者とも「相手を尊ぶ」という意味では同じですが、「理由の有無」というのは大きな違いとなってくるでしょう。

人は多かれ少なかれ、リスペクトとは逆の扱い、すなわち、見下されたりバカにされたりといった経験があるだろうから、そのときどんな気分だったかはみんなわかるはずだ。
リスペクトしない人間は、自分が他者よりも優れていると勘違いしていて、それを見せつけるために、他人に対してひどい扱いをしてもいいと思ってるんだ。

社会で生活していて個人的に思うのは、言論や思想、信教などの自由についてなどを主張するために他人の基本的人権を尊重しない場面であったり、むしろ自分で自分をないがしろにする場面って往々にしてあるのではないかと感じるんですね。

だからだと思うのですが、自分だけの価値観の中で、誰かを一方的に「悪い」として責め立てる場面が頻発してしまいます。

基本的人権とは「すべての人が等しい扱いを受ける権利」のことで、自由に生きることが保障されることを指し、私が「Aに対して○○だと思う」のが自由であれば、あなたが別意見であって「Aは△△だと思う」のも自由だということです。
この個々の自由を認めずに非難したり、人の属性などによって扱いに差をつけたりすることは他人の人権侵害にあたります。

“正義だろうが悪だろうが選択すんのは人の自由だ
 でも殺して選択する事さえ出来なくしちまうのはだめだ”
誰かの選択肢を奪うのは、その人の自由を奪うことに繋がります。  
本来、誰かのやることなすことを他人が評価する必要はないと思います。

それがその人にとって大事なものと言っている以上、どんなにくだらなく見えたとしても、大事にしていて価値があると思っているものです。
そこに上も下もありません。 

私は漫画『シャーマンキング』で他人を尊重することについてたくさん学んだと感じています。

ciel-myworld.hatenablog.com

きみがまわりの人にリスペクトしていくことで、相手もより誠実に、よりオープンになってくれるから、最終的に自分のためになる。
それと同時に、まっとうなふるまいをしていれば、世の中がもう少し過ごしやすい場所になるはずだ。

リスペクトの形は人それぞれだと思いますが、私には「みんな違って、みんなどうでもいい」精神が根底にあります。
自分を尊重するためには相手を尊重する必要があり、でも多種多様に存在する他人のあれこれをすべて受け入れられるわけではないから、ただ「気にしない」とするのが1番手っ取り早かったのです。

そして、このブログを書く理由の1つに「もう少し過ごしやすい場所になってほしい」という希望があります。

ただ自分が好きなものを絶やしたくないから紹介しようと思ってつけた『私の好きな場所』というブログに、ものの見方・考え方が変わるだけで生きやすさがこんなにも変わるんだなということへの気づきから、この今生きている社会を『私の好きな場所』にしていくという裏テーマも持つようになって、当初まったく意図していなかったダブルミーニングが生まれました。

つまりこのブログでは「今すでに素敵なもの」という現在の情報と、「この先、自分が生きやすい場所にしていくためのもの」という未来に向けた話の2種類の記事が存在していることになります。

現代の社会はハードルが上がりすぎているから、いかに許容していくかを常日頃から考えており、それは自分のためにやっていることだけど、結果として他者への尊重につながっているのではないかと感じることが多々あります。

ciel-myworld.hatenablog.com

以前、エシカル消費フェアトレードについて書いたときも、全部めぐりめぐって自分のためにつながると思うといった内容でした。

高いなぁと思うフェアトレード品などの価格は、自分の生活が保障されるのに必要な金額であり、激安価格というのは関わる人々の金銭面、健康面、精神面などいずれかの何かしらを削っているわけで、もしかしたら削られているのは自分かもしれないということです。

この記事も突き詰めれば、自分が生きやすい世界になってほしいから、「こういった考え方が広まったほうがみんなが生きやすくなりませんか?」という意味も込めて、自分のために書いています。
こんな風にひたすら自分のためでも、結果的には他者や環境を大切にすることにつながっているのです。

サスティナブルやSDGsは一時の流行りと嘲笑される方もいらっしゃいますが、たしかに名前は一時の可能性があったとしても、ひたすら自分の快適を追求していくと、そのためには他者の幸せや環境を良くすることはガチで必要不可欠だと感じます。

歩いていていきなり刺されないためには、顔も知らない他人の幸せを願うしかなく、他人の幸せは私の幸せにつながるのです。

ciel-myworld.hatenablog.com

恋愛やセックスについて

10代などで聞いてきた話がいかにいい加減だったか

次に示す話題はおそらく、多くの人が1度は耳にしたことがあるのではないでしょうか?

もしかしたら1つや2つ、気にして悩んだこともあるかもしれません。

性器のコンプレックス

膣の入り口数センチがいちばん敏感なところ。奥に入れば入るほど、その感覚は鈍くなっていくもの。つまり、もしきみのチンコが短くても、大したことではないってことさ。
それでもなお、多くの男性はサイズの呪いにかかっている。これは多くの人たちがセックスについて間違ったイメージをもっているからだ。

男性はよく大きさを気にする印象がありますが、膣の奥になるほど感覚は鈍くなるので、サイズは関係ないそうです。

膣の大きさと、その女の子が何回セックスをしたかは、まったく関係がない。
たくさんの人と関係をもったからといって、膣が「ゆるく」なるということはない。

もし膣がキツく締まっている状態なら、それは彼女がまだその気分になっていないというサインなので、すぐに指を抜かなきゃいけない。

膣がガバガバだとヤリマン的な話とかもありがちですが、回数は関係ないそうです。

処女膜神話

おそらく女の子のからだについてのいちばん有名な俗説は、処女膜神話だろう。

処女膜っていう言葉を聞いたことがある人は、女の子のからだの中には膣をふさぐ膜だとか糸状のものがあって、セックスではじめて膣にチンコを挿入されたときにそれが破れ、出血するという話を知っているだろう。でも実際はそんなんじゃない!

 

真ん中に膣へと通じている軟部組織の皮膜が見えるだろう。それが処女膜だ。

その形状や開き方は人によって違う。処女膜はほかの膣の内膜と同じように弾力性があるから、多くの女の子は出血も痛みも伴わずにはじめてのセックスをすることができるけど、逆に両方経験する子もいる。

でもほとんどの場合、同意のあるセックスであれば、ポジティブな気持ちが痛みや出血を抑えてくれる。

処女膜は破れて痛いものではなく、むしろ出血や痛みがないように守ってくれる存在でした。

ところが、稀にその形状によっては挿入すると組織が破れてしまう処女膜をもつ女の子もいる。
ほんの少し焼けるような痛みを伴う場合があるけれど、その皮膜には血管がほとんど通っていないので出血することは多くない。
でも、処女膜があるかないかで、その子がセックスをしたことがあるかないかを決めつけることはできない。だってみんな違う形なんだから!

たったふたりの女の子の膣を比べて、どっちが経験ずみでどっちが未経験かを当てるのは不可能だということは覚えておいてほしい。膣の状態は人それぞれだからね。

処女膜や膣から経験の有無を判断することはできないそうです。
ドヤ顔で語っていた人たちは何を見ていたのでしょう?

処女膜神話に関しておかしな点がもうひとつある。

はじめて膣性交するとき、処女膜が傷つくから、女の子は絶対に痛がるものだっていう話。
でも処女膜には神経が通っていないから、はじめての挿入だったとしても、必ずしも痛みを伴うわけではない。
なぜはじめてのセックスで痛がる女の子がいるんだろうか?
そのほとんどのケースは、やり方を間違えていることが多い。

無理矢理押し込んでいるとか、ものすごく緊張しているとか、準備ができていない(膣がじゅうぶんに潤っていないなど)とか、急いでやろうとしているとかね。

女の子が痛みを伴う気持よくないセックスを我慢するために、処女膜神話は信じられてきたのかもしれない。
そうやって、セックスとはこういうものに違いない、痛みを堪えてやるセックスがふつうなんだって刷り込まれてしまう。

本当はいつだって、痛みのないセックスができたはずなのに。

この本を読んで、特に処女膜については間違った認識であふれていると感じました。

痛かったり、血が出たりするのはしょうがないことではなく、何かがおかしいことであり、受け入れなきゃいけないものではありませんでした。

news.yahoo.co.jp

教育の不十分さと偏った性へのイメージ

この本を読んでいかに自分が適当な話をもとに生きてきたのかということを痛感するとともに、今の大人は自分も含めてほとんどの人たちが、これまでまともな性教育を受ける機会なく生きてきたんだろうなと感じました。

今「性」について啓蒙されている方々っておそらく、いろいろきっかけがあって自主的に勉強された方々にすぎず、ほんの少し前まで亭主関白とか男性社会が当たり前で、今もまだまだ性差別はあるし、働く女性が増えてワークライフバランスをどうしていくのかとか、LGBTQの方々は公衆浴場や公共トイレをどう利用するかとか、いろいろ試行錯誤している「過渡期」だと思うんですね。

そもそもの男女という価値観の大前提が揺れているし、性犯罪やセクハラが良くないことという認識があったとしても、具体的に何が倫理的でないのかはまだ理解が広まっていないと思うんです。

だから毎回のように「これはダメじゃね?」って論争が巻き起こるし、ハラスメントの指摘が行き過ぎてしまうし、人によって価値観や定義がバラバラだから、問題のごちゃまぜが起こっているように感じます。

だからこそ私は、相手が何を言わんとしているのか「概念」を先に理解すること(目的)へ力を注ぎたいと考えますし、言葉はそれを手助けるもの(手段)でしかないと考えます。
ですが、世の中には「○○はこういうものだ」という、言葉のイメージが先行した考え方や文章というのは多いように感じます。

以前、概念の定義がバラバラな状態のまま言葉先行で話すことが話を難解にし、一生かみ合わないでいると感じる話を書きましたが、ここでももれなく出ている気がします。

ciel-myworld.hatenablog.com

この『RESPECT』という本では、どんなことが良くないのか具体例が挙げられているのですが、人によって「あるよね~」「胸くそ悪いね」から「え…そうなの?」まで、反応は様々ではないかという気がします。

デートや付き合う=セックスではない

メディアはレイプ犯のことを、人気のない暗い公園の茂みに潜む、凶悪な男のイメージで伝えたりするけど、現実は大きく異なる。

主なレイプは屋内で行われ、レイプ犯はボーイフレンドなど、被害者の身近な人だったりする。
多くのレイプ犯は、自分のしたことがなぜレイプなのか理解していない。
彼らは、人気のない暗い公園の茂みに潜んではいないし、普段はふつうの男であり、モンスターでもない。

同意あるセックスというのは、「デートしているから」「付き合っているから」「結婚しているから」というのは理由にはならず、また別物であるので毎回お互いの意思確認が必要です。

彼はお構いなしに「いいだろ」としつこく迫ってきた。
《断ったら二人の関係が悪くなるかも》
彼とはいろんな話ができ、仲が良かった。その関係を壊したくなかった。

返す言葉を見つけられないでいると、体の大きな彼が「やろうよ」と手を伸ばしてきた。
《怖い》
心の中でパニックになった。
《だれ、この人?》
見知らぬ不審者に出合った気持ちになった。体は全く動かない。顔を見ることもできなかった。

digital.asahi.com

女性は多くの場合、男性より非力で、力ずくで来られたら太刀打ちできないでしょう。
何歳になっても「怖いものは怖い」です。

ちなみに仕事関係のお付き合いはデートではありません。
営業時代、取引先の相手だからとどうすればいいのかわからなくてパニクったことがあるので、次々と告発が続いているのを見ると、仕事上で困ってきた人は大勢いるんだろうなと感じます。

相手を性の対象としてしか見ていないと、デートや付き合うことがセックスと直結してしまうし、ひどいときには隣にいる相手を襲うという考えに至る人もいます。

忘れてはならないのが、相手は性の対象である以前に、自分と同じように泣いたり笑ったり傷ついたりしながら生きる、1人の対等な人間です。

大学では、性の問題についてタブー視せず、真面目に議論をするような環境に身を置いていました。
正しい性的な知識は恥ずかしいことでも、面白おかしく思うようなことでもありません。
防災のように、自分と周囲の人を守ることに繋がるし、正しい性教育を受ければ他者を傷つけたり、自分が性暴力の加害者になることも防いでくれます。
性教育は、人権教育だと考えています。

私はこの場では被害者として立っていますが、「被害者」ではなく、意思を持った一人の人間です。
「かわいそうな人」ではなく、みなさんと同じように普通に生きてきた、そしてこれからもみなさんと同じように生きていかなければならない一人の人間です。
決して稀有な存在ではありません。

「性暴力は何に対する罪なのか」、考えてみてください。
私は、性暴力とはひとりの人間から尊厳を奪う、意思を持った一人の人間を、ただの女あるいは男として、暴力の対象として、支配欲のはけ口として記号に押し込め、人格を深く傷つける、そういった罪だと考えています。

www.nhk.or.jp

相手の意思を尊重するということ

ふつうなのに誰かをレイプしてしまう男になりたくなかったら、セックスには例外が通用しないことを知っていおくべきだ。
「ムラムラしていたから」「酔っ払っていたから」「付き合っているから」「結婚しているから」「露出度の高い服を着ていたから」「セックスするって約束したから」「お互いの同意のもとに始めたのに、相手の気が途中で変わっただけだから」。
セックスの途中で相手が「ノー」のサインを出す、もしくは「イエス」のサインを出さなくなったら、すぐにセックスをやめるべきだ。 

そうしなければ、スウェーデンの法律では例外なくレイプと判断される。

まず大前提として、その場でお互いが双方向に対してOKを出し合っているかというのは、とても大事なものです。
一方的に「気持ちよくさせてあげる」なんて状況は、そもそも自分の意思が無視されている時点で納得していない領域から始まっていますし、心を許していない人相手であれば尚更求めてないでしょう。

そして自分がやる気だからといって、相手も同じようにやる気だとは限りません。
セックスをしてもいいと思っていても、それが今かどうかはまた別の話ですし、酔っ払っているのなら尚のこと節度ある行動が必要です。

誰にでも自分の好きなファッションを楽しむ自由もあります。

途中で気が変わるのは、このままだと自分が嫌な思いをする危険を感じ取った場合もあるかもしれませんが、ただ体調が良くないと感じたり、人に見せたくない下着だったことに気づいた場合もあるし、生理が来たことに気づいた可能性などもありますから、理由はさまざまあるかと思います。

ただ乗り気ではないのであれば、無理はさせないというのが思いやりというものではないでしょうか。

それでも無理やり続けようとするのであれば、まさに危険予知が的中しているという話になってきます。

日本特有の察する文化なら尚更のこと、相手が好きだからこそ「相手に嫌われたくない」「相手を悲しませたくない」といった断りづらい気持ちが生まれたりするものですが、それに対し、その相手の気持ちをないがしろにして自分の意志を押し通すのは、あまりにも相手への思いやりがないと感じます。

まず「どうしたの?」などと声をかける余地はあるはずなのに聞かないのは、相手が口に出せなかったことを責める資格はなく、都合よく解釈して強引に押し通したことに他なりません。

これまでのAV業界では直前の本人の気持ちを尊重するために、当日に契約書を書いていたそうです。

会社にとっても出演者にとってもより確実な同意確認ですし、契約書のためだけに地方から移動する必要もありませんし、体調不良や代役が必要になる可能性などのこともあるから、柔軟に対応していった結果なんだなと感じます。

現代人は先々まで予定がギッチリで感覚がマヒしている部分もあると感じますが、当日の気分は当日の自分にしかわからないんですよね。
楽しみでその日に向けて気持ちを高めていくことはできても、直前に萎えるできごとや悲しいことが起きる可能性はゼロじゃないし、誰にも予測できません。

togetter.com

「性行為をするのにお互いの同意が必要、というのは知っていました。
でも、嫌と言えない場合もある、ということまでは想像できていませんでした。
相手ができる前に知れてよかったです。
彼女がいない僕には性教育なんて必要ないと思っていたけど、そうでもなかったです」

相手との関係性、今後のこと、日本特有の察する文化、妊娠のリスク、心の準備、ただの恐怖、いろんなものが頭を駆けめぐって言葉にならず、固まってしまうことって実際あるんですよね。

今したくないという気持ちにはいろんな要因が絡んでいるものです。

togetter.com

次の一例は最たるものだと思います。

性的圧力

性的圧力は、実際にはレイプよりひんぱんに起こっているのに、あまり知られていない言葉。

性的圧力とは、自分の欲求を受け入れてもらえるまで、人にプレッシャーをかけ続けることだ。

感情に訴えて脅迫する人は、よくこんなことを言う。
「もし本当に好きなんだったら……」「前の彼女は(彼氏は)こうしてくれたのに……」。

そして、相手がセックスを望まないからと、怒ったり機嫌が悪くなったりするのも、感情に訴える脅迫だ。

このタイプのプレッシャーは、相手を気まずくさせ、罪悪感を抱かせることで、セックスに誘導し、ベッドで望まないことを無理強いする。
自分の愛する人に、感情へ訴える脅迫をしないでほしい。
これは完全に相手へのリスペクトを欠く行為だ。

もしきみがその方法で迫られても、付き合っているからといって、一緒に寝る義務があるわけじゃない。愛するということは、すべてを受け入れることではないんだ。

とりつく島もなく、粘りに粘られて根負け…今はしたくなかったんだけどなぁ…早く終わってくれないかなぁ……こんな状況は性的圧力と言うのだそうです。
まさに先ほどの15歳少女の話もこれにあたると思います。
私自身、相手をすると不機嫌がコロッと直るのが続いて、嫌気がさして別れたこともありましたが、もっと深刻な状況の方もおられることでしょう。

まずは自分が被害者にならないと、加害者が生まれないんです。加害者側が自ら気づいて変わるのは難しい。すごく勇気がいることですが、第三者に相談しながら行動を起こしてほしいです。

toyokeizai.net

反応がないのは同意じゃない

レイプとは、相手が「ノー」のサインを出しているのに、もしくは「イエス」のサインをまったく出していないのに、セックスが続けられること。
「ノー」という言葉を実際に発していなくても、また暴力が振るわれていなくても、レイプは成立する。

否定しない=同意ではありません。

マグロな相手は萎えるなどという話もありますが、それはそもそも乗り気じゃないとか、双方向のコミュニケーションが図れていないなど別の問題があるように感じます。

ちなみに本来、家に入れるや家に行くも「イエス」では決してないです。ただ、各自が気をつけているだけの話で。

同意法

スウェーデンには、すべてのセックスは同意に基づいて行なわれると規定された法律がある。
つまり、両方が自発的に性行為に参加していることを示さなければならない。相手が望んでいるかは自分で確認しなければならない。それほど難しいことではなく、相手の「イエス」と「ノー」のサインに従うだけだ!
相手の意思を理解しようと努めなかった場合は、「過失」と判断され、罪となる。
スウェーデンでは、被害者が「イエス」と言わない限り、不同意によるレイプとなる。
すなわち、暴力・脅迫等がなくてもレイプが成立する。

一方、日本は不同意でも「激しく抵抗した」と認められなければ、暴行脅迫を立証できず、強制性交等罪が適用されないケースがある。

スウェーデンでは2018年にレイプ罪が法改正され、性的行為をするにあたっては自発的参加を必要とすることが基本となった。
これによって被害者が「イエス」と言わない限り、不同意によるレイプとみなされることになり、暴行・脅迫等がなくてもレイプが成立する。
また、酔っていた、ドラッグの影響があった、眠っていたなど、被害者の抵抗できない状況が濫用されたことを証明する必要もなくなった。

スウェーデンでははっきり「イエス」を示していなければ、それは合意とは認められず、激しく抵抗したことを証明する必要がなくなったのだそうです。
ただでさえ望んでないのに起きたつらいできごとなのに、記憶をたどって抵抗したことを証明しなければならないなんていうセカンドレイプな仕組みは早くしなくてよくなればいいのにって思います。

身体の反応と気持ちは別物

男性的ジェンダーロールによれば、男はいつも性欲でギラギラしているらしく、そのせいで、みんな無意識のうちに誰とでもセックスしたいフリをしている。
でも、男の子だって女の子と同じように、感情や意見、そして好みだってある。
それに、疲れているときや、悲しいとき、怒りの感情が強いときなんかはエロい気分にならないこともある。
セックスじゃなくて、会話や、お互いを知っていく過程を楽しんでいるときだってある。

性欲は3大欲求の1つと言われるけど、全員が365日24時間、常に性欲満々なわけではありません。
お腹がいっぱいなときもあれば、眠くないときもあるのと一緒です。
仕事で手一杯なとき、趣味に夢中なとき、疲れてヘトヘトで動けないときなど、性欲が湧く余地がない状態は全然ある話だと思います。

満腹でも無理やり食べることはできるでしょうが、体調的には苦しくなる一方でしょう。
眠くないけどスケジュール的には今寝とかなきゃ…と横になってゴロゴロするも、眠れないこともあるかもしれません。
欲がないときに無理やりしてもつらいだけかと思います。

逆に寝食を惜しんで何かに取り組むときだってあるでしょう。
スケジュールの都合上であったり、「今いいところなんだからお腹減らないで!寝落ちしたくない!」と限界までふんばってしまうとき、私はあります。

このように自分の欲求って、常に同じ欲があるわけでもなければ、常に欲を満たしてあげているわけでもないものではないでしょうか。

それに、そもそも自分の意志で欲が湧いているわけではありません。
「お腹すいた」も「眠い」も生理的な反応にしかすぎず、性欲もまた同様のことが言えるでしょう。

これらの状態になったからといって、その女の子が必ずしも性欲が高まっているわけではない。
男の子がムラムラしていないのに勃起してしまうように、女の子にも同じことが起こるだけだ。 

その気がなくても生理現象として男性は勃起するし、女性も濡れてしまうことはあります。

こちらはしたいと思っていないにもかかわらず相手が求めてくるから仕方なく応じるセックスというのは、もうすでに満腹なのに次の食事が提供されてしまって、残すのが申し訳なくて食べるのと似たようなものかと私は感じます。
「もうお腹いっぱいなので」と断ったり、残したりすることができる人もいるけど、作ってくれた人のことを思って無理やり腹に入れる方もいますよね。

相手のことを思うのであれば、「無理しないで休もう」と声をかけてもいいところです。

そして無理強いされるセックスというのは、満腹で食べることなど一切考えていないところに、突然ごはんを無理やりねじ込まれるようなものだと思います。
異性や相手の性欲のことはわからなくても、食欲・食事の最低限な感覚はほぼそれなりに万人に共通していると思うので、まだ想像しやすいのではないでしょうか。

彼らは声をあげる女を「地雷」と呼ぶ。
「今の女は我慢強くない!ちょっと触られただけで大袈裟に騒ぐ地雷女が増えた!」「ツイッターでは痴漢捕まえた自慢女が沢山いて、 #metoo  共が湧いてOK子も周りを気にして抵抗し出して嫌な時代だ!触りたい尻も触れない!」とほざいてる。
どんどん声を上げて捕まえた自慢して、こいつらにとって嫌な時代にしていこう。

「女は尻くらい触らせろ」
「俺らは気持ちよくしてやってるんだ感謝しろ」
「OK娘に触ってる。付き合ってる気分」
「JK達は俺にチンコ押し付けられて喜んでる」
「ちょっと触られただけで示談金貰えるなんて羨ましい」
「騒ぎ立てる女はヒス女。降車まで触るだけ触らせて弁解の余地なくしてから手を掴む示談金狙いの女は悪質」
等々…目を疑うような認知の歪みきった投稿の数々。

痴漢されて不登校PTSD、自殺に至った例を見せても「嘘松。そんな事で死ぬような女は元々メンヘラだったんだろwww」で終わらせる。

吐き気を催すような内容ですが、これが痴漢をする人の心理の一例のようです。

anond.hatelabo.jp

人は誰かのおもちゃじゃないです。
知らない人に身体を触られるということは基本的に気持ち悪いことであり、恐怖でしかありません。

メディアに顔を出している方など、自分が一方的に相手のことを知っていたとしても、相手が自分を知っているかどうかとはまた別の話です。

拳四朗さんは「突然のことで最初は痴漢をされているのかどうかも分からなかった。とにかく怖かったし、恥ずかしさもあって声を出したり抵抗したりすることは無理だった」と振り返る。

www.kyoto-np.co.jp

ぼくの知人にラースというヤツがいる。
彼はある日、セックスしたいと思う相手を連れて家に帰った。
でも、アパートに着くと、雰囲気が暴力的にガラリと変わり、ラースはレイプされてしまった。
のちにラースは、男がレイプされるなんて、わかってもらえないだろうと思ったそうだ。

そしてこれまで私が「自分」「相手」という書き方をしてきたように、無理強いされる状況というのに性別は関係がありません。

男性は時に、自分の意思に反してセックスを強いられる。
これはあまり、知られていないことかもしれない。
強要されたセックスが、暴力的とは限らない。
セックスを無理強いされた人は、パニックに陥り、からだがかたまって声を出せず、抵抗や拒否できない状態になってしまう。
また、酔っているとき、ドラッグの影響があるとき、そして眠っているあいだ、拒否できない状況でも強要される可能性がある。
性自認性的指向、そして年齢などに関係なく、誰でも加害者になりうる。

誰かがきみのチンコに触れると、興奮していなくても勃起することがある。
つまり、自分の意思に反していても、男性のチンコは勃起が可能なんだ。
それに、望んでいないことをされたとき、気持ちよく感じてしまう場合もある。
男性は、自分がなにかを強いられていることに気づきにくいことがある。
本当はしたくなかったのに、結局は勃起もして、快感を得てしまうからなんだ。

性的暴行の対象は女子のほうが多いが、男子にも起こりうる。
高校2年生に聞いたところ、8人に1人の男子が望んでいないのにからだに触れられた経験があると答えた。
また、14人に1人の男子は、意思に反して、挿入を伴うセックスを強いられた経験がある。

bunshun.jp

恋愛関係で起こりがちな思い違い

付き合ったからといって相手は自分のものになったわけじゃないってこと。その逆も然り。

付き合っている人がいるとしても、意思決定するのは自分自身だ。
パーティーに行ったり友達に会ったりしたいのなら、それを止める権利は誰にもない。

しかしだ、嫉妬する相手の気持ちはしっかり受け止めよう。

人は誰かの所有物ではありません、1人1人が自立した存在です。

相手の行動を制限しようとする「束縛」は、恋愛においてよくある話で片づけられがちですが、私は正直なところ、異常なことだと思います。

もちろん、お互いに束縛したい・されたいという気持ちが一致しているのであれば、それはそれでいいと思います。

ただ相手には相手の考えがあり、生活圏があり、人生があります。

嫉妬の感情は大なり小なり生まれるものですから配慮や尊重は必要と思いますが、だからと言って付き合っていることを理由に、相手の意思や行動を何でもかんでも脅かしていいものではないでしょう。

学生時代のヒエラルキー

「ちょっとスカートの丈が短めで、目立つために他の子より化粧もバッチリ決めてる子。
そしてそういう子たちは、同じように目立つタイプの男の子たちと遊んでる。
ちょっとやんちゃですぐ女の子にちょっかいを出すようなヤツらって感じかな。
でも、そういうタイプの女の子って、学校の中を見回してもほんの一握り。
それ以外の女の子に話しかけるヤツがいないほうが問題だと思うけど?」

今はどうか知りませんが少なくとも私が子どもだった頃は、小中あたりだとギャルっぽいオシャレな子たちが付き合ったりするのが早いというのは実際あったと思います。

そして学校を卒業して大人になったあとも、恋愛は美男美女の陽キャがするものというイメージを持ったままなことって一定数あると思うんです。なぜなら自分がそうだったから。

自分に自信がなくて褒め言葉や他人を素直に受け取れなかった私は、恋愛を他人事と捉え、自分は恋愛をする資格がないって自ら除外していた時期があったのです。

ただ、私は歳を重ねていくうちにそんなことはなかったと気づけたのですが、今もネットにはキラキラした世界に見えるものがそこら中にあふれていますし、そのような世間のイメージや呪縛に囚われたままなんだろうなって発言を見かけることはちょくちょくあります。

ネット上で見かけた以下の言説をそのまま信じていたわけじゃないけど、影響されて勝手にネガティブなイメージを持っていた。

  1. 女にモテるのはイケメンかクズ男で、優しいだけの男は相手にされない
  2. 女は性欲を満たしてくれるが普段は感情的でご機嫌をとるのが面倒
  3. 恋愛でコンプレックスを解消しようとするやつは恋愛に向いてない

これがネット民特有なのかもっと広範なのものかはわかりかねますが、この方もなんとなくなネガティブイメージを持っていたとのことで、初めて女性と付き合ったことでそんなことはなかったと気づけたそうです。

anond.hatelabo.jp

ってことは、他の子たちの影が薄くなって、話したことすらないってことになる。
だからもし、いい人たちがもっと話しかけてくれるなら、女の子たちだってもっとそういう子たちに気づいて、一緒に過ごしたいと思うんじゃないかな 

*普段は目立たない人も気にかけてみよう。ぼくの経験上、普段静かな人ほど、おもしろかったりする。
*カッコつけてるヤツを悪く思わないようにしよう。そういうヤツを好む女の子のこともだ。
彼らには彼らなりの理由が当然あって、そんな生き方を選んでる。彼らの気持ちを完全に理解することは不可能だ。
もしかしたらそのタフガイも、彼女とふたりきりのときは、めちゃくちゃ穏やかで優しいヤツなのかもしれないしね。 

多分私が見ようとしていなかっただけで、ギャルな子たち以外でも付き合ってたりとかはあったんですよね。
実際、後から何組か知りましたが、ただ公然とイチャついたりしていなかったから全然気づかなかったという。

私が思うに、内向的な繊細さんがこれまで隠れていたように、目立つ人たちの声が大きくて、そうじゃない人たちの存在が隠れて見えづらかっただけじゃないか説は多少なりとも関係しているのではないかと想像します。

恋愛をしちゃダメな理由って本当はないはずだし(アイドルの縛りもどうなんでしょう)、要は何に重きを置くかの違いだから、いろんな恋愛の形があっていいはずなんですよね。
だから外見に力を入れる人が似たような美的感覚の人に惹かれるのは自然だと思うし、ゲーム上で一緒に過ごす時間が長い方たちだっているかと思います。
全員が全員子どもを望んでいるわけでもないでしょうし、結婚という形を望むかもまたそれぞれで、なんなら一緒に暮らさないのだってアリです。

カップルYouTuber・TikTokerとかテレビの恋愛バラエティなどは恋愛の重要度が特に高い人たちが好んでいるだけであって、あれらが世の中のカップルのすべてではないでしょう。
私は赤裸々に話す感覚が理解できないですし、皆が皆イチャつきまくってて、アニバーサリーを祝って、ブランド品をプレゼントして、インスタ映えしているわけではありません。
ちなみに私は記念日感覚が低いので、付き合い始めた日のこととかは憶えていても、何か月記念とか何周年とか刻んで祝い合うとかマジで無理ですw

見た目や性格がいいってだけじゃダメ。
自分の中のスイッチを入れてくれるような人と出会うチャンスがあるかどうかなんだ。
そんな人に出会うまでは、時どきシングルライフを謳歌したほうがいい。 

私はモテたいという気持ちがまったくわからず、1人の大切な人がいたらいいなという感覚がずっとあったので、紆余曲折は経ましたが「一緒にいたい人がいないかぎり、無理に付き合ったり結婚をする必要性を感じない」という考えを一貫して持っていたことに気がつきました。

声が大きい人や見え方が大きい人たちが一見多数派に聞こえてしまうことってあるけど、皆が皆お金や見た目、年齢など何かしらのスペックを重視しているわけでもないですし、自分の舵や機嫌は自分で取るタイプの女性もいます。
カップルや夫婦の間で事件も散々起きているわけですから、付き合った皆が上手くいっているというわけでもなければ、ただどんな人であっても結局双方向のコミュニケーションが必要なことには変わらないと思います。

自分にとっての恋愛対象や世のカップルなどを、カテゴリ全体として見てしまうと、個々の違いというのはなかなか見えてこないものなのではないでしょうか。

AVやエロ本はリアルではないし、教科書でもない

「男はセックスできて一人前」。
この考え方は男性へのジェンダーロールの期待から生じてしまう。
そのせいか、セックスをすると勝者のような気分になり、友達のあいだで優位になれたりする。
そして、セックスした人数が多いほど、その地位はさらに確立されていく。
男性のジェンダーロールのこういった部分は、多くの人とセックスを楽しみたい人や、非常に社交的な人にとっては問題にはならないだろう。
しかし、すべての男性がセックス好きというわけではない。
それに、誰もが、さまざまな人とより多くのセックスをしたいというわけでもない

世の中にはセックスをしたことがあるかどうかや経験の早さ、した人数、数多くからモテることに価値を置く方々がいますが、これは絶対的な価値観ではありません。

そういった価値観に興味ある人たちが当たり前のようにそこらで話していますが、全員がそんな考え方をしているわけでなく、ただ「そんな話をしていない」から存在が見えにくいだけです。

そしてお互いがその価値観において動いているのならいいのですが、そんな勝手な価値観のために一方的に利用されるのは、たまったものではないでしょう。

性的が先か、人的にが先かでまったく違う視界が広がっているのです。

たまに少女漫画などで、学校の全員からモテているのに主人公だけが反応しないのが新鮮でイケメンに好かれる、みたいな内容のものってあると思うんですが、そのイケメンの地位を高いと思うどころか「んなわけあるかい!そこまで思い込めるなんて、めでてぇヤツだな」って思ってしまいます。
何にでも「全員がこうなったらどうするんだ」という杞憂をされるのを見かけることがありますが、そんな心配しなくても違う考え方の人は勝手に存在しているし、むしろ自分の予想をはるかに超える違う考え方の人は現れるものだから、100%全員が同じように考えることなんかないと思っているくらいでちょうどいいものだと考えています。

むしろ世の中はグラデーションがかっているものなので、何でも0・100で考えるのは危険なことだとすら思います。

ciel-myworld.hatenablog.com

この社会において、セックスのあるべきイメージがつくられていて、膣にはチンコ、つまり、男女間での挿入を伴う行為がセックスであると想定されている。
そのせいか、セックス=挿入と描かれがちだけど、実際にはそうじゃない。
セックスのスタイルは多様で、挿入はその中のひとつでしかない。

先ほど3大欲求は自然発生するものと書きましたが、その性欲の満たし方は様々存在します。

ちなみに私だったら、付き合っている中で1番うれしいと感じるのはハグされたり、頭をポンポンしてもらうことです。
「そんなこと?」と思う方もいるかもしれませんが、性欲は「肉体的な欲求」という意味であり、これも立派な肉体的欲求の1つだと思ってます。

セックスはコミュニケーションなので、極端に言えば、好きな相手と甘い気持ちでいちゃいちゃすれば、それでいいんです。

AVの影響で、男女ともに「女性がイク」ことを当たり前のように思う傾向がありますが、もともと、中でイケる女性は3割と言われていて、しかもそれは指でピンポイントに上手に刺激した場合。挿入した状態で女性が中でイケるのは、ちょっとした奇跡みたいなことなんです。

www.huffingtonpost.jp

オナニー(マスターベーション)は、自分自身とセックスすること。
それは他の誰かとセックスするよりずっとシンプルだ。
きみ自身がしたくてたまらないと思ったときに、ひとりで決めて、ひとりでやるもの。自分が気持ちいいスポットを探したり、他の人に触るときはどうやったら気持ちよく感じてもらえるか練習したりできる。 

1人でも性欲を満たすことはできますし、何なら1番かゆい所に手が届くやり方でしょう。

AV業界は、どうやったらよいセックスができるか教育するつもりはないし、一般的なセックスをドキュメンタリーにして公開したいわけじゃない。

じゃあ、なにがポルノの目的かと言うと、ファンタジーを表現しているにすぎないんだ。
基本的に、AVはリアルなセックスをなにひとつ描いていない。
でも、AVがあまりにも同じことを繰り返すから、現実のセックスはAVのようじゃなきゃいけないと思い込まされがちだ。

セックスはいろんなテクニックを見せびらかすものじゃない、セックスはあなたひとりじゃなくて、私たちふたりでするんだよ、って

セックスってまぁ教えてもらうものじゃないですし、身近な他人のリアルセックスを見る機会はやっぱりAVとかになってくると思いますが、AVは決して教科書じゃありません。

性に積極的で自分たちで研究しているような人たちじゃないかぎりは、どんなに回数を経験している人でも、所詮大衆的なAVの知識を基にしたセックスの繰り返しでしかない可能性は全然考えられます。

画面の中で行なわれているのはフィクションだ。
きみの感覚を刺激し、タブーを犯して、きみの興味をひいているんだ。
だからそれを観たい衝動にかられるのも、おかしなことじゃない。
ポルノは想像の世界でしかないし、想像の世界ではなんでも起こるし、なにをしようと構わない。
現実世界とフィクションの違いをきちんと理解してさえいれば、罪悪感をもつ必要はない。

虚構だとわかっているから楽しめるものってあると思うんです。

たとえば私は捜査モノの海外ドラマが好きですが、それが演技であり、死体や血もフェイクであるとわかっているから見られるのであって、本当の凄惨な現場は無理です。

シリアルキラーを扱うドラマに問題はありませんが、それをフィクションだと認識できず、現実と混同してしまうと話が変わってくるのと同じです。

ジャック・ニコルソンさんや香川照之さんなどサイコみのある演技が上手い役者さんはいますが、だからと言って役者さんの人柄はそれとは関係がなく、あくまで演技です。
AVもそれと同じだと思います。

AV女優は意思ある一個人だという想像力が働かず、同意なく触れたり一方的な性的願望を押し付けたしていい相手だとみなす。
女性の友人や会社の同僚には決してしないことを、平気でする。
「AV女優は俺たちの欲望のすべてを受け入れてくれる存在」「だってエッチが大好きなんだから」という、認知の歪みが感じられる。

AV女優はただの役者さんです。

七人の侍』のように本物のシーンが混ざってることがあるかもしれないけど、台本があって、撮影の同意があって、お金をいただいて演じているものであるはずです。

そして興味をもってもらうためだったり、見てわかりやすくするためにわざと過剰な演出をしているだけで、その意味合いはオーバーリアクションな昔のトレンディドラマや芸人の誇張コントと大きく変わりません。

wezz-y.com

togetter.com

セックスに万人共通の正解なんてない

一般的に男の子は、性交時など、自分のチンコによって女の子がオーガズムに達することができると考えてる。
でも、女の子がオーガズムに達するいちばんの近道は、クリトリスへの刺激だ。

多くの男性は、テレビで観るようなセックスシーンをそのまま自分のベッドにもちこみがちだ。

映画なんかじゃ、挿入によって女性が簡単に絶頂を迎える様子がよく描かれている。
そのせいか、自分のセックスがそのイメージとはかけ離れている気がして、女性をイカせられないと、試験に失敗したような気分になることもある。
この失敗の感覚から、女性をイカせることに執着してしまう男性もいる。そんな女性がイカなきゃいけないとプレッシャーを感じていると、事態はさらに悪化する。

勝手に「絶頂に達すること」がゴールにされて、できないと「不感症」扱いされて思い悩んだりして、いくフリをするようになり、セックスへの苦手意識が強くなっていく…という悲しき負の連鎖は決して少なくないと思います。

「AVを見て抱いた憧れを満たすために、私の体を使わないでほしい」と思ってすごく嫌な気分になりました。私自身というより、女性の体というアイコンとして見られている気がして。

「女性が絶頂に達することが大切だ」「とにかく強く刺激すれば気持ちいい」みたいに思い込みすぎているな、と感じたことはあります。実際にやられると痛いだけだったりして、そこにすごくギャップを感じますし、心のつながりやこちらの気持ちがないがしろにされた感じがしますね。

yoi.shueisha.co.jp

《エロマンガ統計》で見えた「なぜ男女はすれ違うのか問題」の真実 “絶頂”描写はTL42%、レディコミ47%、男性向け94%… | 文春オンライン

自分のやり方に不安を感じる理由はいくつかある。
そのひとつに、こうあるべきという、固定のイメージにしばられてセックスしようとしていることがある。

自分のやり方がそのイメージと違っていると、がっかりしてしまう。

もしそんな状況に陥ってしまったら、よくあるセックスマニュアルのチェックリストなんて気にせずに、自分のセックスに集中した方がいい。

それから、自分のセックスパートナーと話し合おう。

相手が望んでもいないことを張り切ってやろうとしているだけかもしれないからね。

「常識」とか「普通」といったイメージに引っ張られてしまい、当事者の気持ちをないがしろにしてしまうことって、いろんな場面で起こりがちだと思いますが、誰のためにやってるの?って話です。

私のYouTubeチャンネルにいただくコメントでも、「女の人ってどうされたらうれしいですか?」みたいな質問がすごく多いんです。
でもその答えは、その人しか知らないことじゃないですか。

これはメディアの責任もすごく大きいと思いますが、世の中に「女の人はみんなこう考えている」「女の人はみんなこうされたら気持ちいい」と思わせる情報があふれているのは問題だと思います。
メディアからの刷り込みが強すぎて、その人の中に正解ができてしまい、「目の前の人に聞いてみる」という選択肢が見えなくなっちゃっているのかもしれないですよね。

アダルトビデオが"セックスの教科書"になってない?【シオリーヌのSAY(性) HELLO! Vol.12】 | yoi(ヨイ) - 体、心、性のウェルネスメディア

現代においては、恋愛感情がなくてもセックスをしていいし、セックスをしなくても恋愛関係を築ける。
パートナーもきみ自身も、相手の性欲を満たしたり、性的ファンタジーを叶えたりする責任はない。
愛という言葉を利用して、パートナーにセックスを迫るなんてとんでもない。
本当に愛していれば、相手がしたくないことを強制することはないはずだ。
でも、ふたりともセックスしたいんだったら、しない理由はどこにもない。

「いつも妻とのセックスの合図は“おい”と声を掛けるだけで、妻がそれに従うのは当たり前だと思っていました。しかし今、妻はどんな気持ちでいたのだろうかと考えます。もっと早く性について学んでいたら、妻につらい思いをさせずに済んだかもしれない」と。
そう言って涙を流されました。

AV(アダルトビデオ)の表現は、まず「支配」の性ばかりなので、男は「それがセックスなのだ」と誤って学んでしまうんです。性欲と支配欲を、結び付けて理解してしまう。
さらには、「支配」と「愛」を混同してしまうこともある。「愛しているからセックスさせてくれ」と言われれば、女性は断れなくなってしまいますよね。
でも、セックスをすることが愛の証しなのではありません。

president.jp

セックスにおいて自分がなにを求めているか、見つけることが大切だ。もし、いろんな人ともっともっとセックスをしたいならすればいい。でも、それは自分が満足できるからするんだ。友達のあいだで威張るためじゃない。

「ほんとはちょっと違うことがやってみたいけど、こんなことしたら変態だって思われるかな?」なんて思ってしまう人も多いだろう。
お決まりのイメージをもってしまうと、ぼくたちはちょっとしたことで自分がズレていると思ってしまう。
普段から、セックスについて語りにくい雰囲気もあって、こんなふうに考えてるのは自分だけかも、と思いがちだ。
自分がしている、もしくはしたいと思うセックスを恥ずかしく感じることがあるかもしれないけど、実はその恥じる気持ちは、自分ではなく、まわりの社会によってもたらされていることを理解するのが重要だ。
セックスのあるべきイメージや他人による良し悪しの評価が、子どものころから知らず知らずのうちに刷り込まれてきたんだ。

つまり、自分の性行動を恥じてしまうのは、他人がつくった規範のせいなんだ。
でも、他人が決めた規範なんて気にせず、自分にとっての良し悪しは自分で決めるべきなんだ。
法律で定められた年齢制限を守り、誰も傷つけず、関わる人が幸せである限り、きみのセックスは間違っていない。

私自身、世間と違うんじゃないかって何度もビクビクしてきた人間なので、このブログもそうですが、いつも恐る恐る、探り探りで来ました。
でも今はだんだんと、明らかに誰かを傷つけたりとかしない範囲であれば、自由に楽しめばいいんだって思うようになってきています。

だから「自分はこんなことしてみたいんだけどどう?」と話しながら、お互いに「いいね」となったことをのびのび楽しめばいいんだと思います。
あくまで場所や年齢制限など属している社会のルールは守ったうえで、お互いが納得しているのであれば、どんな形だっていいのではないでしょうか。

性について相手と話し合うことはもちろん大事ですが、目の前に絶対に嫌われたくない大好きな人がいて、「これを言ったら嫌われるかもしれない」と思って切り出せない気持ちには、本当に共感します。
だからそんな自分を「意志が弱い」と責める必要はまったくないです。
「女性は控えめであってほしい」「意見を言う女性は面倒臭い」という社会のムードがそうさせている面もあるから、個人の弱さのせいだけではないんです。
でも、すべての人に、嫌なことは嫌だと言う権利があるし、自分のことは自分で決める権利があることは、覚えていてほしいですね。

アダルトビデオが"セックスの教科書"になってない?【シオリーヌのSAY(性) HELLO! Vol.12】 | yoi(ヨイ) - 体、心、性のウェルネスメディア

私たちが考える正常なセックスというのは、時代とともに変化する。

1940年代には、女性の胸を吸うことは異常性欲だと思われていた。
赤ん坊でもないのに大人の男がするなんて、と。

これほどわかりやすいセックスに対する価値観の変化ってないんじゃないでしょうか。

私はたまに、ふだんどんなにカッコつけていたとしても、男の人がおっぱいに夢中なの変なの!不思議!って思っちゃうときがあるんですけど、それが普通の感覚な時代があったんだなーって思いました。

妊娠という新たな命の重みに対する責任

女性が妊娠したとする。
その妊娠には彼女と相手の男性が関わったわけだから、その責任はふたりで負っていかなければならない。
ただ、妊娠自体は女性のからだの中で起こるものだから、継続するか中絶するかの決定権は女性にある。
加えて、妊娠か中絶かどちらを選んでも大きな負担が待ち受けているわけだから、女性の意思が最優先されるべきなんだ。
自分の人生を左右する問題を他人が決めるなんて、ほとんどの男性が望んでないだろう。
だからこそ、自分の人生をきちんとコントロールする方法として、セーファーセックスはとても重要なんだ。

妊娠は約9か月、最終的には約5kgにもなるお腹の赤ちゃんを抱え続け、その間つわりや味覚の変化など体調不良が起こることもあり、出産自体もリスクが減ってきているとはいえ母親の身体への負担が大きいものです。
そしてそこから20年前後は何千万円もかけて人1人の命を育てる責任が発生していきます。

後者は両親で責任を負えますが、前者は身体的なものなので負えるのは母親のみです。
私は経験がないですが、友人などから話も聞いていますし、相当な負担だということは容易に想像できます。

男性は最悪逃げられるかもしれませんが、妊娠した女性は実際に身に抱えているわけですから逃げることはできず、どうするか決断をしなくてはなりません。
にもかかわらず、その新たな命の重みを背負う判断を他者によって決められるのはおかしいと思います。

だからこそ中絶薬の服薬に「配偶者の同意が必要」なんてのはもってのほかだと思います。

たしかに新たな命は1人の人間というとても重いものです。
しかし母親もまた今を生きる1人の命であり、その母親や子を救済する制度が整っているとはいえない状況で、自分にはその責任が負えないと判断するのは責任感がある故だとも思います。

私はできないものをできないという人より、できないものをできるという人のほうがよっぽど無責任だと感じます。

中絶禁止や配偶者同意が必要と言うのなら、出産を望まない当人が責任を負う必要がない仕組みをつくり、望まぬ妊娠で生まれた赤ちゃんをもれなく全員受け入れる土壌を用意してから話してくれって思っちゃいます。

news.yahoo.co.jp

このような悲しい事件は続いてほしくないですね。

畑に乳児遺棄 10代少女「埋めたことに間違いない」 死因は不詳

courrier.jp

お互いのために責任を共有する

セックスは一般的にふたりの人間が関わるものだから、安全に行なうためにはその責任を共有する必要がある。
女の子に責任を負わせて、コンドームの準備や避妊用ピルの服用をお願いしちゃいけない。
避妊に対する責任の分担は、ふたりがセックスをするときも、そのあとも安心して楽しめる保証につながるんだ。

セックスをしても、中出ししなければ妊娠しないというヤツもいる。だけど、そんなに単純な話なら、コンドームや避妊用ピルを発明する必要はなかっただろうね。

中出し回避法を試みた人の中で、妊娠に至ってしまったという人は5人に1人の割合だ。
精子は体内に入ると数日間は生きられるため、セックスの翌日以降に受精する可能性も低くない。安全日を特定してセックスをした4人にひとりが、1年以内に妊娠している。

セックスが何を指すかを知るころには、セックスをすると妊娠する可能性があるということもあわせて認識している人は多いと思いますが、それでも軽い気持ちでしてしまうことも多々あることだと思います。

「ゴムなしがどんなものか試してみたい」とお願いされたり、「いつの間にかゴム破けちゃってた」と言われて涙目で病院を探してピルを処方してもらったり、まだそんなつもりがないのに「妊娠」の2文字が頭をよぎって背筋が凍る思いをしたことがある人もいるのではないでしょうか。
…まぁ私のことなんですが。

セックスは不安の原因になりやすいこともある。

たとえば、ある朝目を覚ますと誰かが隣にいて、「やべっ、なにしてんだオレ!」って思ってしまったり、「性感染症かな?」とか「妊娠させちゃったかも?」とか、楽しかった思い出が、一瞬で悪夢に変わることがある。

ぼくはそんな状況に陥りたくないから、より安全なセックス(セーファーセックス)を心がけている。

100%の安全なんてこの世の中にはありませんが、自分なりに気をつけていくということはできます。

きみがみずから、きみ自身のために、より安全なセックスをしなきゃならない。
酔っ払ったり、ズボンを下ろしたりしてからじゃ遅すぎる。
そのときにはもう冷静な判断なんてできない状態のはずだから、あらかじめ決意しておかなきゃいけない。
セーファーセックスをする理由はたくさんある。
そのひとつは、失敗による心配ごとを抱えないためだ。そうすれば、セックスに集中して楽しめるってわけ。しかも、終わったあとだって、なにか起こる心配をしなくてすむんだ。

恋愛感情や性的興奮って、どんなに低く見積もってもいつもの自分より理性がなくなって、周りが見えなくなったりしますよね。
ふだんできていないことは、突然できるようにはならないものです。

教会で出会った天使のような人でも、性感染症にかかっていないとは言えない。
無防備なセックスをするということは、無防備なセックスをしたすべての人と寝ることに等しい。きみはその人の過去を、なにひとつ知らないのに。

「あなただけ特別」なんて甘い話はありません。
ちなみに性病は男の勲章ではなく、ただ無防備で無責任なことを晒しているだけだと感じます。

今持つ感覚について

ぼくは「そのうちの誰かが、ある日突然ピンクのズボンを学校に履いてきたらどうなる?」って聞いてみた。
マティアスは「それはヤバいね。みんなそいつのこと、女だとかゲイだとかって呼ぶだろうね。そいつがゲイじゃないってわかってるけど、ピンクのズボンはヤベーよ!」なんて言う。
彼らが仲のよい友達でも、なんでも受け入れるわけじゃないんだね。
マティアスはこうも付け加えた。「でも正直、ちょっとめんどくさいこともある。
オレとあいつらとノリが違うなって思うときはあるけど、そういうのは見せないほうがいい。思っていても言えないこともあるんだよ。どうせわかっちゃくれないからさ」。

世の中には「ジェンダーロール」というものが深く根づいています。
男女を区別し、この性別はこういうものだよねっていうイメージからくる役割の期待のことで、男性か女性かの判断材料となる側面もあります。
時代によるステレオタイプ的な要素ですが、一昔前のステレオタイプが幅をきかせ続ける側面もまたあるでしょう。

それもまたなぜかと言えば、これまでの大人はまともな性教育を受けておらず、「こういうものなんだ」というなんとなくの感覚でやってきた部分が大きいと思うからです。

たとえば政治の世界でも、むしろ古い価値観に過剰に適応した女性が「名誉男性」のようになってしまうこともあります。
私たち世代の女性は、我慢してその価値観をやりすごしてきたから、それを否定すると自己を否定されるように考える人もいるのかもしれません。
セクハラも「うまくかわせない方にも問題がある」というようなとらえ方で、声を上げる人をつぶしてしまう。

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概念は変わりゆくもの

男らしさ、女らしさは、あまりにもはっきりと区別されているせいか、生まれながらのものだと思われがちだ。

だけど実際には遺伝子とか本能によるものではない。
ぼくらが考える男らしさや女らしさというものは、時代の移り変わりとともに簡単に変化するし、遺伝子レベルの話にはなりえない。
今の時代、女性がズボンを履いて歩いていたって誰もおかしいと思わない。
でも100年前の人びとは、そんな人を見たら、うわっ最悪!なんて思ってた。

それに男性のギタリストがステージで演奏しているのだって、現代ではあたりまえのことだけど、その昔、ギターは女性が演奏するものだったんだ。

こういった急速な変化が起きるのは、男らしさや女らしさというものはぼくら人間がつくり出すものだからだ。
男性のジェンダーロールというものは音楽と同じように、社会文化の一部分でしかない。

近頃は性の多様性について声があがる機会は増えてきていますが、令和の今も昭和な差別的感覚は根強く残っているとも感じます。

というのも今若者と呼ばれる世代も、昭和・平成生まれの家族や大人が作ったコンテンツの中で生活をしているわけですから、昭和・平成時代の影響を多かれ少なかれ受けているものだと思います。

ジェンダーロールは「傾向が多い」ことはあっても、絶対にそうというものではありません。
地域や時代が変われば内容は変わっていくあくまで相対的なもなのですが、自分がバカにされる側に回りたくないのもあり、実際にどう思うかはともかく、ジェンダーロールから外れたものは異質だと扱ってしまうことが起こりがちになってしまっています。

4歳児クラス在籍時は、園児がプリキュアのTシャツやピンク色の服装で登園し、他の園児が「男なのに女の格好をしている」などとからかう発言があった▽園児が「自分は実は女の子である」という趣旨の発言をしたことに対し、うそつき呼ばわりする行為があった――など6件をいじめと認定した。

4歳の保育園児ですらすでにジェンダーロールにどっぷりなわけですから、根が深いことは想像にかたくありません。

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10年前、30年前、50年前と比較していけば、いろいろと価値観が変わって良くなっていることは多いのですが、結果が目に見えやすい技術は進化しやすくても、人々の意識というのは家族や周りの環境から受ける影響は大きく、いろんな世代の感覚が混ざりあいながら、じわじわと変わりゆくものなのだと感じます。

いつだって何十年も前から現代では当たり前になったことを忠言して行動を起こしてきた人はいるし、新しいものは異質と見られることや出る杭は打たれることを知っていながらそれでも人はたたくし、世代交代の中で昔を知る人がいなくなることで結局歴史は繰り返すし、絶対的な正解ってないけどそれぞれの正義がありますから…まぁ激ムズですよね。

だから、たしかにデジタルネイティブなど感覚の違いとか新しく生まれた現代特有の問題もあるとは思いますが、結局10年前、20年前と変わらない価値観を若者と呼ばれる世代が話している姿があることもうなずける話だと思います。

ジェンダーロールに縛られる必要はない

男のジェンダーロールが遺伝子レベルの話ではなく、時代背景や文化によって変化するということは、つまりぼくらには選択肢があるということを意味する。
もしきみが男のジェンダーロールにハマっていたいなら、そうすることができる。
でも、もしそれが嫌だと言うのなら、まったく違うスタイルを選ぶこともできるんだ。

ただ、それでも自分が苦しい思いをしてまでジェンダーロールにどっぷり浸かり続ける必要はありません。

イヤだと思った瞬間から抜け出すために歩み始めることはできますし、ジェンダーロールにハマらずに過ごしている人は存在します。
そもそも私自身が、自分を女性だとは思っているけど女性のステレオタイプには当てはまらず、試行錯誤してきた人間なんで。

私は思い返せば小さい頃から、遠い親戚が「女の子は好きでしょ」と近所の教会に連れてってくれても、まったく興味がわかなくてポカーンとしているような子でした。
結婚式やりたいという願望がまったくなく、結婚してる同僚からは周りのためにやるんだよと諭されましたが、ピンと来ていません…。

何でも恋愛に結び付けられるのがめんどくさくて仕方ないし、それが嫌で男性は恋愛対象として自分を見ないと感じた人とだけ遊んでいた時期もありました。
そしてこういう女性もいるので、女性像を勝手に決めつけるのやめてくれ、だからそこらの恋愛話は興味がないんだとも思います。

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男性が心のうちでなにを思っているかということと、実際に行動に表れることとは常に同じであるとは限らない。3分の2の男性は自分の悲しみや傷ついたことを見せないという。

「男は泣くな」「デートは男性がリードするもの」「男性の甲斐性」「頼れる男性」「童貞非モテ」なんて言葉が巷にあふれていて、言葉の節々からプレッシャーを感じてきた場面は多いのではないでしょうか。

そしてそれらを達成できないと感じたりしたときに諦念や怒りが生まれ、そこから「弱者男性」なんて言葉が派生したりしているように感じます。

私はそういったカテゴリにまとめて圧をようなかける言葉はすべて「まだそんな次元で話してんの?」って一笑に付す時代が早く来ればいいのになって思っています。

息子が私立の中学生だったとき、きっかけはいろいろあったようですが、学校に行かなくなりました。
そのとき「ごめんね、ちゃんとできなくて」と息子が言いました。
私、どれだけプレッシャーをかけてきたんだろう、と反省しました。

女性や若者に罰ゲーム強いる社会 深沢潮さんが語るアップデート法 [参院選2022]:朝日新聞デジタル

男性のジェンダーロールというのは、そういった権力の差をつくり出すのに一役買っている。
なぜなら誰かに強引な態度をとる姿、たとえば他の男性を殴りつけたり、女性にちょっかいを出したりすることは、多くの男性の目には男らしく映るらしい。
そういったネガティブな側面のある典型的な男性のジェンダーロールは、社会の力関係を悪化させる。その力を使って他者を制していったりする男性もいるからだ。 

男性のジェンダーロールに見られる他者を踏みつけるような行為から、男性は距離を置くべきだ――暴力、脅し、痴漢行為、縄張り争い、アバズレとかヤリマンといった性別に基づく悪口とかね。
どんな人にも大切にされる価値があるのだから、いつだって相手を尊重して接しよう――それがリスペクト。これは自分自身にも言えること。

男性は男の性に対する誤解、偏見、コンプレックスも色濃く持っています。
もっと肩の力を抜いて、自己肯定的なイメージを抱いてほしい。
「暴力」「強さ」など男の性を取り巻く固定的なイメージではなく、弱さも優しさもあり、共に楽しんで生きる――というイメージを持ってほしいと伝えています。

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他者を踏みつけてきたジェンダーロールという特級呪物

「女性にモテないのが恥ずかしい・惨めだ」という文脈で「女が悪い」という結論に行き着くのも論外で、「モテない=見下される」という風潮があるとすれば、それは「男性中心社会」のなかで培われた「女を抱けない男はダサい」という「女性をモノとして扱う男性同士の間での悪習」が生み出した産物であるはずだ。

president.jp

「第一に痴漢はお金がかからないっていうのが自分の中にすごいありました。
触れることができたという達成感もありました。

あとは支配欲も満たされたんです。
日常的に触れない場所を自分は触ることができているという感覚、自分じゃない相手の体を自由に触って、相手を自分の思う通りにさせているということが支配しているように感じられたんです」

「痴漢が犯罪という概念はほとんどありませんでした。電車の中で『ただ触っただけ』じゃんって。
自分の行為が相手の女性を傷つけているとか、女性に対して申し訳ないという気持ちはほとんどありませんでした。
相手の女性は人間ではなく『モノ』として見ていました。
これ以上触ったら捕まるのではないか、周りにばれるのではないかとか、自分のことしか考えていませんでした。
相手への気持ちがあったとしても、これぐらいです」

他者を踏みつけることで自分が強いと感じようとするのが当たり前という感覚、まさに先ほどの本の指摘どおりですね。

「加害者はなぜ自分は加害をしたのか、加害がどれだけ人を傷つけるのかなど、みずからの暴力性について語ることばを持っていないんです。
言い換えるとすると、自分の加害行為を語ることばの豊かさを持っていれば、そもそもこのような事件を起こしていなかったかもしれません。
彼ら自身も人生の中でことばを奪われてきた逆境体験をしています。
加害者臨床の中では、過去にモノ化された被害者が、大人になり力を持ったときに自分よりも弱い立場の人をモノ化するという負のサイクルに出会うことがよくあります。この負のサイクルを断ち切るのも、加害者臨床の役割です。

さらに言うと、男性は被害者がどのような世界を見ているのか理解しづらいということも影響していると思います。
男性は普通に社会で生きている中で、性の対象として消費される経験がほとんどありません。
自分が盗撮や痴漢をされるかもしれないとか、性被害に遭うかもしれないという前提の意識では生きていないと思います。
しかし女性は、テレビ、雑誌、ネット、電車の中吊り広告にいたるところまで、日常の中で常に性的な存在として消費されているし、女性は性として消費されることが当然だという刷り込みがいたるところにあります。
男性の性被害もありますが、性暴力に関して、男性と女性は見ている世界がそもそも違うのです。
加害者は被害者が被害に遭った後どんな人生を送ってきたのか、どれだけセカンドレイプで傷ついてきたのかを知らないのです。
もっと社会が被害者のことばに耳を傾け、被害者の実態を知るということが、いまの日本社会や強いて言うと加害者臨床の中にも不足しています」

性被害に性別は関係ないと書きましたが、女性のほうが性暴力に対する危機意識が高いのは事実だと思います。

私自身もずっと感じながら生きてきていますが、それだけ人ではなく、ただ性の対象として見られていると女性が感じる機会は多く、無自覚に相手の尊厳を傷つける悪習があちこちに残っているのでしょう。

そして一時的な観念でしかないジェンダーロールによって誰か(男性)が見下され、その見下された人(男性)がまた別の誰か(女性)を見下して、その見下された人(女性)がまた別の誰か(女性)を見下していく…というような終わりのない負の連鎖を生み出すおそろしい特級呪物となっています。

www.nhk.or.jp

リアさんが過去に男性客から受けたセクハラ被害について明かしたTikTokのコメント欄の反応は様々。
彼女を擁護する声がある一方で、「自分がどこで働いているのかわかっているのか」「そのために雇われている」といった意見もあったという。

また、リアさんは「フーターズで働く女性はバカにされることも多い」とコメント。

これも「女性」「フーターズ(露出度の高いユニフォームが有名な飲食店)」とカテゴリで括り、人ではなく性的に女性を見ている様子がうかがえます。

www.cosmopolitan.com

1,141人の未成年者を対象としたオンライン調査によると、12歳から17歳までの少女の5人に4人が求めていないのに、ペニスの写真を送られたことがあると答えた。
スマートフォン上の性犯罪を軽視している人もいるが、それは間違いだ。
一方的にチンコの写真を送りつける行為は違法であり、それを受け取った人は警察に報告することができる。

それは未成年が相手でも変わらず、恐ろしい世界が存在しています。

私が10代のときは車内から男性に道を聞かれ、答えようとしたら下半身丸出しでしごいていて、泣きながら逃げたことがあります。

同級生の話であれば、いきなり「パンツ何色?」と声をかけられたり、幼稚園で女子トイレが覗かれたり、女子高の前に露出狂が出没していたり、車で連れ去られかけたなど枚挙にいとまはありません。

12歳の少女としてSNSにアカウントを登録し、顔写真を追加した途端、5分も経たずに16件もの連絡が入る。中には先走って一方的に電話をかけてくる者も。
10日間で少女に届いたメッセージの総数は2458件にも上った。
その大半は成人男性であり、年齢は20代から60代まで幅広く分布していた。
彼らは躊躇(ちゅうちょ)なく少女に卑猥な言葉を浴びせ、写真を送りつけた。

nlab.itmedia.co.jp

ただきみが18歳未満で、18歳以上の誰かがきみに言い寄ってくるならば、良識ある人の可能性は低いだろう。

子どもの頃の早く大人になりたい気持ち、子ども扱いをしないでほしい気持ち、大人に憧れる気持ちなどはあるものだと思いますが、10代の好意をすぐに受け入れる人や10代とわかっていながら言い寄ってくる人はむしろ危険です。

最近、10代がアラサーを熟女扱いの話題を見かけましたが、大人が思っているほど子どもじゃないのかもしれなくても、アラサーが熟しているように見えるくらいには経験が浅いというのは変わりません。

togetter.com

男たちに共通するのは「相手が12歳なら逃げられるだろう」という狡猾(こうかつ)さだ。関係をつくりながら、要求をエスカレートさせていく。そのおぞましさにゲンナリした。

 自身を振り返っても、この年頃は「大人になりたい」と背伸びする割には幼い。親に内緒で踏み出した冒険が、とんでもない結果を招く可能性にも思い至らない。経験値も判断力も、まだまだ未熟なのだ。

 だから、日本で性行為に同意する能力があるとみなす年齢が「13歳」なのは、どう考えても低いと思う。今の刑法では、13歳の子が性暴力を受けても「いやだ」と抵抗しただけでは強制性交罪は成立せず、抵抗できないほどの暴行や脅迫があったことを子どもが証明しなくてはならないのだ。

digital.asahi.com

悩みなどを言い出しにくい圧力社会

男子トイレにはサニタリーボックスがないことを知って本当に驚きました。男性にとってもないのが当然で、誰も疑問を抱かなかったことにこの時に気付いたんです。

「私も誰にも言えませんでした。男性の間で言える文化がないんです」
回答した男性336人のうち38人が尿漏れパッドやおむつを使っていて、その約7割が“捨てる場所がなくて困っていた”と回答したため「悩んでいたのは自分だけではなかった」と感じたといいます。

日本トイレ協会 砂岡事務局長
「私のように誰にも言えなかった男性がまだまだ多いと思います。また生理用品を使うトランスジェンダーの方もいると思うので、サニタリーボックスの設置を積極的に考えてほしい」

こちらは男子トイレにサニタリーボックスが導入されるまでの記事。

私はこの記事を読むまで、男子トイレにサニタリーボックスがないことも、ゴミが捨てられなくて困っている男性がいたことも知りませんでした。

男性はこのような困りごとですら人の目を気にして言い出しにくい風土なのだと感じました。

大人になって強く感じているのですが、自分が誰にも言えないと思っていた悩みは大抵、他にも同じ悩みを抱えている人がいるものなのではないでしょうか。
だからこそ声を出してみるというのは大事だし、バカにしたりする人の方が変だと思うようになりました。

言う場所は考える必要がありますが、自分が思っているより優しい人はいるものだし、言ってみたことでアイデアをもらえることもあるし、同じ悩みを抱えている方が出てきやすくなって分かち合うことができるものだと感じています。

www3.nhk.or.jp

生きていると次々とやることや課題が現れます。
これまでそれを各所で個々が対応してきました。
でも実はどこも同じような問題を抱えていて、それを個々で対応しているだけであることも多かったりします。

人生って、学校に入って、仕事を始めて、お店や会社をつくって、人を雇って、同棲して、子どもが生まれて、いろんな「初めて」に直面し、それが実際にはどんなもので、何をしたらいいのかを解明し、何かが起きて、問題に気づいて、対応して…の繰り返しだと思います。
そしてこんなにも思想や文化など基礎的な土台がアップデートされてるにもかかわらず、自分が子ども時代に疑問や不満に感じていたことを、現代の子どもも悩み続けているのを見ると変な感じがします。
まったく同じ流れをあちこちで繰り返すのではなく、共通の悩みは協力して解決したほうが早いし、そうすれば次の問題にもより早く、知恵を合わせて取りかかれます。

前にもこのようなことを書きましたが、共通の悩みを抱えている人が他にもいるのに表に出てこないから、「こんなことを気にしているのは自分だけだ…」と1人1人が内に抱えて悩みがちだと感じるので、皆で協力して悩みを解決していけるような世の中になればいいのになと思います。

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スーパーの生理用品売り場に行くと、香りつきのパンティライナー(おりものシート)が売られてる。
マンコはマンコのニオイがしてちゃダメ、花のようないい香りにしておくべし!っていう、これはもう暗黙のメッセージだ。

でもさ、スポーツショップに行って男性用のジョックストラップ(スポーツ用サポーター)を買おうとしたら、野草とシナモンの香りつきだったなんてことある?絶対ない!

これは単に好みの問題で「においがイヤ」ってだけの話だと個人的には思います。
メイン商品は無香料で、香りつきはあくまでオプション。
香りつきしかないなら話は別ですけどね、オプションに対してそんなメッセージを受け取っちゃうほうが、考えすぎだと感じます。

どちらかというと生理用ナプキンやコンドーム、妊娠検査薬を買うときに紙袋に入れる文化とかのほうが「生理用ナプキンやコンドーム、妊娠検査薬を買うのは恥ずかしいこと」って感覚を想起させると感じます。

何を買ったか見せたくないというのはまた別のプライバシーの話で、私が思うに、購入対象が何だろうと手持ちは大変だから袋(バッグ)にまとめたいし、何を買ったかを露出したくはないし、店員さんへ尋ねて「大きいサイズあったっけー?」など売り場の位置もあいまって「この人は何を買いに来たか」がわかるようなデリカシーのない態度は遠慮願いたいものではないでしょうか?

「世の中にはオールジェンダートイレというものがあるのか、さすがディズニー」なんて私は思ったりしたのですが、こんなツイートがあるように、生理は恥ずかしいと感じる女性は一定数いる現状はあるのだと思います。

でも私は男友達に平然と話せるのはむしろいいなって感じます。

多分私も男性がどんなものを抱えているのか知らないし、何かしらの誤解をもっていることだってあると思います。
だからこそ男女ともに、お互いがどんな特有の悩みを抱えているのかを知ることで、相手を思いやれるのではないでしょうか。

それまで家でも学校でもたくさんの女性に囲まれて生きてきたのに。でも、その中の誰ひとりとして、自分の生理について話す人はいなかった。生理に対しての唯一の手がかりはといえば、ぼくがつくりあげた妄想、言い方を変えれば、そう、偏見だ。

悩みを表に出すということは、1人で悩みを抱え込んだものが爆発して「私がどんな思いをしているか知りもせずに!」と怒ったり、よく知らないから勝手に想像して偏見を抱えたりするよりも、よっぽど建設的だと思います。

もし目の前にいる女の子がなにかに怒っていたとしても、それは生理のせいってわけじゃない。彼女を怒らせる原因がなにか他にあったんだ。バカなこと聞いてくる勘違い野郎とかね。 

これを読んで、今まで考えたことがなかったけど、なんか思うところが出てきました。

ライブ配信のコメント欄とかで、配信者の女性がカリカリしていると「生理か」って言ってくる人がいたりして、男性にとっては「生理=イライラ」という認識があるんだなって感じがします。

でも生理痛って人によって症状や程度は全然違うもの。
私の場合はひどいときは、頭と足を両側から引っ張られてちぎられようとしているのかと感じるような腰痛と、あと腹痛が多いです。
頭痛や倦怠感が出てくる人もいるし、貧血気味な人もいて、生理痛が重い人はただただ体調がすぐれなくて憂鬱なことと思います。

そしてたしかに生理前にストレスを感じやすくなるというのは思い当たることもありますが、ストレスの原因となる何かは、おそらく生理と関係ありません。
「ふだんはスルーできていたものが、流す余裕がなくなった」といったほうがもっと正確なんじゃないかという気がします。
だから突然怒ったわけではなく、以前からストレスに感じていた可能性があることもありそうです。

私は「あーいってぇ…」って腰の痛みにストレスを感じることはあっても、そのストレス自体はただ苦しんでるだけで、誰かにぶつけるようなものではないと思うんですよね…。
そこに別の何かが発生して「あぁ!?」ってなる気がするのですが…皆さんはいかがでしょうか。

ジェンダーについて

多くの動物は、子どもを産むためだけでなく、快楽のためにセックスする。

繁殖期以外でもメスと交尾するオスがいるが、その時期には妊娠しないし、マスターベーションをする動物もたくさんいる。

また、同じ性別どうしで交尾をする動物もいる。これは、オオカミ、ハリネズミ、アヒル、ライオン、ハイエナ、イルカなどに見られる。

自然界にはカクレクマノミなど性別を変える生物もいれば、交尾をほとんどしない、もしくはまったくしない生物も存在する。

動物界だけでもこれだけ多様な関係が見られるそうです。

この社会では、みんなが異性愛者であるとは限らず、ゲイかストレートかを自分で選択するわけではない事実あるにもかかわらず、世の中ではすべての人が異性愛者であることが前提とされている。

私が思うに、いろんな性的指向性自認の方々がこれだけいらっしゃるのだから、すでに実在しているのはたしかですし、自然発生なことです。
だからなんで存在しているものに異を唱えるのかがまったく理解できません。

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そしてたまに、女性やLGBTQの勢力が増してきたと感じてパイを奪われたかのような発言が見られることもありますが、これまでがそれだけ男性社会だったということです。
昔から女性もLGBTQも存在しており、ただないものとして見ないふりや、もののように扱われてきただけで、その犠牲の上に男性社会が成り立っていただけの話です。

僕は男女を区別して考えたことがあまりないので、メディアで「日本は男社会」「男性が優遇されている」といった声が上がるたびにびっくりします。そんなの感じたことないのになって。

その無自覚なところに怖さを感じます。怖さって言うよりむかつきかな(笑)。

president.jp

最近だと喫煙者が肩見狭いとか、セクハラ判定が厳しいという話があったりしますが、それまで断りもなく副流煙を吸わされたり、本当は嫌なのに飲み込んできた人たちの存在のうえに成り立っていたことは忘れないでほしいとは思います。規制の仕方が極端すぎて本質的じゃないとも思いますけどね。

どこかに負担が偏る不健全さがなくなることを願うばかりです。

カミングアウトをしてもしなくても、きみはきみであるということを。

間違っているのはその相手であり、きみじゃない。

自分の気持ちは自分だけのものですから、どんな時でも自分が大切にしてあげる必要があります。

何かと理由をつけて「変だよ」と言ってくる人って一定数いるものですが、「変だよって言ってくる人が変」って思うくらいでいいのだと思います。
礼儀がある人は面と向かって「変だよ」って言ってきませんからね。

私は「思っていても言わない」というのは、1つの尊重の形だと捉えています。
あくまで個人の感想ですし、結局「だから何」案件で自分には何の関係もない話なんですよね。

もし咎めるのであれば人間性ではなく行動に対してであり、堂々と相手の人格を否定してくる行為はたいへん失礼なものだと感じます。
そんな失礼を真正面から受け止めていたら身が持ちません。

ただ1つ言えるのは、本当の自分を知る作業ってとても難しいもの。
10代は多感なお年頃ですからいろんなものから影響を受けますし、今の自分を受け入れられなかったり、後から思うとないわーと感じるものに憧れを抱いたりもします。
今感じているものを否定する必要はありませんが、経験を重ねて形成されていくものもあるから、自我が確立する前に思い切ってしまうと大変なことになることもあるようです。

news.nicovideo.jp

同性愛嫌悪は不愉快なジョークから、中傷、そしていじめによってあらわになる。

同性愛者を嫌う人たちは自分のまわりにも常に同性愛者と両性愛者がいることに気づいていない。

たとえばその場にいる全員が笑うと思って同性愛者をネタに下冗談を言ったりするけれど、その隣にいる親友やきょうだいが実は同性愛者やバイセクシュアルという可能性もあるし、傷つきながらもなにも言わずにつくり笑いを浮かべているかもしれない。

昔、同僚が同性愛嫌悪者で、暴言を吐いているのを見たことがありました。

うわぁ…と思いながらも、何がそんなに掻き立てるのだろう?と聞いていたら、要約すると「普通じゃない!」に終始していると感じました。

自分の性的指向を重要視しすぎないほうがいいかもしれない。
たとえばきみがバイセクシュアルで、別のバイセクシュアルの人と知り合ったとする。
相手と自分には共通点がひとつあるが、それ以外はまったく別のパーソナリティという可能性もある。
異性愛者が、異性愛者どうしだからといって、すべての人とノリが合うわけじゃないのと同じだ。

個人的には皆、性別を気にしすぎだと思うところがあります。
何でもすぐカテゴリ分けしたがりますが、結局個人個人で皆、性格も感覚も違うので、最終的にコミュニケーションってどんな時も個人対個人だと思うんですよね。

私は相手が異性を好きだろうが同性を好きだろうがどうでもいいんですけど、たとえばゲイだからといってドギツイ下ネタぶっ込んだり、おさわりしたりしている人は合わないなって思うし、それはセクハラだよって感じるので、その人の性的指向がどうかより、どんな人でどんな言動をするかのほうがよっぽど大事だと思います。

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