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休むのが下手だと思ったので『心療内科医が教える本当の休み方』を読んでみました


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『自分を守るクエスト』もよかったので。しえるです。

私は意識していないと、動けるだけ動こうとしてしまったり、つい寝食を疎かにして熱中してしまったりすることが多く、いつまで経っても休み方が下手だなぁと思って『心療内科医が教える本当の休み方』を読んでみました。

これまで何度も「言葉の定義の認識のズレから話のすれ違いが起こる」という話を書いてきていますが、今回読んだ本『心療内科医が教える本当の休み方』では「休む」「ストレス」などの言葉が人によって違うことをわかりやすく教えてくれました。

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休むのが下手だと思ったので『心療内科医が教える本当の休み方』を読んでみました

「休む」について考えるこの頃

うまく休むためには「身体のニーズ」に気づいてあげることが大事であり、そのためには身体感覚に意識を向ける機会をもつ必要があります。 ー 193ページ

最近は休憩を挟むことは以前よりは覚えて、遊びに出かけるときもカフェなどでの休憩タイムを確保するようになったし、それ以外でも疲れたら休もうと声をかけ合っています。
旅行でも観光を詰め込むのではなく、のんびり堪能する時間を設けるようにスケジュール配分は変わりました。

しかし仕事やブログを書いたりになると、集中できてないと感じたらやめるのですが、乗っているときはいつまでも続けていたく、空腹や疲労に邪魔されるのを億劫に感じる自分もまだいます。

ほかでも、私は3Dゲームで酔いやすく、でもゲームがしたい気持ちも大いにあって、気持ち悪いな~頭が痛いな~と思いながらゲームを続けてしまうこともあります。

結局遅かれ早かれ集中できなくなったり、頭痛が悪化したりしてやめざるをえなくなるんですけどね、つい悪あがきしちゃいますね。

こういう自分の「好き」や「やりたい」を叶えてあげることと、自分の休んだほうがいいという感覚とを天秤にかけて、つい休みを後回しにしてしまうのは、これまで「若さ」という特殊能力でカバーできてきてしまったからで、だから休むのがずっと下手なままなんじゃないかというのが本を読み始める前の私の推測です。

そもそも「休む」とはなんでしょうか。
日本語ではabsent(欠席・欠勤する)と、rest (休憩・休養する)は同じ「休む」という言葉を使うため勘違いされますが、仕事や学業に勤しんでいない時間を過ごしているからといって、うまく休めているとは限りません。

日本語では欠席と休養が同じ「休む」で表されている影響もたしかに大きそうだと思いました。

有給休暇は入社すぐからガンガン取っていたけど、子どもの頃に休まず行けと強要されたこともあり、どちらの「休む」も必要なことなのに、なんとなくネガティブなイメージも残っていたりします。
その後反省したらしい母が数年後には休ませてくれるようになったけど、母と話すまでは無理強いされた記憶が強烈に残っていて、休ませてくれたことはすっかり忘れていたほどでした。

中には休み上手な方もいると思いますが、私はこれまで休むということを練習したことはなかったし、高度経済成長期の大人に育てられてきた大人たちが休み上手とも考えにくいです。

性教育と同じで、危機意識を感じた大人が学んで啓蒙したりしてるけど、今は自力で気づいて学んでいく必要のある分野なのかなと感じます。

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3段階の自律神経

私は仕事で体調を崩したとき、自律神経というものが乱れているのかもしれないと感じて調べたことがありました。

その時は「交感神経(アクセル)と副交感神経(ブレーキ)のバランスが大事」として、不規則な生活やストレスなどにより、その2つのバランスが乱れると不調が現れ、それらの不定愁訴(自覚する症状)は「自律神経失調症」と呼ばれるのだと見聞きしていました。

しかし、ポージェス博士が提唱した「ポリヴェーガル理論」では、自律神経を3段階に捉えます。

  • 交感神経が優位→「過覚醒」
    イライラで怒りが沸騰したり、パニックになったりの臨戦状態。炎のモード。私の解釈ではオーバーヒート。
  • おなか側にある迷走神経が優位→「最適覚醒」
    穏やかで余裕があるリラックス状態。
  • 背中側にある迷走神経が優位→「低覚醒」
    心を閉ざし、フリーズする殻ごもり状態。氷のモード。省エネ。

アクセルを踏みっぱなしでいるとブレーキが利きづらくなり、疲憊(ひはい)してしまうというのが従来の考えですが、それだといきなり疲憊してしまう症状の説明がつかないということで、ポージェス博士が1994年に提唱しました。
副交感神経の大半を占める迷走神経をさらに2つに分けて説明したのです。

私はどの段階も身に覚えがあります。

そして改めて振り返ってみると、ストレスを感じてイライラすることもあるけど、どちらかというと、より大きなストレスにはフリーズしてしまう傾向があったように思います。
バッテリー残量が少ないスマホを省エネで耐えるように、ストレスが続く中で、消耗した心身を回復するためには自然な流れだったのでしょう。

あと私の場合、対象が物だとイライラし、人が相手だと殻にこもりがちな気もしますね。
どちらにしろ自分の行動しだいでいずれ解決を試みれる話だとは思うのですが、人相手だと長期的な問題が多いのに対して、物相手だと瞬間的に自力でどうしようもないと感じてしまうからでしょうか。

これは「エレファントシンドローム」と呼ばれたりするゾウのお話に通じるものがあると思います。

子どもの頃からロープで杭につながれて育ったゾウは、子ゾウの時に杭を抜いて逃げられなかった経験から、大人になって杭を抜く力を持っても逃げなくなるという調教の様子を指しており、「逃げようとしても無理なもの」と諦めて「杭につながれているのが当たり前」と受け入れてしまうのです。

以前、エレファントシンドロームについて触れましたが、この逃げる気力をなくしたゾウもまた、生きるためにフリーズしてしまったように思えます。

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しかし、ポリヴェーガル理論は、すべてのストレス反応を説明できるような「万能の理論」ではありません。
あくまでも脳と身体をつなぐ「媒介」としての自律神経がどのような働きをしているかを説明してくれるものであり、これまで解明できなかったいろいろな出来事をうまく説明してくれる「有力な仮説」だと考えています。 ー 160ページ

世の中にはまだまだ解明されていないこともたくさんあるものですが、これまで見知ってきたものも100%の絶対なわけではなく、この先認識が変わっていくこともあるもので、いつだって何を信じるかは何事も人それぞれと言えます。

日本において、ポリヴェーガル理論は心理臨床の世界、特にトラウマや解離を扱った比較的新しい治療法の理論的背景になっていることが多く、それらを扱う臨床家の中で支持を集めていましたが、医学の分野での浸透度はまだそれほどではないと思います。
しかしながら、これまでの考え方とは違う画期的な示唆を与えてくれるユニークさを持っており、特に交感神経系のストレス反応とは系統の異なる、「背側系の関与が深いストレス反応」があるということを知り、その仮説に基づいてストレス反応をとらえ直すことで、自らの状態の把握や対処の仕方が変わり、大きな恩恵を受けている人が多いことも、決して無視できないものです。 ー 161ページ

私は医者でも学者でもないので、正確さの程なんてわかりませんが、これまでの自他の思い込みを払い、違う捉え方で他人と共有できるという点で私もいいなと思いました。

状態によって対応が変わってくる

このように、ストレス反応には「アッパー系」「ダウナー系」の二通りがあり、それぞれ対応する神経系が異なります。
反応が起こるメカニズムが違えば、当然必要な対処方法も変わってくるはずです
しかしこれまで、両者が同じ「ストレス反応」として混同されてきたことが、「休むこと」、とくに適切な休養行動を選択することを困難にしていた大きな要因にしていたのではないかと私は思います ー 88ページ

何もやる気が起きなくなったり、何にも感動や喜び、幸せを感じられなくなったりすることを、「気持ちの問題」と思っていた人は少なくないでしょう。
しかし、そのようにとらえてしまうと、自分自身で的確に対処することが難しくなります。
さらに、慢性的なストレスや疲労を感じ、睡眠をとったり、身体を動かしたりするなど、どうにかして自分を回復させようとさまざまな行動を試しても、回復の実感がなかった方はたくさんいらっしゃるのではないかと思います。 ー 120ページ

よく「休む」と言うと、寝るなどのHP(体力)回復や、趣味に興じるなどのMP(メンタル)回復が浮かぶことは多いかと思います。
これらは使いどころを間違えると、余計に疲れてしまうことがあります。

炎属性の時に、対戦系ゲームなど刺激の強い趣味をやってしまうと、火に油を注いでさらに炎が強まってしまいますので、そういう時に必要なのはクールダウンでしょう。
いわゆるヒーリングと呼ばれるような、深呼吸、アロマ、ハーブティー、α波や1/fのゆらぎ、湯船にゆったり浸かるなどといったところですね。

逆にまだ凍りきっておらず動けるけど凍り気味の場合は、外に出かけたり、趣味で熱を上げることで氷が溶かされていくかもしれません。
でも、趣味を楽しめないくらいに重症な凍傷を負ってしまうこともあります。

思うようにならない自分に怒り、「単に甘え、サボっているだけなのではないか」と自分を責め、ますます自分を追い詰めてしまうのです。

私が提案したいのは「背側系に入っていることの必要性を理解し、その状態を積極的に肯定していく」ということです。
氷のモードは、悪者ではありません。
危機をやりすごして自らの身を守り、エネルギーを節約し、回復に向かうために必要なプロセスなのです。
そのモードにいる自分を否定して、なんとか動こうと抗っていると、いつまでも身体のニーズを満たすことができず、かえって事態を長引かせてしまうということがあります。 ー 156ページ

氷モードの時に必要なのは、安心できるまで寄り添ってあげることだと私も思います。
何もせず、自然解凍を待ってあげるのはひとつの手ですし、実際近ごろの自分は結構氷気味だったので、とことん付き合おうと取り組んでいたところでした。

最近は「自己肯定感」なんて言葉もよく見聞きするようになりましたが、自分を否定する気持ちを否定したら、それは「自己否定」になってしまいます。
自己肯定をしたいなら、ネガティブな感情や自己否定すらも肯定してこそでしょう。

地頭の良さとか知識技術とかセンスとか、ニートとか稼ぐ力とか、美醜の比較とか清潔感とか、お風呂や掃除洗濯のペースとか、人付き合いの多寡(たか)とか、恋愛経験とか童貞処女とか、その他周りの人に言われたこととか、生まれ育った環境で培った価値観によって、コンプレックスに感じることってあちこち出てくると思いますが、これらも認めてあげないと、いつまでもコンプレックスとしてついて回るし、見え方がかなり偏るなぁと感じることが多いこの頃。

自己を肯定するためには、自己否定も肯定しないと自己否定になるという話は元々どこかで書きたいと思っていた話だったのですが、こんなところで触れることができました。

問題があったら対処しなくてはいけないとつい思ってしまいますが、問題と向き合わなくていいという選択肢を採用できるようになったら、また新しい視点が拓けるんじゃないかと思うこの頃。

最近、とある漫画の追い込まれた状況で、「敵側の仲間となるか、ここで殺されるかを選べ」と言われた時に、第3の「逃げる」という選択肢を取った姿には、後からハッとさせられました。

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危機に対して対処するために、必要に応じて「炎のモード」「氷のモード」に入ることはまったく問題ありません。
むしろ、必要な防衛です。
そして、健全な状態であれば、どちらのモードに入っても徐々にニュートラルの状態に戻っていきます。
しかし、ストレスが巨大すぎると、自律神経のゆらぎが失われ、危機のモードから戻れなくなってしまいます。
過剰に停滞してしまうのですね。 ー 124ページ

その場で怒ってあとはあっけらかんとしていたり、説教を聞き流したりしているような方はおそらく、この炎や氷のモードの使い方が上手なのでしょう。

でも我慢を覚えてしまうと、この使い分けがどんどん下手になって、大爆発したり、氷河期に突入したりしてしまうように感じます。

「元気がないときに会っても、『また会いたい』と思えるような人」
「自分を繕わなくていい(防衛コストを一切払わなくていい)ほどに安心な人」
「あなたに要求したり、ジャッジしたりしない人」
「強い言葉や強い感情をあらわにせず、落ち着き払っている人」
「人間の『闇』の部分に理解があって、寛容な人」
このような人は、多くの言葉を語らなくても、あなたの話をただ聴き、存在を受け容れているというサインを与えてくれている人なのではないかと思いますし、 そういう人とのコミュニケーションによって、腹側系が刺激されているはずです。
また、腹側迷走神経系に限らず、「迷走神経を刺激する」という行動は、コーピングとして非常に優秀であり、いろいろな医学的治療に応用されています。 ー 177ページ

この点については、表向きは優等生的に迎合して氷のモードに入りやすい人が多いということをこれまで書いてきたのになんで?と引っかかりました。

こういう方々は一緒にいて心地いいのはわかりますが、実は炎や氷を持て余している可能性は全然あると思っていて、他人がリラックスを感じるために搾取されて消耗してフリーズしてしまうこともあるだろうから、そういうのに対応する職業じゃなければ、他者依存的な解決法は別の犠牲を生む可能性があるので危険に思います。
気持ちのいい接客をするスタッフさんが全員無理せずやってるかといえば、そうではないと思いますし、過去に自分がそういう人を目指して、都合のいい人になって、メッキが剥がれてフリーズしたことがあるので、怖いこと言うなぁって感じてしまいます。

他人を頼るのと、他人から得ようとするのは似て非なるものだと思います。

おそらく、一見では傍若無人に見える人のほうが、本当に炎や氷の扱いが上手い人だったりするんじゃないかなというのは思います。
人生経験積まないとそういうすごさって見えてこないと思うし、もちろん一概には言えない話なので、結局言えるのは、他人のことなんて余計に傍から見てわかるものじゃないということ。

最近は、外見からは分からなくても援助や配慮を必要としている方々がつけるヘルプマークですら「元気そうな人がヘルプマークつけてる」と腹を立てたり、難病の人が他の人の病状をジャッジしたりすることも起こってるようですが、髪の色がどうだろうと、パチンコで会おうと、ヘルプマークをつけていようと、つけてなかろうと、心身の健康状態なんて自分ですら気づけないこともあるくらいですから、周りからはわかりようがないもので、プロでもない他人をアンカーにするのは危険だなと感じます。

自分をよく知らないとうまく休めないのかも

安全・安心を感じられないと、
人は自分の本当の気持ちに気づくことができない

人間が社会の中で他者と関わり、意欲的に活動していくためには「自分は大丈夫である」という安全の感覚が必要です。
そしてそれは、腹側迷走神経系の働きによるものであるとポージェスは主張しています。
安全・安心を感じたとき、人はようやく他者のニーズや自分自身を責める気持ちから解放され、本来の素直な自分に近い状態になり、本心を表現できるようになり、自分の本当の気持ち、自分の本当のニーズに気づくことができます。 ー 100ページ

最近、私がめざして模索していた何かは、心療内科医の目から見ても重要なのだとお墨付きをもらったような気持ちになりました。

ここで大事なのは、物理的に安全・安心が確保されているかどうかではなく、自分自身の神経が「安全・安心である」と感じているかどうかです。

家の周りを塀で囲い、防犯カメラを設置し、家に引きこもる……といったことは、ポリヴェーガル理論でいう安全とは異なります。
それほど強固に守られている環境であっても、神経レベルで安心を感じていなければ、不安を感じてしまうのです。
そうではなく、社会・他者とのつながりの中で、保護者の腕に抱かれた赤ちゃんのように、無防備な状態でも「危険がない」と感じられたとき、腹側迷走神経系が優位になっているのです。 ー 117ページ

たとえば、世間で目にすることが少なくない「才能がある」「お金がある」「美人である」「人気である」といったような、「その状態にあれば幸せになれる」と求めがちなもの。

でもそれらの状態になったら今度は「才能が廃れていくこと」「お金がなくなること」「美人でなくなること」「人気でなくなること」といった不安が芽生えてくるかもしれません。

私に常についてまわるものは私しかありません。
ということは、私自身が安全・安心である存在だと思えることが1番効果的なはずです。

うまく休むためには「身体のニーズ」に気づいてあげることが大事であり、そのためには身体感覚に意識を向ける機会をもつ必要があります。 ー 193ページ

最近の私の中で大きな課題だと感じていたことなのですが、休むに限らず、自分が何を望んでいるかというのは、自分をよく知らないと気づけません。

それで自分が何を求めているのかについて集中してみようとするのですが、それが心の底から求めているものなのか、惰性のものなのかの判断が難しいのです。

わかりやすいところでいえば、私はカフェラテが大好きなのでよく飲みたいと思うのですが、これが本当に飲みたいのか、カフェイン中毒なのかが判断できないのです。

近ごろでは、いつもと違うものに触れたい期間だったので、その時の気分に従って、いつもと違うものを選んでいたのですが、そうして買ったパンを食べて気持ち悪くなったりして、これが食べたかったんじゃなかったの~?と困り果てたりもしていました。

気がつくと私たちの食事は「低糖質で高タンパク」とか「SNS映えメニュー」とか、食事ではなく「情報」を摂取していると言っても過言ではない状況になっています。
それは決して悪いことではないのですが、頭が求めていることと身体が求めていることは、得てして違います。
「今日はこれの気分かなぁ」と、身体に聴くことにトライしてみましょう。 ー 198ページ

他にも栄養のこととか冷蔵庫にあるものでとか、自分の気持ちより優先してしまうものもあったりして、まさに情報摂取も起こっていたので、自分の気持ちを大切にするって相当意識しないとできないなぁと感じています。

本当に今の自分の求めるものを追求するとなると、定期宅配だと難しいかもしれないなぁ。

そう考えると、今は情報があふれる時代で、おすすめされるものは「あなたに足りないものだ!」というメッセージにもなりえるわけですが、本は自分から本に集中して情報を取りに行くから、必要な分だけの欲する情報を芋づる式に吸収できていいものですね。

BASIC Phという捉え方

その結果、市民たちのストレスへの対処方法(コーピング)が、
・B:Belief(信念・価値)=政治的姿勢や宗教的信念、使命感、自己達成欲求や自己表現欲求など、信念や価値に頼る
・A:Affect (感情・情動)=泣く、笑う、自分の感情体験を他の人に話す、感情を感じたり表現するなど
・S:Social(社会的)=仕事を引き受けたり役割を担ったりすることで、集団や組織の一員となり、支えを得る
・I: Imagination(想像力)=夢想にふける、楽しいことを思い浮かべる、クリエイティブな活動をするなど、想像によって現実に蓋をしたり、気を紛らわせたりする
・C:Cognition(認知)=情報収集をする、自分がどう行動するべきかを考える、自分と対話する、優先事項を洗い出すなど、問題解決に向けて動く
・Ph:Physiology(身体) =身体を動かすことによってストレスに反応したり、対処したりする
の6つのチャンネルに分けられること、市民たちが一人ひとり、異なるタイプの対処方法を好んでいることがわかったのです。 ー 222ページ

BASIC Phは紛争の絶えないイスラエルで、1980年代に死と隣り合わせの環境でのストレスケアをしていた研究者や医師が、人々がどのように回復していくかを、人の「世界とのつながり方」に注目して調査し、生まれたものなのだそうです。

同じできごとについて話す時、人によって見方や伝えたいことが違うのは、何を優先させてるかが違うからという話に、あぁ、たしかに~!と納得してしまいました。

私はこの中だと1番Aに重きを置いているような気がしますし、先日「価値観が違いすぎる」という話をしていたばかりの父はCが強いから、話がかみ合わないことも多かったんだろうなぁと感じます。

優先するのは1つとは限らず、他のタイプもいろいろな人が思い浮かべられるもので、あの子はIとPhかな~、あの人はBとCだな~と考えてみるのも面白かったりします。

一見病的だったり、不健康に見える対処であっても、その人なりに精いっぱいチャンネルを活用している結果である、とみなすのがBASIC Phの基本的な考え方です。 ー 245ページ

どの考え方にも肯定的な側面があり、最近の自分の反応でも思う所があったので、今後の休み方の参考になりそうです。

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