期日前投票行ってきました。しえるです。
今回はふだんから情報収集していたおかげで、スムーズに決めることができました。
そうなるに至った私の意識の変化についてちょっと書いてみようかと思います。
政治の話題はセンシティブな面も含まれると思いますので、あらかじめ以下の点についてお断りさせていだきます。
- 私自身は特にひいきして応援する政治家も政党もありません。
- 政治家本人の発言や動向を見て、自分の中でテーマや政策ごとにフラットに判断します。
- 私の意志は私のものですし、他者の意志も尊重しています。本人以外の他者の意見に左右されるものではないですし、自分以外の他者がどう思うかもまた関係がありません。
衆院選の期日前投票に行ってきました。ついでに選挙や政治について思うこと。
虫眼鏡くんのラジオリスナーのお便りに共感
人気YouTuber軍団『東海オンエア』の虫眼鏡くんの個人チャンネルのラジオで、大学生から次のようなお便りがありました。
1人の国民の権利として投票したいと思う反面、やはり誰に投票したものかと悩んでしまうのが正直なところです。
Twitterなどを覗いてみれば、現政権を支持する人もいれば、真っ向から否定し他政党を支持する人もいる。
かたやその政党を否定する人もおり、その人たちはみんな自分なりの意見を持っています。
政治について見識を深めようとすると、かえって混乱してしまう始末。
長い歴史の中で形成されてきた政治の流れや派閥等、情弱な私のような人間が少しの時間で把握できるわけもありません。
そんな中でも自分なりに答えを出し、投票しないといけないのかもしれませんが、知識のない若者たちが適当に票を入れたらどうなるのか気になる反面、なんかそれって怖いなぁなんて思ったりもします。
この内容はすごく身に覚えがあるものでした。
自分が20歳になって選挙権を得たときにまったく同じことを思ったし、なんなら現在進行形で思い続けています。(今は18歳から選挙権持っているんですね…知らなかった!)
正直、その気持ちをどうやって解決すればいいのかわからないまま、年月が経っていくだけでしたし、元々興味を持っていた熱心な人でないかぎり、ふだんのお仕事や育児などをしながら把握していくのってなかなか至難の業ではないでしょうか。
難しいと感じて、長いこと興味が持てなかった政治
私はあまり政治に関心を持たずに育ったので、初めて選挙に行ったとき、党とか派閥とか何を基準に選べばよいのかがよくわかりませんでした。
この政治がよくわからないって感覚は、多分私だけの話じゃないと思います。
この動画はYouTuberのヒカルくんが衆議院の笠議員を訪ねるものとなっています。
笠議員は動画内で、衆院参院とか選挙区の話とか当たり前のように話されていますが、多分ヒカルくんは「小選挙区ってなんだろ?政務官ってなんだろ?」ってなっているんじゃないかと思うんですよね。なぜなら自分がそう思うから。
社会の授業で習った記憶はありますし、なんとなくぼんやりこんな仕組みだった気がするなぁってのはあります。
けど完全に理解はしていないし、子どもの頃の勉強なんて今後の自分ごとと捉えて取り組んでいるのは一握りではないでしょうか?
よっぽど興味関心が高かったり、出馬する意向がない限りは正直、数年に一度の選挙に対して記憶の容量使うくらいならほかのことに使っちゃいませんか?
知識ベースの難しい言葉が並ぶ「19世紀にマルクスが資本論でプロレタリアート…」みたいなマルクスを知らないと理解できないような文章は一気にキャパオーバーになってしまいます。
先日、知識ベースの話はわかりにくいという記事を書きましたが、政治もまさにこれに当たると思います。
だからずっと心の距離が離れていく一方だったし、公約を読んだところで口だけだと思っていましたし、聞こえのよい話が本当によい話なのか判断できないわって思って、結果としていつも投票が適当になってしまっていた気がします。
結局わからないことは知っていくしかない
今は「わからないなら、とにかく知るための行動をすればいい」ことがわかってきたので、自分の情報の集め方を変えてみることにしました。
公約が口だけで参考にならないと思うなら、選挙のために取り繕う直前の一時的な姿ではなく、日常を見るようにするのはどうかと考えてみたのです。
そこで党首や自分が住む選挙区の政治家のSNSをフォローしてみたり、一握りではありますが、気になった本や関連記事を読んだりするようになりました。
たとえば国民民主党の玉木党首は、実現したいことをTwitterで端的にまとめたり、平時からYouTubeで発信したりしています。
衆院選に向けて、各党で「政権取ったらやりたい事」を、140文字以内で書いてくれると比較しやすくて良いですね。 https://t.co/NGeOkHwa9t
— ひろゆき, Hiroyuki Nishimura (@hirox246) 2021年9月7日
ひろゆきさんがおっしゃるとおり、皆がこういう風にわかりやすくまとめてくれると、比較検討しやすくて助かりますね。
少し前にワイドショーの出演者が、野党はまるで何もやっていないかのような発言をして炎上していたことがありました。
こうやって気にかけていれば、そうでないことは明らかですし、コメンテーターとしては状況把握をしてなさすぎるなぁとも感じましたが、それと同時に仕事や育児に追われながら政治の動向を逐一チェックするのがいかに負担かということでもあると思います。
発信してるんだから理解しやがれじゃなくて、相手に届くように発信してほしいものですね。
また、社会経験を積んでくると、「相手のここが良くない」みたいな話をしている対立候補者はまず「そもそもあなたは今の水準を維持できるのか?」という疑問も生まれました。
多くの物事は、相手の悪いところを指摘するのは簡単ですが、実際にやってみると自分の目に見える問題点以外に山ほどの地味な実務を抱えているものであり、まず現在の形を成り立たせていることが実はすごいことなのだと思うようになりました。
だから実際に与党となってやってみないと分からないことなんて多分にあるだろうし、掲げる公約が現実的でないこともあるんだろうなぁ…というところまでは想像ができるようになったのです。
立憲民主党の枝野党首は『枝野ビジョン』という本を出して、党がどういうビジョンを描いているのかを発信しています。
こちらの本は何を見据え、どう行動していこうとしているのかが大変わかりやすく、とても参考になりました。
ただ、この内容は本という形で懇切丁寧に説明しているからこそ理解できたものだし、考えが正しく伝わるかは確実なものではなさそうだとも思いました。
というのも枝野さんの経験に伴った思考の流れというものがあって、本を全部読めばどうしてそういう考えに至ったかはわかるのですが、話が多岐にわたっているので簡潔にまとめたり、切り抜くのが難儀な内容だと感じたのです。
まとめや切り抜き文化が主流な昨今で、全部読まないと伝わらないというのは、今の時代に合っていないなというのも正直な感想でした。
それでも有権者それぞれの立場状況ごとに向けて、100以上の2分弱という短いメッセージ動画を用意していたのはなるほどと唸りました。
これがYouTubeだけで、TikTokをやっていないところはもったいないですけどね。
クリックされないと見られないYouTubeより、おすすめ動画が勝手に流れるTikTokの方が向いていると思うんで。
立憲民主党は唯一、与党として政権を担った経験のある野党ですが、それに対して「失敗」という印象も根強い一方、人は失敗を糧にできる生き物であるとして、実務経験に伴った現実的な考え方をできる強みを持っているのだという見方もできます。
実際のところがどちらなのかは、自分の目で判断していくしかありません。
最近「保守」の意味がようやくわかってきたレベルではありますが、そんな風にして少しずつ自分の経験値と見聞きした知識を繋ぎ合わせていって、自分なりの見方を探っています。
本当に不満はないの?
先程のラジオの中で虫眼鏡くんが聞いたという麻生副総裁のコメント。
麻生さんが「若者が政治に興味を持っていないと言いますけど、それはね悪いことじゃないんですよ。若者がなんでそんな政治に興味を持たないのかって言ったら、今の自分の生活に特に不満がないからだ」と仰っていたんですよ。
これを聞いた時、そういう側面もあるかもしれないけど、私は違うんじゃないかと感じました。
そこで私が思い浮かべたのは、部屋が荒れている人の気持ちです。
寝るスペースがないほど床に物が散らかっていたり、収納から物があふれていたり、ゴミだらけになってしまっていたり、家にいるだけで疲れてしまい落ち着かなくて外出したがる状況だったり。
そういった状況の中で「片づけなきゃなぁ…」と思いながらも無力感を感じてそのままでいる人もいれば、「物がある方が落ち着くんだ!」と思って特に問題と捉えていない人もいることでしょう。
いざ片づいた家になってみると、「空間に余裕があることの居心地よさ」「探し物をしないスムーズさ」「あふれる物でケガしたり、壊したりしないこと」の素晴らしさに気がつくこともあります。
しかし、それを知らなければ「物探しに時間を使うこと」「同じものを重複して買ってしまうこと」「使おうと思ったときに壊れていて使えないこと」「常に圧迫感・閉塞感を感じていること」は当たり前であり、お金や時間、精神的余裕の浪費感覚がマヒしていることに気がつきません。
実際に私は、片づけられない料理人が、使い切れない食材を買い込んでは腐らせるという浪費をしたり、食材が床に落ちても気にしない様子も見てきましたが、当人にとってはそれが自然なことであり、どれだけやめるよう伝えようとしても叶わなかったし、周りがドン引きしていることに気がつくことはありませんでした。
これは「エレファントシンドローム」と呼ばれたりするゾウのお話に通じるものがあると思います。
子どもの頃からロープで杭につながれて育ったゾウは、子ゾウの時に杭を抜いて逃げられなかった経験から、大人になって杭を抜く力を持っても逃げなくなるという調教の様子を指しており、「逃げようとしても無理なもの」と諦めて「杭につながれているのが当たり前」と受け入れてしまうのです。
傍からは不都合に見えることも、当人は感覚がマヒして「これが普通だ」と受け入れてしまっており、そうでない世界線を思い描けないのです。
これまで自分が見てきた視野はほんの一部にしかすぎず、世界にはもっと多くの物の見方があることを知り、よりよくするための可能性を探っていくことは、大事だと思っています。
国民審査も手探りながら判断しました
衆院選と一緒に、最高裁判所の裁判官を罷免させる「国民審査」も実施されています。
トップの裁判官のクビを国民が決められるというなかなかぶっ飛んだ制度ですが、今までクビになった人はおらず、そこに疑問を持つ人が出てくるのは当然だと感じます。
今回は余裕あるし真面目に考えようと思って、裁判官らの質問の回答などを参考に判断しました。
正直、多くの回答が「差し控えさせていただきます」で、質問の意味とは…となりましたが、自分の中で特に気にしているテーマについてどう考えて、どう判断を下しているのか?を見たり、回答全体の印象から流されずに自分の考えをもって判断できていそうか?といったところを気にして判断し、何名かの方には「×」をつけました。
すべての回答がテンプレのような方はちょっと、その人である必要がないなと感じてしまいます。
まだまだ手探り状態な私ですが、何かしらの参考になれば幸いです。