怒涛だったなぁ。しえるです。
これまで投稿数は1,000を超えているのですが、今日のこの投稿でブログ投稿日数が1,000日目になります。足をお運びくださる皆さま、いつもありがとうございます。
振り返ってみると、このブログ「私の好きな場所」の初めて更新したのが2018年12月7日。
その頃はまだ会社員で、いろいろあった5年間でした。
【開設から5年】ブログ投稿日数が1,000日になりました。
生活が二転三転してきたこの5年
100人以上、数十人、数人と様々な規模の職場。
朝番、日勤、夜勤、土日祝休み、平日休み、シフト制、朝3時出勤から夜0時出勤まで。クリエイター、校正、営業、事務、手配、マスコミ系、飲食店、コンビニ、工場。
正社員、出向、バイト、店長、クラウドソーシング、ボランティアのお手伝い、無職。
1日、10日、半年、1年、3年、10年。
これまでまぁまぁいろんな形で私は働いてきました。
ほぼ残業がなく、仕事が終われば自分の好きなように時間が使えたこともあれば、仕事が片づかなくて家に持ち帰ることもあったし、仕事づくしで自分の時間が一切なかったこともありました。
今はもう何が仕事で何が自分の時間かがほぼ曖昧でよくわかりませんw
いろんな環境があることを身をもって知りました
最初より小さな会社に入って、オフィスビル内にATMやコンビニが入っているのも、清掃の方が働いているのも当たり前じゃなかったと知り、土日祝休みで銀行や郵便局に行くのは結構大変だったと知り、人数が減れば減るほど1人あたりの業務の重みが増えることを知りました。
最近も釈迦さんの配信で「会社に寮があるのは普通」なんてコメントを見かけたりしましたけど、業界や規模が変われば働く環境や常識はまるで別物で、私は自分の環境がいかに恵まれているかとか転職しないとわからなかったし、その環境を用意している社長という存在は小規模の会社に入らなければ見えてこず、身近に感じられませんでした。
そこに社風や働く人たちの感覚も加わってくると考えれば、それぞれの会社だけでもいろんな環境があるし、さらに雇われの社員だけでなく雇う側、自営業、フリーランス、派遣、バイト、日雇い、エージェント契約、DAO、時間給、年俸制、業務報酬、成果報酬などといろんな働き方があって、それはきっと職を転々としなければ理解できなかったと思います。
一度経験して知っていたから頑張れてるのはある
私は自分の取り柄が何に生かせるかわからなかったんですけど、最初に就職した職場が、あとから思えば私の得意をフルに生かせる場所でした。
悪く言えば大人げない、学校の延長線上のような職場だったけど、だからこそ多くの人と仲良く楽しく働けたし、仕事自体がつらいとか上司との付き合いというような感覚はほとんどありませんでした。
順風満帆だったわけではなく、コミュニケーション面でいろいろやらかしたことだってあるし、常々何かしらのハードルはあったのですが、自分と向き合う時間がいっぱいあってここでだいぶ変われたなと思うし、ゲームをクリアする感覚で楽しみながら臨めていたものです。
仕事面で苦労することが少なかったのもあって、10年と長く勤めることができました。
思い出って美化されるので、もしどうにもならなくなったらまた雇ってもらおうって思ってたけど、最近昔の同僚と話していて、久しぶりに今の様子を聞いたりしていると「あぁそういう職場だった」とめんどくさかった部分もきちんと思い出されてきて、やっぱり最終手段で戻りたくはないと思いましたが。笑
つらかったこと、思い出すと恥ずかしいことなんかもあるけど、それでもトータルで見ればよかったと感じますし、大好きな職場でした。
その後の転職先は総合職だったり昭和体質だったりで、最初に長く働いていた職場は私に合っていたんだなぁと思い知ることが多くなりました。
自分にはやりたいことがあったからふんばれたけど、私には不得意なことがたくさんあって、自分のキャパシティはそんな大きくないということを身を以て理解したのです。
そしてそこは「仕事はつらいものだよ」「皆やってる」「皆ふんばって耐えてる」「皆泣きながらも乗り越えてきた」だのと諭されるようなところで、私より若くて活躍してるように見えた社員が「楽しいことなんてない、休日はただ家でぼーっとしてるだけ」と生気や自我がない様子で話すのに驚いたし、営業先訪問前に同行の先輩がしばらくトイレに籠っていたと思ったら「血尿が出てた」と身体をさすりながら出てきて営業に向かう姿やメニエール病になった新人社員を見てゾッとしたものです。
お金を稼ぐために働いて、そのことでストレスを溜めて、そのストレスを解消するためにお金を使ってしまうことがないだろうか。
僕が会社員をやっていた頃は、自分がそんな理不尽なループにハマっているような気がしていた。
毎日働くとお金が貰えるけれど、その代わり疲れが溜まって、疲れを取るためにマッサージに行ったりするとお金がかかってしまう。ストレス解消だといって気晴らしとしてモノを買ったり、遊びに行ったりすると、またお金がかかる。なんかそれは意味のない堂々巡りな感じがしたのだ。『しないことリスト』pha
最初の職場では、シフトは変則的だけどだいたい定時で帰れて、自分のやりたいことにたくさん時間を使えていたのは本当に最高だったけど、ストレスを溜めて、ストレス解消にお金を使っていた部分もあったりしました。
でも転職先ではそれが比べ物にならないほど増えて、平日はただ家に寝に帰るだけで、休日はただの疲労回復で終わり、料理する余裕がないから外食やテイクアウトをし、ストレス解消に甘いものを飲み食いしたり、飲み屋に通ったりすることも増えたものですから5kgくらい体重が増え、せっかく給料が上がったのにストレスを解消するためにお金を使うだけになっていました。
「これってラットレースじゃない?」と思って、当時は『働き方の損益分岐点』という本を読んで、ストレス解消も働くのに必要な経費で、それが給料と見合ってなかったら割に合わないと考えるようになっていたのですが、最近読んだ『しないことリスト』でも簡潔に触れられていて、それそれ!ってなりました。
私は最初の職場で「自分の得意を生かせば労力の負担が少ないこと」「楽しく働けること」「楽しい職場の飲み会があること」「給料が高くなくても貯金できて、好きなことに費やせること」などを経験していたので、「仕事はつらいものばかりじゃない」「この状況は異常だ」「このままの人生を送りたくない」と思うことができました。
ちなみに今書いているこのブログも、子どもの頃の楽しかったネットサーフィンの記憶が原体験にあり、1円もお金になってないのにサイトやブログの更新に勤しんでいたあの頃を思いながら書いているところがあります。
自分は何が無理なのかを知った
この会社は実態はともかく、働き方改革やISO認証に取り組んだりとか良くあろうと努力する部分がありましたが、その次はもう社長がルールで、結論としては法的にアウトでした。
あまりに人数が少なく誰が言ったかは明らかで、履歴書などで個人情報を握られていることが怖くて違法の申告はできませんでしたが、そのおかげで失業手当をすぐに受けることができました。
その会社では有言実行の推進力は本当にすごかったのですが、ヒカルくんのように社員の性格を尊重したり待遇をよくしたりしてくれるわけでもなく、むしろ言葉巧みに責任を押し付け合って誰かを悪者にしたり、人の手柄をしれっと自分のものにする姿を見たりで、いつ自分がその立場になってもおかしくないと思ったし、実際そうなってしまいました。
無知ゆえの無理難題を言っては「できないじゃなくてできるように考える」ともっともそうなことを言うのですが、提案してくる内容がすでに自分が考えたか不可能な話ばかりで、それがダメなのはわかるけど、自分は何もわからないのを手探りで形にしただけにすぎないから専門知識がなく、解決策がわからなくてキャパオーバーになったりもしました。
今度は私がやりたいことでなかったし、一見優しくても周りに信頼がおけなかったので、ただひたすらしんどさしかなかったです。
だからレペゼンのDJ社長とかを見ていると、社長の良さはわかるけどついていくのは大変なんだろうなっていうのは想像がつくし、社長を本当に慕っていて、自分と見据える方向が一致しているから皆がついていけるだけで、その条件がそろっていなければ無理だろうなって思いますし、先日の食中毒マフィンのような事件がどうして起こるのかもなんとなく想像できると感じます。
こういった経験から自分の力量の限界、苦手なことやできないこと、人間誰かに頼らないと無理なこと、頼る先がわからない時もあること、やりたくないことに熱意は湧いてこないこと、自分の時間やペースが確保できないとパニックになることなど、私にとって無理なこともまた身を以て理解してきました。
すでに理想の生活は送れていました、ある意味
私は働くこと自体は苦じゃなかったけど、これまでよく普通とされてきたものの中に苦手なことがたくさんあります。
そしてこれまで自分がどう生きたいか全然わからなかったけど、自分の苦手やイヤなことを理解したことで、自分にとって何が快適なのかを知り、日々改善に勤しんできました。
会社に縛られず、その日その日の自分の気持ちを加味し、突然興味のあるイベントが湧いてもフッ軽で参加できる、余裕と余白のあるスケジュールで、自分の好きな時に今まで時間ないと思ってできてなかったことも含めて、やりたいことをやれる生活というところまでは、描いていた理想の生活が叶っていることに気がつきました。
ないとあることの幸せを知らない、あることがなくなると大切だったと知る
ただ、仕事を辞めて無職やフリーランスになって、収入を得てはいるもののこれまでの貯金や失業手当で成り立っていた部分は大きくて、何が快適か考えたり、脳内の交通整理をするのでいっぱいでお金について向き合いきれておらず、初めて収入が不安定な暮らしというものを経験しています。
私は長らく会社に勤めて働いてきていたから、常に一定の収入がある暮らしをしてきていました。
そして、これまで自分はお金に無頓着なほうだと思っていたけど、それは会社員でお金をもらえるのが当たり前だと思っていたからで、収入が目減りして初めて「お金はちゃんと欲しい、稼ぎたい」という気持ちを自覚することができました。
それまでどこか、嫌儲とまではいかないけどお金について考えるのに苦手意識があったかもしれません。
私が浪費していたのは親の庇護下にあった頃の話で、就職してすぐにお金の使い方を改めることができていたのでお金に困ったことがなく、職場は資本主義から少し離れた感覚のところで、稼ぐという意識が低いまま一定の収入を得られてしまっていたことから、なかなか気づくことができてこなかったのだと思います。
次から次へと家電などが壊れて急な出費が続いたうえに、自立して初めての収入が減ってきたという現実を見るのが怖くて、つい仕訳表から目を背けてしまっていたけど、お金と向き合うことから逃げることをやめようと思えました。
そしてこれも私が楽しくお金を稼いで、お金があることの心の余裕や幸せを実感したことがあるからこそ、目指そうとすんなり思えているものなのかもしれません。
前にストリーマーの釈迦さんが「比較対象がないと幸も不幸も生まれない」として、幸せは相対的なものではないかという話をしていたことについて触れました。
私も実際、幸せは相対的なものだと思っているのですが、一部の視聴者が幸せとは相対的なものだという話の意味を理解できなかったように、自分の中で当たり前すぎて日常に溶け込んでしまっていることって、それぞれ浮き沈みを経験しないと自覚がしにくいものなのかもしれません。
ブログのアクセスやSNSのいいねなども、最初は誰も知らないところから始まって、反応してくれる嬉しさを知ってきました。
でも最初は誰も見てくれていなくても楽しく更新していたのに、反応がある嬉しさを知ってしまったから、今度は反応が減ってくると悲しさが生まれてきてしまいます。
バズったり有名になったりは相変わらず望んでいないけど、ブログを書くからにはやっぱり見てほしいし、誰か合う人の元へ届いてほしいと思うし、反応をもらえるのもやっぱり嬉しいから、私は登録したりスターをつけたりしてほしいと思っているのだと気がつきました。
「もらう」ことに慣れた人は「要求する」ことを始めるけど、それは「終わりの始まり」のサイン。他人の善意を当然の権利のように誤解すれば、相手が手を引くのは時間の問題。
— 佐藤航陽(さとうかつあき) (@ka2aki86) 2023年12月15日
他でも、たとえば恋人と付き合ったことがなければ、恋人と付き合う中で生まれる幸せや人生の機微を知らず、いなかったらいなかったで楽なので十分楽しく過ごすこともできます。
また、付き合うことや結婚がゴールになってしまって、関係を築き続けることを怠り、別れを告げられてから焦る話なんかもしょっちゅう聞くものです。
前に熟年離婚が話題になったこともあったし、別れを切り出したらプロポーズされたって話を見た時、自分も近い形で泣きつかれたことがあったので、きっとコミュニケーションが上手くいってないまま存在だけが当たり前となって、崩壊してから当たり前だと思っていたものについて考えることになるものなのでしょう。
もし私が幼少の頃からパソコンを触ってきていなかったら、デジタルやインターネットの便利さを知らず、今のデジタル社会は苦痛に感じていたことでしょう。
私の周りにもデジタルが苦手すぎて拒否している人達が何人もいますが、デジタルを通じて享受できる恩恵を知らず、ネット通販しかなくて欲しいものを断念したり、一瞬で終わる仕事を何時間もかけて作業して疲れ果てたりしています。
そしてネットの便利さを知ってる私は、iPhoneが壊れてネットが使えなくなってしまった時、ネットの繋がらないiPhoneでは普段の外出時にやっていた写真撮影以外のほとんどができず、ネットのありがたみを再認識していました。
生きるのがつらいことしかないのが当たり前の環境で育てば、生きることの幸せを知らないだろうし、生きることの幸せを見いだせないと、生きることに価値を感じないから生も死も変わらなくなってしまうのかなって思いました。
自分の客観視って難しい
格ゲー配信者のハイタニさんは人見知りで、ストリーマーサーバーで喋りかけられずぼっちというのがよくネタにされていますが、ハイタニさん自身はコメント欄にいる視聴者といろいろ話しています。
そもそもハイタニさんは、プロを退いた身でありながら今年開かれた格ゲーの世界大会でも5位になった実力持ちで、YouTubeチャンネルは8万人もの登録者がいて、格ゲー仲間がたくさんいて、配信界隈に弟子もいっぱいいて、妻子持ちで、本人がどう思ってるかは知らないけど、ぼっちじゃないことは明らかです。
本当に孤独だったらまずコメント欄どころか視聴者がいないし、スト鯖にも参加できないし、家族も友人もいないでしょう。
と言っても、自分がどれだけ孤独に感じていても、実は周りには人がいたのに見えていなかったり無視していたり、差し伸べられた手を取っていなかっただけだったとも今は思っていますが。
「部分」であるうちは「全体」を正しく捉えるのは難しい。対象から切り離されて初めて対象を正確に理解できるようになる。「部外者」にならないと真実が分からないって面白い。
— 佐藤航陽(さとうかつあき) (@ka2aki86) 2023年12月15日
こうやって他人のことは見えても、自分のことになると一気に見えにくくなってしまうものだと思います。
「愚痴仲間」って片方が成長し始めると破綻するよな。他人の陰口を叩いてるうちは自分の惨めさに向き合わなくて済むが、自分の人生に向き合えた人から「卒業」していくため。
— 佐藤航陽(さとうかつあき) (@ka2aki86) 2023年12月17日
いろいろ学んできた中で、他人のことでどうこう思ってるうちは自分と向き合ってないだけだとわかってきました。
が、日々自分と向き合ったり、学びを得たりするほど、過去の自分の考えの浅さにうわぁ~!!となることも多々あります。
もちろん全部がわかるなんてことはないけど、自分が歩んできた分だけ、他人の似たような状況が手に取るようにわかるような感覚で見えてくるので、いろんな面において見る人が見れば、私のことは丸わかりなんだろうなぁと思うと恥ずかしく思えてくることも。
書きたいことは山ほどあるし書いているけど、公開するのが怖くなって、書きかけが溜まることもあったこの頃。
それでも自分が他の有名ではないブログに助けられてきたように、自分の歩んできたものが誰かの助けになるかもしれないし、自分以外の人にとっての需要ってきっと私の想像じゃ及ばないほど色々なものがあるんだろうし、自分で需要ないだろうとか決めつけるのではなく、一旦やってみようの精神でこれからもブログを書いていきたいなと思いました。
こう思えるのも、うちのブログに足をお運びくださる皆さま、新しく読者登録してくださった皆さま、スターやいいね、ブクマなど反応をしてくださる皆さま方1人1人のおかげで、ブログを見てもらえる喜びを知ることができたからだと思います。
本当にいつもありがとうございます、これからもぜひよろしくお願いいたします。