
人によってダメなことは変わります。しえるです。
自分の気持ちを大切にするのはいいことですが、相手にもまた相手の気持ちというものがあります。
それを聞いて相手がどう思うかという視点が欠けすぎていると、この人の言葉は一方的でトゲが強いからあまり関わりたくないなとなり、リアルであれば人が離れる要因になることがあるし、ネット上の場合はBANにつながってしまいます。
今回は最近ライブ配信に興味を持ち始めてコメント欄のことが気になってる方や、なんでかわからないけど配信者さんからBANされて悲しいといった方向けに、配信界隈でよく見る禁止ルールや注意喚起されている言葉の意味や具体例などを紹介します。
具体例は、人によってどれが当てはまるかは変わると思いますが、当てはまってもおかしくないと感じた実際のコメントを参考に載せています。
【距離感の見誤り】ゲーム実況配信のコメント欄で注意喚起される「お気持ち」「杞憂民」「ママコメ」とは?意味や特徴&具体例
- 【距離感の見誤り】ゲーム実況配信のコメント欄で注意喚起される「お気持ち」「杞憂民」「ママコメ」とは?意味や特徴&具体例
お気持ちとは
一般的には敬意や感謝の込もった丁寧語です。
しかしネットスラングとしては、個人的見解や感情を主張することに対して、皮肉を込めて呼ばれがちです。
特に、自分の期待どおりでない状況に納得がいかず、腹を立てて横暴な発言をしているコメントに対して使われることが多いと感じます。
元々は2016年に平成の天皇が象徴としてのお務めについてについて声明を発表された際に「お気持ち表明」と報道されたことから使われるようになりました。
お気持ちの具体例
- 「~してほしかった」「~したほうがいい」
- 「~するべき」「~してください」
- 「~しないで」
- 「かわいそうだよ」
- 「その話やめない?」
- 「そんな簡単なこともできないの?」
- 「いつになったらまともにできるようになるの?」
- 「なんで~しないんですか?」
- 「なんで縛りプレイしてるの?」
- 「空気悪い」「荒れてる」「荒れてきた」「コメント大荒れです」「コメ欄さぁ」「コメント少な」などコメ欄への見解や反応
- 「配信見るのやめます」「ブロックはかどる」「そろそろ寝ます」など無用な報告
- 「○○はもうやらないんですか?飽きちゃった?」「○○の練習しないの?」「いつも大会ガチなのに今回全然練習してなくて寂しい」など取り扱いコンテンツへの意見
- 「~するのはどうかと思う」「練習不足」「モチベ不足」「チームバランスが悪い」などイベントや参加者など主催者以外への批判
- 「日本の法律なら~だけど……」
「殺しちゃダメだよ」「犯罪はよくないよ」(対戦ゲームや犯罪ゲームで)
ゲームの中のできごとなのに、現実とフィクションが混同 - 「言いたくないけど~」「正直なところ~」「余計なお世話かも」は直接相手に伝えない方が◎。
お気持ち、杞憂民、ママコメに共通すること
同接や取り扱いコンテンツなどについて視聴者が心配するのは嫌がられる傾向にあります。
それはあくまで視聴者は視聴者、ファンはファンであり、当事者じゃないからです。
「推しにお金かけすぎじゃない?」「推しの趣味悪くない?」とか他人に言われたら、「は?お前が私のお金の使いみちを決めるな」「よく知りもしないくせに」って思う方はいませんか?
もし「私のお金なんだから好きに使わせろ」「私の推し活に口出すな」と思う場合、それと同じような気持ちを配信者が感じている可能性があるということです。
当事者じゃないのに運営目線や身内のように心配してくるコメント、お気持ちや杞憂民、ママコメってそういうところが嫌がられてるんだと感じます。
定期
— しょぼすけ / ShoboSuke (@ShoboLinco) 2024年7月16日
ストグラをやらない期間が出た配信者の方に『ストグラはもうやらないんですか?』ってしつこく聞くのやめて下さい。
好きに配信させてあげてほしいです。
見たいものがあるなら素直に言えばいいかもしれない
見たいものを伝えるのに、色々理由をつけていると話がこじれやすくなります。
ただ「○○見たいな~」という純粋なファンのリクエストのほうが受け入れてもらいやすいのではないでしょうか。
たとえば「このままだとお客さんが去っちゃうよ?○○やらないとやばいよ?」はとてもネガティブで、脅迫めいていて怖いです。
でも「○○が面白かった!またやってるとこ見れたらうれしいな~」であればポジティブだし、「評判よかったんだ、またやっちゃおうかな~!?」と前向きに考えやすい気がします。
ただし、それぞれ事情はあるでしょうから、受け入れてもらえるかどうかはまた別の話です。
あと言い方もやっぱり大事で、私だったら「なんでお前やらないの?」って言われたら「は?」となるし、そんな言い方してくるやつの言うとおりにしたくないから、余計にやりたくないだろうなって思います。
荒れてない時に出る「荒れてる」
戦術や構成など意見の違い、シリーズやキャラの好みなど派閥の対立といった話題で、配信上の話し合いが過熱したり、コメントの流れが速くなることがありますが、これは作戦を練る過程やプロレスを楽しんでいるだけのことも多いと感じます。
ただ起こったことに対処しようとしたり、ただ意見が割れただけだったりの状況でも「喧嘩しないで」「仲直りだね」と反応してるコメントを見たりすると、「え?いつ仲違(なかたが)いしてた?」とあまりの見え方の違いにビックリすることもあります。
オイ…俺は口が悪いだけで別に責めちゃいねぇよ
不足を確認して現状を嘆くのは大事な儀式だ『進撃の巨人』13巻
人間なんで考え方が違うことは誰とでも起こりえます。
そこでお互いの意見を聞いて、どっちのほうがいいと決まることもあれば、折り合いがつかないことも起こりますが、その話し合いを避けたら、そもそも妥協する余地があるのかわからないし、何も決まりません。
リヴァイ兵長の言うように、どんなに状況が悪くても現状を認識しないと対処の話はできないし、意見が一致するか、一致しないのかを確認するのも、物事を進めるためには必要な工程です。
ゲーマーの話し合いが過熱するのは、基本的にはクリアや勝利などのために問題と向き合っているだけにすぎません。
また、ゲーム上でもリアルでも、プロレスを楽しんでいる人たちに「暴力は危ないよ」「汚い言葉はよくないよ」って必死に止めてる人がいたら、なかなかに滑稽(こっけい)だなと思ってしまいます。
基本的にはプロレスをやりたいと思ったからやっているし、それを見たい人たちが集まってる中で、その当事者たちの意向を無視して正論を説(と)くというのは相手の気持ちを尊重しておらず、敬意に欠ける行為ではないでしょうか。
いいものを見たいという気持ちは変わらない
自分が「配信者たちのこんな絡みがあったら面白いだろうなぁ~」と想像する時、そこにあるのは「この配信者たちが集まったら面白いことになるんじゃないか」という期待でしょう。
そんな期待や、よりいいイベントを見たいという思いから熱い意見が出てくることもあるようです。
ただ、この感覚は、日頃イベントなどを企画している主催者さんたちも実はそう変わらないのではないでしょうか。
なぜなら、まず「こんなイベントがあったら面白そう」「こんな景色が見たい」という想像からイベントを企画しているだろうし、実際にやるとなった時、イベントの成功を1番願っているのは何より主催者だと思うからです。
だからこそ、その主催者は「この人なら面白いことになるだろう」と思う人に誘いをかけていきます。
この時、両者の言い分を聞いてるかぎり、企画者と批判が激しい視聴者との大きな違いは、参加者の捉え方でしょう。
企画を受けてくれたということは基本的に「企画がいい」とか「参加してもいい」と判断してくれたわけで、お互いにいいと思ったことによって成り立っています。
結果が面白くなるかはやってみないとわからないですが、話に乗ってくれた時点で、「自分が思い描いた企画の実現に付き合っていただいてありがとう」という気持ちに私だったらなると思います。
そして、たとえうまくいかないことがあっても「この進行がよくなかったから次改善していこう」という学びでしかないでしょう。
ルールを破りまくるなど、よっぽどのことがない限りは、ハナから「参加者が悪い」という考えに至る人気の企画者はなかなかいないんじゃないかなと想像します。
参加者に向かって文句を言われたら「大事な参加者に何を言うてくれてるんだ」となると思うし、むしろ参加者のせいにするような主催者のところであれば、次も参加したいとは思えないでしょう。
参加した結果、「お前のせいで上手くいかなかった」と押しつけてくる人と今後も付き合っていきたいとは思わないですからね。
そしてこれらの事情を理解している参加する側には、「誘ってくれてありがとう」「こういう場を用意してくれてありがとう」の気持ちが生まれやすいと思うし、「いい結果を残したい」「盛り上げたい」と頑張る方が多いことでしょう。
人気な企画、人気の配信者さんたちというのは、その双方向の気持ちがうまくかみ合って相乗効果になっているのだろうと感じます。
相手には相手の事情がある
視聴者のお気持ちを聞いているかぎりでは、一部の参加者視点という偏(かたよ)った見方になっていることは多いと感じます。
たった1~2人の視点だったり、相手の視点は見ていなかったりで、全チームの視点やそれ以外の対抗意見を押さえてるわけではないんですよね。
ライブや舞台だったら演者とお客さんの1対1みたいなものですが、1人1人がストリーマーとして活動しているゲーム配信のコラボは、演者側1人1人が当事者なので、そんな単純なものではありません。
うまくいくかは別の話だし、全員の視点を受け止めるというのは難しいものですが、それでも主催者やリーダークラスの目線だったらもっと参加者全体やチームの雰囲気、個々の内情に目を配っているだろうし、本人たちから話を聞くことができるわけで、複数の立場視点からリアルな声をもとに、スケジュール感や人間関係などの背景も踏まえて、何も知らない視聴者よりは各当事者の思いに配慮したうえで動いているはずです。
お気持ち表明をする方は「よりいいものを」という思いは一緒かもしれませんが、主催者や他の同業者など当事者へのリスペクトや配慮に欠けていることが少なくないと感じます。
本当の悪なんてそう在るものじゃないでしょう?
少なくとも今まで戦ってきた相手はそれぞれに事情を抱えていました…『七つの大罪』27巻
すべてがとは言いませんが、お気持ちを示してくる人というのは、何かしらの敵や問題を明らかにしたい気持ちが強いように感じます。
当事者のために起こった問題を解決するのではなく、物を言いたいから、たたくために被害者や問題をつくり出していることもあるように見えるんですね。
だから、そこに本人の意思は存在しておらず、当事者に配慮するどころか無視した形になったりしています。
今は事務所の垣根を越えたコラボが日常となっていますが、そういったコラボをしている方々同士は仲間やライバルでこそあれ、敵ではないと思うんですよね。
特にスト鯖系やCiv、大会などは対立構造が生まれるので、お気持ちが起こりやすいもの代表に見えますが、他の参加者の視点が見られるわけですから、相手をただの敵と決めつけず、後からでもいいから、いったん相手の視点を見てみると、相手には相手の立場や事情、考えがあったりすることがわかるかもしれません。
大会も練習期間などに抜けて強いチームがいるとヘイトが集まりやすいですが、実際にその強いチームの練習光景を見ると、あぐらかいて周りを見下してる人なんていなくて、それだけの努力をしているのが見えてきます。
日常生活において、相手の立場になるというのは簡単にはできないものですが、ゲーム配信であれば相手視点を見るだけで、簡単に貴重な体験ができるのが配信のいいところだなと思います。
また、成長が早いストリーマーさんも多いですけど、それはこれまでにいろんなゲームをプレイしてきた経験の蓄積があったからこその話となります。
配信上で練習時間を見ることはできても、子どもの頃からずっと遊んできた歴史というものは見えないから、視聴者側は推し量ることしかできません。
そのこれまでの蓄積を見ようとせず、センスの一言で片づけられるとモヤモヤする人はきっといるんじゃないでしょうか。
そして面白いものを見たいという同じ思いからスタートした人気企画の主催者の方々は、参加者自身がルールを破らないかぎりは、参加者さんの意思をできるだけ尊重しているし、何かあったら守ろうとしてくれる参加者の味方になっていると感じます。
スト鯖などは特にそうですが、配信という表の舞台を輝かせるために裏で頑張っていることも色々あるでしょうから、ネット上で見えることがすべてじゃないというのも留意したほうがいいと思います。
GTAでお気持ちくるとは思わなかった!
— しょぼすけ / ShoboSuke (@ShoboLinco) 2022年9月1日
各々がロールプレイで楽しんでるし
裏で法律とかロールプレイのやり方とかは相談した上で遊んでるから、コメント欄でプレイを批判するのはやめてほしいし、一緒に乗っかるのもやめて下さい!そっとNGユーザーに入れて頂ければと思います!#ストリーマーグラセフ
お気持ちを表明するのは自由だけど
視聴者がお気持ちを表明するのは自由ですけど、相手がそれを受け入れるかどうかもまた自由ですし、無視するのも、BANするのも、訴えるのもまた自由です。
表現の自由を盾にする人もいますが、その前に公共の福祉という考えがあって、基本的人権を濫用(らんよう)してはならない、つまり他人の権利を侵害するような権利の使い方はしてはならないとあることはぜひ忘れないでください。
レシートとは
あと25行ぐらいあります pic.twitter.com/hT4jBuxEWE
— Zerost (@Zerost_s) 2023年4月29日
すいませんなんかショック受けてるとかじゃないです!レシート送られてきて面白かったから…
— Zerost (@Zerost_s) 2023年4月29日
VCR RUSTでZerostさんが送られてきたお気持ちDMのことを「レシート」と呼んだことから、長文のお気持ちは「レシート」と言われることがあります。
杞憂民(きゆうみん)とは
杞憂(きゆう)とは「心配する必要のないことをあれこれ心配すること」です。
必要以上に心配が止まらない視聴者たちのことは、杞憂民と呼ばれています。
杞憂民の具体例
- 「時間になったけど大丈夫?」
- 「今日つまんなそう」
- 「怒ってる?」「納得いってなさそうだね」
- 「機嫌悪そう」「楽しめてるのかな」
- 「疲れてそう」「眠そう」
- 「調子悪い?」「体調悪いんかな」
- 「最近休んでるけど体調大丈夫なの?」
- 「そろそろ寝た方がいいんじゃない」
- 「練習しなくていいの?」
- 「明日大会だけど大丈夫そ?」
- 「仲悪いの?」「最近コラボしてなくない?」
- 「再生数伸びてないけど大丈夫?」
- 「同接少なくない?」
- 「フォロワー減ってる」「離れちゃうよ」
- 「炎上しないか心配」
- 「~しすぎじゃない?」
- 「配信なかったけど」
- 「余計なお世話かもしれないけど」
- 「杞憂民湧きそう」
心配は無限にできてしまう
杞憂と言う言葉は、「天地が崩れ落ちてくるんじゃないかと心配した」という故事から生まれたそうです。
崩れる可能性がないとは言い切れないけど、いちいち心配していたら生きていくのに苦労します。
心配ってしようと思えば際限なく、いくらでも心配できてしまいます。
どんなことでも何かしらのリスクは常についてまわるもので、外に出れば事故に巻き込まれるかもしれないし、家の中にいても突然家が崩れて下敷きになるかもしれません。
それは心配したからと言って防げるわけでもありません。
なので日々生活していくために、人によってリスクの受け入れや心配の度合いをそれぞれ調整しています。
「歩いたらコケて大ケガしちゃうかも」「ネットを使ったら個人情報が流出しちゃう」などと日頃から心配して生きている人もいるのかもしれませんが、多くの場合は歩いたり、ネットを使ったりから得られるメリットを優先して生きてるでしょう。
これを読んでいるあなたもネットのリスクよりメリットを取ったから読めているわけですね。
杞憂コメというのは、そのような価値観の違いから、人によってラインが変わってくると思います。
心配する必要のないこととは何か?
まずわかりやすいところでいえば、起こったことに対するのが心配、起こってないことに心配するのは杞憂となりやすいでしょう。
他の星の生命体がやってきて侵略される可能性が0とは言えませんが、侵略の心配をしている人がいたら、私は杞憂すぎん?と思います。
本人が侵略されるのを心配しているならともかく、本人が心配していないのに他人に「もし侵略されてしまったら……」と心配されるのは、「何も起きてないのに言われても……」となってしまいやすいかなと思います。
事件・事故など想定外の事態が起きたら心配になりますが、想定内の状況であれば、そうなることは予定のうちですのでやはり杞憂になりやすいと感じます。
配信活動で言えば、フォロワーや再生数などの減少は起こったことかもしれませんが、活動者であれば常に右肩上がりなものではないとわかってる人は多いと思うので、想定内でしょう。
他人の夜更かしや遅刻も、本人が「大丈夫だ」「どうにかなる」と判断してやってるのだろうし、それで怒られたり謝ったりすることになったとしても、想定内で覚悟のうえでしょう。
今の日本において、遅刻したことでかける迷惑を理解してない人はいたとしても、遅刻したら怒る人がいることを知らない人は少数派だと思います。
負ける確率って結構高いもの
敗北ってのは勝負の世界に必ず発生するただの現象だ
たとえ世界一のストライカーでも全戦全勝なんてのはありえない
大事なのは"敗北に何を学ぶか"だ
敗北した者はその戦場から否定される
戦う者にとってそれ以上の"絶望"はない
なのに多くの凡人共はこの"絶望"を正しく刻まない『ブルーロック』8巻
勝負というものは負ける確率が少なくとも50%以上あります。つまり半分以上です。
負けたくないなら「勝負しない」という選択がありますけど、勝負の場に出続けている以上は、負ける覚悟がある人が多いでしょう。
先に書いた「想定内」ってやつです。
いのりさん
できない時間があっても大丈夫だよ
焦らなくていいんだよ
できない事と向き合った時間は未来でまた壁にぶつかった時の助けになる『メダリスト』2巻
もちろん負けるのは悔しいものですが、対戦系ゲームをやる機会が多い配信者であればあるほど、負けることがあるのは当たり前のこととして受け入れ、負けたとしてもたいてい次があるし、負けたからこその努力ってあるもので、負けて得たものは今後の力となるとわかってる方が多い印象があります。
前に「免許を取ることが目的なのと、安全に運転できるようになるのが目的なのでは感覚が全然違う」と書いたことがありますが、目の前の勝ちを目指す人と、自分が強くなることに焦点を当てている人もまた、考え方が全然違うんですよね。
なんなら勝負に負けてゲームが大好きな配信者さんがゲームを完全にやめてしまう確率より、杞憂がうざいからこのゲームを配信でするのはやめようとか、配信活動自体をやめてしまう可能性のほうが全然高い気がします。
それだけの熱量を持って取り組んできたゲームは配信者さんにとって好きなものだからそうそう離れませんが、配信したからこそ発生するコメントというのは、イヤだと思ったら配信をやめればいいだけで、やろうと思えばすぐに解決できる問題ですからね。
もしかしたら負けてやりたくなくなってしまう時もあるかもしれませんが、それは時間が解決してくれることが多いと思います。
相手がかまちょモードか?
心配してほしい時に声をかけてもらえると嬉しいかもしれませんが、かまちょな気分じゃない時に来られるとめんどくさく感じてしまう場合もありませんか?
「明日の用意した?」「やらなくていいの?」「なんでできないの?」「片づけて」「もう寝た方がいいよ」「そんなにお金使って大丈夫なの?」「酒・タバコは体によくないよ」「そんなんじゃ社会でやっていけないよ?」などと言われたらうざい時はありませんか?
気分じゃない時に、自分でもわかりきっていることを口出されるのは、私ならうざったく思ってしまいます。
1回でも上記のようなことを言われて「うるさいなぁ」と思ったことがある人は、あなたが思い描いたその人と同じことを配信者に向かってやってる可能性が大いにあります。
お気持ち、杞憂民、ママコメ、それに加えて指示厨は、こういった日頃言われてイヤだなぁと自分が思うことと言ってること・やってることは同じなので、そりゃ嫌がられるよねって思います。
杞憂民がイヤだと明言している人は特に
そもそもで言えば、私は軽率に「他人を心配する」という行為そのものが、杞憂に当てはまると思っている派です。
親の保護下にある子どもならともかく、健全な大人は、自分の心配は自分でしているので、自分が気をつけるべきと思ってることはすでに気をつけてるでしょう。
自分軸で生きている人からすれば、他人はどうにもならないものだし、1人1人自分の心配をしてればいいだけの話なのに、他人の心配してくるの何?という感覚は大なり小なりあるのではないでしょうか。
そして私が思うに、健全な配信者さんは皆、大丈夫じゃなかったら配信してません。
大丈夫じゃなくなったら配信をやめているので、配信していたら基本大丈夫だと捉えています。
萎え落ちしていたとしても、次配信を始める時は大丈夫になったから配信を始めたわけで、ダメだったら配信してないでしょう。
だから、日頃から「杞憂民うざい」と話している配信者さんは、「大丈夫だから配信している」と思っている方々で、いちいち心配してくること自体がすでに杞憂なんだろうなって感じます。
心配って優しいというイメージがある人も多いかもしれませんが、心配するということは「私はあなたがそれをできないと思ってます」と信用がないことを伝える一面があります。
自分がすでに気をつけていても「いやいや、できてないでしょ」「あなたはできないから言ってるの」と言われるようなもので、私ならうざく感じちゃいます。
たとえ心からの優しさだったとしても、「あなたは自分の管理もできない人ですね」「あなたはファンを集める能力がないですね」と受け取られかねない、不信を伝える失礼でネガティブな呪いの言葉でもあることは覚えておいてもいいかもしれません。
勝手に気持ちを決めつけられるのって結構不快
これは私の実体験に基づく感想ですが、特に怒ってない時に「怒ってる?」と言われると、「怒ってねぇよ、勝手に人の感情決めるんじゃねぇよ」とイラっとしました。
私がムカついたのは「怒ってる?」と言われたことに対してです。
その時は作業中に声をかけられて「ちょっと待ってね」と言っただけだったのですが、作業に集中しているのが怒っているように取られてしまったようで、相手に「私が作業中であること」は見えていないようでした。
ゲーム配信って基本、ゲームの作業中です。
ゲームの操作をしながら器用に喋ったり、コメント欄を見たりする配信者さんは多いですが、本来難しいゲームであればあるほど集中しないと難しいものです。
私は1人に言われただけでもだいぶイラっとしたのに、意識を分散させながら配信している中で、あることないこと好き勝手決めつけられるのは大変だろうなと思います。
心配する出来事が起きることもある
ケガや病気、事件・事故など、実際に何か起こっている時に心配するのは自然なことだと思います。
こういう有事の際に「杞憂するな」と言っている人もいましたが、それは違うと思うし、逆に危機感がなくて怖いです。
「これから手術するけど心配しないでね」などと言われた時は、自分の心配する気持ちはそのままに、ただ相手の心配してほしくない気持ちを尊重し、心配に思う気持ちを相手に伝えるのだけ控えればいいのではないかと思います。
自分が思うことってすべてを相手に伝える必要ってなくて、あえて言葉にしないという気遣いの仕方もあるものです。
ママコメとは
ママコメントの略。
まるで母親(もしくは彼女やマネージャー)かのような身内感、上から目線感のあるコメント。
ママコメをする人は「ママリス」と呼ばれることも。
ママコメの具体例
- 「かわいい」(何しても全部)
- 「よちよち」
- 「かわいそう」
- 「反抗期なんだね」
- 「これやりな」
- 「概要欄変えときな」「タグ変えときな」
- 「~しなくていいの?」
- 「練習しなくていいんですか?」
- 「疲れてるんじゃない?」
- 「集中力切れてきてない?」
- 「集中できてないよ」
- 「もうやめれば?」「休憩しませんか?」
- 「○○苦手なのかな」「調子悪い?」
- 「明日早いのに大丈夫そ?」
- 「もう寝たほうがいいよ」
- 「そんな長時間やって大丈夫?」
- 「遅刻しちゃう」「早く行かないと」
- 「~できてえらい」「謝れてえらい」
- 「Bが落ち込んでるだろうからフォローしてあげて」
- 「Aのためを思って言ってる」
- 「うちのAをよろしく」(鳩ママコメ)
- 「Aがお世話になっています」(鳩ママコメ)
- 「Aから来ました。温かい目でお願いします」(鳩ママコメ)
- 「Aは多忙なので誘わないでください」(鳩ママコメ)
- 「誰かできる文字います?」
(配信主が求めてないのに勝手に視聴者から募り始めるママ) - 「ママコメつらいね~わかるよ~」
- 「離れちゃうよ」
- 「余計なお世話かもしれないけど」
- 「ママ多すぎ」
寝かしつけママ
「明日早いのに大丈夫そ?」
「寝ないの?」
「もう寝たほうがいいよ」
「まだやってる」
「そんな長時間やって大丈夫?」
自分が「そろそろ眠いな~寝ようかな~」と思った時にこういうコメントを見かけることが多々あるので、寝かしつけようとしてくるママたちはタイミング的に、自分はもう眠い、寝なきゃなのに配信が続くのがイヤなだけなんじゃないかなという印象がついてます。
実際にVTuberさんもその認識をしていたので、ただ自分が寝たいだけなのに、まるで相手のためを思ってるかのような言い方をして、配信を閉じさせようとしてるのが透けて見えるから嫌がられているんだろうなぁと感じます。
代弁ママ
「うちのAをよろしく」
「Aがお世話になっています」
「Aから来ました。温かい目でお願いします」
「Aは多忙なので誘わないでください」
「誰かできる文字います?」
具体例にも書きましたが、配信主が求めてないのに勝手に挨拶したり、勝手に視聴者から募り始めたり、勝手に憶測で気持ちを代弁し始めたりするママがいます。
配信でも言ったけど全く嫌な気してないので勝手な憶測で、りりむの気持ち語らないでね!後、りりむの配信をちゃんと見てくれてる人はエンタメだとわかってると思う!これからも、にぃやん(叶くん)とファン太さんと仲良くしたいから、りりむのことちゃんと考えてくれる人は誰かを叩くんじゃなくて、↓
— 魔界ノりりむ🍼姫特性🎀 (@makaino_ririmu) 2025年6月10日
その人の気持ちはその人のものですし、基本的にただの1視聴者は配信者の身内ではありません。
「こう思ってるに違いない」は外れることもあり、決めつけはよくないです。
杞憂民の「勝手に気持ちを決めつけられるのって結構不快」の項目にも書きましたが、他人に勝手に気持ちを決めつけられる側って結構不快なもので、当たってなければ尚更イヤだと私なら思います。
中には視聴者頼りな人もいます
大半の配信者は大人なので、知らない人から子ども扱いされるのを嫌がる人は多いですが、中にはその親切心を受け入れてる配信者さんもいます。
明日は17時半から美容院です。みなさん私が配信を17時以降もしようとしてたらしっかり注意してください。
— しんじさん (@Shinjisan_XD) 2023年9月21日
よろしくお願いします
こういう明確な呼びかけがある時は、歓迎されているのではないでしょうか?
パパコメとは
にじさんじの酒寄颯馬さんが、「指示コメになっちゃってないかなと不安になった時は、自主性を重んじるパパを心に宿して、『お前の好きにしなさい』とパパコメにしておこう」という話をされていたのが話題となりました。
ワンチャン指示になんのかな~ってコメントあったらせずにパパコメでお願いします。「お前の好きにしなさい」って。
ただ、これはあくまで酒寄颯馬さんの配信の中だけでのノリなので、「ほかの人のとこではね、言わないでもらえたら。このノリを出さないようにしてもらえたら」とMadTown GTA(β)の配信中に酒寄颯馬さん本人がおっしゃっていました。
