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【心機一転】コロナワクチン問題もメドがついたので、溜まったストレスからメンタル回復しようと思います。


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溜めて病むくらいなら吐き出しも必要。しえるです。
 

ここ最近、立て続けにモヤモヤすることが多い日々を過ごしていました。

  • 新型コロナウイルスのワクチンはいつ打てるのか
  • 乗り換え先の格安SIMスマホのネットが繋がらなくなる
  • 配達完了メールで気づいた誤配送
  • 玄関で宅配の方が毒づいている所に出くわした
  • 新型コロナに対する意識の差
  • チケ代払ったけど自粛で行くのをやめる状況が続いている
  • 部屋で使っていたフック類が次から次へと剥がれ落ちてしまった
  • 珍しく通販で服を買ったら思っていたのと色が違った
  • ビーガンのお店行ったらそうでない人への蔑みの会話で盛り上がっていた
  • 傘とか色々壊れて続々買い替え
  • 買ったばかりの傘を汚してしまった
  • 行きたかったお店の定休日が変わっていて寄れなかった
  • クラウドソーシングのお仕事が少し減った
  • 校正していて出てくる自虐やコンプレックス刺激の言葉
  • SNSなどで何度か嫌な気分になった

今はめどがついたのでよいものの、コロナワクチンのもどかしさでしばらくストレスが高まっていたので、1つ1つは小さなものでも、次々と積み重なって心が荒んでいました…。

 

なので今回はメンタル回復のために現在取り組んでいることを書いてみます。

【心機一転】コロナワクチン問題もメドがついたので、溜まったストレスからメンタル回復しようと思います。

どうにかなるものは地道に1つずつ解決に向けて動いています

新型コロナのワクチン・格安SIM不通・誤配送の件は無事解決しました。

ciel-myworld.hatenablog.com

フック落下は続発して現在4か所目で、「また落ちた音がした…」とウンザリしています…。

別のものに替えるのか、それともフック収納をやめるのか、悩みながら放置中です。 

デジタルデトックスに力を入れ始めました

ストレスが溜まっているにもかかわらず、必要以上にTwitterはてブ、ニュースなどを読みに行ってしまう自分がいて、余計に自分からストレスの元に飛び込んでしまっていたなと反省しました。

 

Twitterはタイムラインは前向きでいられる内容にするためフォローを整理し、情報を集めたいときはリストでチェックできるように整備したのに、気づけばわざわざ憂鬱な気持ちになるとわかっていながらリストの方をチェックする習慣がつきかけていました。

 

今はスマホからはFacebookTwitterはてなブックマークなどのアプリを削除し、もう利用していない会員系は退会し、写真やビデオ、音楽などの整理をちょくちょく進めています。

ついTwitterはてブに手を伸ばそうとすることはありますが、アプリがないと「そうだ削除したんだった」となって、一瞬空いた手が宙をさまよいはしても、特に再DLすることなく別の作業に取り組むことができるので、消してよかったなぁと感じています。

 

後者は軽く15年分くらいはあるので骨が折れますが、見て気分が沈む写真などを消し、テンションの上がる写真ばかりになってくると気持ちがいいものですね。

なんでいまだに身内炎上の元になった写真とかバックアップ残しているんだろうと自分にビックリしてしまいました。

 

動画も思いのほか懐かしいものが出てくるので、最近は大した手間のかからないiMovieでの編集やYouTubeの不定期投稿も地味に楽しんでいます。

(でもYouTubeの視聴時間自体は他のSNS同様、徐々に減らしてみています。)

なんで嫌な気分になったのかを考えています 

私はムカついたり、悲しくなったりなどの嫌な気分になったとき、いったん怒ったり泣いたりと感情を消化して落ち着いてから、なんでそれを嫌だと感じたのか考えるようにしています。

 

というのもだいたいそこには、自分で「~しなければならない」と縛ってしまっていたり、何か心の引っ掛かりを感じているテーマが隠れているように思うからです。

 

私はこれまで「人は失敗して学ぶもの」「いろんな考え方の人がいて、それぞれが正しいと思っているものだ」ということを知っていると思っていました。

でもわかったふりをしているだけで、どこかそれを完全に許容できていない自分もいるのかもしれないと思うようになってきました。

 

というのも私は少し判官びいきの気があり、誰かを間違いと受け取って鬼の首を取ったように指摘したり、他人の不手際を責めたり、「〇〇失格」などと自分で烙印を押してしまったりするのを見るのは苦手だったりします。

それに対して表立って何かを言うことはありませんが、「嫌だな、なんでそんな言い方するの?」とは思うのです。

 

でもそもそも「人の失敗を責めることを良くないこと」とか「失敗」と捉えていること自体が私のエゴで、自分の中の正しさで善悪をつけており、結局心の中では相手のあり方を尊重できずに否定していたことに気がつきました。

 

そう考えると、最近自分が気にしていたものの多くは、勝手に自分の正当性を突かれたと感じた時に沸き起こっていたのかもしれないと思いました。

 

先日はオーガニックだったから訪れたビーガンのお店で、ビーガンでない人を糾弾する話で盛り上がる姿を見て不快に感じたりしたわけですが、これはお肉を食べる自分が間違っていると言われている気分になったからであり、自分が間違っていると思いたくなかったのかもしれません。

  

また、私は会社に属さずに生計を立てられるようになりたいと思い、昨年に在宅フリーランスの道を選択しました。

時間配分は自分次第なので、ちょくちょく気になった生配信とかも楽しんでいたのですけど、配信者が「視聴者は暇な学生かニート」を前提として話してきたりすることもあるんですね。

実際には、自営業とか在宅ワーカーとか療養中とか主婦とか勤務時間が変則的だったりなど、いろんな状況の方がいらっしゃると思うし、これまではそんなに気にしてもいませんでした。

 

しかし、人生において「この道で本当に大丈夫かなぁ?」と揺れる瞬間って往々にしてあるのではないかと思うのですが、そんな時にその前提を聞くと「そうじゃない人だっているのに!」って抵抗心が沸いてきたんです。

 

恐らくこれも、同じ言葉であっても自信が揺らいでいたことで、無理せず自分のペースで好きなものを楽しみながら生きたいという思いが、何もせず遊んでいると自分の生き方を責められているように感じたのではないかと思います。

冷静に考えると、配信者こそその道を歩んでいる人のはずなんですけどね。

ciel-myworld.hatenablog.com

そもそもビーガンの店にいた人も、配信者も、私のことを直接知っているわけがなく、私に向かって投げかけた言葉ではありません。

にもかかわらず、私の心は波立ちました。

 

そしてもう1つ、私が知っていたこと。

それは世の中は映し鏡なので、何かに対して怒ったり責めたりする時というのは、本当は自分の心の中で起こっていることだということ。

となると、本当にそう思っていたのは私だったということになります。

 

「〇〇のここが嫌い」「△△のここが悪い」と言い放つのは、自分の課題をさらけ出しているようなものだと思っているので、私はふだん何か起こってもそんな深く言及しませんし、だからこそTwitterのタイムラインを整理しようとしていたわけですが、結局心の中で思っていたら、それは同じだなぁと思いました。

 

ということは、自虐の言葉を聞きたくないというのも、自分を責めてばかりで苦しかった頃に戻りたくないという過去の自分への拒絶感があるように思います。

 

それらの根本には多分「正しくあらねばならない」「上手くやらねばならない」 というトラウマ的な強迫観念のようなものが消えずにくすぶっているのではないかと感じました。

 

これは、私が大好きなラーメンズ小林賢太郎さんが20年以上も前のコントのネタで大きな騒ぎになっているのを見て、怖くなったのもあるかもしれません。

ネタの是非はともかく、彼の著書を読んで今の人柄をある程度知っていますし、考え方に大いに影響を受けて育ったものですので…。

 

でも改めてコバケンさんの本のメモを見返したら、今必要なヒントが書かれているように感じました。

これまで何度も間違え、何度も失敗してきました。きっとこれからも。けれど、そのたびに正しくはどうあるべきだったかを考えるようにしています。ただネガティブな思い出を増やすだけでは、せっかくの失敗がもったいないですからね。後悔ではなく、反省です。

結局間違ったなぁと思っても、じゃあどうすればよかったのかなとまた1つずつ積み直していくだけですね。

机の上で知ったことは、その実際を知る入り口にすぎないのです。「知識」は「記憶」だけでは不十分で、経験が伴わなければ、本当の意味で「知った」ということにはならないんだと思います。
経験すれば、なにかしら自分の感情が動きます。

私が知ったような気になっていたこと。

そこに経験が重なって、結びついていってるように感じます。

そう思うと私が後悔したり、イラついたり、悩んだりしていた時間もとても大切なものですね。

インターネットって、参考にすべき監督の発言と、たあいない酔ったサラリーマンのヤジが、まったく同じフォントで並んでいるのです。自分の評価をネット上で確認したかったら、そこをきちんと判断することが条件です。そして見たあとも「影響」ではなく「刺激」にとどめること。できないのなら、見なければいいだけ。

ちょっと前の自分は刺激を受けているだけだったのに、今は影響を受けてしまっていたなと感じました。

デジタルデトックスしようと思い立った自分は、無意識ながらも理にかなっていたんですね。

大事なことは「人にどうあってほしいか」よりも「自分がどうありたいか」です。

他人から受けるのは刺激にとどめ、自分がどうありたいかに集中したいと思います。 

「塞翁が馬(さいおうがうま:人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえ)」という言葉もありますが、おそらく本来はその出来事自体には善も悪もないフラットなもののはずで、人間が勝手に良い悪いと判断しているだけにすぎないものではないかと思い至りました。

なので自分のエゴで判断してしまわずに、ただ今の自分がどうありたいかに集中していきたいものですね。

 

今回、このような考え方のクセに気がつけたことで、改めて少しずつ「どんな私でも大丈夫」と許可しながら進んでいければなぁと思いました。

ハイキュー!!の旭くんに共感してしまいました

ハイキュー!!を読んでいたら、烏野高校エースの旭くんが力を発揮できず考え込んでしまったところに、仲間たちから「世界の終わり顔ヤメロォ」「調子乗って凹んでんじゃねぇーっ!!!」とツッコまれていました。

試合でブロックされる度「自分はなんてダメなんだ」って思ってた
ご丁寧にも失点の都度な
「自分はなんてダメなんだタイム」が無駄だったってわかっても頭が勝手にソッチ行っちゃうんだよなあ
危なかったありがとな

これはこうだとわかったつもりになっても無意識のうちに、頭が勝手に元の考え方のほうへふわっと行ってしまいそうになることがよくあります。 

ただ一人信頼してこなかった奴が居る
「お前はどうせ失敗する」「どうしてできないんだ」「足を引っぱる奴め」


…さあ相手は強敵だ
「自分」と戦ってる余裕は無いぞ
罪悪感も恐怖心も在って当然
ぜんぶ背負って俺は今日俺を味方にする

人生はほっといても色々起こるもの。

私も全部受け止めて、常に私が私の最大の味方でありたいです。 

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