三浦春馬さんの訃報がかなりショックすぎます…しえるです。
私にとっては初めて舞台を観に行くきっかけとなった思い入れのある俳優さんでした。
私の初めて観に行った舞台が地球ゴージャスの「星の大地に降る涙」でした。
完全にお目当てはゲスト出演していた三浦春馬さんです。
「14才の母」や「ブラッディ・マンデイ」で単純にカッコイイ~から入ったのですが、端正な顔立ちだけでなく自分の考えをちゃんと持っていて、ストイックに吸収し、ブロードウェイミュージカルでドラァグクイーンを演じるなど、どんどん新しい挑戦をしていく姿がまた魅力的でした。
個人的には「ブラッディ・マンデイ」の高木藤丸役や「銀魂2」の伊藤鴨太郎役が素晴らしくハマっていて好きでした。
また、三浦春馬さんがMCを務めるNHKの「世界はほしいモノにあふれてる」という番組も好きで毎週見ていました。
ダブルMCであるJUJUさんと三浦春馬さんの息の合った掛け合いと、ファッション、グルメ、インテリア、雑貨などさまざまな分野のバイヤーさんの愛と熱意に溢れた素敵な品々の世界観を楽しむ姿が心地よい番組です。この2人によるMCだからこそ、より味わい深い素敵な番組になっていて見続けている部分が大きいですからね。
JUJUさんも言っていたように、旅をして、新しい世界に出会うごとに、ますます素敵な大人の男性になっていく春馬さんを見るのが楽しみでした。春馬さんのマジックショー見たかったなぁ…
こんなことになるなんて想像だにしていなかったので、本当に衝撃でした…。
正直、信じたくない気持ちでいっぱいです。
いて当たり前と思ってしまいがちだけど、人の心は揺らいで堕ちてしまう繊細なものなんだと改めて痛感しました。
どんなにすごそうな人でも、どんなに強そうな人でも、自分と同じように悩んだり悲しんだりするただの人間なんですよね。
「なんで」かはわかりようがないし、正直考えても仕方ありません。
考えるとしたら、自分に何ができるのか。
好きな気持ちってなかなか伝えないけど、嫌いという気持ちを簡単にぶつけてしまう人はたくさんいます。
完全にネガティブな感情の方が届きやすい構図ですよね。
私もイラっとすることは余裕でたくさんあります。そのイラっとした感情も本物ですが、なるべく相手にぶつけず自分の中で処理したいものです。最終的には、相手は悪くなく、自分自身の問題なので。ぶつけた感情はブーメランとなって自分に返ってきます。
自分に集中すればするほど、他人が気にならなくなっていくので、その考え方が苦じゃなくなっていくと実感しています。
自分に合わないと思ったら、ただ合わなかっただけ。そんな世界もあるんだなと思うだけ。だからといって相手を否定しない。そこから離れるだけでいい。
悪い部分があったとしても、例えば「〇〇の部分が面白くなかった」とか具体的にどうして良くないと思ったかを伝えれば改善に繋がるけど、その人自身を否定をする必要は一切ありません。
何よりも良い部分を見ている方が、自分が気持ちいい。
できるできないとか世の中がどうこうじゃなくて、そう意識することが大事かなと考えています。
そして、どう受け取るかは相手次第だとしても「好きだよ」「こんなところが素敵だよ」といったポジティブな気持ちは本人に伝えるに越したことはないのかなって思いました。
ちなみに私は昔、自分の好きなものは独り占めしていたいと思っている人でした。
でも自分の好きなお店が閉店してしまう悲しみを何度も味わいました。私がこっそり好きでも、毎日通えるわけじゃありません。自分がどれだけ好きだと思っていても、富豪でもなんでもないので、自分にできることは限られています。
自分の好きな存在に居続けてもらうためには、少しでも魅力を広めることが存続に繋がるんだという考え方に変わっていったのです。
そして自分の大好きなものたちが途絶えてほしくないから、1人でも多くの人にこんな素敵なものがあるんだよ!夢中になれるものがあると楽しいよ!ということを発信したくて、このブログを始めました。
それは人に対しても同じ考えです。
世の中には本当に素敵なものがたくさん溢れているのと同時に、それを生み出す魅力的な方々がいらっしゃいます。何かが生まれる裏側には、想像以上に大勢の人たちが携わっているからです。それは有形無形、関係ありません。
私はこれまでに出会ってきた数えきれない人たちの影響を受けて、自分ができあがってきました。先陣を切って努力してきた人たちのお陰で、今の自分があるのです。だからこそこのブログを書くことができています。
例え自分の人生と接点のない関係だったとしても、私の大好きな方々が、その方らしく、自分の道を歩み続けてほしい。
大好きな人が、自分で自分の命を絶ってしまうことほど悲しいことはありません。
私はこれからも好きという気持ちを伝え続けていくブログを書いていきたいと思います。
明るみになる事が清いのか、明るみにならない事が清いのか…どの業界、職種でも、叩くだけ叩き、本人達の気力を奪っていく。皆んなが間違いを犯さない訳じゃないと思う。 国力を高めるために、少しだけ戒める為に憤りだけじゃなく、立ち直る言葉を国民全員で紡ぎ出せないのか…❄️
— 三浦春馬 & STAFF INFO (@miuraharuma_jp) January 28, 2020
人は間違う生き物です。すべてが完璧な存在なんてありません。
間違いに気づいたとき、だいたいは自身が1番反省しているものです。
子どもの頃よくある「今やろうとしていたのに」をわざわざ発生させる必要はありません。意固地になってしまうだけです。
過ぎたことは取り戻せないからこそ「どうやって解決していこうか?」と皆で助け合えばいいのではないでしょうか。
人はそれぞれが違う存在です。
それぞれの考え方の違いを尊重しあえる関係になれば、人と違うことを気にする必要がなくなります。
「その考え方は間違っている」ってバッシングは本来必要ないと思うんです。そもそも正解がないんですから。
この世に存在している時点で、それはもう在るものです。
「間違いを正す」の最たるものが戦争ですけど、その不毛さに辟易している人が多いはずなのに、自身も同じ道をたどることになってしまっています。
世界の常識は大多数の偏見です。過去の誰かが都合よく決めたものです。
それよりも視野を広げ、自身の考えを確立し、どんな意見でも皆が思ったことを言い合える関係、現状に疑問を持ち、時代に合わせた皆がより生きやすい世界を目指す方がよいのではないでしょうか。
つい最近まで自分の意見に自信が持てず、思ったことを言えずにため込んでいた自分だったからこそ、その思いが強いです。
皆が皆、そのままの自分で生きやすい環境であれば、相手を叩く必要はなくなります。
相手を下げて自分を上げるのではなく、全員で上がっていけばいい。
お互いを許し、支え合う優しい世の中になることを心から願っています。
心からご冥福をお祈りします。
Rest in peace...