バランスって難しい。しえるです。
最近、ブログを書く時に色々考えてしまって、のびのびと書けない自分がいました。
というのもこの頃、自分の中で日々目まぐるしく、考え方だったり、常識だったりが変わっていっているからです。
目的や理念と優先順位を見失うとバランスが総崩れすると思った話。
今、ブログの方針として考えていること
自分の文章力や感性向上のために、とりあえず365日は毎日書き続けよう。
そしていずれは量ではなく、記事内容の質への注力を重視へシフトしていきたいなと考えています。
とは言っても質の高い記事を書こうと思って書けるものではないので、目指すのは内容の充実です。
365日書き切るまではとにかく書く内容の基準だけ決めて、今できる限りの力を注いで書いていこうと日々勤しんでいます。
その基準とは、対象のジャンルなどではなく、ふわっとしたコンセプトのようなもの。
「自分が良いと思うものがもっと広まってほしい」
「良いものをささやかながら応援したい」
「自分が生きる世界をより好きなものにしたい」
「物事の良い部分に注目するようにしたい」
「良さを表現するのに、他のものの価値を落とさないよう心掛ける」
これは日常的なことでも、ブログを書く時でも、共通した考えです。
私が提供できるものと得たいもの
過去に人生をつまらないと思っていた自分が、素敵なものに出会って好きが増えていったり、考え方が変わったことで少しずつ、人生を楽しく過ごせる時間も増えていきました。
私はそういった、これまで模索してきた私の経験や知識を提供できるのではないかと考えています。
内面的なものは今までは恥ずかしくて、人様になんてとてもじゃないけど話せないと思っていましたが、徐々に抵抗は減りはじめました。
コロナ禍の今だからこそ役に立つこともある気がするし、むしろその経験をお伝えすることで、どこかで誰かが、何らかの形でより楽な生き方へシフトしていくきっかけになれたらいいなぁ~と思っています。
そのために一部の記事は、過去の自分へ向けて書いている節もあります。
そして、何者でもない私が薦めたものが「本当に良かった」と皆さんにも思ってもらえたら嬉しいなという気持ちがあります。
日常生活で趣味の多い私は、よくいろんな友人知人にオススメのものを紹介してきました。
おいしいごはん屋さんだったり、旅行先の観光スポットだったり、面白い本や良い音楽など、このブログで紹介しているような内容を教えてきて、「しえログ」として行き先の相談をされたり、「良かったよ~」と感想を言ってもらったり、ハマったりしてもらえることに喜びを感じていました。
その後、転職で環境が変わってよりその感覚が強まり、営業先や、カフェに来たお客さんに近隣のカフェ情報を教えてあげると喜んでもらっていたのもあったりして、ようやく自分の情報には価値があるかもしれないと思うように。
そんなことがあって、その対象範囲を広げたくなったのが、ブログに力を入れるようになった1つのきっかけでした。
そんな私が得たいもの、それはつまり「信用」です。
「誰かにオススメする」という行為は、私自身の「信用」に関わってきます。
それが微妙だなと思われてしまった場合、私の話をまた聞きたいと思うことはなくなり、価値が下がってしまうからです。
「信用」を落とさないためには、良いものを発見する「嗅覚」に加え、「本音」「正直」「誠実性」といった部分が大事だと考えています。
基準と正直さのバランスが難しい
今の自分には全然影響力があると思ってはいないですが、だからと言って適当なことを書くわけにはいきません。
私はどれも「良い!素敵だ!」と思っているから記事を書いています。
しかし良いと思った部分を上手く伝えられないと表現力のなさがつらいし、自分の記事のせいで余計な良くない印象をつけさせてしまうとしたら歯がゆいし、不本意だったりするのでもどかしいなと色々想像してしまい、結果として逆にガチガチになってしまうことがあります。
ものによって好きの度合いが違う
たとえ何が対象であっても、100%全部が好きってことはほとんど稀なことです。
だいたいのことは「ここは微妙だけど、それ以外は好き」というように、多少は興味ない部分であったり、良いと思わない部分があったりします。
中には「この点はどうしても受け入れられない。でもこの部分はめちゃくちゃ大好き」というような両極端さがある場合もあります。
どれも「良い」と思ったものですが、どうしても熱量にも差はありますし、全体の何%を好きかのバランスも変わってきます。
特に良い所と苦手な所が両極端だった場合、ものによっては苦手に思う部分を無視できないなとも考えています。
もし私がおや?と思った部分に触れず、良い所だけに触れたとします。
そうすれば私は「物事の良い部分に注目するようにしたい」を達成することはできます。
しかし、良いことしかない!というように書くことは、逆に期待値を上げすぎてしまうことになり、実際に体験した時にガッカリしてしまう可能性もあります。
これは本来なら不要な期待値だったわけで、それを防ぐために、時には自分に合わないと思った部分を書かないといけないのではないかと考えています。
でもだからってその点がどれだけ良くなかったかを語るつもりもなく、私のように苦手に思う方がそこを見てガッカリしない程度に「こんな部分があるよ」という情報を入れたり、私以上に苦手な方にはオススメできないと言うに留めるよう心掛けています。
(当初はどんな方にオススメしたいかも常に書こうと思っていたんですけど、自分が知っている「どんな人」に向けてしか書けなくて、思うように書けないなと思って諦めた経緯もあったりします。)
それでも相手に敬意を払って失礼のないよう書いているつもりでも、昨今の炎上問題とか見ていると何がどう取られるかなんて、想像つかないレベルで起こりえます。
が、それについて考えすぎると逆に回りくどくなったり、変な文を書いていたりして、後になって読み返すとギャー!愛がない!!となったりしています。
少しでも煮詰まったら、いったん離れて温めるという基本に立ち返りたいと思いました…。
過去に好きだったものが、新しい知識によって見え方が変わった
今年の初めまで好きだったものが、今は変わってきているものもたくさんあります。
特に最近、私は食事について改めて勉強をしています。
きっかけはアトピーが悪化したことでした。
低糖質、高タンパク質の生活を送るようになってから、明らかにアトピーが良くなっていき、食事って大事だなと改めて実感しています。
今では、これは良くないだろうなぁと思ったものを食べると、案の定肌荒れが出てくるので、卒業の時だと思っていろんなものを食べるのをやめるようになってきています。
こうなってくると、何か特定の味を欲したりだとか、便が硬くて便秘気味だとか思ったら、何が足りていないのかな?などほかの部分も気になるようになってきたりも。
詳細は今後、また別記事として書きたいと考えていますが、最近は藤川徳美さんの本などを読んで勉強しながら、今後自分がどういう食生活をして、何を体の中に取り入れるのかについて考えている所です。
そうなってくると、つい最近までおいしい!と思っていたものが、体には明らかに良くないと気づくようになります。
すると、どこまでをオススメしていいものなのか?と迷いが生まれました。
つい最近もある飲み物について、散々迷った挙句に記事にするのをやめたものがありました。
明らかに体には良くないものが成分に含まれていたからです。
とは言ってもいろんな食品に使われている成分であって、今まで口にしてきていたし、あれだけおいしかったし…と思って記事用に購入してあったものを試しに飲んでみたんです。
そしたら以前はあんなにおいしいと思っていたのに、今は不快感しか感じなくなっていました。
食生活がガラリと変わったことで味覚にも変化が表れていて、何をおいしいと思うかが変わってきたせいか、体が受けつけなくなっていたのです。
それでも前はおいしかったし…と迷ったのですが、結局この飲み物については、悩んだ挙句に記事を書くのをやめることにしました。
本当の意味でおいしくなかったと分かっていながら書くのは、本意ではないと感じたからです。
今の自分と過去の自分の違い
このブログでは、これまで自分の中にため込んでいた好きなものについてのアウトプットもしています。
しかし、過去の自分と今の自分では感覚や知識が明らかに変わってきており、あの時はたしかに感動したはずだけど、今の自分がいいと思うかわからなくなってしまいました。
私は今、お米もパンも麺も砂糖もファストフードも、ほとんど食べることがなくなりました。
それらがおいしいことも知っています。過去に好んで食べていましたから。
でも今はそれ以上にデメリットを感じる自分もいます。
今の自分は食事内容の重要性について痛感しています。
でもそのお店のことは大好きだし、おいしいと感じたものも確かです。
この自身が良いと思う食事と、これまでのおいしいと思ってきた感覚のギャップで、何を良しとするかについて悩むことが多くなりました。
今は自分の取捨選択と、おいしさなどの価値に関連性はないとして、あまり深く考えないでいこうと思うことにしました。
最近再確認する機会があって、そこで同じように感じられないならまたその時は考えますが、場所によっては気軽にできないものも多いので、そこは過去の自分を信じることにします。
私自身も完全にシャットアウトしているわけではなく、ちょっとお出かけした時は好きなよう食べていいというようにしています。
カフェ好きはこれからも続けていく気満々で、日々チェック中です。
何のために書いたものなのか?
そして最後に、果たしてブログ記事というものは何なのか?
それは書いた人の分だけ存在し、情報、感想、思想、感情のはけ口といった書く内容から、思考の整理、アフィリエイト、宣伝の一環、誰かの助けとなりたいなどといった目的まで、いろんなブログがあると思います。
これまで何を書くかについてや、どういった方に向けて書くかといったことは常々考えていたのですが、何のために書くのか?についてが、少しふわふわしてきていたかも…と感じるようになりました。
ヒカルの動画が改めて考えるきっかけに
私がそんなモヤモヤを抱えていた時、YouTuberのヒカルがこんな動画をあげていました。
ネクステというグループの野球対決動画でのプチ炎上に対して、ヒカルの思いを話している内容になります。
ルールが不公平だ!とか、野球のルールだとこうじゃないか!という批判の声が上がったことに対するヒカルの回答が納得しかなかったし、ちょっとヒントをもらえた気がしました。
そもそも何のためにヒカルは動画を撮っているのか?
ヒカルはトーク、資金力、ガチさなどを武器に、たくさんの人に面白いと思ってもらえる動画をつくって、それの対価としてお金を稼いでいます。
ネクステも賞金のかかったガチ対決ではあるが、あくまで「視聴者を楽しませるエンターテインメント」が前提です。
正式な野球のルールに則って公平な真剣勝負をする必要はなく、1番大事なのは皆が個性を発揮して、面白い動画となるよう盛り上がりをつくることです。
実際、私はバッティング対決をしてくれたお陰で最後に面白いと思うことができました。
ぶっちゃけ私は野球にそこまで興味がないので、動画の前半のゴロを取っている姿はすぐに飽きてしまいました。
でもショーバンを増やしたお陰で野球の経験の差の違いがよりわかりやすくなったし、バッティング対決があったから最終的に私は見せ場を楽しむことができました。
熱意をもって真剣に、労力をかけて撮影や編集をして、その結果が批判されて、本筋とは違うところで叩かれるのはかなり萎えるだろうなぁと思います。
相馬さんは社員ではなく、あくまでゲストレギュラーですから、それは尚更でしょう。
自分がヘルプに行った先で悪い結果を生みだしてしまったとしたら、自分が来ない方が良かったのではと思い悩んでしまうのは想像に難くありません。
まぁもっと言うと、再生数を稼ぐことが利益に繋がるはずなので、結果としては悪くないのかもしれませんが、やはり本意ではないでしょう。
本来、叩かれるためにやっているわけではない
会社とかお店もそうですよね。
「おいしいと思ってもらえる料理を提供する」「社会の役に立つものを生み出す」
こういった理念や提供価値があって起業し、そしてその成果として利益を受け取っています。
そして基本的に皆、それが色々試した結果で良いと思って世の中に出していると思います。
商品や作品もある程度は、世の中に出しても大丈夫と身内で一定の評価を感じたから発信しているはずですし、最近でもキャンペーンが炎上して話題になったりしていましたが、それが悪いと思って取り組んでいる人は少ないのではないでしょうか。
それだけ皆で話し合ったり、散々検討して良いだろうと判断しているけど、 それでもすべてが良いと評価されるわけではなく、良くないと思われたら必要以上にぶわっと叩かれる文化が日本にはあります。
そしてそんな姿を見て、叩かれないように…と委縮してしまい、無難に走るとそれは個性のないものとして埋もれてしまいます。
そこでそんなの関係ねぇ!と自分を貫く勇気が必要かと思うのですが、たまにエネルギー切れになる時もあります。
その繰り返しに枯渇しないよう、うまく距離を持って付き合うには訓練が必要だなぁと思います。
改めて自分は何のために書いているのか?
ヒカルはすでに生き方として確立していますが、それまでに営業や工場勤務、様々なバイトを経験したり、YouTubeもゲーム実況から始まって、いろんな人と組んだり、いろんな動画を試したりしてきています。
しかし私は今、このブログについても、今後の生き方についても模索しているところです。
まだまだ固まっておらず、試行錯誤の段階です。
最近の私は、このブログの大切にしたいことの優先順位が曖昧になっていました。
情報の正確性なのか、それとも読んでくださる方に楽しんでもらうエンターテインメントなのか。
ブログを書きながら思考や情報の整理をしている側面もあります。まぁこれは副次的なものですが。
もちろん情報が正確なのに越したことはありません。
でも1番大事にしたいのは、ヘッダーに「人生を明るく楽しく過ごすための模索と経験をアウトプットしてます。」と書いているとおり、誰かの人生を彩る何かを見つけるきっかけとしてもらったり、このブログそのものを楽しんでもらうエンターテインメントの側面なのかなと思いました。
今後書いていく内容について
情報ってどうしても、書いた人の嗜好が反映されますし、書かれた時と読んだ時とで状況が異なる可能性も生じます。
であれば、よっぽどの変化がない限りは、ある程度の矛盾や不正確さは許容範囲と捉えるのもアリかなと考えてみました。
最初に書いたとおり、目まぐるしく自身の価値観が変化していっているので、この先、以前に書いていたことと矛盾する可能性は出てくることも予想されます。
なのであまり深く考えすぎず、ゆるーく更新していこうという所に落ち着きました。
北野武様の名言で
— 高橋優也 (@YUYA_STER) 2020年11月14日
人生深く考えるな、楽観的に生きろ
ってやつ本質すぎて大好き。
いずれは私の経験ストックも尽きると思うのですが、そういった部分は大目に見ていただき、存在に興味を持つきっかけとしてゆるく楽しんでいただければ幸いです。
それをどう受け取るか、これからも見ていただけるか、離れていくかなどはお客さん次第ですが、何を理念とするか、どんな記事を書くかは自分次第なので、その点に関しては今後も適宜こだわっていきたいと思います。