宇和島城
TEL:0895-22-2832
営業時間:開門6:00~、天守・郷土館9:00~ 休館日:無休 駐車場:あり
アクセス:JR宇和島駅から桑折氏武家長屋門まで徒歩約10分、JR宇和島駅から上り立ち門まで徒歩約20分
※2020年10月現在の情報です。最新情報は公式サイト等をご確認ください。
今も大自然に守られる平和なお城で悠久の時の流れを実感
宇和島城は、築城家である藤堂高虎(とうどうたかとら)が鎌倉時代中期に建てられていた丸串城跡を改築して、初めての自分の居城として建てたお城です。(1601年に完成)
藤堂高虎は「安土城」「和歌山城」「大和郡山城」「今治城」など全国各地で20以上ものお城を築き、加藤清正や黒田官兵衛に並ぶ築城の名手と言われていました。
現在残る姿は、今治城築城のために藤堂が去ったあとに城主となった伊達家によって大修理が行われ、1671年に完成したもので、国の重要文化財に指定される現存12天守の1つとなっています。
約430種の草木生い茂る大自然に囲まれた城山を抜けて天守へ
城山南側の搦手道口に位置する「上り立ち門(のぼりたちもん)」と、城山東北側の登城口に位置する「藩老桑折氏武家長屋門(はんろうこおりしぶけながやもん)」の2か所から天守へ向かうことができます。
宿のレンタサイクルで「上り立ち門」まで来ました。
こんな青々とした城門は初めてです。
現存する薬医門で最大級クラスの規模を誇り、創建時期はわかっていないものの最古クラスの可能性も秘めているのだとか。
手前の銅像は、児島惟謙(これかた・いけん)という明治時代の裁判官さんだそうです。
門を抜けると広がるこの光景。行く先がまったく見通せません。
天守が現存しているお城へ行くのに、これだけの森の中を通って向かうのが初めてだったのでとてもビックリしました。
この城山は少なくとも300年以上経過しており、約430種類もの植物の宝庫なのだそうです。
ある程度、石段が整備されてはいますが、なかなかワイルドな道で大変。
道中に城山郷土館がありました。
元々は山里倉庫という武器庫だったようです。
ようやく空の面積が広がってきました。あともう少し…!!
ゴールが近づいてまいりました。
ふと横に目を向けると、結構のぼってきた感があります。
突如開ける視界に現れたのは、これまでと打って変わって広々とした二の丸と、立派すぎる城郭の石垣。
櫛形門跡であるこの石垣とお城の本丸への階段、カッコよすぎません?
RPGゲームでボスに行く前のドキドキワクワク感のようなものがあります。
多分、ここにセーブポイントありますね。笑
この階段を越えた先がいよいよ天守のある本丸です。
草が生い茂る石垣がカッコよすぎます。
本丸には台所跡などの礎石も存在しますが、一見、天守だけのようにも見えます。
天守は、格子窓だけついたシンプルなデザインとなっています。
それもそのはずで現存するこの天守は、戦乱の世が終わり、徳川4代目の家綱が統治している頃に伊達家が再建したものなので、城らしい弓矢や鉄砲を撃つための穴(狭間)や石落とし、忍び返しといった戦闘能力がない、現存天守の中で最も平和なお城となっています。
と言っても、藤堂高虎が建てた時点では江戸幕府が開く前の戦乱の世まっただ中なので、敷地の構図はきちんと城だったんだなぁと実感しかないつくりとなっています。
何せ、ここに来るまでに城山をのぼってきて体感していますからね。
ちなみに宇和島城は、俯瞰で見ると不均等な五角形の形をしています。
これは「城の形は四角い」という常識の思い込みを利用して、敵に四角い形をしていると思わせておいて死角をつくるという築城の名手・藤堂高虎による策で、徳川幕府の隠密も見事に引っかかって誤認していたのだそうです。
有事の際には血路を開く策が練られたうえに、当時は背後が海に守られていたなんて、素人の私でもすごそうなのが伝わってきます。
入り口部分の唐破風(からはふ)を見上げてみると、九曜紋、竹に雀紋、竪三引両紋(たてみつびきりょうもん)と伊達家の家紋があしらわれています。
このような神社仏閣のような木彫りの装飾が施されているのも、戦闘向けではないお城ならではですね。
居住色の強い天守内の様子
1番左の兜、目立ちたがりすぎません?笑
伊達の弦月の兜がかすみます。
城内の障子戸というのも新鮮ですね。これも居住用ならでは。
七代藩主・伊達宗紀(むねただ)と八代藩主・伊達宗城(むねなり)の肖像画。
江戸時代幕末期~明治維新期の藩主で、宇和島藩の再建と改革に尽力したのだそうです。
愛媛県出身イラストレーターの茂本ヒデキチさんによる墨絵の屏風。
ライブペイントの作品に加筆修正したものだそうです。
宇和島城下が描かれたレプリカ屏風が飾られていました。
天井が開いている部分があって、中を覗けるようになっていました。
階段はこんなに急傾斜です。
訪れる際は、ぜひ動きやすい恰好で。
端っこの鯱ポジションにある見慣れぬ形は、桃瓦と呼ばれるもの。
硬く守り長寿の象徴でもある亀の甲羅の上に、中国で「魔よけの果実」とされる桃が乗った珍しいデザインとなっています。
たしかに封神演義でも仙人の太公望が桃をよく食べていましたね。
桃瓦は、犬山城などでも見られるらしいです。(行きたい!)
思いがけぬ地元の方たちとのふれあいも
長門丸の石碑前を通るルートでの帰りの下山中には、様々な出会いがありました。
地元のガイドさんとすれ違いまして、折り紙でつくった駕籠をおすそ分けしてくれました。
お城に自由に持ち帰られるよう置いてあったようで、チャージしに行くところでした。
いただいた駕籠はとてもお気に入りで、今もなお飾っています。
駕籠中央に貼られているシールは唐破風にもあった宇和島伊達家の家紋「竹に雀」です。
こちらはあわせて見せていただいたタマムシ。
「玉虫色の」とかポケモンの「タマムシシティ」とか聞いたことはあったけど、実際に見るのはこれが初めてでした。
他にもおじいちゃんがハーモニカを練習していて、一曲披露してくれたりとか、地元の方とのふれあいに溢れた、心温まるひと時を過ごせました。
愛媛は本当に地元の方々によくしていただいた思い出ばかりです。
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