高知城
TEL:088-824-5701
営業時間:9:00~17:00
アクセス:JR高知駅からバスで10分 とさでん交通「高知城前」下車すぐ
※2020年10月現在の情報です。最新情報は公式サイト等をご確認ください。
【水鳥の欄間がお気に入り】古城好きのきっかけとなった国内で唯一本丸現存の元国宝の城と像と日曜市
高知城は日本で唯一、天守と本丸御殿が当時のまま現存している稀有なお城です。
そして私が当時の姿を残すお城の魅力を知るきっかけとなった思い入れのあるお城でもあります。
それまで歴史に興味があるわけでもなく、現代に建て直された博物館のようなお城しか知らなかったのですが、高知城のおかげで、当時の歴史の面影を感じる古城ならではの迫力に感動し、好んで城めぐりをするようになりました。
私が行った頃は御城印もなかったですし、すべてが新鮮で見るのに夢中で写真があまり撮れておらず、当時気づかず素通りしてしまった部分もあるので、もう一度訪れたいお城でもあります。
昔、国宝でした
高知城は1601年に着工されたお城ですが、1727年に一度火事で焼失しています。
1729年に再建工事が始まり、現存する天守はこの時に作られたものとなります。
高知城は1度1934年に国宝に指定されていましたが、その後1950年の文化財保護法の成立で、資料不十分につき重要文化財に指定された元国宝のお城となっています。
重要文化財なのに国宝の碑があるのはそのためですね。
最近では、再びの国宝指定を目指して新資料に懸賞金をかけられたのがニュースになっていました。
高知城内の像について
こちらは城主・山内一豊の妻の千代の像。
2006年の大河ドラマ「功名が辻」はこの夫婦が描かれたものでした。
隣に馬が一緒にいるのには、とある逸話が関係しています。
一豊が織田信長の一家臣だった頃、戦に備えて士気を鼓舞するために、各々の自慢の馬を披露する「馬揃え」という軍事パレードのようなものが開かれることに。
そんな折、安土城下で一豊は、馬商人が連れた見事な駿馬(しゅんめ:優れた馬)に出会います。
よい馬を持っていなかった一豊は手に入れたいと思うも、あまりに高価すぎて、貧乏暮らしの一豊にはとてもじゃないが手を出せませんでした。
すると千代が今こそ火急の時と、「化粧料」と呼ばれる嫁入り時に親からもらった持参金の十両を差し出したことで馬を購入することができ、信長の関心を惹いて出世するきっかけになったと言われています。
ところどころ矛盾があると指摘されるなど真偽が定かでない部分があるようですが、有名な千代の「内助の功」の話として伝わっています。
高知城には「板垣死すとも自由は死せず」で有名な、自由民権運動の父と言われる板垣退助の像もあります。
なぜかというと高知生まれの土佐藩士なんですね。
後藤象二郎の幼なじみの悪友で、実は坂本龍馬とは親戚なのだそうです。
高知城の鯱は青銅製。
三ノ丸欄間(慈姑に水鳥)が可愛い
城内の展示で1番ときめいたのが、三ノ丸の南ノ間と北ノ間との境に使用されていたという欄間(らんま)「慈姑(くわい)に水鳥」。
高知城下に住み、竹籠細工を本業としていた武市高朋が、優れた彫刻力を生かして江戸時代中期に制作したものだそうです。
ちなみに欄間とは、採光や風通しのために設けられた襖(ふすま)や障子の上にある部分ですね。
この水鳥の彫刻がとても緻密に再現されていて、彩色なしでこのリアルさはすごいなと思って見入ってしまいました。
慈姑とのトーンの対比もまた味があっていいですね。
ちなみに慈姑は、広島県福山市や埼玉県越谷市が主な産地の水生野菜で、江戸時代から食用として普及したそうです。広島から高知に入ってきていたのでしょうか?
それまで慈姑の形は知っていても、水辺から広がる白い小さなお花と大きな葉の様子は知りませんでした。
ついでの雑学ですが、慈姑の花はおしべとめしべではなく、雄花雌花にわかれているらしいです。
日曜市もお見逃しなく
毎週日曜日は城下、追手門から広がる追手筋で日曜市が開かれます。
名物のアイスクリンは、アイスにしてはシャリシャリでさっぱりしていておいしかったです。
お城って猫いがちですよね。
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