大人だって発展途上。しえるです。
「ぼく」 pic.twitter.com/7DmShXLAC9
— スポーツハラスメントZERO協会 (@SpoharaZero) 2025年2月9日
「ぼくはまだ大人みたいに完璧にはできないよ。だって子どもだもん。」
ふと目に入った文に、概ねはそうだねと思って読んでいましたが、この一文に引っかかりを感じる自分がいました。
これだけ大人に思うことがある子が「大人は完璧」的な思想を持っていることに違和感を覚えますが、これもまた大人が用意した言葉であり、大人の思想が入ってるんだろうなと想像します。
私は以前書いたとおり、子どもは大人の言葉や思想の影響を多大に受け、それをベースに自分の考えを築きながら大人になっていくと考えていますが、この「大人は完璧にできる」という言葉や感覚もまた、巷にあふれる呪いだなと今は思っています。
皆がそう思ってるわけじゃないでしょうが、大人を高く見すぎたり、大人は完璧だと幻想を抱いていた人って私だけでなく一定数いると思うんですね。
「大人は完璧じゃない」と知ったのはいつですか? - 私は幼い頃... - Yahoo!知恵袋
多分いい子でいることを求められたり、親が品行方正であろうとしている家庭のほうが陥りやすいんじゃないかと思いますが、まず大人だろうが子どもだろうが、完璧な人間なんていないということに、私は大人になってから気がつきました。
子どもの頃、「変な大人」「理不尽な大人」「やばい大人」と思う人はいたけどそれは一部の話で、「普通の大人」は正しくて、そうなりたくなければ頑張るしかないと思ってたし、周りの皆は「普通の大人」への道を順調に歩んでいると捉えては自分に絶望していたのでしょう。
「完璧にやれて当たり前」
「完璧にやらなきゃ」
「完璧にできなければいけない」
「完璧になれない自分は良くない」
私は子どもの頃から大人になるまで、長い間こういった思考に縛られていました。
でも誰かが言う「完璧」とか「いい子」って所詮「その人にとっての完璧」「その人にとってのいい子」でしかないんですよね。
「大人だって完璧にできないし、完璧を目指さなくていい」ってことをもっと早く知っていられたら……とは思ったけど、そうじゃないと早くから気づいていた人の話を見ると厳しい環境で育ったんだな…と伝わってくるので、なんともですが……。
特に親の言葉や思想の影響って大きいと思ってるんですが、最近ナイトスクープを見ていて、昔だったらなまはげ的な感じで「親の言うこと聞くんだぞ」と泣かされているのって微笑ましい1シーンだったんですけど、今はもう呪いをかけられてるようにしか見えなくて、なんかもう現代のホラーだなって感じてる自分もいます。
大人も子どもも関係なく、誰だって間違えるし、誰だって手探りだし、誰だって得手不得手があるしで、やっぱり苦手を強要されるのはしんどいし、一緒に補い合いながら学んでいけばいいって感覚のほうが私は生きやすいな~と感じています。
どんなに有名人だろうが、どんなにすごい功績を残した人だろうが、同じ人間っていう頭はあるんですけど、たまに普段接する身近な誰かを必要以上に高く見てしまうことは今もあるので、昔の完璧思想や過度な買い被りが顔を覗かせてきたときは、その意識を自覚して思い込みが入ってることを思い出すように心がけています。
下に見すぎず、上に見すぎずという中庸の心は難しいな~と長年感じていますが、螺旋のように少しずつ成長してると信じて、これからも意識していきたいですね。