やっぱり普段やらなくなったことにも気づきがある。しえるです。
先日、人生のティア表を作りながらBDレコーダーの整理をしたり、歴代やりたかったことの取捨選択をしたりしていることを書きましたが、この作業をしているうちに気がついたことがありました。
人生のティア表が見誤っていた話と「終わらせたくない病」はもう卒業しようという話
先日のティア表は今の自分に合っていませんでした
それは、自分の中で今も好きで楽しめる気持ちは残っているのに、時間などが理由でティアが低くなってしまっていたものがあったということ。
例えば、今日は映画を観る日!と決めて、録り溜めていたままだった映画を1日で5本観たりとかしていたのですが、この時間はちゃんと楽しいものだったんですね。
特に『奇跡のシンフォニー』は思わず涙が流れてしまうほどで、心が洗われるような、すごくいい時間を過ごせました。
このことで「私は映画に興味がなくなったわけじゃなくて、1~3時間と長い時間かかることが億劫になっていただけだったんだ」と気がつきました。
いつも配信や録画番組を流しながらPCを触ったり、別のことをしたりしているように、映画も流してみたのですが、引き込まれる場面はちゃんと手が止まって見入るし、ふだんからそうやってドラマを見たりしているからか、それでも思いのほか内容は入ってくるしで、字幕派の私はモニタの前に座らないと観れないと思っていたけど、案外できちゃうものだと気づきました。
別に最初から映画と100%向き合う必要なんてなくて、映画がよかったらまた観ればいい話で、内容がわかるから自分に合ったかどうかも判断できるし、録画ややりたいことリストは整理されていくし、好きなものにも出会えるし、いいことづくしでした。
映画館にはだいぶ行かなくなってしまったし、ティアがぐんと上がるわけでもないけど、今も気になる映画というのはちょくちょくありますし、思ってたよりは映画がまだ好きだったようです。
自分の気持ち以外の何かで億劫に感じているときは、そのボトルネックになっている部分を解消して楽しめる方法を探せばよかったんですね。
とりあえず一度やってみよう
著名人への質問・相談などでよく「○○になりたい」「○○をやってみたい」けど、どうすればいい?とか何歳から?何歳まで?といったような内容を見かけることがあります。
私が全然知らない業界へ転職してきたように、このブログを誰にも言わず始めたように、本当にやりたければもうやってるし、やれば課題が見つかって、目の前のことに対応してるだけで進んでいくものだと今の自分は知っています。
YouTuberになりたかったらスマホとネット環境があれば、あとはアカウント登録するだけでひとまず始められますし、漫画家になりたかったらとりあえずノート&筆記具やスマホ・タブレットなどで描いてみることができます。
丸ペンやGペンを知らなかった漫画家さんの話は聞いたことあるし、トーンがなくても漫画は描けますからね。
「漫画家になりたい」という息子(無職)の将来を心配した親から相談され、「完成した作品を見せて」と答えたら「もっと初心者向けのアドバイスを」と言われた漫画家の話 - Togetter
何であっても専門の学校があれば入って体系的に学ぶのもいいし、独学でとりあえずやってみるのもありです。
ただ、私はそれを趣味でやらずに溜めてしまってきていたのだなと気がつきました。
観たかった映画、読みたい本、気になるゲーム、「後で見る」の多くは見ないと言うのは身をもって知ってるけど、全部とりあえず手をつけてみてしまえば、溜まる一方にならないというのは考えてみれば当たり前のことでした。
最初から1発で完璧を目指さなくていいということを、こんなところでも改めて学びました。
「終わらせたくない病」持ちでした
マンガの単行本1冊であれば、1冊に何話も入っているので最後まで読むのですが、私は昔からゲームのラスボス前でやめてしまうとか、ドラマの最終話だけ見ないとか、お菓子のラス1を残したままにするとか「終わらせない」ことが私には少なからずあります。
今月WOWOWで新作が始まりましたが、いったん終わったクリミナル・マインドの最終回は見るのに数年かかったし、FF8はたしかDisc4でアルティミシア城(ラストダンジョン)に入る前で止まった状態でPS2を売ってしまったし(当時のメモリーカードから続きをできるようになってほしい…)、今も冷蔵庫の中にいろんなチョコのラス1が残っていたりします。
子どもの頃に現実が安心できる場所じゃないと思っていたからか、この先にもっと面白いことが現われないかもしれないと思っていたからなのか、この好きなものが終わってほしくないという気持ちが今も残っているのでしょう。
でもだからといって、終わらせないでいると雑多になって、記憶や価値、勢いが薄れたり、蓄積して埋もれてしまったりしてしまうし、今まさに山積されたそれで困っている自分がいます。
人生は有限なので、取捨選択はやっぱり必要ではあるのですが、惰性とか受動的なものより、自分が興味を持ってきたことに時間を使いたいなって思いました。
昔の私は好きなものや気になるものに囲まれることによって安心できていたのだと思いますが、今の私は心配しなくても世の中には一生では消費しきれないくらい楽しいこと、面白いものがあふれているし、1つを終えても次がいくらでもあることを知っているので、「これ面白いのかな?」と悩む時間がもったいなく、その時間で実際に触れて、知って、判断していきたいですね。
ようやく見れるようになってきました
これも好きだったものを終わらせたくないという気持ちの表れだと思うのですが、好きな俳優さんだった三浦春馬さんが出ていた『世界はほしいモノであふれてる』という番組の録画をずっと見られずにいましたが、最近になってようやく見られるようになってきました。
見たからといって存在も思い出も消えないし、まださみしい気持ちもどこかあるけど、いつでも姿を見れていいものだなと思えるようになってきたかもしれません。