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後日談:いつもやらないことをやってみて気づいたこと【目的の再確認と適度な変化の大事さ】


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休むと決めるの大事。しえるです。

先日、あえて1週間ブログ更新をやめてみた話を書きましたが、「やんなきゃな~」と思いながら別のことをやるよりもメリハリついていいですし、いろいろ気づきを得られた1週間だったように思います。やっぱり人生、時々立ち止まるのも大事ですね。

ciel-myworld.hatenablog.com

元々いろんなことに興味を持ってきた人なので、新たな界隈を知ることで新たな視点を得られるということがたくさんあるのは実感していましたが、それ以外にも普段やらないことをあえてやることで見えてくるものはあり、別に真新しくなくてもよければ、あえて元に戻してみるのもありで、なんでもいいから日々に適度な変化を差し込んでみるというのはいいものだなと感じました。

今の私はつい没頭してのめり込んでしまう休み下手ですし、定番パターンのくり返しだけだと思考も一辺倒になって偏ってしまうので、思いがけないことで予定が狂ったり、上手くいかないな~とモヤモヤしてしまう時などに都度思い出したいなと思います。

後日談:いつもやらないことをやってみて気づいたこと【目的の再確認と適度な変化の大事さ】

慣れると当初の気持ちを忘れがちに

ファストフードをいろいろ食べてみたけど、私にとっては費用対効果が合わなくて、このお金があったら別に使ったほうが満足度が高いので、これからもまぁ行かなくていいかなという結論に至ったのですが、何かをやめて離れているうちに「なんでやめようと思ったか」とか全部忘れちゃうんだなって気がつきました。
もしかしたら「よし、やめよう!」と意識してやめたわけじゃなくて、自然と離れたものだってあるかもしれなくて、そうなると余計にですね。

私は目の前のことに追われるだけのバタバタ続きの時期も挟みつつ、今の会社勤めしない生活にも慣れてしまっていたけど、私がなんであえて転職しないで違うライフスタイルを模索していたかのそもそもの理由を忘れかけて疎かにしていたなと気づき、何のために今の生活に取り組んでいたのかを思い出せたことで、改めて真摯(しんし)に向き合ってみようと気が引き締まった思いです。

目先のことでいっぱいになってしまうということ

そして休んでみたことで、焦りや怒り、悲しみというようなネガティブな気持ちが生まれた時って近視眼的になるというか、余計に目的を見失いがちになってしまうかもしれないと思えてきました。
急なトラブルがあったり、お仕事が減ってしまったり、収入が減ってしまったりなどもあって「なんとかしなきゃ、どうにかしなきゃ」という気持ちばかりになると、その場の応急手当に追われる思考に走りがちになっちゃうんですね。私が目指してるのはもっと全体的な、心身的にも社会的にも健康なウェルビーイングのはずなのに。

たとえば目先の登録者数の増減とかもまさにそうですけど、その目先の増減って大切なの?たしかに1人1人を意識することも大切な考えかもしれないけど、向くべきは自分に興味を失った人ではなく、興味を持ち続けてくれる人+まだ見ぬ自分に興味を持ってくれる人じゃないの?みたいな話ですね。
私とかだと数人の話ですが、何百万人という登録者数の方たちだと日に数千人、数万人という数字が動くわけで、それでも目の前でちらつく数字に惑わされずに進路を都度調整する姿は、500万人が見えてきたYouTuberのヒカルくんなどの動画なんかでも何度も見てきたわけですから、そこは見習っていきたいものです。

ブログを1つ書くのにも、つい内容にのめり込んでただの自己満足になってしまうところを、「何を目指して書くのか」とか自分の中の理念を思い出すことで軸に戻ってくることができる気がします。

読んでいた本に共感し、軸はこのままでいいのかもと思えた

そんなことを考えていたときに読んだ本たちには心当たりのある内容も多く、状況はあまり芳しくないながらも、元々の考え方の方向性としては別に悪くないはずじゃないかと思うことができました。

1冊目はスペインのプロサッカーチーム・ビジャレアルで指導改革に取り組んだ佐伯夕利子さんの本。
この本を読んでいて、やっぱりサッカーよりゲーム業界のほうがある意味考え方が先を行っていると感じていた自分の感覚がそのまま表れているなぁと感じる内容だったので、ほとんどが真新しくは感じず、そうだよねと思うことばかりではあったのですが、それでも取り組んできた体験談は、まだ過程にある自分にとって非常に参考になるものでした。

私たちコーチ陣も、試合の勝ち負けに一喜一憂したり、自分たちの雇用契約に影響を及ばす「結果」に翻弄されたりしている。過度な感情表現をしているのではないかという反省がありました。
感情的になると、大切なものを見落としがちです。

教えないスキル

焦りや怒り、悲しみというようなネガティブな気持ちに囚われるというのはまさに感情的ですし、大切なものを見落としかけていました。

だから「自分の感情と距離をとる」 トレーニングをしよう。一緒に流れるのではなく、岸から眺める。
そうすることで、指導における「本質的なものの優先順位」を間違わなくなるよ、ということを学びます。自分の感情を「賢く取り扱う」ことができれば、指導者としてさらに成長できるからです。
私は小さいころから気が強く、短気な性格でした。それを親からも指摘されながら育ちました。しかし、そのことはなかなか改善されないまま大人になります。

教えないスキル

私がこれまで取り組んできたことは、感情的にやりたい放題やっていろいろ失敗したと感じ、一切フタをしてしまった自分の感情を取り戻し、程よく自分の感情と付き合うことで、今もその真っ只中という感覚でいます。
自分はフタをしたひと工程が多い分、佐伯さんの倍くらい時間がかかっていますが。

果たしてEQが高まったかどうかは「?」ですが、自分の感情と距離をとることを学んだことで変化がありました。少なくともそれまでかなりストレスフルな指導をしていた自分からは解放されました。 勝たなくては。 結果を出さなくては。 そんな「こうならなくては」と焦る気持ちを分解し、意識を選手の成長にフォーカスできるようになりました。コーチングを心から楽しむ余裕が生まれたのは間違いありません。 

教えないスキル

※EQ:心の知能指数、IQの心バージョン。

その感情との付き合い方と向き合っている中で、そもそもの生き方改革も敢行したことで迷子になっていたな…と思っていたところにこの内容だったので、あぁやっぱりフォーカスする先を再確認しなければという感覚になりました。
今の目先の目標は、視界を整理して楽しむ余裕を取り戻すことですね。

改革のテーブルに着いたばかりのころ。私たち指導者の口をついて出てくるのは、「勝つ」「結果」「相手」といったワードばかりでした。そのたびに、メソッドダイレクターやメンタルコーチから素早い突っ込みがあったことを今でも思い出します。
「勝つためには......」
「相手のフォワードが……」
そんなことを言おうものなら、「それは、あなたがたの力でどうにかなるものなの?」と指摘されたものです。プレーするのは選手。自分の力が及ばないことに時間を費やすのは無駄である、ということです。

意識の置きどころ次第で、見える世界はまるで違うというわけです。そこから 「指導者が、勝ち負けにどっぷりと意識を奪われていたら(気をとられていたら)、 選手の学びや成長に気を配れるはずがないよね?」というところにたどり着くのです。
「結果」とか、「相手」とか、「勝ち負け」などは、自分が何かすればどうにかなるものではない──そのことに指導者自身が気づきます。

教えないスキル

また「自分の力でどうにもならないことを考えている時って主語が自分以外になってるんだ!たしかに!」ともなりました。

目標を立てることや将来を考えることが苦手に感じていたくらいだったので、自分の力でどうにもならないものの話をなんでするの?という感覚は子どもの頃からありましたが、それは自分の力で動かせる余地があることを知らなかった部分もあったと思います。
そして自分と同じように考えて動く人間をどうにもならないものと捉えるようになったのもまぁ言うて最近の話です。
そういう流れで考えが変遷してきたので、私は自分ができるのは「私は~と思う」など自分が主語で、「あなたはかわいい」は主語が相手なので決めつけとなってしまう。あくまで言えるのは、自分が主語の「私は『あなたがかわいい』と思う」だけだという「私にできるのは自分が主語」の考えはすでに自分の中にありました。

が、「お金が」「結果が」と人以外が主語になるという捉え方はできていなかったというか、これまで考えたことがなくて、知らず知らずのうちになっていたなと気づかされたし、苦しかった会社員時代でこの考えに陥っていたことがあると感じました。

そして2冊目は格ゲー界のレジェンド・梅原大吾さんの本。

それに押さえるべきところさえ間違っていなければ、場面において失敗したって構わないのだ。視点がしっかりとしていれば、ある場面で成果がなかったり、一見すると失敗であっても、それはそれで構わないということはままある。全体として視点を設定して考えているので、場面レベルでの失敗もそれはそれで込みだということになる。
逆に目の前の状況だけしか考えないと、各状況で成果がなかったり失敗することは、それだけでいちいち悪だということになってしまう。成果というものを、各場面の総計としか考えていないからだ。

視点を持つことでリスキーな行動についての考え方も変わるけれど、これはチャンスについても同じことが言える
僕は相手にダメージを与えられる可能性が高いときでも、攻撃に行かないことがある。その場面だけ見ると「どうしてダメージを期待できるのに行かないのか?」と思うだろう。なんとなく殴り合って最終的に勝てばいいと思っている人はそういう物の見方をするし、ほとんどのプレイヤーはそんなふうにしかゲームを見ていない。ゴールに向かうためには、ダメージを期待できる場面でも動かないほうがいいことがある。

1日ひとつだけ、強くなる。

ウメハラさんの本を読んでいると、目の前の状況というのは場面にすぎず、もっと大局的な視点で捉えていることが伝わってきます。

①うまくいっているが、視点レベルでより良く修正して場面に反映させる。
②うまくいっているが、場面レベルでより良く修正して場面に反映させる。
③うまくいかなかったので、視点レベルで修正して場面に反映させる。
④うまくいかなかったので、場面レベルで修正して場面に反映させる。
優劣の問題ではなく、いずれのやり方が欠けても良くない。これらは互いに影響を与え合う関係でもあるからだ。

1日ひとつだけ、強くなる。

そして今の私は「うまくいかなかったので、場面レベルで修正したくなるところをこらえて、視点レベルで修正」しようと試みているところなのだということがわかりました。

とはいえ視点を変えることが、いつもうまくいくわけではない。新しい視点に移行すると、かえって勝率が落ち込むこともある。しかし、やってみないことには自分の見通しの成否も分からないのだから、結局は試すしかない。続けていると過去に失敗した考えが、何かのはずみで結果につながることもある。

1日ひとつだけ、強くなる。

そりゃうまくいかないこともあるよね、でもやってみるしかないですよね…と、私がリスペクトしている皆さんもそういった時期を過ごしてきたんだと励まされた思いでした。

とこんなことを考えていたところで、しいたけ占いの有料部分に急がば回れ的な内容があって、今回書いたものや今書いているものに通じる内容に感じて、また1つ自分を信じてみようと背中を押された気分でした。

でもやっぱり──飛ぶのは楽しい
あの時は──わからなかった…
ウイングマークを取って…
俺にとって…空を飛べることがあたりまえになってたからかな……
でも一度空を離れて
それでもまたこうしてここに帰ってこれて…
がむしゃらに飛んで……
今ならはっきりとわかる
やっぱ俺は子供の頃からなにも変われちゃいないや
俺は「空が好きだ」
俺に“覚悟”ってのがあるとしたらそれだけだ──

天神─TENJIN─ 5

今読んでいるマンガの1つに『天神─TENJIN─』という戦闘機のパイロットを目指すものがあるのですが、それまでずっとまっすぐがむしゃらに空を飛びたいと目指し続けていた主人公が、戸惑いや焦りなども重なって不調に陥って休暇を言い渡されることがありました。
「空を飛びたい」という気持ちで学校に入ったのに、空を飛ぶことが当たり前になって、目の前のことでいっぱいになってわかんなくなってしまったこと、約1週間の休暇を経て学校に入る前の気持ちを思い出したこと、まさに自分がそのようなことを考えていたばかりだったので共感してしまいました。

ここでもいつもだったら自然と自分のお気に入りの場所を見つけて空を眺めて過ごしてきたのに、新天地では自分のお気に入りの場所を探すことをまったく考えてなかったことに気づいた主人公がいて、自分が何のためにやっているかを見失わないことと心の余裕というのはつながっているのだなと思いました。

自分に時間をかけるためだったはずが

そもそも自分が1番取り組みたかったことって、いったん自分に集中して、脳内とかメンタルとか進みたい人生の航路とか諸々整理したかったという話で、会社に入ったりするなどで自分以外の存在にペースが掴まれてしまうと、そっちで頭がいっぱいになってまた日々流されてしまう自分に戻っちゃうと感じて、それを恐れてどこにも属さない道を選びました。
でもそう思っていたけど、実際にやってみたら、多くの時間の手綱を自分が握れていたとしても、ただ日々生きていくだけで時間は使うし、イレギュラーが起こって対処だってあるし、その上に誰かの用意したコンテンツに時間をかけたりで、意識してペース配分しなければあっという間に時間が過ぎてしまいますし、現実的な生活のことですぐ頭がいっぱいになってしまいます。
安定的な収入や柱がないってこういうことではあるのですが、最初にちょっと上手くいっちゃったものだから実感が遅れてやってきて、なんだよこれだけ手放しても自分の時間なんて全然ないじゃん、これ以上仕事とか家庭とか制限あったらもはや無理ゲーじゃん、とふてくされていじけてしまっていた気がします。
本当はただ自分の時間の使い方や取り組み方がそうさせていただけだと思うんですけどね。

Diosのたなかくんが最近、自由を捨てて縛られることに対して話していましたが、昔自分に向いている仕事をしていた時、出社やシフトという縛りや人間関係の煩わしさはあったけど、それ以外の時間は自由に楽しく過ごしていて、いっぱい自分と向き合えていたこともあるし、お金や生活の不安も抱えていなかったことを思い出しました。

個人的に「強制されたい」と言う人は本当に強制されたことがない人の戯言(たわごと)だと思ってはいるのですが、自由すぎても大変というのは本当にそうで、テスト前に片づけたくなったりしてしまうのと同じで、つい関係ないことをやってしまいたくなる気持ちをいかにコントロールできるかが大事だし、成立させる大変さは身をもって実感している真っ最中です。

note.com

ブログもいろいろ更新のペースを試してみてはいますが、いまだ悩ましいところがあります。

でも1週間の休み明けに書いた記事では、本当はその時に今回書く内容もまとめて書こうとしていたところを「やっぱり分けよう」と考えられるようになったのは、新しい変化な気がします。

ciel-myworld.hatenablog.com

今までだったら自分の中で1つの話題はまとめないと気が済まなかったんですけど、それだと次から次へ考えが浮かびすぎて完成まで至らない記事が積まれすぎちゃうし、1回で全部答えを出す必要はないんだということで、ブログを分けることを覚えたのは、物事の接し方としてもいいものかもしれません。
ペースって更新ペースだけの話じゃなくて、内容の濃度もまた、自分で調整できるペースなんですね。

少しずつでいいから書き進めていきたいし、書き終わらないからと別のを先に出して、1番書きたいものをいつまでも先送りにしてしまうのは変えていきたいなと思いました。

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