炎とドラゴンタイプ好き。しえるです。
だいぶ前ですが、「ポケットモンスターソード」のチャンピオンを倒しました。
そこまでは数日で終えていたのですが、伝説のポケモンを捕まえに行ってる途中で、生活リズム崩壊がピークに達してそのまま流れてしまい、モンハンモードに入っていっちゃいました。
ゲームをやっている中で感じたことについて書き進めていた記事があったのですが、ポケモンから離れてタイミングを逃していたのを、「下書き、溜まってませんか?」の一言に、はっ!と思い出しました。
今日は、はてなお題の「下書き供養」に乗っかっていこうと思います。
【下書き供養】ポケモン剣をやりながらぼんやり感じたことをつらつらと…。
ゲームの目的はチャンピオンになることだけど…
「ポケットモンスター」というゲームの目的は、ポケモンを育てて強くして、この世界のチャンピオンになることです。
でもゲームの世界では、全員がチャンピオンを目指してはいません。
自分のお気に入りを集める、虫取り少年やつりびと。
働きながらバトルを楽しむ、ビジネスマンやさぎょういん。
ポケモンだいすきクラブのようにペット家族感覚の人。
鳥ポケモン"アーマーガア"を使った、空飛ぶタクシー。
「ポケジョブ」で仕事に出かけるポケモンと、それを雇う店主。
自分の好みに忠実だったり、本業の片手間だったり、むしろビジネスパートナーだったり。
それぞれがいろんなポケモンとの付き合い方をしています。
昔は、悔しがるモブトレーナーたちに「そりゃあそんなタイプ一辺倒の戦い方してたら勝てんだろう…」って子ども心に冷めた目で見ていたんですけど、「みんなが本気でチャンピオンをめざしているわけではない」という視点でポケモンの世界を眺めるようになった自分がいました。
ゲームの楽しみ方も人生における取り組み方も人それぞれ
人生はゲームでないから、目的が定められていません。
強くなりたい人は強くなればいいし、
程よく楽しみたい人は程よく楽しめばいいし、
強くならなくてもいいし、
やらない人はやらなくていい。
強さを目指す人は、個体値を厳選し、天候条件や特性、得意なタイプ・苦手なタイプ、相手との相性、もろもろの要素を鑑みながら、何手も先の展開を読んで戦略を立てたりしながら、戦いに明け暮れます。
これは現実世界で言えば、売り上げや人気No.1を目指す人たちですね。
主人公のお母さんや街の住人のように、そもそも冒険に出ない人たちもいます。
それはポケモンバトル以外にもっと大切なものがあるからでしょう。
程よく楽しみたい人は、その場で出会った一期一会で、自分に無理のない範囲でストーリーや好きな要素を楽しみます。
私はこのタイプなので、最初に捕まえられた子を育てるし、興味ない要素はスルーしてしまいます。
図鑑を埋めるのは好きだけど、進化方法があまりにめんどいと諦めちゃいます。
昔は頑張ってなんでもやろうとしていたけど、無理だって気づきました。
私の中では以前、モーニング娘。初期メンバーの福田明日香さんが、他メンバーとの本気度の違いについて話していたのが、とても印象に残っています。
テレビやネットといったメディアを見ているとどうしても、「目立ちたい」「有名になりたい」という人が目立ってしまいますが、私は「有名になりたくない」し、「テレビやメディアに映りたくない」です。
楽しいし便利だからネット利用をするけど、SNSをやっていない人だっているのも忘れない方がいい気がします。
流れでやってみてるけど、実はデジタルデトックスした方が自分に合っている人もきっといるでしょう。
責任の重みを受け止め、他人の権利を侵害しないに限る
勝手に私の写真を誰にでも見れるネット上にあげる人や、強制的にカメラを向けて街頭インタビューを推し進めるような人とは、あまり関わりたくありません。
昔、勝手にTwitterに飲み会の写真アップした人に、Facebookの写真に写った友達しか見れないようにした限定アルバムをあげたことを糾弾されまくって、LINEで500件の炎上状態になったのはタイミングが悪かったとは言え、本当にトラウマです。
自分の人生だけでいっぱいいっぱいなので、いたずらに誰かの人生を背負うような起業やコミュニティづくりもできる限り避けたいです。
オンラインサロン推しとか見ていると、管理が大変なうえにリターン還元の責任重くない?と思っちゃいます。
世の中にはいろんな価値観があり、自分の管理できる適量や自分がどうしたいかという本心を見極めないまま、目立つ流れに飲まれてしまうととても苦しいことになってしまうと感じます。
恋愛、結婚、妊娠、雇用、ペット、運転など、責任の重みを理解しないまま、自分の「快」を求めて他の命を背負ったことから生まれた問題は世の中にたくさんあるように見えます。
この動画はドッキリではありますが、人の命の重みや人生を預かる責任を理解して倫理観しっかりなヒカルくんや捧さんの対応に、だから皆が好きになるんだと感じました。
ロケマサの演じ切っていた内容をガチトーンで言う人も残念ながらいますもんね…。
失敗から学びを得てレベルアップしていけばいい
ただし、そういった経験を通して学びを得るのもまた事実。
負けても終わりじゃない
また挑戦すればいい
トレーナーも戦った後にいいこと言ってくれていますが、問題や課題を経験したあとにどうしていくかが大事であり、そこに気がつけることに価値があり、だからこそ得られるものだってあるし、いつだって起死回生のチャンスかなと思います。
新しいものの活用とリスク
ソード・シールドの世界にはポケモンが超巨大化するという、舞台となるガラル地方のみで起こる「ダイマックス」と命名された現象が発生しており、それを利用したバトルが見せ場になっています。
環境整備によってバトルエンタメとして楽しまれる「ダイマックス」も、元々は自然発生していた災害みたいなものであり、ジムリーダーの中でも「ダイマックス」を嫌って使わないネズのような人もいました。
安全性なんて不確かなもので、いつ暴走するかわかりませんからね。
個人的には現代で言うと、インターネットを利用したオンライン化がそういう存在の代表格かと思います。
そもそも環境を整えないと使えないし、便利さとリスクをどこまでとるかは人それぞれです。
クラウドサービスは便利だし、なんでもネット上で完結できちゃうけど、ハッカー無双の世界であり、大事なものが乗っ取られたり、間違って全部消えたり、流出しちゃったりするリスクもありますよね。
新しいもの、古いもの、それぞれのよさ
超美麗なCGグラフィック、超リアルなVRの感覚、超重厚なBGM、超精巧な質感、ユーザーのストレス負担を減らすユーサビリティ上昇っぷり、最近のゲームはクオリティが本当にすごいです。
でも昔のゲームも、ドット絵の世界観、少ない和音で印象に残るサウンド、心に残るシステムやストーリーにキャラクターたちをもって、当時の最新技術を駆使してつくられた名作が多数あり、現代の代表作の土台となっているし、今でも現代にはない趣を楽しめたりします。
好きな人以外には億劫さの方が際立つ
フィルムカメラやレコードがリバイバルするように、このご時世にあえて、初代ゲームボーイでモノクロ8bitのポケモン赤・緑をやるのも逆に新鮮で面白かったりします。
(最近、YouTubeで64やってる姿よく見かける気がします)
でも通信するにはケーブル買わなくちゃいけないし、操作の勝手が悪いし、今となっては画面見にくいし、ダンジョンもめんどいギミックいっぱいで、よほど好きじゃないかぎり億劫ですよね。
以前はリメイクまたかと思ってたけど、新しくCGやBGMをリニューアルする手間はかかっているし、需要があるからこそリメイクやハード刷新が繰り返されていくってことかと納得してきました。
ゲームボーイのポケモンをあえてやるのも楽しいけど、もっと手軽に初代のよさをみんなが共有できたらいいよねっていうのがリメイクな気がします。
これってふだんの生活でいうスマートフォンとか調理家電なども同じだと思うのですが、あえて時間をかけて手の込んだ料理したり、手書きやガラケーでいくのもいいけど、そこに価値を感じない人にとっては、億劫以外の何物でもありません。
もっとほかにやりたいことがある人にとっては、自分にとって価値あるものに時間を費やしたいですよね。
ロボット掃除機が部屋をキレイにしてくれて、調理家電がごはんを用意してくれる間に、ほかの作業ができるのはとても素晴らしいことです。
スマートフォンを触ることがビジネスツールではなく、スマホいじりととられてしまうために、仕事時間に使えないのとかも歯がゆさしかありませんでした。
メモ帳からスマホに内容を写している時間の方が何倍ももったいないですし、別々の部署で作業重複していたら、それはムダに手間とミス発生のリスクを増やしているだけにしか見えません。
飲食店でもSNSの更新とか、食材の発注とかスマホでできるのに、お客さんや従業員、オーナーなどからサボってるととられてしまうのは本当につらかったです。
つまり、時代の進化は最新技術の進化だけではなく、価値観のアップデートも必要であり、よい部分を時代に合わせて上手く融合して活用していくことが求められると言えるのではないでしょうか。
技術の進歩は人々の価値観を変え、社会システムをも変化させるのです。技術や科学が変化すれば、それにつれて社会の価値観も変わる
アナログとデジタルをうまく融合させる転換期
私が以前働いていた職場では9年前にほぼデジタルに移行し、それまで主流だった対面やFAXでのやりとりは1割くらいになりました。
人員の存在意義や働き方が劇的に変わるものであり、システムに対する理解度が低くても仕事が回るようにするために何度も話し合って、検証して、試行錯誤したものです。
システムダウンしたときにはかなりのピンチに陥りましたが、作業はグッと楽になり、紙の使用量は半減と言っていいほどでした。
そのあと転職した先では、FAXで受発注するのが基本で、20年前導入のデジタルシステムを使いこなせておらず、これまでの納品物の仕様書や原価計算書などのほとんどが紙で管理されている状態でした。
5年越しに紙に囲まれることになって、それまでどうやってさばいていたかなんて思い出せないからそれはもうパニクりました。
営業のときも会社のシステム以外のアプリやクラウドはリスクあるから一切ダメ、でも残業しないでねってどうすればよかったんでしょう?
そうやってパソコン使えるのが当たり前の環境から出て、世の中みんながデジタルを使いこなすわけじゃないというのもよくわかったし、システム刷新はお金と時間がかかるのも目の当たりにしてきたので、デジタル改革難航するのもそりゃそうだよなぁ~と横目に見ています。
- 必要な作業、重複している作業、不要な作業の洗い出し
- 便利さとリスクの価値観のすり合わせ
- 誰でも使える使いやすさ
- 現代の技術と価値観に即した法整備
まずはこれらの前提となる土台を固めて、利権とか責任の所在含めて組織の構成まるっと見直すぐらいの心意気で、音頭をとる人の先導力がないといつまでも平行線でスマート化できないし、デジタル派とアナログ派が乖離していく一方なのではないかなと思うこの頃です。
今週のお題「下書き供養」
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