私の好きな場所

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抵抗を感じた時=自分の課題克服の時【殻からの脱却の最中】


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矛を収めたい。しえるです。

 

昔読んだ本や番組、大人になって改めて見るとこんな内容だったんだ!って発見があったりしますよね。

道徳で習うような、誰もが知っているよと言うような教えも、一周二周まわって、言葉の重みだったり認識だったりが変わっていくものだなぁと思う今日この頃です。

抵抗を感じた時=自分の課題克服の時【殻からの脱却の最中】

人によって傷つくこともあるし、人に救われることもある

先日、こんなツイートを見かけました。

トラウマがあると、こういう気持ちって陥りやすくなってしまいますよね。

 

たしかに人に傷つくこともたくさんあったけど、救ってくれるのもまた人でした。

 

思っているより世界には優しい人がいっぱいいて、その優しさに気づけなかった頃は自分が心を閉ざしていて見ようとしていなかったんだなぁと思います。

 社会に出て闘ってきた理不尽

「話も理解できない若い女

「世間知らずのガキ」

「こんなこともできないポンコツ

「人としておかしい」

 

どれもほぼ初対面とか1か月も経たないうちに受けてきた言葉や扱いです。

社会に出て、こういった偏見と何度も何度も闘ってきました。

 

話す前から見た目で判断されたりとか、入りたての駆け出しの状態で決めつけられるのが悔しかったですし、たとえその時の自分が実力不足だったとしても今に見てろ!の精神で挑み続けてきました。

 

そうして成長を求め続けた結果、気づけば自分に合ってないサンドバッグレベルが高い道へどんどん突き進んでしまい、自分の心身を守るために心のガードが強化されていきました。

そこでは、そうしていないと自分の生きる意味とか価値とかを見失う直前ぐらいまでには追い詰められていました。

 

最後の会社の社長は「俺の会社だから俺が法律だ」というような人で、上手くいかないことがあったら部下のせいにし、上手くいったら手柄を自分のものとするのが日常のようなところ。

求められる労働は常軌を逸していて、常に社長の言うことは絶対で逃げ場がなく、現場の全員がおかしいと感じており、家族の手助けを経て労基に相談して、労働基準法違反が確認されたため、なんとか脱出することができた次第です。

ciel-myworld.hatenablog.com

コロナ禍で自分を大切にすることを学んだ

仕事を辞めて、コロナ禍でたっぷり自分と向き合う時間ができたため、ひたすら自分と向き合い、何度も人格や意見を否定されて見失いかけそうになっていた自分を取り戻すことに専念。

 

これまで身につけてきた鎧を1枚1枚脱いでいき、自分の気持ちを大切にし、どんな自分も認めるということに取り組んできました。

ciel-myworld.hatenablog.com

脊髄反射でガードに走ってしまう時がある

しかし、今も相手の言動が自分の中の心のスイッチに触れた時、反射で防衛反応が出てしまう時があります。

それが、私のことを傷つけるつもりなんてない、私のことを大切に想ってくれていることがわかっている人たちが相手であっても。。

 

これはおそらく、カジサックが陣内さんに言われた「クワガタ」状態とか、『自分の小さな「箱」から脱出する方法』という本に書かれている「自分だけの小さな箱にこもってしまっている」状態なのかなと思います。


陣内智則さんが本気で話してくれました

身近な存在ほど繊細で難しい

でも自分を守るために、大事な誰かを傷つけるのは違うな…と改めて認識するできごとがありました。

それは父とのいくつもの些細なやりとりが積もり重なって生まれました。

 

自分と父とでは車の運転に対する感覚が全然違っていて、私が感覚でなんとなく運転するのに対し、父は理論的に考えて運転するのが得意です。 

私は内輪差、外輪差、バックの時のタイヤとハンドルの向きなどを考え始めるとわけわからなくなりますが、どうしたら当たらずに動かせるかを肌感覚で掴むのは多分早い方でした。

私の運転はある程度クリープ現象を利用して、常にはアクセル踏みっぱなしにしないレベルですが、それ以上燃費のことを考えて調節して走るなんてことはしません。

たまにペダルの踏み具合ミスったなと思う時もあるけど、そんなの自分でよーくわかっています。

 

父は細かいところまでキッチリするタイプで、私はおおざっぱ。

車線の中央から外れると指摘され、駐車が斜めっているとやり直しさせられます。

 

他にも歩行者側の青信号が点滅する度に注意を促されたりします。車の黄信号よりも手前です。

どっちも気づいてますけどね。わかってるのに言われると萎えるやつです。

 

一応丸1年営業で1人で毎日のように運転していたし、免許更新も1回しているのですが、まだまだ免許取り立てのイメージは強いのだろうと思います。 

まぁ自分でもよくできていたなぁと思うくらいなので気持ちはわかりますが。

そんな2人が一緒に乗ると、ちょっとでも運転に粗が出ると父の小言が入るので、私は運転する度に憂鬱な気持ちが蓄積されていきました。

 

私自身の運転スキルでいえば教習所で技術的につまずいたことはなく、試験も一発合格していますし、なんだかんだで学科試験も98点です。

報告した瞬間、父は100点だったって返されてしまいましたが。

教習所で1番感じた自分の課題は、頑なに免許取得を拒否し続けてきて「車の運転なんて無理」と長年思い込んできた自身のメンタルでした。

 

決して運転が得意とは思わないので、自分のキャパシティを加味したうえで、私にとっての優先順位は事故を起こさないための安全運転、法律順守、目的地に着くこととしています。

そんな私にとって、常に車線の真ん中を完璧に走ることも、駐車で完璧にまっすぐ止めることも重要ではありません。

線の外にはみ出すなど、よっぽどじゃなければ全然オッケーです。

営業として毎日運転していた中で、何時にどこに行って誰と何を話すかが大事で、運転の完璧さなんて目指していたらとてもじゃないけど走り切れませんでした。

 

自分ができる中で最大限の安全運転を目指す私に対して、息苦しいくらいの完璧さを求められる感覚になり、その温度差から父の前で運転するのが憂鬱で仕方ありませんでした。

 

もちろん、すべては私のことを心配してくれているからこそだと言うのは百も承知です。

ただ、私のキャパシティが削られてしまってつらいのです。

 

一度だけ、教習所でメンタルの弱さが出て運転できなくなった日がありました。

路上演習の終盤で初めて一緒になった教官の方がいたのですが、ちょっと圧が強い方で、上手く運転しなくちゃと思えば思うほど、いつものように運転ができなくなってしまいました。

そうなると「本試験間近まで、なんでこんな程度のやつがここまで野放しにされてたんだ?全然ダメじゃん」と思われているような感覚になって、とうとう動けなくなってしまい、路肩に寄せて正直に打ち明けました。

その後は対応を和らげてくれて、お陰でその後は何事もなく授業を終えることができましたが、この経験から自分のキャパシティを痛感し、運転している時に気持ち的に追い込まれる状況は回避した方がいいと学びました。

 

そんな経験から、父に何度も感覚の違いとか伝えようとしてきたのですが理解はしてもらえず。

これまでのモヤモヤが積み重なり、一緒に車に乗ることに拒否反応を示すまでになってしまったので、母に自分の思っていることを相談しました。

そしたら「思いはわかったけど、そのまま伝えたら父が傷つくよ」と言われて、間に入ってもらったおかげで、免許取って以来初めて、父の横で気持ちよく運転をすることができました。

きっと父は内心ソワソワしていたことでしょうが…苦笑

 

そしてこの時は運転する状況が迫ってくることにかなり追い詰められていて、自分の思いを伝えたい気持ちが強くなってしまいましたが、そのまま伝えるのは良くないと感じたからこそ第三者に協力をしてもらいました。

自力でオブラートに包むことはできませんでしたが、自分の意思を表明することに続き、立ち止まって誰かの協力を仰げるようになったのは自分の中で進歩でした。

大切な人と意見が合わない時のバランスの取り方が難しい

結局自分が限界を迎えてしまいましたが、これまで父が心配して言ってくれているのを重々承知しているからこそ、私も強くは反論せずにこれまでやってきました。

 

相手がどうでもいい人だったら、そこから離れるという選択を取ればいいですが、私にとっては大切な家族なのでそういうわけにもいきません。

今後も良い関係でありたいし、できればこれからも一緒にお出かけしたいですし、今後の親の歳を考えると運転の負担を減らしてあげたい思いもあります。

 

でも、私が安全に運転するためには、口を挟む頻度を下げてもらいたかったし、気持ちよく楽しく運転できないなら二度と運転したくなくなるレベルまで嫌な気持ちが来ていました。

父との関係も、運転する時の関わり方も、どちらも譲れない問題でした。

 

自分の気持ちを我慢してもいずれは爆発してしまうし、だからと言って父を傷つけたいわけでもありません。

というか我慢すればするほど爆発してしまうのは分かっていたんですけど、それを防ぐためのジャブが通じない時もまた、我慢に近いモヤモヤ状態になってしまいます。

 

相手を傷つけたり、ムッとさせることなく、それでも自分に不都合な環境はスマートに抜け出す技術を身につけられるようになりたいのですが、このバランスってとても繊細で難しい部分だなと思います。

 

心に余裕がない時は特にそうですが、反射で反応してしまいそうになるのをグッとこらえて、相手は自分を傷つけたいと思っているわけじゃないとか、相手の良い部分に目を向けるといった意識を改めて心掛けていくのと、オブラートの包み方の語彙力を増やして慣れていくしかないのでしょう。。。

人によって大切なことが違う

どんなことも自分にとって大事でなくても、他の誰かにとって大切だったりします。

何かをディスることは些細な一言でも、どこかの誰かの大切なものをけなすことに繋がります。

そしてまた自分にとっての当たり前の感覚を大切にする人はとても多いように感じます。

 

そうなると基本的に何かに対して「自分は合わない」とか「苦手」とかという自分の感想以外、けなすとか評価をするとかってできなくなるんですよね。

今度また書こうと思っていることに近いのですが、「私は○○が苦手だ」と「○○は良くない」って雲泥の差なんです。

1番大きな違いは主語になると思いますが。

 

他人を大切にするだとか尊重するだとか、これまでにも何度も通ってきましたけど、自分を大切にすることを覚えた後に見える景色ってなんだか少し違うなと感じる今日この頃。

心からすとんとくる感覚というんですかね。

正論とか倫理とか綺麗事、するべきことじゃなくて、ただ、あぁそうだよなって感覚。

 

私の気持ちや考えも大切にしていくと同時に、大事な人たちが大切にしていることも尊重するということ、とにかくこの意識を改めて忘れないようにしたいと思います。

 

そういえば漫画『となりの怪物くん』でもハルが言っていましたね。

「おまえの大事なもんは俺も大事にすんだ」って。

抵抗を感じた時は自分の課題が見える時

自分の中で受け入れられないこと、抵抗を覚えること、腹立つことが起きた時、それはいつも結局は自分の課題でした。

自分の本当にやりたいことや、逆に受け入れられないものを知るためだったり、または自分の課題を相手が見せてくれていて、自分はこれをやっているんだと客観的に理解したりといった感じです。

 

自分自身がそれを乗り越えない限りは何度でもやってくるし、苦しみはより重くのしかかってくるものだと強く感じています。

私は10年かけて部屋を片づけて、人らしい生活をして、信頼できる人間関係も築いて、後輩のことを気遣えるようになって、いい感じじゃない?人並みの生活送れてきているんじゃない?と思えても、それでもある日突然、メッキがどんどん剥がれていく感覚に襲われました。

どんなに外堀をキレイにしても、おおもとに向き合わなければ、結局悩みから解放されることはなく、逃れられませんでした。

きっとこの先も、一気に解決することなんてなく、日々いろんな気持ちに揺れながら、一歩一歩学んでいくしかないのでしょう。

 

だから感情を乱すほどの何かは、自分の中で片をつけた方がいい何かだと思います。

その証拠と言いますか、過去に抵抗を感じたり怒ったりしていたことの大半って、今は何とも思わないんですよね。

逆にずっとイライラし続けているものがあるとしたら、自分の中に染みついた1番根深い課題なのでしょう。

 

今の私は、心身的に何か危険を感じた時にガードモードになって閉じこもってしまうのが1番の課題です。

相手は自分を傷つけようとしているわけじゃないことを思い出し、ガードを解くこと。

たとえそれが自分の考えや正論であっても、そのままぶつけていいわけではないこと。

相手を尊重し、傷つけない方法を考えること。

ひとつひとつ意識しながら、何かと隙あらば殻にこもりがちな自分と向き合っていくしかないなぁと思いました。

 

ソーシャルディスタンスの昨今、対向から来る人に道を塞がれて行き場がなかったり、お外で並んでいる時に距離詰めて来られるのとかも、めっちゃムッとしちゃうんですけど、冷静に回避できるようになりたいです。。。

 

 


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