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『アルケミスト』を読んで考えさせられた自分が本当に求めるものの理解とその道のり【夢がなくてもなんとかなる、時には遠回りも必要】


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今年はとても重要な1冊に出会いました。しえるです。

 

パウロ・コエーリョの『アルケミスト』。

以前から存在を知ってはいたのですが、ずっと読むのを後回しにしてきていた本でした。

 

同じ夢で繰り返し見た宝物を探しに旅に出る羊飼い・サンチャゴの冒険物語。

この本の内容を簡潔に言ってしまえば、たったそれだけの物語かもしれません。

 

しかし、私はこの本が、自分の現在地によって見え方がまったく異なってくるだろうと感じます。

 

単なる冒険譚として読んでもいいですが、勇気をもらうこともできるでしょうし、自分の歩いてきた道のりに重ねることもできるし、学び途中の存在を気づかせてくれるものでもあり、それだけ多くの示唆に溢れた内容になっていると思います。

 

今回はこの本を読んで、自分が求めるものの正しい理解とその道のりについて考えさせられたことを書いてみます。

アルケミスト』を読んで考えさせられた自分が本当に求めるものの理解とその道のり【夢がなくてもなんとかなる、時には遠回りも必要】

自分が本当に求めているものを知るということ

本の中で、サンチャゴの求めるものはコロコロ変わっていきます。

広い世界を知ること、少女と一緒に過ごす時間、繰り返し見る夢の意味…。

「おまえが何か望めば、宇宙のすべてが協力して、それを実現するように助けてくれるよ」

そうするためには、少年は自分が何を欲しているか、知らなければならなかった。

自分が本当は何を求めているのか。

それを知ることはとても難しい問題の1つだと私は感じています。

誰かの思惑や人目が入り混じりやすい

しかし、彼は自分の決心に、もはや幸せを感じなかった。

彼はまる一年間、自分の夢を実現するために働いてきたが、今やその夢は一分ごとに重要さを失っていった。

おそらく、それは本当の夢ではないからなのだろう。

そもそも「○○したい」と思ったもののうち、いったいどれだけのものが自分の中から生まれた純粋なものかわかりにくい世の中だと思います。

 

それは、世間体を気にして発生したものであったり、人や企業によって「○○したい」と思わせる戦略がいっぱい散りばめられているからです。

(以下のものは個人の夢や願望を否定するものではなく、もちろん本当にそうしたいと思っている方もいらっしゃると思いますし、ただこういう側面もあるよねっていう話なので悪しからず…。)

 

たとえば「今年のトレンド!」 なんて紹介されるファッションや流行色。

これって何年も前から○○年の流行はコレ!と世界会議で決められて、アパレル界全体でそのトレンドに従って商品を作っている話ですよね。

自然発生した流行ではなく、作られた流行にもかかわらず、「欲しい!」と思う人がたくさんいるから成り立っています。

 

「結婚したい」という気持ちも、「独りでいると思われるのが恥ずかしい」「いい年だから」「周りの結婚が続き焦りを感じた」「お金持ちになりたい」「1人で生きていくのが不安」「結婚はするもの」といった考えが混ざっていることは決して少なくありません。

 

「マイホームを建てたい」は、「持ち家は資産」という企業のマーケティングと「家を建てて1人前」というステータス、結婚したら住宅ローンを組むことの当たり前感など諸々が組み合わさってできてる面も大きいと思います。

人は自分の運命より、他人が羊飼いやパン屋をどう思うかという方が、もっと大切になってしまうのだ

そもそもやりたいことが見つからない

子どもの頃から夢を持って取り組めることって、とても素敵なことだと思います。

 

「夢を持とう!」

「誰に何を言われても夢をあきらめるな」

よく、すでに何かの結果を出している方が夢を追いかけることの大切さを説いてますよね。

サッカーの本田圭佑選手、西野亮廣さん、レペゼン地球のDJ社長、ヒカキンさん、エミリンちゃん、いたる所でそういったメッセージ発信を見かけます。

 

でも私はずっと自分が何をやりたいのかがわかりませんでした。

子どもの頃の将来の夢の欄はなんとなく適当にしか書いたことがありません。

 

夢をあきらめるとか以前に、何もないんです。ゼロだったんです。

 

片づけの本を読むと「まずは理想の暮らしを思い浮かべよう」と出てきます。

進路やお金の話でも「人生設計」をして、その目標に向かって努力する重要性が説かれます。

でも私は将来への希望がないから、何一つ思い描くことができませんでした。

 

「どんな家に住みたい」

「マイホームを持ちたい」

「いくら稼ぎたい」「どんな仕事をしたい」

「結婚したい」「子どもが欲しい」

「どんな人と付き合いたい」

「こんな服を着たい」「こんな指輪をしたい」

「あんな車が欲しい」

世の中に溢れる理想や願望、皆が当たり前のように話しているこれらが、私の中にはまったく存在しませんでした。

ただ生まれちゃったから生きているだけで、長いことそんな感覚でしたので、つい最近まで将来のためにという行動や考え方をしたことがなかったです。

様々な経験を経て見えてくることもある

 決心するということは、単に始まりにすぎないということだった。

決心するということは、まるで、急流に飛び込んで、その時には夢にも思わなかった場所に連れてゆかれるようなものなのだ。

私は先に書いたように、自分のやりたいことがまったくわかりませんでした。

なので少しでも気になったことは片っ端から試していくというスタイルが生まれました。

 

人も、生活も、服も、趣味も、食べ物も、地域も、考え方も、仕事も、とにかく1つ1つ試して、好きか嫌いか、自分と合っているかどうかをひたすら試していくことで、自分の軸とか価値観がだんだんと生まれ始めました。

 

そうやって軸や価値観ができてくると、判断もできるようになり、何をやって何をやらないかを決心することができるようになりました。

 

昔の自分からは今の自分が想像つかなかったですし、この先どうなっていくかも全然読めません。

それでも今の自分にできるのは、とにかくやってみて、続けるかどうかを決めていくことだけだと思います。

人の数だけ歩み方がある

人は誰でも、その人その人の学び方がある

彼のやり方は僕と同じではなく、僕のやり方は、彼のやり方と同じではない。

でも僕たちは二人とも、自分の運命を探求しているのだ。

本から学び取るイギリス人と、人々の営みや自然から感じ取る少年。

2人の対比で、同じ時、同じ場所で学び取るものの違いが描かれています。

何から気づきを得るかは人それぞれ。

自分がそこから何も学べなかったとしても、ただ自分とは合わなかっただけ。

ある意味、何からでも学ぶことはできます。

 

私は空っぽすぎたからこそ、しらみつぶしに愚直に体当たりしていく形で学んでいきました。

もっとスマートにできればよかったですけど、できなかったのですから仕方ないですし、そのお陰でいろんなところから学びを得られるようになりました。

 

最初からゴールを決められる人もいれば、ゴールがわからない人もいると思います。

人生の進め方もまた人それぞれだと思います。

 

見て学ぶ、聞いて学ぶ、触れて学ぶ、体験して学ぶ、考えて学ぶ、覚えて学ぶ、直感で学ぶ。

本から学ぶ、マンガから学ぶ、ゲームから学ぶ、映画から学ぶ、YouTubeから学ぶ、ネットから学ぶ、スポーツから学ぶ、人から学ぶ。

 

何から学ぶか、どうやって学ぶか、自分に合う方法は人それぞれだと思います。

なんなら学ばないという選択肢をとることだってできます。

 

他の人が得た気づきにハッとさせられることも多くあります。

自分ができた方法で他の人ができなかったからといって、下に見ることはせず、それぞれのやり方、それぞれの歩幅を尊重できる関係がいいなぁと思いました。

先が見えない怖さに打ち克つ

もしわしの夢が実現してしまったら、これから生きてゆく理由が、なくなってしまうのではないかとこわいんだよ。

わしはただメッカのことを夢見ていたいだけなのだ。

実現したら、それが自分をがっかりさせるんじゃないかと心配なんだ。

だから、わしは夢を見ている方が好きなのさ

なんだか片思いのままでいいと言っている人に似ていますね。

思い出はキレイなままで…という感覚でしょうか。

2人の方がもっと幸せになる可能性も秘めているけど、つい上手くいかなかった時のことを想像しちゃうんですね。

夢を追求してゆくと、おまえが今までに得たものをすべて失うかもしれないと、心は恐れているのだ。

心は傷つくことを恐れます。

上手くいかなかったら?自分の思いが叶わなかったら?

でも勇気を持って一歩踏み出すと、すべてが意味を持ちます。

『大いなる作業』をやってみるのをさけていた第一の理由は、失敗を恐れていたことだった。

僕は本当は十年も前に始められたことを、今やり始めたのだ。

二十年間も待たなかっただけ、少なくとも僕は幸せだよ

私は超ビビりで、核心的な何かに取り組むことを何度も避けてきました。

何度も絶望し、こんな人生はもう嫌だ、こんな私はもう卒業したいと何度も思い、こうなりたいなぁという絵が少しずつ見え始めたにもかかわらずです。

 

失敗したくないし、自分が選んだ道が正解か不正解か、ハッキリ答えが出てしまうのが怖いんですよね。

 

でも現時点を失敗と考えているとしたら、それは失敗のままにしかならなくて、変えたければ自分で動き出すしかありません。

もっと早くにやっていれば…と過去を憂いても、何かできるとしたら今この瞬間だけです。

それはいつでも始めることはできるし、思い立った今が、いつだって自分にとっての最速なのでしょう。

もしおまえが、現在によく注意していれば、おまえは現在をもっと良くすることができる。

そして、おまえが現在を良くしさえすれば、将来起こってくることも良くなるのだ。

未来のことなど忘れてしまいなさい。

今現在、未来はまったくの不透明ですが、これまで抱えてきたストレスや問題の根源の解決を図れているので、不思議と人生がよくなっていっている感覚が生まれています。

失敗が怖いものじゃなくなってくる

勇気こそ、大いなることばを理解するために最も重要な資質なのだ

こんな遠くまできたのに、あきらめてはならぬぞ

勇気を振り絞って失敗を繰り返していくと、だんだん失敗することは悪いことばかりではないと気づいてきます。

むしろ色々気づきを得られてより明確になるし、乗り越えていった自信がついてくるし、前に進むのが当たり前になっていきます。

今となっては、せっかくここまで進んできたのに、立ち止まったり戻ってしまったら時間がもったいないとすら思います。 

使いこなせるようになってからが本番

夢が実現する前に、大いなる魂はおまえが途中で学んだすべてのことをテストする。

それは悪意からではなく、夢の実現に加えて、夢に向かう途中で学んだレッスンを、おまえが自分のものにできるようにするためだ。

ここで、ほとんどの人が、あきらめてしまう。

『人は地平線にやしの木が見えた時、渇して死ぬ』と言っている段階なのだ。

すべての探求は初心者のつきで始まる。

そして、すべての探求は、勝者が厳しくテストされることによって終るのだ

「知っている」と「できる」はまったくの別物だと思います。

 

生きていると定期的に、同じような問題がズドンとやってくるイメージがあります。

それは自分が本当に理解するまで何度でも繰り返しやってきます。

 

最近いい感じじゃない?と思ってる時とか、何かをわかったような気になってる時は特に訪れます。

きっとこれがテストなのでしょう。

 

自分がもう大丈夫…と思ったら、それ以上のものが降りかかってきます。

本当に嫌になるくらい何度も訪れてきますし、何度もくじけました。 

最近もいくつかあり、試されてるなぁと思います。

 

お陰様で心もだいぶ鍛えられ、乗り越えていくものと認識できるようになってきた気がします。

大変だからほんとはもう来ないでほしいですけどね…。

でも乗り越えると、その後の考え方が楽になっている自分がいたりします。

原点に立ち戻る

人生で簡単に見えるものが、実は最も非凡なんだよ。

賢い人間だけがそれを理解できるのさ。 

長い旅の果てに少年が見つけた宝物、それはとても身近なところにありました。

しかし旅に出なかったら、その存在に気づくことはなかったでしょう。

 

サンチャゴは道中の経験で、自分の才能を発見し、たくさんの知見を得ます。

それも旅に出なかったら才能に気づかず、視野の狭いただの羊飼いのままだったでしょう。

でも冒険に出たことで、いろんな可能性が広がり、将来の選択肢が増えていきます。

 

夢に見た宝物を目指す過程で、目的は何かを問われる場面が何度も出てきます。

夢の意味を教えてもらうこと、エジプトのピラミッドへ向かうこと、お金を稼ぐこと、羊飼いに戻ること、愛する女性のそばにいること、宝物を見つけること。

その都度、自分の心に問いかけて、自分が求めるものは何か見つめる姿がありました。

おまえの心に耳を傾けるのだ。心はすべてを知っている。

それは大いなる魂から来て、いつか、そこへ戻ってゆくものだからだ 

遠回りしたから気づけたこと 

私自身、元々夢がありませんでしたが、転職を筆頭に、とにかく色々挑戦してきました。

「答えは自分の中にある」とは言いますが、自分の中にあるものって当たり前すぎて、いろんなものを見てまわらないと気づけないことばかりでした。

 

違う環境に行って、自分が持っているものが飾られたり、輝いている姿を見て、初めて価値に気づくんですね。

悲しいことがあるから、嬉しいことに気がつけるように、何かと対比しないと反対側が見えないから、価値に気づきづらいものがあります。

幼いころから夢を持てた人の多くは、きっと周りとの差に気づきやすい環境が運よくあったのでしょう。

 

でもわからないなりに歩き回ったらからこそ、あれ?自分こんなもの持っている!と自分のまわりにある宝物に気づけたりします。 

すべてはつながっている

不思議なものごとはくさりのように一つずつつながって起こってくるということだった。

その同じくさりが、彼を羊飼いにし、くり返し同じ夢を見させ、王様に会うためにアフリカに近い町へ連れていき、クリスタル商人に会うためにどろぼうに会わせたのだった。

色々起こりがちな人生。

縁による不思議なめぐりあわせを感じるできごとはたくさんありました。

当時はものすごく嫌で、二度と戻りたくないできごともたくさんありますが、それがあったからこそ今の自分があったりします。 

心が求めるものは何か?

気づけばいろんなことができるようになり、退職してからもありがたいことに様々な選択肢が次々と現れました。

 

スキル的にできること、薦められたこと、希望条件に当てはまるものではなく、自分が心からやりたいと思うものは何か、今年は何度も何度も見つめ直しました。

(これも試練の1つなのではないか?と感じます…。)

今進んでいる道が正しいかなんてわからないけど、とにかく後悔しないもの、心が弾んでいくらでも取り組めるものを選んでいくしかありません。

行動を起こせるのはすごいこと

物語の最後には、自分を信じて突き進み続けたサンチャゴと、まったく同じ状況にいながら何も信じず行動に移さなかった人物のストーリーとが交錯します。

そして訪れる、勇気を持って踏み出した者にしか見えない世界。

少年はボロボロになりながらも掴み取り、両者の明暗がはっきりします。

 

物語の中でサンチャゴの目的はコロコロ変わりましたが、常に自分の求めているものは何か?に忠実に、一生懸命取り組んでいました。

一見、遠回りにも見えますが、確実に必要なものを手に入れながら着実に進んでいます。

私はこの感覚に心当たりが大いにあります。

 

そして自分の中にある確かなもの、しかし見えにくいそれを掬いだして信じて突き進むって、なかなかに勇気のいることです。

確約があるわけでもなんでもないのですから。

 

そうした方がいいなんて百も承知していること、世の中にいっぱいあると思います。

でもそれを実際にやるって本当に難しいことで、実践を伴った話はとても貴重だと思う今日この頃。

 

私自身まだまだ旅の途中です。

自分の運命を引き寄せられるのは自分しかおらず、サンチャゴのように何度も自分と向き合い、目指すものを確かめながら進んでいけたらと思います。

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