「嫌だ」と思うことに意味はある。しえるです。
たまたま見かけた次の映像が心の琴線に触れ、とても響きました。
性教育YouTuberのシオリーヌさんがアップされた「#性暴力を見過ごさない」などテーマとした動画で、日常にひそむ「盗撮」「当たり屋」「痴漢」「つきまとい」「デートレイプドラッグ」「セクハラ」が第三者の目線から描かれています。
素晴らしい出来なので、ぜひ1度見ていただきたい作品です。
女性は特に思い当たることがある方も多いのではないでしょうか。
私は見終わった時、気づいたら涙が流れていました。
コメント欄の反応を見て経験したことがある人の多さや日常茶飯事感を実感したし、第三者の目線で見た時、これは性暴力の被害だったんだと気づいたものもありました。
それに対して、若い子の中には「こんなこともあるのか」という感覚だった子も散見しました。
残念ながら、こういったことがまだまだ「普通」と思われているのが、今の日本の現状だと思います。
下手すれば「そのくらい何?」と言われてしまう以上、最低限自分の身を守る努力はしなくてはなりません。
ですが、それを「普通」のままにする必要もなくて、自分自身を磨いて変えていくことができるのと同様に、社会も1人1人の行動で変えていくことができるものであって、なくしていく努力をしていった方がいいと思います。
そこで今日は私の実体験を踏まえながら、これまで感じてきたことを書いてみます。
こういったことに怯えなくて済む世の中になることを願って。
【YouTube動画「行動する傍観者」】ただ、つらい思いをしている人がいるという事実。ちょっとしたことで救われる。
道端で…移動中に…
駅間の移動中、いきなり知らないおじさんがズカズカ近づいてきて、突然ローキックされたことを思い出しました。
私は、ただ呆然と言葉を失って、見送ることしかできませんでした。
頭が真っ白になりながら一生懸命目的地に向かい、友人たちと合流した時に初めて、恐怖でガタガタ震え、泣き出しました。
10代の頃、自転車での病院帰りに車の中から道を聞かれたので一生懸命答えていたら、実は車内のおじさんが下半身丸出しで、自分のものを触っていたことに気づいて、悲鳴も出せないまま、39度の高熱のなか一心不乱に逃げ出したこともありました。
万が一追いかけられてしまっても自宅へのルートがバレないよう、あえてジグザグな道や遠回りをして、車が入れないルートを目指しながら全速力で漕ぎ、なんとか帰った家に誰もいなくて、1人で震えて親の帰りを待っていたのは本当に寂しかったです。
夜、自転車の男性に後ろから突然お尻を触られた時は、あっという間に去っていく背中に向かって怒鳴ることしかできませんでした。
でもそんな私に通りがかった女性が「大丈夫ですか?」と声をかけてくれて、救われた気持ちになったことを思い出しました。
当時は、そもそも触ってくる方が悪いのに、ライブ帰りでイヤホンの音楽に夢中になっていた自分が悪いと考えていました。
(そして世の中も、なぜかそれを関係のない他人である第三者が、責めてくることが起こりがちです。襲われる方が悪いとか。
「触られてもおかしくない恰好していたんだろ」とかも言われがちですが、この時の恰好はTシャツ・ジーパンというラフなライブスタイルです。)
ナンパされた時「ごめんね」で引いてくれる方はいいのですが、流しても、無視しても、しつこくついてきて、近くに逃げ込む先もない時、どうすればいいのかいまだにわかりません。
私1人に対して2人で囲まれた時は観念して「タダ飯食ってやる」と開き直って、下ネタを我慢しながら相手したこともありましたが、薬盛られる可能性もあったことを考えると本当に何事もなくてよかったとしか思えません。
電車で隣に座っていた見知らぬ酔っ払いのおじさんに、いきなり肩を抱かれたこともありました。
ビックリして思わずガバッと振り払った私に対して、逆隣にいた女性が「危ないから離れな」と目くばせしてくれて、とても心強く感じました。
(口の動きがあったのか、実際に声が出ていたのかまでは覚えてないのですが、その意思が伝わってきたことだけは間違いないです。)
隣の車両に逃げて、まだまだ先も長いのになんで私がせっかく座っていた席を離れて立たなきゃいけないんだろうという思いもありましたが、やっぱり現状は逃げるしかないのだと思います。
新宿の東西連絡道では、いきなり知らないおじさんに両手を広げて道を通せんぼされたこともありました。
目がいっちゃってて恐怖を覚えながらも、冷静に横をすり抜けることができました。
無事スルーできてよかったけど、もう意味が分かりません。
このように、ただ歩いているだけでも見知らぬ人に突然巻き込まれてしまいます。
気にしすぎじゃなくて、実際に事実として女性である私に起こった、身の危険を感じたものです。
会社で…飲みの席で…
入社したての頃、先輩のおじさんが二の腕を触ってきた時、鳥肌が立つほど気持ち悪かったのですが、それを嫌がっていいのかがわかりませんでした。
職場で入社したての同性年上の後輩が、研修明けの初会話でいきなり「今まで何人と付き合ったか?」と聞いてきた時は、デリカシーのなさにドン引きしました。
そういう話は「友達」としてくださいと感じます。
転職した先では女性がお酒を注がないと、気が利かないと怒られる場所でした。
初めての飲み会で、先輩の女性が男性たちに抱きつかれたり、腕を組まれたりしていて、翌日男性全員が記憶なくすまで酔っぱらっていて揃って「覚えていない」という姿を見て、ヤバイ所に来てしまったと思いました。
後輩の女の子が飲み会の席で、上司に下品すぎる下ネタで絡まれ続けているのを見て「私は巻き込まれなくてよかった…」と思ってしまっていました。
(なので新人であればあるほど、上司であればあるほど、止めに入られない気持ちもよくわかります。)
研修中にメモを取っていたら、男性上司が私の手からペンを取って説明をしてくれた時がありました。
営業の同行中、助手席でスカートの膝の上にノートを乗せてメモを取っていたら、そのまま男性の先輩が教えるために私のノートに書き込んできた時もありました。
教えてくれるのはありがたいけど、内心、会社の男性に手を触られるのも、ノート越しに太ももの上に相手の手があるのも正直鳥肌が立つくらい嫌でした。
どの状況も皆、動画内の上司に絡まれる女性と同じ反応をしていました。
決して笑えないんだけど、笑うしかない…みたいな。
これからも関係が続いていくからこそ、飲み込んでしまいがちです。厄介ですよね。
そんな職場だったので、同僚から紹介してもらった営業先のお客さんである妻子持ちの男性に言い寄られた時、誰にも相談できずに困っていたこともありました。
お客さんと仲良くなっても、何が仕事の関係で、何がプライベートなお付き合いで、何がセクハラなのかよくわからなくなりました。
今もここはめちゃくちゃ難しいと思っています。
ただ1つ、今思うのは、これを上層部に言っても解決しなさそう、丸め込まれそうと感じるなら、その会社は離れた方がいい危険な場所だということです。
実際、役員も同じような感じだったので、どうにもならないと思ったのも辞めた理由の1つです。
あと、どんなに親しくなっても、女性のエスコートなのか、親しみを込めてなのか知らないですが、パートナー以外の男性に、腰に手を回されるのは不快以外の何物でもありません。
何もできなかったこともあります…子供が絡むとより難しい
駅で切符を買うお母さんの隣にいたちっちゃな女の子が、知らないおじいさんに頭を撫でられて困惑しているのを見ながら、何もしなかったことも思い出しました。
正直この時は何を言えばいいのかがわからなかったのと、母親から不審の目で見られることを怖がったのがありました。
友人のところの4歳男児に「おっぱい!」っていきなりがしっと両胸つかまれたことは、笑いに変えて終わらせましたが、何が正解かよくわかりません。
すでに結構自我が芽生えていて、本能のままに動くお年頃だと思いますので、他人のを触ったらダメだよと教える必要性はあると感じます。
でもナイトスクープで見た、男女かかわらず他人の胸を幸せそうに触るおっぱい大好きな3歳児を笑って見ていた自分もいます。
ほんの少しでも行動することが未来を変える
こういった経験が多いのか少ないのかは、全然わかりません。
というか受けた回数や程度を比較することに意味はないと思います。
何歳かとか、性別とかも関係ないと思います。
もしかしたら、これの何が嫌なの?と思う方もいるかもしれません。
ただ確実なのは、私は嫌な思いをしたってことだけです。
その思いは間違いのないものです。
「このくらい」じゃなくて、嫌なものは嫌なのです。
相手が自由に行動してくるのと同様に、自分も自由に「嫌だ」と表明することは大事かと思います。
そして、たった一言に、時には目くばせですら救われたことがあるということです。
目が合った時に目を逸らされる絶望感と、目が合ったのを受け止めてもらえて、自分には味方がいると思える心強さは雲泥の差です。
一歩近づいたり、視線をやったりすることでけん制したり、直接声をかけられなくても店員さんを通したり、安全な所に離れて通報したり。
「今は令和だから」もいいパワーワードですね。
今回の動画を見て、仲裁に入り込むなどの無理をしなくても、できる範囲で何かの行動を起こすことはできるなと思いました。
自分を危険に巻き込まないよう自衛しながら、できることをしていきたいと感じます。