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今も大自然に守られる平和なお城で悠久の時の流れを実感:宇和島城(愛媛県宇和島市)

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宇和島城

住所:愛媛県宇和島市丸之内1-127

TEL:0895-22-2832

営業時間:開門6:00~、天守・郷土館9:00~ 休館日:無休 駐車場:あり

アクセス:JR宇和島駅から桑折武家長屋門まで徒歩約10分、JR宇和島駅から上り立ち門まで徒歩約20分

※2020年10月現在の情報です。最新情報は公式サイト等をご確認ください。

www.uwajima.org

今も大自然に守られる平和なお城で悠久の時の流れを実感

宇和島城は、築城家である藤堂高虎(とうどうたかとら)が鎌倉時代中期に建てられていた丸串城跡を改築して、初めての自分の居城として建てたお城です。(1601年に完成)

藤堂高虎は「安土城」「和歌山城」「大和郡山城」「今治城」など全国各地で20以上ものお城を築き、加藤清正黒田官兵衛に並ぶ築城の名手と言われていました。

 

現在残る姿は、今治城築城のために藤堂が去ったあとに城主となった伊達家によって大修理が行われ、1671年に完成したもので、国の重要文化財に指定される現存12天守の1つとなっています。

約430種の草木生い茂る大自然に囲まれた城山を抜けて天守

城山南側の搦手道口に位置する「上り立ち門(のぼりたちもん)」と、城山東北側の登城口に位置する「藩老桑折武家長屋門(はんろうこおりしぶけながやもん)」の2か所から天守へ向かうことができます。

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宿のレンタサイクルで「上り立ち門」まで来ました。

こんな青々とした城門は初めてです。

現存する薬医門で最大級クラスの規模を誇り、創建時期はわかっていないものの最古クラスの可能性も秘めているのだとか。

手前の銅像は、児島惟謙(これかた・いけん)という明治時代の裁判官さんだそうです。

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門を抜けると広がるこの光景。行く先がまったく見通せません。

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天守が現存しているお城へ行くのに、これだけの森の中を通って向かうのが初めてだったのでとてもビックリしました。

この城山は少なくとも300年以上経過しており、約430種類もの植物の宝庫なのだそうです。

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ある程度、石段が整備されてはいますが、なかなかワイルドな道で大変。

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道中に城山郷土館がありました。

元々は山里倉庫という武器庫だったようです。

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ようやく空の面積が広がってきました。あともう少し…!!

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ゴールが近づいてまいりました。

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ふと横に目を向けると、結構のぼってきた感があります。

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突如開ける視界に現れたのは、これまでと打って変わって広々とした二の丸と、立派すぎる城郭の石垣。

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櫛形門跡であるこの石垣とお城の本丸への階段、カッコよすぎません?

RPGゲームでボスに行く前のドキドキワクワク感のようなものがあります。

多分、ここにセーブポイントありますね。笑IMG_7778

この階段を越えた先がいよいよ天守のある本丸です。

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草が生い茂る石垣がカッコよすぎます。

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本丸には台所跡などの礎石も存在しますが、一見、天守だけのようにも見えます。

 

天守は、格子窓だけついたシンプルなデザインとなっています。

それもそのはずで現存するこの天守は、戦乱の世が終わり、徳川4代目の家綱が統治している頃に伊達家が再建したものなので、城らしい弓矢や鉄砲を撃つための穴(狭間)や石落とし、忍び返しといった戦闘能力がない、現存天守の中で最も平和なお城となっています。

 

と言っても、藤堂高虎が建てた時点では江戸幕府が開く前の戦乱の世まっただ中なので、敷地の構図はきちんと城だったんだなぁと実感しかないつくりとなっています。

何せ、ここに来るまでに城山をのぼってきて体感していますからね。

 

ちなみに宇和島城は、俯瞰で見ると不均等な五角形の形をしています。

これは「城の形は四角い」という常識の思い込みを利用して、敵に四角い形をしていると思わせておいて死角をつくるという築城の名手・藤堂高虎による策で、徳川幕府の隠密も見事に引っかかって誤認していたのだそうです。

有事の際には血路を開く策が練られたうえに、当時は背後が海に守られていたなんて、素人の私でもすごそうなのが伝わってきます。 

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入り口部分の唐破風(からはふ)を見上げてみると、九曜紋、竹に雀紋、竪三引両紋(たてみつびきりょうもん)と伊達家の家紋があしらわれています。

このような神社仏閣のような木彫りの装飾が施されているのも、戦闘向けではないお城ならではですね。

居住色の強い天守内の様子

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大洲城同様に、上棟式の飾り矢が見られました。

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1番左の兜、目立ちたがりすぎません?笑
伊達の弦月の兜がかすみます。

城内の障子戸というのも新鮮ですね。これも居住用ならでは。

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七代藩主・伊達宗紀(むねただ)と八代藩主・伊達宗城(むねなり)の肖像画

江戸時代幕末期~明治維新期の藩主で、宇和島藩の再建と改革に尽力したのだそうです。

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愛媛県出身イラストレーターの茂本ヒデキチさんによる墨絵の屏風。

ライブペイントの作品に加筆修正したものだそうです。

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宇和島城下が描かれたレプリカ屏風が飾られていました。

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天井が開いている部分があって、中を覗けるようになっていました。

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階段はこんなに急傾斜です。

訪れる際は、ぜひ動きやすい恰好で。

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端っこの鯱ポジションにある見慣れぬ形は、桃瓦と呼ばれるもの。

硬く守り長寿の象徴でもある亀の甲羅の上に、中国で「魔よけの果実」とされる桃が乗った珍しいデザインとなっています。

たしかに封神演義でも仙人の太公望が桃をよく食べていましたね。

 

桃瓦は、犬山城などでも見られるらしいです。(行きたい!)

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天守3階からは宇和海が一望できます。

思いがけぬ地元の方たちとのふれあいも

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長門丸の石碑前を通るルートでの帰りの下山中には、様々な出会いがありました。

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地元のガイドさんとすれ違いまして、折り紙でつくった駕籠をおすそ分けしてくれました。

お城に自由に持ち帰られるよう置いてあったようで、チャージしに行くところでした。

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いただいた駕籠はとてもお気に入りで、今もなお飾っています。

駕籠中央に貼られているシールは唐破風にもあった宇和島伊達家の家紋「竹に雀」です。

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こちらはあわせて見せていただいたタマムシ

「玉虫色の」とかポケモンの「タマムシシティ」とか聞いたことはあったけど、実際に見るのはこれが初めてでした。

 

他にもおじいちゃんがハーモニカを練習していて、一曲披露してくれたりとか、地元の方とのふれあいに溢れた、心温まるひと時を過ごせました。

愛媛は本当に地元の方々によくしていただいた思い出ばかりです。

スタンプ

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地図

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高知城

住所: 高知県高知市丸ノ内1-2-1

TEL:088-824-5701

営業時間:9:00~17:00 

アクセス:JR高知駅からバスで10分 とさでん交通高知城前」下車すぐ

※2020年10月現在の情報です。最新情報は公式サイト等をご確認ください。

kochipark.jp

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高知城は日本で唯一、天守と本丸御殿が当時のまま現存している稀有なお城です。

そして私が当時の姿を残すお城の魅力を知るきっかけとなった思い入れのあるお城でもあります。

それまで歴史に興味があるわけでもなく、現代に建て直された博物館のようなお城しか知らなかったのですが、高知城のおかげで、当時の歴史の面影を感じる古城ならではの迫力に感動し、好んで城めぐりをするようになりました。

 

私が行った頃は御城印もなかったですし、すべてが新鮮で見るのに夢中で写真があまり撮れておらず、当時気づかず素通りしてしまった部分もあるので、もう一度訪れたいお城でもあります。

昔、国宝でした

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高知城は1601年に着工されたお城ですが、1727年に一度火事で焼失しています。

1729年に再建工事が始まり、現存する天守はこの時に作られたものとなります。

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高知城は1度1934年に国宝に指定されていましたが、その後1950年の文化財保護法の成立で、資料不十分につき重要文化財に指定された元国宝のお城となっています。

重要文化財なのに国宝の碑があるのはそのためですね。

最近では、再びの国宝指定を目指して新資料に懸賞金をかけられたのがニュースになっていました。

www.asahi.com

高知城内の像について

アイスクリンを食べながら、日曜市散策

こちらは城主・山内一豊の妻の千代の像。

2006年の大河ドラマ功名が辻」はこの夫婦が描かれたものでした。

隣に馬が一緒にいるのには、とある逸話が関係しています。

 

一豊が織田信長の一家臣だった頃、戦に備えて士気を鼓舞するために、各々の自慢の馬を披露する「馬揃え」という軍事パレードのようなものが開かれることに。

そんな折、安土城下で一豊は、馬商人が連れた見事な駿馬(しゅんめ:優れた馬)に出会います。

よい馬を持っていなかった一豊は手に入れたいと思うも、あまりに高価すぎて、貧乏暮らしの一豊にはとてもじゃないが手を出せませんでした。

すると千代が今こそ火急の時と、「化粧料」と呼ばれる嫁入り時に親からもらった持参金の十両を差し出したことで馬を購入することができ、信長の関心を惹いて出世するきっかけになったと言われています。

ところどころ矛盾があると指摘されるなど真偽が定かでない部分があるようですが、有名な千代の「内助の功」の話として伝わっています。

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高知城には「板垣死すとも自由は死せず」で有名な、自由民権運動の父と言われる板垣退助の像もあります。

なぜかというと高知生まれの土佐藩士なんですね。

後藤象二郎の幼なじみの悪友で、実は坂本龍馬とは親戚なのだそうです。

高知城 鯱 青銅製

高知城の鯱は青銅製。

三ノ丸欄間(慈姑に水鳥)が可愛い

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城内の展示で1番ときめいたのが、三ノ丸の南ノ間と北ノ間との境に使用されていたという欄間(らんま)「慈姑(くわい)に水鳥」。

高知城下に住み、竹籠細工を本業としていた武市高朋が、優れた彫刻力を生かして江戸時代中期に制作したものだそうです。

ちなみに欄間とは、採光や風通しのために設けられた襖(ふすま)や障子の上にある部分ですね。

 

この水鳥の彫刻がとても緻密に再現されていて、彩色なしでこのリアルさはすごいなと思って見入ってしまいました。

慈姑とのトーンの対比もまた味があっていいですね。

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ちなみに慈姑は、広島県福山市や埼玉県越谷市が主な産地の水生野菜で、江戸時代から食用として普及したそうです。広島から高知に入ってきていたのでしょうか?

それまで慈姑の形は知っていても、水辺から広がる白い小さなお花と大きな葉の様子は知りませんでした。

ついでの雑学ですが、慈姑の花はおしべとめしべではなく、雄花雌花にわかれているらしいです。

日曜市もお見逃しなく

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毎週日曜日は城下、追手門から広がる追手筋で日曜市が開かれます。

名物のアイスクリンは、アイスにしてはシャリシャリでさっぱりしていておいしかったです。

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お城って猫いがちですよね。

地図

 


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