根本的な解決を望んでいます。しえるです。
ここの人達がやってるのは対症療法
私は原因療法がしたいの
漫画『呪術廻戦』で冥冥が発した言葉に、私は「まさにそれ!」となりました。
私は基本的に「原因療法」「根本解決」をしたい派。
じゃないといつまでも「いたちごっこ」「ラットレース」になってしまうからです。
今日は日常の食事に関するそんなお話です。
以前書いたビーガンの主張根拠が弱いと感じた話にも関連しています。
【日常でできる投資・支援】本当に家畜や動物と向き合って大事にしているのは誰か?【対症療法より原因療法を】
動物の命をいただくということ
私は身のまわりに漁師も、農作業に勤しむ方も、お肉屋さんもいましたが、そのお手伝いなど実際に携わったことはなく、話を聞いたり、写真で見たり、おいしくいただいたりする程度の関わりしかしてきませんでした。
過去で1番近い経験は、子供のころ飼育委員をやっていてウコッケイが産んだ卵をいただいたことくらいでしょうか。
近くに存在はあったにもかかわらず、どこか遠くのできごととして生きてきました。
初めて考えたきっかけは荒川弘さんの漫画
疑似体験にはなりますが、自分の中で初めて生き物の命をいただいているという感覚に触れたのは、『鋼の錬金術師』で有名な荒川弘さんによる漫画『銀の匙』でした。
主人公の八軒がぶたに「豚丼」と名づけて、目をかけて最後までお世話していた話が、当時の自分にとっては衝撃で、意識せざるをえなかったですね。
作者の荒川さん自身が北海道出身で農業高校を卒業しており、荒川家での酪農や畑作の様子を描いたエッセイ『百姓貴族』も読みましたが、リアルな農家感覚を垣間見たこちらもまた衝撃でした。
体力はないし、虫とかみみずも苦手だし、命と向き合える自信もなかったので、私は百姓貴族にはなれないなぁというのが、当時の正直な感想でした。
ビーガンに一石を投じた記事で改めて考えた
「あなたは動物が好きですか?じゃあ、どうしてその動物を殺して食べることができるのですか?」
身近でありながら深く考えずにいる話題。
食べることが当たり前。
お魚と切り身の状態が同一だと認識できていない。
現実を知り、かわいそうという理由でビーガンになる。
感謝して自然の恵みや命をいただく。
おそらく感覚は人によって様々でしょう。
そこに真っ向から切り込んだ方がいらっしゃいました。
これを書いたyuzukaさんは実際に牛舎に赴き、牛から牛肉になるまでの過程を体験取材してきたのです。
2ページ目までは共感しかなく、私自身も実体験に勝るものはないというのはこのブログのコンセプトですし、その実際に体験するという考えが頭をよぎったことはありますが、それでも実行に移すことはできませんでした。
だからこそ、このライターさんの行動力は本当にすごいと思います。
私は真似できません。
医療ドラマが無理なくらいには血やグロい映像が苦手なので、今まで見ないようにしてきたのですが、せめて今回ばかりはちゃんと目を通そうと思って、全部読みました。
本当に家畜や動物を大事にしているのは誰か?
結論として、私はこの取材を通して、「ヴィーガンにならない」という選択をとった。
yuzukaさんは記事をこう結論づけています。
私はこの記事を読む前から、同じ答えにたどりついていました。
その考えに至るまでの過程が、実際に取材した方とほぼ同じような思考回路であり、改めて私はこの考えでいくという思いが強まりました。
共通認識として感じたのは、結局本当の意味で動物と真正面から向き合っているのは誰かと言うところかと思います。
牛飼いさん「動物を守りたいっていうけどさ、ヴィーガンを勧めている人たちって、牛にとって一番最悪なことをしてるって気づいてるのかな?」
yuzuka「最悪なこと?」
牛飼いさん「世界中の人がヴィーガンになるなんて、ありえないじゃない。
貧困の問題もあるわけで。ヴィーガンってのは恵まれた人たちだけができる贅沢な選択だからね。」
yuzuka「たしかに」
牛飼いさん「じゃあ、もしもこの活動を続けて行って、本当にお肉を食べる人が一定数減ったら、どうなると思う?」
yuzuka「どうなりますか?」
牛飼いさん「まずは私たちがやってるみたいな、小さな牛舎から潰れていくんだよ。
利益よりも牛のことを1番に考えてやっている牛舎から先に潰れていく。そうなって最終的に残るのって、牛をものみたいに扱って、劣悪な環境で安いお肉を量産しているファクトリー農場だけだ。
結局あの人たちがやってるのって、牛を大事にする農場を潰すことなんだよ」
私はこのやりとりに表れる部分が、今1番の大きな課題ではないかと感じています。
皆私利私欲で動いている
勿論全員ではないけど
これが世界みんながみんなエマみたいに優しい気持ちで考えるわけじゃないんだよ
とある編集社の社長さんが「正しいか否かより売れたら勝ちなんだ!」って言ってたので、彼らの倫理感は「お金を儲けた人が勝ち」と理解していますm(_ _)m
— たどころ歯科医院 (@tadokoro_dc) 2021年2月23日
たとえば、いかにコストを抑えて大量生産して多く売るか、というのは多くの会社がめざしているものです。
密漁とかする人たちもお金しか見ていないと思いますし、残念ながら食材を大事にできない料理人がいることも知っています。
生まれたときから農場が当たり前の環境として育てば、家畜はやっぱり商品でしょうし、これまでのやり方に疑問を持つのはなかなか難しいでしょう。
でも魚を釣るのが好きな方たちであれば、魚のことも大好きな人が多いですよね。
私の友人の釣り好きたちは、自身で釣った魚をさばき、時に私たちにふるまってくれました。
多くの人が知っているであろう魚愛の最高峰であるさかなクンも、自分でさばいておいしくいただきながら、海洋に関する普及・啓発活動をし、環境問題とも向き合っています。
家畜動物に感謝と愛があるからこそ、余すところなく料理にしておいしくいただくお店もあります。
漫画『約束のネバーランド』でも食用児を育てるイザベラは、子どもたち全員を心から愛していました。
世の中の仕組みを知り、その中で自分にできることを選択した結果だと思います。
正すべきは無理に搾取する環境では?
さらっと漫画『約束のネバーランド』を出してしまいましたが、こちらは「孤児院で幸せに育てられていた子どもたちは、実は食用児として鬼に献上されるために飼育されていた」という環境から脱出していくお話です。
漫画の中では主人公のエマたちのように、ママ(イザベラ)によって丁寧に大切に育てられる農園もあれば、劣悪な環境でただ生かし太らせるだけの安価量産型農園、投薬と実験をくり返し品質改良をめざす農園も出てきます。
エマたちがいたような農園で育てられたのはおいしい高級品とされ、里親に出されるというていで出荷されていくのですが、真実を知らない子どもたちはとても幸せに過ごしていました。
「安価でどういう育てられ方をしたかが見えない名もなき肉」を買うことは、ただ生かし太らせる劣悪な環境に投資することに繋がります。
育成コストを落とさないと、安価で提供はできませんからね。
「高価だけど、自然飼料・自然放牧で育てられたお肉」を買うことは、なるべく動物たちに無理を強いらない形で育てようと努力している農家さんの支援になります。
「家畜がかわいそうだからビーガンになる」という考え方は、世界中にこういった多種多様な農園があって、家畜が育てられていて、たくさんの人が買って食べている現実を無視して、私が買わないんだから早くなくならないかなーって言ってるようなものではないでしょうか?
物事を解決していくには段階がある
People want to be comfortable, but it won't grow. People are looking for a magic to avoid a effort and failure but there aren't any magic.
— Keisuke Honda (@kskgroup2017) 2021年3月2日
自分より頭がいい人とか何かしらのスキルが高い人とかはいくらでもいて、そんな方たちが率先して社会の土台をつくりあげてきているわけですが、だからと言ってすべてを一気に解決できる人も魔法もないわけで、1歩1歩進んでいかないとなりません。
ちょっと前まで形のいい野菜や果物しか商品として認められなかったり、賞味期限の1/3が過ぎる前に納品できないと廃棄などといった考え方が当たり前でしたが、今では「食品ロス問題」として問題提起され続けた結果が身を結び、まだ食べられる食品が捨てられていくのはよくないとして、安価で訳あり品やB級品などとして販売するのが日常となってきました。
生産環境の改善「足るを知る」
今は「生産環境」が次の課題として取り組まれている段階と感じます。
働き方改革もその一環ですよね。
今後は、濃い牛乳よりも安全な牛乳、大量生産ではなく少量生産をめざさなければならない。
のちほど取り上げる牧場の方は、こう提言しています。
先日もSDGs目標の「つくる責任 つかう責任」について触れましたが、私は現代は生産などプラス方向への意識が過剰だと思います。
全部がとは言いませんが、とにかく成長し、何かと多いほうがよいとされる傾向がありますよね。
課題を解決するために新しい商品やサービスをつくり、売り上げを上げることを目標とし、事業や規模の拡大をめざすといったような形や、世の需要や流れを無視した目標設定とかもありがちな気がします。
なぜ、去年とだけ比較して、去年はこうだったから、今年は昨対で10%アップが目標です!みたいな発想になるんやろ。去年は一昨年と比較たら、30%とか落ちてたかもしれんのに。ちゃんと過去から数字がどうなってきたか流れを見てほしいなあ。
— Mitsuru Hamada🦌 (@hamadamitsuru) 2021年3月9日
ESGのことを色々と調べ始めてるんですけど、ポイントは新しい技術以上に、資本主義に対する脱成長などの新しい考え方が必要。当然、賢い人は分かってるけど、一度でも成長一択のマネーゲームに入ってしまうと、仕組み的に抜け出せなくなるので、環境問題の解決は至難の技やなと思ってます。
— Keisuke Honda (@kskgroup2017) 2021年3月7日
https://twitter.com/ayaemt/status/1368200042100711432
業績至上主義から抜け出し1日100食限定を掲げた佰食屋(ひゃくしょくや)などが成功を収めてますが、まだまだこういう存在はマイナーだと思います。
この先、必要になってくるのって「足るを知る」「断捨離」の精神だと思うんです。
今って大きな売上げ、新サービスなど何かを生み出すことは評価されるけど、損切りや何かを減らすことって評価される機会が少ないですよね。
やめたから赤字の垂れ流しを止められたりだとか、余計なものを省くことで根本的な出費や不要な労働が減らせたりするわけで、人口も減少している今は、たくさんのことをこなす技術より、必要なことを選択し集中するという適量を探すことが、大事になってくるなのではないでしょうか。
なるほど、確かに、言われてみればやめたことの記載ってあんまり見ないかも
— おおくぼやまと@霞ヶ関 (@okubo_yamato) 2021年2月6日
(長々と続いてきた)仕事をやめる・やめさせる、って大仕事なんだよな
新しいこと始めるより、ある意味で勇気と実力がいる https://t.co/OgWb2eljSd
仕掛ける話より撤退する話の方がコストがかかるわりに世間の評価は伴わない。今の撤退案件とは比べ物にならないが、国内石炭政策の最終局面を入省時に傍で見ていた時、それを肌で感じたが、同時に役人だからこそできることも多いとも、門前小僧ながら思った。
— かどひろこ(門ひろこ🌲)東京8区=杉並区 (@HirokoKado) 2021年1月27日
https://twitter.com/ayaemt/status/1354430194581295107
オリンピックとかいい例ですね(ぼそり)
動物のことを考えている農家さんを応援するために
【自然放牧】なかほら牧場さんの取り組み
牛乳について調べていたとき、牛を愛し、なるべく自然に即した形で育てている農家の存在を知りました。
こちらの本は酪農にはなりますが、岩手県で山地(やまち)酪農を営むなかほら牧場の方が書かれたものです。
自然放牧、自然交配、自然分娩、母乳哺育と多くを自然に任せた酪農を取り入れています。
年間4,000kg程度なら面積と頭数のバランスをとれば、「自然の摂理」に任せるだけで高度な技術はいらないそうで、朝夕の搾乳以外に日常的な作業はないと言います。
授精は父牛。分娩は母牛と生まれてくる子牛の生命力。哺乳は母牛。
餌は天と地の恵みを牛自らが食べる。
配合飼料は与えない。
そして、牛は放牧地を歩きながら排尿、排便し、それらは自然に肥料となる。
糞尿の処理も牛任せで、人間が手をかける必要はない。
牧場内の草すべてが牧草であり、自然に植生する草がエサとなります。
牛たちは野草を食べながら1日中広大な放牧地を歩いては、寝て起きてを繰り返します。
夕方には牛たちが自然に集まり、搾乳を待ち、終わったらまた放牧地へと帰っていくそうです。
自由に歩き回る牛たちは、時には急傾斜の下り坂を猛スピードで駆け下りたりすることもあるほどで、足腰も強くなり健康に育つから、病気にかかることもほとんどないのだとか。
わたしは誇り高き酪農家だ。
愛する牛たちとともに生産した価値ある牛乳を、価格に見合った価格で販売したい。
酪農家の労力に見合った価格で販売できなければ、経営を維持していくことはできない。
酪農家が自立するためには、放牧して国産の草で育てた牛から搾ったノンホモ・低温殺菌牛乳であれば、スーパーに並ぶ一般牛乳の倍以上であってもよい。
中洞さんは本の中でこう述べています。
牛と向き合って、自分の仕事に誇りを持ち、現実的に状況を改善しようと取り組んでいらっしゃる姿が見えてきます。
酪農や畜産の原点とめざす形
酪農や畜産の原点は、人間が食べられない草を餌として、栄養豊富な牛乳や肉を生産することである。
草によって生産されるのが牛乳や肉だ。
輸入穀物飼料に依存せず、国内で生産した草を中心とする飼養管理技術を構築し、そこから生産される牛乳や乳製品への認知度を高めていく必要がある。
牛は人間が食べられない筋の入った繊維質の牧草を消化し、高いたんぱく質に変換します。
それを栄養源として人間が食べてきたのは食物連鎖として自然な流れと感じます。
もちろん私だって誰かに食べられたくはありませんが、食物連鎖は自然界における仕組みの基本だと思います。
ちなみに、明治時代から欧米にかぶれて牛肉を食べるようになったなんて話がよく取り上げられますが、それよりももっと何万年も前の旧石器時代から牛を狩猟し食べていた痕跡が発掘されています。
長い目で見れば、ただこれまでの間に禁止令的なものが発されていた時期が散見しているにすぎません。
むしろそうやって禁止令が出されている事実こそ、何より祖先が食べてきた証でしょう。
自分にできることをする
自分の生活を壊さない範囲で、よりよい選択をするだけです。
この問題は、日本の食自体が、他国の富(エネルギー、食料、自然など)を奪って成り立っていることともつながっています。
この複雑に絡み合った現実の中でできることは、中洞さんのような問題提起をし続けることと、限られたなかでよりよい選択をすることだと思うのです。
本の中で紹介されていたこのユーザーさんの声は1番現実に即した考え方で、的を射ていると思いました。
環境を改善するために無理して、自分の生活が壊れてしまっては元も子もありません。
そして何事も変えられるのは自分のみで、他人を変えることはできません。
自分たちが生きていくために家畜を育てる人たちがいて、そのお肉を使って料理を提供するお店があって、消費者として私たちも食べています。
資産も考え方も各人・各家庭・各企業で違うわけで、皆が理想と現実がある中で、今の自分にできる選択をしているはずです。
だからこそ自分の可能な範囲で日常における選択肢の中から、よりよいと思う選択をとることが最善の手だと思うのです。
Win Win Wiiin初回配信の舞台裏&オンラインサロン運営の難しさ
世の中って本当に自分の想像や理解以上にいろんな人々がいるんですよね。
オリラジが2回にわたってオンラインサロン運営について話していたのがわかりみしかないのですが、社会に出て何かしらの組織で人を束ねる難しさを経験したことのある方にとっては特に心の底からの共通認識なのではないでしょうか。
動物や環境のことを考えて取り組む企業は増えています
関東中心に展開するおなかすいたは、「環境を破壊せずに同時に経済活動も進めていこう」という考え方をもとに、「売り手良し」「買い手良し」「世間良し」の三方よしの精神で、作り手さんたちの手間が詰まった旬の食材を取り扱うお店です。
私たちは、「一言で説明できるお店」を作った先に何が待ち受けているのかを知っています。この走りやすい道のはるか先には巨大な先輩企業がひしめき合い、血みどろの価格競争を繰り広げていることを知っています。ふと目を横にやると、ものすごいスピードで私たちを追い抜いていく激安店の姿がそこにあることも、後方からは新たな激安店が私たちを追い抜こうと狙っていることも知っています。先輩たちにはどんどん先に行かれ、後方からはどんどん抜かれていく地獄のような競争が待ち受けていることを知っています。どこの会社も生き残るのに必死です。お客様の奪い合いと従業員の入れ替えを繰り返しながら、会社がなくなるまで終わることのない耐久レースを走り続けるのです。
その果てしない競争の先に、果たして「本当の幸せ」はあるのでしょうか。起業した時に作られた「お客様を第一に」、「従業員は大切に」、「お取引先の繁栄の為に」というような理念の実現は本当に可能なのでしょうか。全てのエネルギーを「価格競争」につぎ込み、誰もが疲弊しているこのレースを傍から見ていると、とても疑問に思えてきます。形骸化された理念のもと、何のためにお仕事をしているのか、何のためにその会社が存在しているのか、そんなことを考える余裕さえなくなってきます。
こだわりやもまた、関東に展開する化学的な農薬や肥料、合成添加物などを極力含まない、主に国内産原料の食品、日本産、外国産オーガニック食品を扱う専門店です。
「環境にも身体にもやさしい」「次世代へつなぐ」「おいしい」
旬を大切に太陽・土・大地・空気・水など自然の力を借り、時間と手間を惜しまず、丁寧に作り上げた逸品、作り手とみなさまをつなぐ役をいたします。
私は10年前に某ねずみ講の勧誘を受けたことをきっかけに、ふだん使う日用品が何を使ってどういう風につくられているのかという点に意識が向くようになりました。
そんなときに最初に出会ったのがパックスナチュロンでした。
食材ではありませんが、私にとってのこの思考の原点です。
人と自然にいいことだけを考えて、石油由来の合成界面活性剤や防腐剤、
合成香料、合成着色料は一切使っておりません。
ヘルプは化学肥料・農薬、合成添加物をできる限り控えた食品、
オーガニック食品を専門に扱うスーパーマーケットです。
私たちは食を通じてみなさまの健康や、環境にやさしい社会の実現をお手伝いします。
京都で展開している注目のスーパーです。
プライベートブランドでオーガニック商品や低温殺菌牛乳などを製造しています。
www.nissin-world-delicatessen.jp
上記企業と毛色は異なりますが、「世界のお客様に、世界の食品をお届けする」を基本コンセプトとしているため、オーガニック商品など世界基準を知ることができる場所なのではないでしょうか。
東京の都心、東麻布に、欧米の方を中心に、食中心のコミュニケーションの場になっており、「ここはまるで外国のようだ」「本国にいた時と変わらない生活ができる」と喜んでいただいております。主たるお客様は、欧米人・外国人と国際的マインドの日本のかたがたで、非常に国際的な雰囲気です。大使館などのお買い上げなどもあり、国際色豊かなお店です。
自分なりの向き合い方で
私のまわりには小さいころからお肉を食べられない人もいたし、単に好き嫌いでお肉を食べない人もいました。
最終的には自分の体が求めるものを食べるのが1番だと思います。
そして、動物の命を奪うという点に関して。
写真や映像を見て批判するのは簡単ですが、実際に生活をかけて現場に触れている方々の思考や取り組みはさまざまであり、十把一絡げに扱うのはまず違うのではないかと思います。
すごく共感する。
— タキミアカリ|家畜写真家Artist (@akapple29) 2021年3月1日
わたしも短期ではあるが牧場経験をし、子牛の安楽死に直面し、屠畜場の見学させてもらい、日本一周農家旅をし、鶏の屠殺を自ら経験した。
そこで感じたことが、出会った農家さんを応援したいという気持ちと、あの子(鶏)が私の一部になったということだった。 https://t.co/iWEf2DRHuI
あかっぷるさんという、とても素晴らしい写真を撮る家畜写真家の方がいらっしゃるのですが、この方も実際に現場に立ち会ったという話をしていらっしゃいました。
動物を愛しているからこそ、向き合っている方たちもいるわけです。
私自身、生殺与奪について考えると心苦しい気持ちは生まれますし、何かの命を自分の手で奪う経験といったら苦手な虫をころしたことくらいです。
ほとんど虫の出ない家に住んではいますが、家に出たら心の平穏が脅かされるので、この先も虫が現れたら動物であるとわかったうえでころすでしょうし、それ以外の生き物の息の根を止めることは身に害が及ばない限りはしないスタンスでしょう、おそらく。
動物が好きとはいえそういうレベルでしかなく、私には農家さんやyuzukaさんやあかっぷるさんのような向き合い方はできません。
そんな私なりにできる向き合い方が、これまで書いてきたような「知る」「考える」、そして「選ぶ」という方法でした。
栄養面、倫理面、環境面、経済面、感情面、自身の体が求めるもの、物事はできる限りいろんな側面から見る必要があると思うからです。
そんな自分ですが少し前に、無理だと思っていた生前の姿のままの生き物をさばくという経験を人生で初めてしました。
いざやってみると思っていたより平気で、食材として調理していた自分がいて、料理もとてもおいしくいただくことができました。
- これまで自身が得てきた知識の中では動物性たんぱく質が必要という着地点にたどり着いている
- 現時点で最善と思われる取り組みで茨の道を切り拓いている農家さんへの投資
- 実際に自分で包丁を入れてさばいて食べた感覚
以上のことから現時点での私は、おいしさや栄養を求めてこれからもお肉やお魚をいただき、お財布的にできる範囲で背景が見える農家さんの食材を購入する、という選択をとっています。
私はこの考えを誰かに強制する気もありませんし、各個人の思想を尊重します。
ただ、いろんな状況や考え方の人がいるので、一部の側面だけで判断し、すべてをまとめて悪とする考え方を見かけるのは心苦しいなと感じたしだいです。