社畜時代の失われた時間を取り戻しています。しえるです。
社畜時代は特にこれまで身近だった娯楽に触れる時間が激減し、すっかり浦島太郎状態になっていたのですが、会社から離れコロナ禍で時間ができたことで貪るように味わいつくしています。
そんな中で最近お気に入りの漫画の1つが「Dr.STONE」。
私とは比べ物にならない長い歳月の浦島状態を取り戻していくストーリーにワクワクが止まりません。
これまでの歴史の積み重ねの凄みと乗り越えてきた恐怖に思いを馳せずにはいられない漫画「Dr.STONE」のワクワクする世界
「Dr.STONE」とは?
「Dr.STONE(ドクターストーン)」は、「アイシールド21」というアメフト漫画の原作者・稲垣理一郎さんと韓国出身の作画担当・Boichi(ボウイチ)さんのタッグで週刊少年ジャンプに連載している人気漫画。
謎の現象で世界中の人間が突然石化し、地球上から人類が消えてしまってから数千年後の文明がすっかり滅んだ石の世界(ストーンワールド)。
石化から奇跡の復活を遂げた、科学が得意な千空(せんくう)を主動に、ゼロから文明を復活させて科学王国を築き上げていこうとするお話です。
TVアニメ 「Dr.STONE」 第1話“STONE WORLD”
(アニメはAmazonプライムビデオやHulu、U-NEXTなどで視聴可能です。)
※本ページの情報は2021年3月時点のものです。最新の配信状況はU-NEXTサイトにて
ご確認ください。
地道な努力の積み重ねによる文明の発展
わからねえことにルールを探すそのクッソ地道な努力を科学って呼んでるだけだ……!!
「Dr.STONE」では文明が滅び、自然しかない世界で次々と千空の知識を基に、石や植物を集め、石器、ヒモ、服、家、土器、石灰、滑車、製鉄所、発電機、ガラス…集めた仲間の人力と共にイチからつくりあげていきます。
私はまだまだ読み始めですが、この先ケータイや自動車とどんどん発展していっているようで楽しみです。
漫画の中では知識の宝庫である千空がいるからこそ、全速力で文明を再構築していっていますが、何もわからないところから数千年かけて歴史がつくられ、今の自分が当たり前のように服を着て、ごはんを食べて、家に住んでいるっていうのがどれだけすごいことかっていうのを改めて感じずにはいられません。
今解決策があるものも…
現代で言えば、新型コロナウイルスをどうやって抑えるかと研究を進めて、今こうやってワクチン接種が始まっていますが、「Dr.STONE」の中でもボヤボヤ病に苦しむ人が登場します。
ボヤボヤ病とはボンヤリとしか見えない病気、つまり近視のこと。
千空はボヤボヤ病を解決するためにガラスをつくり出して、一面のひまわり畑や愛犬、千空やクロムという仲間の顔を初めてはっきりと見えるようにしてあげた場面は、ベタかもしれませんがジーンときました。
今では眼鏡やコンタクトレンズという解決策がありますが、ガラスができる前の世界の近視って、実際どうだったんでしょうね。
紀元1世紀、ローマ皇帝ネロの家庭教師だった小セネカが「文字がどんなに小さくて不明瞭でも、水を満たした球形のガラス器やグラスを通せば、拡大してはっきり見ることができる」と書いている。ネロ自身もエメラルドを矯正レンズ代わり[要出典]にして剣闘士の戦いを観戦したと言われている。
Wikiいわく紀元1世紀には拡大鏡的な記述があったようなので、人知れずコンプレックスとして抱えていたり、生活に支障をきたして困っている人もいたのかもしれません。
私自身は視力がいいのですが、体調不良で一時的にピントを合わせられなくなったことがあって、これが当たり前って大変だと心から思いましたし、いつか訪れると考えられる視力の衰えが怖くなったものです。
恐怖という感情
あーだこーだ心配して呼吸量が増えりゃ
ガスマスクの毒ガス浄化が追っつかなくなる
ククク アホほど単純な理屈だ
ビビるほど死ぬ
分かったらとっとと行くぞ
おぅ理屈では分かっけどよ!
クッソ こっちは千空テメーほど
心臓に毛ェ生えちゃいねえん……
硫酸をゲットするために、ガスマスクをつくり硫酸湖に向かう千空とクロム。
誤って毒ガス(硫化水素)を吸ってしまったら死という状況でもスタスタ進む千空に、クロムは「お前とは違う」と言いかけるのですが、千空の強気な態度とは裏腹に汗ばみ震える手を見て言葉を引っ込め、気合を入れ直して覚悟を決めるシーンがあります。
セリフなしで描かれているのですが、その2ページは強烈に刺さりました。
誰1人として、正確な未来がわかる人も100%成功する人もいないし、どんなに堂々として見える人でも、大なり小なり自分と同じように内心に恐怖はあるんですよね。
無謀と正しく恐れることの違い
おかしいよ 千空もクロムもさぁ
怖いにきまってんじゃんよぅ
死ぬかもなんだよ??
あー!やだなぁあホント!ああいうの
ただのムボーなのに勇気あるぶっちゃってさぁ!!
黙って逃げんでわざわざ悪態つくっちゅうことは
怖がってる自分の弱さに 引け目感じちゃっとるんじゃの
クロムや銀狼は、目に見えない硫化水素という死をもたらす未知の危険なものに対する恐怖を感じています。
でも危険を知っているからこその恐怖ってありますよね。
この状況下で1番硫化水素の危険性を正しく理解しているのは千空です。
どういう風になったら死ぬ可能性が高まって、どうしたらリスクを下げられるかを認識し、今あるものでできうる限りの対策をして、それでも死のリスクがゼロにはならないところへ向かう恐怖はきっと、それもまた尋常じゃないものでしょう。
それでも予期できないハプニングというものはいくらでも起こりえますからね。
無謀とは何も調べないまま「このくらい平気だよ」と不用意で無闇に突き進むことを指し、入念に調べ、不安要素を潰して、できる限り徹底的に準備をして挑戦することは、たとえ結果がどうあっても無謀ではないのではないかなと個人的には思っています。
私は卒業後すぐではない、少し歳や自分なりの経験を重ねた状態で初めての営業や自動車の教習所を体験したときに強く感じました。
会社を背負って相手の時間をいただくことの責任感、車の持つ危険性や命の重みなどと自分のレベルが見合っていないことがわかるからこそ、当たって砕けろ精神にもなれず、めちゃくちゃ勉強したし、自分の力不足がもどかしかったし、怖くて仕方ありませんでした。
そういう経験をいっぱいしたからこそ、多少のことで動じなくなってきましたが、それでも恐怖というものはなくなるものではありません。
そしてそれは目的や達成したい欲求があれば踏ん張れますが、自分の意志に沿うものでなかったとしたら、あるときプツッと気持ちが切れてしまうものだとも実体験として思いました。
安心せい銀狼
むしろ怖がりは長生きの秘訣じゃ!
ジジイが言うと説得力ビンビンじゃろ?
ワシも怖がりじゃった!
皆だって内心実は――怖がりじゃない人間などおらんよ
じゃが何か大切なもののために
理屈と心で!恐怖に勝とうとしてる
よう知らんけどワシにはそう見えるの~
危険も未知の世界もとても怖いものですが、一度精神科の先生とお話させていただいたときに、不安だらけでビビりまくっていたときの話になって 「それは正常な反応であって、むしろ不安などないと考えて突き進んでいる状態の方が危険だよ」と教えてもらってからは、とても気が楽になりました。
おかげで今は、不安や恐怖はつきものとして受け入れながら、千空のように一歩ずつ確実に前へ進んでいけるようになった気がします。
未知のものを解明するということ
【Dr.STONE】ガラスを材料から作れるのか?実際に検証してみた【リアル漫画再現】
YouTubeにはDr.STONEの再現・検証動画がいっぱい。
こちらのジャンプチャンネルの動画は、うすた京介さんの漫画「ピューと吹く!ジャガー」のハミィと面白おかしく実験しているのですが、その中でサラッと交わされた会話の重みがすごく印象に残りました。
「世の科学者の方は皆さん一度は死にかけてるものなんですか?」
「死ぬのが早くなるって後で気づくパターンもあるかもしれませんね」
「みんな軒並みそろって50代で死ぬことがわかったとかたまにありますよね」
ふわっと出て、ふわっと流れる一瞬の会話なのですが、生々しいリアルさが激重です。
自ら進んで取り組んでいらっしゃいますが、未知のものに取り組むのはそれだけ大きなリスクが常に隣り合わせなのを承知の上という覚悟が見えた瞬間でした。
「Dr.STONE」では千空の知識を基に物事が進んで行きますが、最初の歴史というものはその知識はないわけで、すべてがこれは何だろう?というところから始まります。
漫画内でもクロムのように素材を集めて実験したり、カセキのようにモノづくりに勤しんだり、コハクのように武力を鍛えたり、それぞれ自分の得意を活かして集落ができ、文明がつくられていました。
何かを開拓したり、解明したりする人たちはいつの時代にもいて、前例がなくリスクもわからないまま、1つ1つ手探りで経験を積みながら少しずつ進化していきます。
よく何かしらの犠牲があることへの賛否が問われますし、危険を避けたい気持ちもわかりますし、被害者やその関係者の気持ちは量りかねますが、だからと言って何もせず恩恵だけあずかっている人や何も関係ない人が否定するのも違うなとも思っていて、それはそれで歴史に対するリスペクトがないなと感じてしまいます。
これまで何千年という歴史の中でどんなものでも、常に誰かが解決しようとリスクを背負って取り組んできたからこそ、今の自分が生活できていることは失念したくないと思います。
今でも海外の創作者たちからもRTいいねが来る。権利や生命を守る方法は降ってくるものではないし、誰かが温情で与えてくだされるものでもない。誰かが戦ったからこそある。そして今も戦っている創作者がいる。
— 浅井ラボ@されど罪人は竜と踊る24(2023年2月17日発売) (@AsaiLabot2) 2020年12月18日
それを気分が悪いなどと冷笑するものは、創作者をバカにしたフリーライダーにすぎる。
コンプレックスを抱える恐怖
みんなは知らないけど金狼はボヤボヤ病なのに
ボヤボヤの目で闘うマグマがどれだけ怖いか――
多くの人は、外から見えない何かしらの特性やコンプレックスを抱えていますよね。
そういったマイナスのコンプレックスってつい隠したくなってしまうものですが、それを上手く隠せば隠すほど、周りはそこに無理や我慢が生じていると気がつきにくくなります。
そのハンデを親しくしている人は気がつけたとしても、それ以外の人は知るよしもなく、好き勝手言ってきたり、弱点として突いてきたりします。
目がいい人相手に、視力が低い人が眼鏡やコンタクトなしで闘ったら勝てるものも勝てません。
こうやって聞けばハンデが大きいのは明らかですが、本人が眼鏡の存在を知らなければ、それ以外の力が抜きんでていたとしても、いつまでも「自分は弱い」と思ってしまうことも起こりえます。
でも「相手が見えづらい」という弱みをさらけ出すことで、同じ悩みを抱える人や自分が知る世界の外側が「それって目が悪いんじゃない?」と気づき、解決策の情報が集まり、ときに周りの人が手を差しのべて助けてくれたりします。
何らかの力を借りて克服したり、弱みを避けられる環境に場所を移すことで、本来の強みを発揮できるようになります。
そのハンデを背負って我慢するのは大変ですし、無理をすればするほど苦しくなるのは自分です。
もし解決策がその時点でなかったとしても、同じ悩みを持つ仲間に出会って、協力して解決に取り組むことができるかもしれません。
そういう経験を重ねると、自分が感じているものは間違いなく1つの事実であり、世に溢れる基準や価値観に無理やり合わせる必要はないと感じるようになり、自分の特性がどうやったら最大限に生かせるかを考えた方がメリットが大きいと感じるようになります。
周りにいる自分と同じ悩みを抱えている人の存在に気づき、そんなハンデを背負っている状態で闘わなくていいんだよと思えるようになります。
無理をしなくても大丈夫だ、自分に集中すればいいのだとわかると、相手の抱えているものが理解できなくても、相手は相手のやり方で解決すればいいと思うし、自分の悩みを解決するために動き始められるのは自分だけという感覚になります。
そうやって大変さやつらいという一見マイナスの感情があったからこそ、物事を解決しようという推進力になるし、乗り越えた痛みがあるからこそ、他人を尊重できるようになると思うこの頃です。
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