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年齢なんて気にしないと思いながら、実はまだ気にしていたから終止符を打つことにした。


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「Age is just a number. ――年齢なんてただの数字よ。」

萬田久子さんが60歳の時に出した本のタイトルでもあります。

私自身そう考えているつもりで生きていました。

基本的には年齢を気にしないし、何歳だとしてもやって悪いことは何もないと思っています。

どんな時も今が1番若くて、いつだって始めるタイミングであり学ぶ時です。

 

でも先日ブログを書いていて、ふと「いい大人が」って言葉を打ちかけたんです。

実際には使わなかったけど、あれ?ふわっと年齢をディスる言葉を使おうとしていた…?と無意識すぎてビックリし、怖くなりました。

 

私って年齢気にしないんじゃなかったの?と思って自分を思い返してみると、つい最近も年齢を気にする発言をしているじゃんと気づきました。

年齢なんて気にしないと思いながら、実はまだ気にしていたから終止符を打つことにした。

私、まだ年齢気にしてるじゃん

私はずっとロックバンドL'Arc-en-Cielのhydeさんという奇跡なような人の姿を追い続けてきました。

現在51歳のhydeさんは常に目標を掲げ、新しいものを取り入れ、行動に移し続けるカッコイイ方です。

海外を視野に入れ、自分がどこまでできるか常に前線に立って挑み続けていて、とてもキラキラしています。

彼を見て育ったので、年齢って関係ないんだなって肌感覚で覚えて影響を受けたのだと思います。

 

それに対し、ライブでお目にかかる度に私は「え、これで30歳なの?」「40歳なの?」「50歳なの?」 と年齢に対する若さや美しさに驚き続けていました。

 

私は20年そう思い続けているのに、昨年の今頃もまだ同じようなセリフを吐いているんです。

これっていちいち驚く必要なくない?って思い始めました。

 

ただ「私の好きな人は今日もかっこよかったなぁ~」でいいのかなと。

 

自分に対しては「いつだって今が1番若いんだよ」って言い聞かせてきてたけど、そこまで止まりだったんだと気づきました。

年齢は関係ないと思っていた「つもり」だったんです。

本当に年齢が関係ないと思っていたらおそらく、年齢に驚いていないはずかなと。

今回この記事と共に、卒業していこうと思います。

(もし無意識に使ってしまっていたら、苦戦してるんだなぁと温かく見守っていただけると幸いです。)

10代の感覚がなかなか抜けない?

なんでこういう年齢問題が発生するのかな?と考えてみました。

 

例えば中1の時、中3の先輩はとっても大人に見えたし、高校生は別次元の存在のように感じていました。

そんな時大人はもはやおじさん、おばさんだと思う感覚はわかります。

 

でもそれをいつまで引っ張り続けてしまっているんでしょう?

 

大人になって時間軸って間違いなく変わると思います。

 

子どもの頃は1日がとっても長く感じました。

でも大人になると1年があっという間です。

やがてだんだん5年、10年、20年があっという間に感じていくのでしょう。

それだけ時間の感覚が変わっているのに、年齢の感覚は子どもの頃のままなのかもしれません。

 

高校を卒業した瞬間、もうあんな短いスカート履けない!と女子高校生を見て若いなぁ~と思ったり。

20歳を過ぎて「もういい大人だから」という言葉が増え始めたり。 

アラサーで自分から「もうおじさん(おばさん)だから」と言い始める人も結構います。

40代、50代で「体が重くて動けない」という声もよく聞きます。

仕事中、その年代の人が何人もいる中、最年長を理由にサボろうとする人がいたことがあったので、あえて「おじいちゃん」扱いしたらめちゃくちゃ嫌がっていましたけどね。(意地悪)

 

実際の部分もあるかもしれませんが、世の中には90歳でも走っているスーパーおじいちゃんもいます。

そこまで特別でなくても60代、70代で社交ダンスに励んでいて、レベルアップのために筋トレまで始めた方々にも実際に出会ってきました。

 

一方で、他人に言われたくはない。にもかかわらず、自分で縛ってしまう方もいる。

 

それはもしかしたら子どもの時間軸から大人の時間軸へ、パラダイムシフトが起こるべきタイミングで時間軸だけが変化し、年齢に対する感覚がそのままとなって変わらないことから「年齢の呪縛」が自然発生してしまうのではないでしょうか。

10歳の年の差って所詮、五十歩百歩

「五十歩百歩」というのは、戦闘の際に50歩逃げた者が100歩逃げた者を臆病だと笑ったことからできた言葉なのだそうです。どちらも逃げたことには変わりはないですね。

 

10代の子が「子どもの頃は~」って話しているのを見ると「いや、あなたも子どもだよ」って大概思いますよね。

周りから見れば10歳差なんてその程度のものです。

 

通ってきた音楽とか遊びとか文化も10歳差は意外と被っているものです。

小1の時に遊んでいたか、高2の時に遊んでいたかというような違いはありますけどね。

でもそれって五十歩百歩ではないですか?

 

20代から見れば10代は若いし、

30代から見れば20代はまだ若いし、

40代から見れば30代はまだまだ若いし、

50代から見ても40代はきっと若い…ちょっとここは具体的な話を聞いたわけではないんですけど。

多分その先どこまでいってもその関係なんじゃないかって思います。

 

それ以上年の差が離れたとしたら、上の年代から見ればどの世代もただただ若いだけなのではないでしょうか。

20歳下なんて若すぎてもはや何も感じないと思うんです。

たとえ赤ちゃんに対して肌のモチモチ感に感激しても、それだけです。

 

多分そこに何かを感じるとしたら、それはきっと別の問題で「年齢を理由に避けてきた自分」との対峙です。

若気の至りは多分どうしようもない

最近読んだ漫画の中で、大学生の子が厳しい先輩に対して「若さに嫉妬してるんじゃない?」って話をしてるんです。

 

若い時って多分、「若い」という価値を本能的に感じ取っているんですよね。

それで相手は嫌がるだろうなってわかっていて、あえて「ジジイ」「ババア」というような言葉を使ってしまったり。

世の中が分からなさすぎるから、自分の持っている武器として「若さ」を無意識に使っていたのではないかなと思いました。

 

まぁそんな若気の至りでぶん投げた言葉は、後々特大ブーメランとなって自分に返ってくるので、年上側としては真に受けないの一択でいいのかなと思います。

その老いは、その若い子にもやがて訪れる予定のものなわけですからね。

もしかしたらその子もさらに下の世代からブーメランを投げつけられるかもしれません。

 

昭和生まれを笑っていた平成生まれは2000年代生まれに世紀の壁を笑われ、そして今度は令和生まれに笑われるという負の連鎖なので、そんな不毛な争いは参加しないに越したことはないですね。

生き方の違いが生まれる感覚を受け入れられるようになった1冊の本 

年は若いけどとても落ち着いている人がいたり、逆に年は重ねているけれど感情がコントロールできない方がいたりして、年齢よりもその人自身がどう生きるかが重要だなと思います。

 

もちろん若い頃、年上のくせに…と思ってしまったこともありましたが、徐々に考え方を変えていきました。

そんな中で「魂の法則」という本を読んでからは、本当かどうかはわからないけど、生き方の差が表れる理由がなんとなく腑に落ちて納得できるようになりました。

 

その本にあったのは、要約すると「人は輪廻転生を繰り返していて、人間の年齢とは別に魂の年齢がある」という考え方。

同じ20歳でも、1回目と5回目と10回目では魂の経験値が全然違うというものです。

初めての80歳と30回目の5歳では、後者の方が圧倒的に魂の経験値が高くなります。

きっとその分、物事の吸収速度が上がり、若いうちから活躍できる子が現れるのでしょう。

 

信じる信じないは人それぞれ案件ですが、単純に面白い考え方だと思いました。


魂が何歳かなんて上の単位の概念出てきちゃったら、もはや人間の年齢を気にすることなんて無意味だなぁってなっちゃいます。

海や宇宙を見て人間はちっぽけだと思うのと同じですね。


そして自分のぶつかる問題っていうのは、人間の一生で学び切れないくらい大きな問題だから悩んで苦しむのも当たり前だし、輪廻転生でわかるまで何度も学ぶチャンスを与えられていると思えば救いもあるなぁと感じます。

ピンと来ない方もいるお話だとは思いますが、私はこの本を読んでかなり気が楽になりました。

何事も信じるか信じないかはあなた次第です。

 


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