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【おま環】生まれ育った環境の違いに改めて驚いた話と自分とは違う環境を知って考えるのに面白い本4選

自分と違う環境を無から想像するのは中々に困難だ。しえるです。

ネットスラングで「おま環」という言葉があります。
「それお前の環境だけの話な」って意味なのですが、ほとんどの常識や価値観って「おま環」なんだなと思うこの頃です。

私の根底にあるのはその「おま環」精神で、ふだんから不知の自覚は意識しているところなのですが、それでも親戚と話していたりなどで、生まれ育った環境が違うとこんなに変わるものなんだと改めて驚かされることがありました。

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【おま環】生まれ育った環境の違いに改めて驚いた話と自分とは違う環境を知って考えるのに面白い本4選

車が当たり前じゃなかった私

私はずっと南関東で生まれ育ち、生まれてからしばらくは公共の交通機関だけで過ごしてきました。

それなりに私が大きくなってから親が免許を取り、最初から家に車があった家庭とは違って車に乗る機会は限られたもので、車に興味も湧かなかったので、車に関する知識が全然なく、長いこと車は主に、親戚を訪ねた時に乗るレアな乗り物という感覚でした。

私は転職に必要で仕方なく免許を取った形で、免許を一生取らない気でいたわりには思ってたより運転は自然にできて楽しかったけど、やはり車には興味が薄く、コロナ禍もあってすっかりペーパー街道まっしぐらで、今はまた運転が怖くなってきています。苦笑

そんな私にとって、コンビニまで車でという感覚はすごく遠いところにありますね。

乗る人によって車の使い方が全然違うことを知った

大人になっていろんな人の車に乗る機会が増えて初めて、人によるシートベルトの感覚、洗車の頻度の差、車内のキレイさが全然違うことを知りました。
車に乗ると態度が変わる人も本当にいるんですね…w

私の親や親戚は皆、車をキレイに使う人たちだったので、まるで自分が車に住んでいるかのように使っていて、そこらにゴミや食べかすが落ちていたり、物がいっぱいで倉庫のようになっている普通車があることを見知ったのは結構、衝撃的なことでした。

車が身近かどうかで常識が違う

少し前、軽自動車に軽油の話題が上がった時、釈迦さんの配信で「軽自動車に軽油を入れちゃいけないのは常識だ」という話になっていましたが、私にとっても「軽自動車に軽油を入れる」という発想は浮かばなかったけど、常識だとはまったく思いませんでした。

それはやっぱり物心がついて社会を学んでいた子どもの期間に、家族の中で車に乗る人がいなくてガソリンスタンドとほぼ無縁だったからだと思いますし、身近にいなければ知る機会ないよとコメントしたら理解を示してくれました。

大人になってから車に乗る機会は増えたけど、免許を取る気がなかったから依然興味がないままでしたし、事前知識がないと、教習所の経験だけだと実際のドライブでわからないことも多くて、車種によってスイッチやレバーの形や位置が全然違うから毎回謎解きでしたし、ガソリンスタンドでどうすればいいかもわからず、親や会社の先輩に教えてもらうことばかりでした。

教習中はカギを挿し込んでエンジンをかけるタイプだったので、初めて営業車に乗ったとき、スタートボタンに驚いていたら「これが普通だよ」と笑われたものですし、車種が変わるたびに操作が変わることには本当にビックリして、なんで皆受け入れられてるんだ?って感じます。
ライトと方向指示器が左右入れ替わるとかトラップすぎるだろって思うし、1番イヤなのは給油口の開け方で、それがわからなすぎてガソリンスタンドに行きたくなかったくらいですw車種名がわからないから自力で調べるの困難すぎるんですよね…。
教習所自体はいいところだったと思いますが、今ちまたで見かけないような車で練習させられるの何なん?とはいまだに思いますw

しかも教習所で習ったことなのに「そんなんやられたらムカつくわ」と煽りだと受け取る人がいれば、「ありがとう」の意味を込めてハザードボタンを押すなどのローカルルールが出てきたりなど、教習所で覚えたことと実際が乖離していると感じることが少なくなく、車に乗る人たちの当たり前な感覚というものの横暴さを怖く感じるところもあります。
周りに運転する人がまったくいなくて、車にも興味なくて、ネットで調べたら教習所で習ってない感覚の話ばかり出てくるとしたら、なかなかエグい状況ではないでしょうか。

でも車を運転する側から見た、チャリや歩行者などの怖さというものもまたわかるようになりました。

教習所で勉強して初めて知ったことって多くて、横断歩道は歩行者優先とか知らなかったし、免許の勉強で習う内容がなんで社会の必修項目じゃないんだ?とも思います。

交通公共機関が当たり前な私

私は自分で切符を買ったこともあるけど、学生の頃から交通系ICを定期券として使っていて、交通系ICでの電車移動が基本でした。

定期を使わなくなっても、交通系ICのほうが切符より安いことのほうが多いし、いちいち切符を買うのはめんどくさいので、やはり変わらず交通系ICは利用しています。

でも親戚は車移動が基本で、大人になって初めてICアプリを入れたけど、パスワードを忘れてログアウト状態でも支障ないくらいにはほとんど使わないという話にビックリしてしまいました。

まぁそれはもちろん車という手段があるからで、私は車を調達するところからという話ではあるのですが、それだけ私にとっては交通系ICがない状態なんて考えられない話で、今も新幹線やローカル線の切符を買うくらいはあるけど、もし出かける時に忘れちゃったら焦りと戸惑いを覚えてしまうだろうなぁと思います。

何移動がメインかで違う頭の中の地図

私は免許を取った今も公共交通機関での移動が主なので、移動する時にどこの駅で何線に乗るかなどを考えます。つまり、電車の路線図を思い浮かべるということですね。

でも車の人は高速道路やバイパスなどを思い浮かべると思います。
それを見て私はいつも「道路の番号で会話が通じるのがすごいな~私にはちんぷんかんぷんだ」となってしまいますw

電車の線路と道路はルートが被らないところがあるので、お互いに「そっちだとそんな簡単に移動できるの?」というものがあったりします。

他にも地図だけじゃなく、地名の認識すら全然違いますよね。
私が自分で車に乗るようになって初めて認識した地名で「箱崎」「美女木(びじょぎ)」などがあって、都心で車に乗っているとめっちゃ使うけど、首都高乗らないと知らないですねw

車移動が主な方にとってはもしかしたら高田馬場とかなじみがないかもしれないし、たまプラーザや越谷レイクタウンが駅名だとは思わないかもしれませんw

考えてみればたしかに帰省中に見かけなかったもの

私はちっちゃい頃から1人でスーパーのエスカレーターを上がってしまって母を焦らせたことがあるくらいには、物心がつく前からエスカレーターが当たり前にある世界で生きてきました。

でも親戚は私よりずっと若いけど、大人になってからエスカレーターに乗るようになって、最近ようやく乗るのに慣れてきたところだという話を聞いて、とてもビックリしました。

たしかに考えてみると、田舎に帰った時にエスカレーターに乗った記憶がなくて、私は長期休みに過ごすくらいだったから気にしていなかったけど、ずっとそこで過ごすというのはこういうことなんだということに初めて気がつきました。

TVバラエティ番組の『探偵ナイトスクープ』で、エスカレーターに乗るのが怖い高齢の方が克服している姿は見てきましたが、若くしてエスカレーターが怖いと思う感覚が、私の発想にはなかったのです。

その親戚は運動できる人なんですけど、それでも身近になければそりゃ最初は大縄に入るタイミングがわからないような状況に陥るんだなと知りました。

親が上京してなければ、私もその親戚と同じ環境で育っていた世界線はあったわけで、身近な親戚という存在の、私とはまったく違う環境で育って大きくなった姿を見て、その差というものに改めて驚いたしだいです。

自分とは違う環境を知るのに面白い本

私が最初に「環境の違い」と「環境が変わっても同じこと」を強く感じたのは、初めて転職をした時でした。

クリエイター気質の世界に長らくいて、社会を知らないことをコンプレックスに感じて転職しましたが、実際に体験して思ったことは、どの業界に行っても、結局は自分たちのいる社会のことしか知らないのだということでした。

そしてまた、それまで子どものころからPCやガラケーに親しんできて当たり前だった私にとって、転職した先が初めて出会ったPCやスマホが使えない人が多数派な環境で、自分のデジタル対応力の価値にも気づかされました。

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環境の違いを比較することで初めてわかる、自分のいる社会の特徴や能力というのはあるもので、他の環境の存在を知ることは大切だなと常々思うし、だから自分と全く違うものこそ知ることが面白いと思います。

次では最近読んだ中で、自分の発想にはない感覚を知れて面白かった本を紹介します。

働くことの人類学

こちらとしては、「大学で教えたり、海外で調査したりすることって実務じゃないんですか?」とか「教育現場で若い学生たちと関わったり、アフリカのことに詳しくても、社会を知らないことになるんですか?」みたいな反論をしたくもなります。
柴崎よく「象牙の塔」のような言い方で、大学の人は世間知らずとか、社会を知らないと言われますよね。でも、わたしは大学を卒業して会社勤めをしたときに「会社の人も会社のことしか知らないのでは」と思ったんです。

他者と関わる過程で生じるいろんなズレを通して
自分が理解できていなかった「当たり前」を見いだしていくのが、人類学の手法なんです。

この本は読む人によって感覚が変わるかもしれないのですが、別の地域の人を知ることで新しい知見を得たり、昔のステレオタイプな日本人ってそういう考え方だったんだと知れたりしました。

タンザニアの人たちは、「どんな仕事もうまくいかなくなるときはやってくる」という構えで仕事に向き合っています。だからいい仕事に転職をしても「まあ、仕事は仕事だからね」と敢えて強いこだわりをもちすぎずに仕事をしているように思います。

でもいまは、「こういうものが欲しい」 と画像つきの写真があらかじめ送られてきて、市場に行ってその写真を見ながら注文品を探し、 「こんなのどう?」 って動画に撮って見せながら、「その右上の、それが欲しいかも」ってやり取りをするわけです(笑)。

トレバー・ノア 生まれたことが犯罪!?

白人と黒人の混血児。
あまたの法律、法令、規則に違反した僕は、生まれたこと自体が、犯罪だった。

グラミー賞授賞式の司会者などで活躍する南アフリカ出身のトレバー・ノアは、白人と黒人の間に生まれた子どもで、それがアパルトヘイトの時代だったため、異なる人種間の性的関係は犯罪とされ、誕生の瞬間から禁忌の存在となってしまいます。

厳密にはそういう子は他にも生まれてはいるのですが、罰されないよう他へ逃げるところをトレバーは混血を隠し、カラードとして地元で育った稀有な存在だったそうです。

「ノアさん、あなたは殺人罪で訴えられています。あなたは呪術を使い、デービッド・キブーカをら雷に撃たせて殺しましたね」
「証拠はあるんですか?」
「デービッド・キブーカが雷に打たれたことが証拠です。雨も降っていなかったときにです」
こうして裁判になる。

フッドで犯罪行為がまかり通っているのは、政府がしてくれないことをしているからだと僕は気づいた。犯罪が面倒を見てくれる。地域住民に根ざしているのだ。
犯罪は、支えが必要な若者を見つけて手を差し伸べてやる。犯罪には見習い期間も、夏限定の仕事もあるし、出世する機会だってある。犯罪は地域社会に関わっている。犯罪は差別をしない。

僕の犯罪行為は、海外版CDの路上販売という、ちょっとしたことからはじまった。そのこと自体が罪だったし、曲を盗用してしまったミュージシャン全員に借りがある、といまは思っている。だけどフッドの基準で言えば、違法とすら見なされなかった。当時の僕たちは誰ひとりとして、悪い事をしている自覚がなかった。CDをコピーしちゃいけないなら、なんだってCDレコーダーなんかつくるんだ?

何が犯罪となるかなどの倫理観とかって育った環境によってまったく違うんだなっていうのがよくわかります。

とられるものがあるくらい豊かな暮らしをしている人が、犯罪を頭ごなしに非難するのは簡単だ。
だけど僕がフッドで学んだのは、なにが正しくてなにが間違っているか、どういうのを犯罪と呼ぶのか、どの程度の犯罪行為なら関わるのをためらわないかは、人によってさまざまだということだ。

ピダハン

ピダハン語は現存するどの言語とも類縁関係がないという。

ピダハンの表現は大まかに言って、情報を求めるもの(質問)、新しい情報を明言するもの(宣言)、あるいは命令のうちのどれかだ。
「ありがとう」や「ごめんなさい」に相当する言葉はない。

アマゾンの一部族であるピダハンと30年ともに暮らして学んだことがまとめられた本。

気になるところを読んだだけだけど、数えたり計算したりしない、色もない、左右もない、遠い過去も未来も空想も話さないと、ふだん私たちが当たり前だと思っている概念がここにはなく、そんな世界線があるのかと価値観がひっくり返されます。

場所を示すのに地形を基準とするというのは特に新鮮で、自分と場所の位置関係で考えるから左右盲とは無縁の考え方が面白かったです。

お金のいらない国

「仕事は社会への奉仕ですから、世のため、人のため、ひいては自分のために、みんなで働かなければ世の中は回っていきません。あなたのいうお金がもらえなくてもです。そして、あなたが生活に必要なものは、お金など払わなくても社会から奉仕してもらえばいいんですよ。ここはそういうシステムになっています」

「私たちは、働けない体の人には、みんな喜んで何でも差し上げますよ。……あなたの国ではそういう人でもお金というものを持っていなければ、何も手に入れられないのですか?」
私は、自分の国では年金が……などというケチくさい話、とても言い出せなかった。なんだか自分のいた世界がとっても情けないところのように思えてきた。

お金という概念がない世界に入り込むお話なのですが、すごく本質的だし、私はこういう社会で暮らしたいです。

「私の想像では、あなたの国では、そのお金というものを動かさなければならないために、ものすごい時間と労力のロスをしている気がします。言い替えれば、不必要なもののために、無駄な仕事を増やしているということです」

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ストグラを見ていて思った「RP鯖をドラマとして見るか演者を見るか」によるネタバレや楽しみ方など感覚の違い

ストグラを見始めてからフォローを外すことが逆に増えました。しえるです。

釈迦さんのストグラ動画をYouTubeで見てると、おすすめに別のストグラ動画が表示され始めてネタバレ食らいそうになるから結構困りものなんですよね…。

たくさんの配信者が参加していて、いろんな価値観があるからというのはわかるのですが、ある日、そこには根本的な楽しみ方の違いがあることに気がつきました。

ストグラを見ていて思った「RP鯖をドラマとして見るか俳優を見るか」によるネタバレや楽しみ方など感覚の違い

スト鯖(ストさば)とは

ストリーマー専用サーバー(スト鯖)は配信者の方々が1つの同じゲームの世界に集まって、その世界限りの交流をする姿を楽しむ大人気コンテンツとなっています。

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スト鯖はサーバーの主催者の意向やそこに集まった面々でつくり上げていくものなので、同じゲームでも各サーバーによって内容は全然違う姿になります。

RP(アールピー)とは

Role Play(ロールプレイ)の略で、役割を演じるという意味です。

RP鯖はロールプレイを楽しむためのサーバーとなります。

私にとっての「VCR GTA」と「ストグラ」の差

たとえば同じ『グランドセフトオート(GTA)』というアメリカの架空都市ロスサントスを舞台にした犯罪アクションゲームでも、サーバーが違えばそれぞれ特色の異なるロスサントスとなっています。

不定期に期間限定でVAULTROOM(ボルトルーム)とCRが開催している「VCR GTAというスト鯖は、数週間という限られた時間の中で自然発生する配信者の交友関係が面白いので、「あの人とあの人が組んだ!」とか、逆に敵対してやり合ってる姿であったり、ふだん縁のない違う界隈の方々との新鮮な絡みというのを楽しんでいます。

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個人的には多分、他の配信者を知って、好きな配信者さんが増える1番大きなきっかけとなっているのが「VCR GTA」などボルトルーム主催のスト鯖で、これらのスト鯖を通して、全然知らなかったVTuber全般やスマブラ界隈のtakeraさん、当時駆け出しの新人であった赤見かるびちゃんや柊ツルギくん、本業ミュージシャンであるMOROHAのUKさんやRalphさん、漫画家の赤坂アカさんやしろまんたさんなどを知ったり、違う一面を見て親近感が湧いて以前より興味を持ったりしました。

24oz

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  • ヒップホップ/ラップ
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一方、しょぼすけさん主催の「ストグラ」というGTAのRP鯖は、現在月曜定休の常設サーバーで、街の住人となって日常を楽しむ場所となっていて、私の感覚で言うと、「この配信者がこんなキャラクターをやっているんだ」とクスッとなることもあるけど、どちらかと言うとロスサントスでの姿しか知らない人も多く、ロスサントス上の存在たちの交流を楽しむのがメインとなっています。

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私は見てないけど、他に同じGTAのRP鯖でも、「ストグラ」は基本ふだんの活動名とは違う名前で参加していることがほとんどなのに対し、げんぴょんさんが主催する「PYON鯖」は活動名のまま参加できるので、ロールプレイの感覚が変わってくるだろうし、「シティスト」や海外の「NoPixel」などまた違うGTAのスト鯖もあって、参加者がまず全然違うので、それぞれでまた別物の世界が広がっていることでしょう。

ネタバレ禁止でRPに徹している釈迦さんの配信

私は元々釈迦さんがストグラを始めなければ見なかったぐらいですから、ストグラの面白い人を発掘したいという感じではなく、今は釈迦さんの配信で一緒に面白い方たちの存在を知っていって楽しみたいという気持ちなので、ストグラに関するネタバレを見たくありません。
なので基本的には釈迦さん視点ばかり見ていて、それ以外の視点は、ごく稀に釈迦さんが配信していなくてストグラ内イベントがある時などに、大川さんや皇帝の配信を見に行くことがあるくらいです。

その釈迦さんは「川上」や「川中」としてストグラに参加していて、プレイ自体には釈迦さんがにじみ出ていますが、「ロスサントスでは川上や川中として過ごし、釈迦さんが川上や川中として見聞きした情報だけで行動する」というRPは徹底しています。

そんな釈迦さんの配信では、いつも「ネタバレ禁止」「匂わせしないで」のタグがついています。

やべー思いがけず知っちまったぁ。
そんなすごい人だったんだぁ。知らんかった。
マジで俺あれだからなぁ、本当に詮索しないようにしてるし、そういう思考回路にならないように俺、マジ努力してるからな。
本当にストグラにいる人をほぼ誰も知らないまである。9割まじで知らない俺。
一撃でわかったの、がみともさんとごいす太郎ぐらい。らだおさんもそうか。

伊藤ぺいんの魂(本人)の凄さを知ってしまう釈迦【GTA5】 - YouTube

釈迦さんはこのような話をちょくちょくしており、魂(配信者自身)のことはなるべく考えないようにし、ストグラの住人として見ようと努めていることが伝わります。

この話を聞くまでは、釈迦さんはストグラのオフラインイベントに顔を出したりしていたようなので、私より中の人のことを知っているんじゃないかなと思っていたのですが、イベントが終わった後の最近でこのように話されていたので、私の感覚とは結構近いんじゃないかと感じます。

ネタバレを避けるため、ギャング側はスト鯖終了後に情報集めていきます。

私自身まず釈迦さん経由で配信者を覚えているだけなので、多くの配信者は知らないうえに、VCR GTA1の頃から、釈迦さんが警察になって、誰と誰が組んでギャングになったかなどを知りたくないがために、自ら他視点を全部シャットアウトして楽しんでいたくらいなので、元々そういう楽しみ方をする人なのだと思います。

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だからこそ、ネタバレに対する感覚が近いと感じる釈迦さんの立ち回りは自分に合っていて、気持ちよく楽しむことができています。

そしてVCR GTAは期間限定なので、イベントが終われば「相手視点では何が起こっていたんだろう?」と見に行くこともありますが、ストグラの場合は日常として続くもので、ネタバレを知ってしまったら今後の見方が一変してしまうこともある、影響の大きいものなので、他のイベントで好きになった配信者さんのストグラ状況を知りたくなくて、SNSYouTubeなどのフォローを外すことが増えてしまいました。

またそれだけ自衛していても、ネタバレ禁止とされているにもかかわらず、ネタバレコメントが後を絶たない現状が残念ながらあります。

RP鯖をドラマとして見るか俳優を見るか

ストグラでの私の最近のお気に入りはもっぱら警察のニックス皇帝なのですが、今のところ魂(中の人)が誰かは知っているけど、どんな方なのかはほぼ知りません。
川上さんが急遽用事ができてしまってイベントに参加できなくなってしまった時に、どんなイベントなのかが気になって、川上さん視点で皇帝の姿を確認していたことから、皇帝がどなたなのかを調べて配信を見に行ったのですが、配信はゲーム画面しか映っていなかったので、今も当人について知っているのはWikiにあった絵とTwitchのアイコンぐらいです。

平井善之さんはさすがに名前が本名まんますぎるので、「オンバトやモンハンで慣れ親しんだ芸人さんだ!」とはなったけど、芸人さんというよりは話の面白いおっちゃんとして、ストグラの中でもまた別に好きです。

でも私の大好きなアモアスの圧村の人を見ていると、ついロスサントスの姿より中の人で捉えてしまって、「そうか、ネタバレ禁止にもかかわらずネタバレが後を絶たないのは、もしかしたら1つはこの感覚の差か」と思い至ってきました。

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私が声を聞き分けるのと人を覚えるのが苦手なのもあるかもしれませんが、元々知っている配信者さんでもロスサントスの中での姿を知らない人はいっぱいいて、たまにコメント欄でそれが誰かというネタバレを食らって、驚く気持ちと「こんなところで知りたくなかったな~」と残念になる気持ちがないまぜになったりします。
知らない配信者さんは知らないから見たところで特に引っかからないけど、既知の配信者さんだとさすがに記憶に残ってしまうんですよね。

私にとって、釈迦さんが相手を判別する分にはそもそも当人なので何も問題ないのですが、釈迦さんや私が認識していない情報はすべてノイズでしかなく、知らない何かを知る時は釈迦さん視点か自分の意図したタイミングで知りたいので、思いがけず知ってしまうのはイヤな気持ちになってしまいますし、普段から声優の違いもほとんどわからない人なので、皆が皆、声で判断できると思うなよってなります。

このどこまでを配信者さんの面で見て、どこまでをストグラ内の人として見ているかが人それぞれで違っていて、演者である配信者として見る面が大きければ、ふだんどおりのゲーム配信か、配信者たちのリアリティショーと感じるだろうし、ストグラ内の人としての見方が大きければ、ストグラという台本のないドラマを見ているような感覚が大きくなるものとなっているのではないでしょうか。

ドラマとして好きか俳優として好きかの違い

私は映画やドラマを見ていて、俳優さんが好きになることと、その演じているキャラクターが好きになることがあって、その2つは明確に別物だと感じています。

俳優としての好き

たとえば私はエディ・レッドメインさんや山﨑賢人さんが俳優として好きだなと思っているのですが、彼らの演技力が好きなので、演じたキャラが好きとは限りません。

元々エディ・レッドメインさんは『レ・ミゼラブル』で顔が好みなだけだったけど、『博士と彼女のセオリー』や『リリーのすべて』を観て演じる幅の広さがすごいと思って、俳優さんとしての好きに変わっていきました。

何を演じるかじゃなくて、誰が演じるかが大事という話で、私が釈迦さんを好きと思う感覚はこれに近いと考えられます。
釈迦さんが何のゲームをするかよりも、釈迦さんがゲームをプレイすることが私にとって特別で、だからこそゲーム配信は多くを釈迦さん視点で楽しんでいます。

そしてその釈迦さん好きが高じて、釈迦さんのこれまで触れてきた界隈を知ったり、交流のある配信者さんのことも認識し、好きになったりなど広がっていきました。

演じるキャラが好き

テレビドラマの『ストロベリーナイト』では西島秀俊さんが演じた菊田が好きでしたが、他の作品の西島さんを見ても特に何も感じなくて、私は西島さんを好きだと思ったのではなく、あくまで姫川が大好きな「西島さんが演じる菊田」が好きだったんだなぁと気がつきました。

私にとってはニックス皇帝がこの好きで、声もキャラもめっちゃ好きだけど、今のところあくまで川中さんの視点から見えるニックス皇帝を堪能しています。

好きなドラマを見る時の俳優の認識度合いの関係

日本のドラマを見ていた時は、俳優さんのことを知っているので「○○さんが演じる△△」という感覚は多かれ少なかれありました。
しかし、海外ドラマは最初俳優さんを知らなかったので、CSI:のグリッソム主任」「NCISのギブス」など、登場人物のままで見る感覚が大きいものでした。

いろんな海外ドラマや映画を見続けたことでCSI:のキャサリンが『エリン・ブロコビッチ』に出ている!」とか、CSI:マイアミのデルコがクリマイに来た!」などということは起こりましたが、「マーグ・ヘルゲンバーガー」や「アダム・ロドリゲス」という認識はあっても、やっぱり「キャサリン「デルコ」なんですよね、私にとっては。

私がクリミナルマインドのルークを「デルコ」と思ったように、俳優さんへの意識が低ければ、演じたデルコというキャラでしか考えませんが、俳優アダム・ロドリゲスの意識が高くなれば、配役よりも俳優として見る比重が大きくなることもあるでしょう。

でも『CSI:マイアミ』や『クリミナルマインド』というドラマを楽しんでいる時に、アダム・ロドリゲスの話を出されても「知らんがな」という話なんです。
私が見てるのはデルコやルークなので、そこにアダム・ロドリゲスは出てこないのです。

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ストグラに当てはめると…

それと同じで川上さんと見るか、釈迦さんと見るかなどで、ストグラ全体の見え方もずいぶんと変わってくるはずです。

そう考えると私は、大川さんなど演者を認識していることもあるけど、基本的にはストグラの大半を「海外ドラマの中に入り込んだ川中さん」というような感覚で楽しんでいます。

でも「釈迦さんが演じる川中さん」というような私が日本のドラマを見る時の感覚で全体的に楽しんでいる人もいれば、誰を演じていようが無関係の俳優を見ているのが幸せな俳優厨のような楽しみ方をしている人もいるし、RPを本人の意向と捉えて怒っている人もいることから演者ではなく配信者としてしか見てない人までいることになります。

もしかしたら演者か配信者かという視点を越えて、自分流でいろんな視点を組み合わせて、自分なりのオリジナルドラマを楽しんでいる人もいるかもしれません。

ストグラの楽しみ方の差がここに現れると同時に、映画やドラマなどと違ってリアルタイムの多数視点で進むことによって、より複雑なことになっています。

この感覚の差を前提に考えると、ストグラはロールプレイ鯖であって、釈迦さんの配信には「ネタバレ禁止」と書いてあるのにもかかわらず、「中の人誰?」「○○だよ」なんて会話が発生するのは、RP鯖をドラマとして見ていない人がいるからなのかなと思えてきました。
からしたら「1人への親切が何千、何万人への迷惑」だと感じてしまうのですが、今書いているような演者を主として見る感覚の違いを前に、中の人の名前がネタバレにあたると感じる人がいることが伝わらないのかもしれません。

演者側ですら感覚の差を感じることがあります

先日は警察署でぺいんさんの魂(中の人)の話が出て、思いがけず不可抗力で知ってしまって*1、釈迦さんがネタバレを食らってしまった形だから仕方ないんですけど、個人的には正直聞きたくなかったし、いろんな人がいる場ででかい声で魂貫通してくるのはイヤだなぁって思いました。

もちろん間違えて呼んじゃうなど、中の人の名前がつい出ちゃったということはあるけど、それは仕方ないことだし、「出ちゃったね~w」くらいで気になりません。

「何のことかわからないけどおめでとう」など、時に魂のネタが貫通していることが面白いこともあるんですけど、それはふだんの関係値がある身内ネタだからで、内々の場で、しかも知らない人にとってはただの英字でしかないイニシャルの装飾などあくまで直接は言っておらず、わかる人だけ盛り上がるようになっていました*2
…実際、5年前の私だったら見たところでマジで何の話かわかんないでしょうね。

でも魂に関するそれしかない固有名詞や配信者名を出すのはあまりに直接すぎるし、たとえどんなに人気だろうと、知らなければなんも面白くもないただのネタバレなので、身内話が広がっていくほど結構冷めます。
川中さんの同僚としては好きだけど、そういうのがあると以前書いたような心のシャッターがスッと閉まるし、そういう配信者名などの貫通話を止めるどころか加速して出し続けてしまうようなスタンスは合わないので、そういうスタンスでいる限り、その身内ネタを面白いと感じることはないだろうなと思います。

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釈迦さんのストグラ切り抜きで好きなところ

釈迦さんの公式YouTubeチャンネルにアップされる切り抜きは、誤字脱字はやばいけど、動画の構成は見やすさ・わかりやすさ・面白さがそろっていて、配信切り抜きの中でもトップクラスだとずっと思っていたのですが、ストグラの切り抜きで改めてやっぱり釈迦さんの切り抜きはすごくいいなぁと感じています。

まず釈迦さんのストグラの切り抜きは、人間関係や立場などのネタバレなしに内容やパンチラインがわかりやすいサムネになっています。
さらに、基本釈迦さんが写ってはいるものの、他はサムネも動画内の誰がしゃべってるかのテロップもストグラ内の画像でつくられています。
他の配信者さんの絵が入っているサムネ*3もありはするのですが、これは「魂(本人)を知ってしまう」という内容だったりなど、中の人が貫通した時に限られています。

でも他の配信者さんや非公式の切り抜きだと、登場する中の人たちの絵でサムネやテロップがつくられていたり、サムネの情報量が多くて、人間関係や立場などの具体的な内容や詳細なやりとりの流れがわかるようになっていることが少なくなく、ネタバレを食らいたくないから泣く泣くフォローを外したり、おすすめに表示しないようポチポチすることが続いています。

どちらかと言うとイマーシブシアター寄り

スト鯖は観客が同じ舞台に入るわけではありませんが、配信者によって程度は違えど、観客が自由にコメント欄に書き込み、多くのストリーマーはその書き込まれた文字に目を配っていて、その反応によって行動が変わることがあるくらいには距離感が近いものとなっています。

それで思い浮かぶのは、新しい観劇体験として、客席からただ劇を観るだけでなく、舞台と客席という垣根を払った没入体験を売りとする演劇「イマーシブシアター」というジャンルです。

イマーシブシアターは、お客さんも舞台の中に入って役者さんの間近で鑑賞したり、自由に散策できたり、私が参加したものだと演者さんとコミュニケーションを取るなどの客の行動によってストーリーが動いたりと、いろんな形で劇の中に没入して楽しめるよう工夫されています。

この特性を考えると、ライブ配信のコメ欄はこのイマーシブシアターの観客に近いものだと感じます。

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棲み分けのないコメ欄

どんなエンタメもいろんな楽しみ方がありますが、多くの場合は棲み分けされています。

映画だったら独り言ブツブツ言いながら見ているわけじゃないし、騒ぎたかったら応援上映があります。
テレビやネトフリなら個別に見ているから、わざわざSNSなど見に行きさえしなければ、リアルタイムの反応なんてのはどれも、一緒に見ている周りの家族や友人などと共有するぐらいでしょう。

サッカーも熱量高く応援したいサポと、まったり観戦したい人とでは選ぶ席種が変わってきて、楽しみ方によって自然と好みに合ったエリアに分かれていきます。

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でもライブ配信となると、お客さんは1つのコメント欄に文字として一緒くたに集まるので、スポーツ観戦やライブ会場のお客さん全員の会話が聞こえてくるようなもので、会場なら席が近くなければ聞こえてこない会話も全部目に入ってきてしまいます。

私としてはeスポーツ観戦の応援だったり、SNSの「バルス!」みたいなノリだったり、配信者とのコミュニケーションが好きでコメントを楽しむこともあるのですが、いろんな感覚のお客さんがいるわけで、時には見たくないものも入ってきてしまい、好きと嫌いが同居していて付き合い方が難しいと感じることがあります。

コメント欄は家ではなく公共の場であり、管理者は配信主なので配信主がルールです。

だから1番大事なのはその配信主がどういう環境を望んでいるかなのは大前提だし、それを踏まえて自分に合うものを楽しんでいるのだけど、それでもいろんなスタンスの人がいるのは常で、文字として平等に扱われる特性上、コメ欄を楽しみたいなら自分なりの健全な付き合い方を学ぶのは避けては通れないものですね。

あまりにも感覚の差が生じる分岐が多すぎて…

ドラマだったらカメラが映す視点しか見れないし、サッカーだったらピッチに立つ22人、視野を広げたところでベンチや一部の観客くらいだし、ゲーム配信はもっと多くなるけど言うて視点は参加している配信者の数だけです。

しかし最大同時接続が200人のRP鯖であるストグラは、数百人というたくさんの参加者がいて、中にはいろんな変装をする人だったり、多重人格の人だったり、1人で複数キャラをやっている人も多々いて、ギャングと警察など1人で真逆の立場な人もいたりします。
誰を見るかで見え方も全然違って、たとえ同じ釈迦さんであっても、一般市民の川上さんとSWATの川中さんでは同じロスサントスとは思えないくらい、まるで別物かのようになります。

それらが同時に現れることがないとはいえ、参加者以上の数のキャラが同じ舞台で日々リアルタイムに物語を紡いでいて、そしてお客さんは見ようと思えば何キャラの視点でも同時に見ることができます。

配信者も視聴者も、毎日来る人もいれば、たまにしか来ない人もいるし、いつから参加しているかの歴も違うし、私のように自分の感覚に近い配信者を選んで見ている方ばかりではありません。

ただでさえ視点の数が多く、熱量やペースも人によって違うのに、これまで書いてきたように、参加している配信者とロスサントスでのキャラのどちらで見ているかが人によって違って、しかも1人1人のキャラごとにそのグラデーションが違ってくるので、価値観の不一致は生まれないほうがおかしい環境になっています。

改めて私がネタバレだと感じること

これまで書いてきたように、演者とキャラのどちらを主体で見るかの感覚の差から、私は魂(配信者)の情報はすべてネタバレだと感じます。
私自身も圧村に反応しちゃうから、なじみある配信者に反応する気持ちはわかるけど、それでも人によって、配信者をどれだけ知ってるかも、知りたいかどうかも全然違うからです。

私が知りたくないと思う理由で、ストグラの場合、ドラマやイマーシブシアターとの大きな違いがもう1つあって、ふだん見ているのはゲーム内のキャラなので、顔で同じ演者だとは判断がつかず、だからこそ中の配信者の話をされるとネタバレを食らったと感じるのです。

川中さんの視点で言ってしまえば、私は川中さんのドラマを見ているわけで、ストグラの川中の物語以外は全部ネタバレで、ぺいんさんなど他の視点の話をされたらそれはもう別のドラマなのでネタバレだし、魂の話はもはやドラマと無関係で、皆が他の人の正体を知っているとも限らないのでやはりネタバレだと感じます。

いろんな視点の組み合わせでドラマを楽しんでいたとしても、それは個人的な楽しみ方で、公共の場に持ち込んだらやっぱりネタバレです。

別に何から何まで厳密にネタバレを嫌っているわけではないのですが、時に致命的なネタバレを食らうことがあってイヤな気持ちになるし、この感覚の前提の差が不快なネタバレを生み出すので、結局そのピンポイントに刺されば、ネタバレが与えるダメージは大も小も変わりはないんじゃないかと思います。

前にエヴァのネタバレについて何十年前の話だとラプラスちゃんが言っていたのも一理あると思うので、ネタバレの気にしすぎも毒ではありますけどね。

ただ、そもそも他人視点の話や話題にのぼらない人の話は「伝書鳩行為」という別の話にもなってくるので、論外のバッドマナーであり、結局ネタバレと鳩は切っても切れない話ですね。

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ついでに言うと、釈迦さんの配信で見させてもらっているので、釈迦さんが席を外している間に起きたことも釈迦さんが見てなければネタバレですね。
そもそもは私がネタバレを食らわないためじゃなくて、釈迦さんがネタバレを食らわないためにあるルールですから。

釈迦さんがいない隙にいたずらやサプライズを仕掛けていたとして、それを言ってしまったらサプライズでなくなってしまうようなもので、その中身がなんであっても余計なネタバレです。

先住民の努力あってのシンボル化を楽しみたい

私としてはこれまで築き上げられてきたストグラの黎明期を知らず、すでにマックさんやヴァンさんなどの大きな存在がいて、人間関係ができあがっていたので、もちろんそれらはこれまでの参加者が創り上げてきたものであり、今も皆で創り続けているのだというのは重々承知したうえで、「見知った配信者たちがストグラという世界のアトラクションを楽しんでいる」という風に見える感覚があります。

ストグラの名物的な存在はディズニーランドのミッキーみたいな感覚で、私が見始める前から1年以上かけて築き上げた世界観の中で、釈迦さんがどう動いていくのかを楽しみにしています。

そして川上さんと同じタイミングで驚きたいので、なるべく視点外のことは知らないようにしていて、だからこそギャングのボスの中の人も一部しか知らないですし、マックさんはマックさんなのです。

ロールプレイ鯖というのは台本のない演劇のようなもので、そこで起こるドラマを楽しみたいし、その際にミッキーとかキャストの中身なんて知りたくありません。

これはあくまで今の私のスタンスにすぎませんが、こういう人もいるよという話でした。

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