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人生を明るく楽しく過ごすための模索と経験をアウトプットしてます。

【心機一転】コロナワクチン問題もメドがついたので、溜まったストレスからメンタル回復しようと思います。

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溜めて病むくらいなら吐き出しも必要。しえるです。
 

ここ最近、立て続けにモヤモヤすることが多い日々を過ごしていました。

  • 新型コロナウイルスのワクチンはいつ打てるのか
  • 乗り換え先の格安SIMスマホのネットが繋がらなくなる
  • 配達完了メールで気づいた誤配送
  • 玄関で宅配の方が毒づいている所に出くわした
  • 新型コロナに対する意識の差
  • チケ代払ったけど自粛で行くのをやめる状況が続いている
  • 部屋で使っていたフック類が次から次へと剥がれ落ちてしまった
  • 珍しく通販で服を買ったら思っていたのと色が違った
  • ビーガンのお店行ったらそうでない人への蔑みの会話で盛り上がっていた
  • 傘とか色々壊れて続々買い替え
  • 買ったばかりの傘を汚してしまった
  • 行きたかったお店の定休日が変わっていて寄れなかった
  • クラウドソーシングのお仕事が少し減った
  • 校正していて出てくる自虐やコンプレックス刺激の言葉
  • SNSなどで何度か嫌な気分になった

今はめどがついたのでよいものの、コロナワクチンのもどかしさでしばらくストレスが高まっていたので、1つ1つは小さなものでも、次々と積み重なって心が荒んでいました…。

 

なので今回はメンタル回復のために現在取り組んでいることを書いてみます。

【心機一転】コロナワクチン問題もメドがついたので、溜まったストレスからメンタル回復しようと思います。

どうにかなるものは地道に1つずつ解決に向けて動いています

新型コロナのワクチン・格安SIM不通・誤配送の件は無事解決しました。

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フック落下は続発して現在4か所目で、「また落ちた音がした…」とウンザリしています…。

別のものに替えるのか、それともフック収納をやめるのか、悩みながら放置中です。 

デジタルデトックスに力を入れ始めました

ストレスが溜まっているにもかかわらず、必要以上にTwitterはてブ、ニュースなどを読みに行ってしまう自分がいて、余計に自分からストレスの元に飛び込んでしまっていたなと反省しました。

 

Twitterはタイムラインは前向きでいられる内容にするためフォローを整理し、情報を集めたいときはリストでチェックできるように整備したのに、気づけばわざわざ憂鬱な気持ちになるとわかっていながらリストの方をチェックする習慣がつきかけていました。

 

今はスマホからはFacebookTwitterはてなブックマークなどのアプリを削除し、もう利用していない会員系は退会し、写真やビデオ、音楽などの整理をちょくちょく進めています。

ついTwitterはてブに手を伸ばそうとすることはありますが、アプリがないと「そうだ削除したんだった」となって、一瞬空いた手が宙をさまよいはしても、特に再DLすることなく別の作業に取り組むことができるので、消してよかったなぁと感じています。

 

後者は軽く15年分くらいはあるので骨が折れますが、見て気分が沈む写真などを消し、テンションの上がる写真ばかりになってくると気持ちがいいものですね。

なんでいまだに身内炎上の元になった写真とかバックアップ残しているんだろうと自分にビックリしてしまいました。

 

動画も思いのほか懐かしいものが出てくるので、最近は大した手間のかからないiMovieでの編集やYouTubeの不定期投稿も地味に楽しんでいます。

(でもYouTubeの視聴時間自体は他のSNS同様、徐々に減らしてみています。)

なんで嫌な気分になったのかを考えています 

私はムカついたり、悲しくなったりなどの嫌な気分になったとき、いったん怒ったり泣いたりと感情を消化して落ち着いてから、なんでそれを嫌だと感じたのか考えるようにしています。

 

というのもだいたいそこには、自分で「~しなければならない」と縛ってしまっていたり、何か心の引っ掛かりを感じているテーマが隠れているように思うからです。

 

私はこれまで「人は失敗して学ぶもの」「いろんな考え方の人がいて、それぞれが正しいと思っているものだ」ということを知っていると思っていました。

でもわかったふりをしているだけで、どこかそれを完全に許容できていない自分もいるのかもしれないと思うようになってきました。

 

というのも私は少し判官びいきの気があり、誰かを間違いと受け取って鬼の首を取ったように指摘したり、他人の不手際を責めたり、「〇〇失格」などと自分で烙印を押してしまったりするのを見るのは苦手だったりします。

それに対して表立って何かを言うことはありませんが、「嫌だな、なんでそんな言い方するの?」とは思うのです。

 

でもそもそも「人の失敗を責めることを良くないこと」とか「失敗」と捉えていること自体が私のエゴで、自分の中の正しさで善悪をつけており、結局心の中では相手のあり方を尊重できずに否定していたことに気がつきました。

 

そう考えると、最近自分が気にしていたものの多くは、勝手に自分の正当性を突かれたと感じた時に沸き起こっていたのかもしれないと思いました。

 

先日はオーガニックだったから訪れたビーガンのお店で、ビーガンでない人を糾弾する話で盛り上がる姿を見て不快に感じたりしたわけですが、これはお肉を食べる自分が間違っていると言われている気分になったからであり、自分が間違っていると思いたくなかったのかもしれません。

  

また、私は会社に属さずに生計を立てられるようになりたいと思い、昨年に在宅フリーランスの道を選択しました。

時間配分は自分次第なので、ちょくちょく気になった生配信とかも楽しんでいたのですけど、配信者が「視聴者は暇な学生かニート」を前提として話してきたりすることもあるんですね。

実際には、自営業とか在宅ワーカーとか療養中とか主婦とか勤務時間が変則的だったりなど、いろんな状況の方がいらっしゃると思うし、これまではそんなに気にしてもいませんでした。

 

しかし、人生において「この道で本当に大丈夫かなぁ?」と揺れる瞬間って往々にしてあるのではないかと思うのですが、そんな時にその前提を聞くと「そうじゃない人だっているのに!」って抵抗心が沸いてきたんです。

 

恐らくこれも、同じ言葉であっても自信が揺らいでいたことで、無理せず自分のペースで好きなものを楽しみながら生きたいという思いが、何もせず遊んでいると自分の生き方を責められているように感じたのではないかと思います。

冷静に考えると、配信者こそその道を歩んでいる人のはずなんですけどね。

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そもそもビーガンの店にいた人も、配信者も、私のことを直接知っているわけがなく、私に向かって投げかけた言葉ではありません。

にもかかわらず、私の心は波立ちました。

 

そしてもう1つ、私が知っていたこと。

それは世の中は映し鏡なので、何かに対して怒ったり責めたりする時というのは、本当は自分の心の中で起こっていることだということ。

となると、本当にそう思っていたのは私だったということになります。

 

「〇〇のここが嫌い」「△△のここが悪い」と言い放つのは、自分の課題をさらけ出しているようなものだと思っているので、私はふだん何か起こってもそんな深く言及しませんし、だからこそTwitterのタイムラインを整理しようとしていたわけですが、結局心の中で思っていたら、それは同じだなぁと思いました。

 

ということは、自虐の言葉を聞きたくないというのも、自分を責めてばかりで苦しかった頃に戻りたくないという過去の自分への拒絶感があるように思います。

 

それらの根本には多分「正しくあらねばならない」「上手くやらねばならない」 というトラウマ的な強迫観念のようなものが消えずにくすぶっているのではないかと感じました。

 

これは、私が大好きなラーメンズ小林賢太郎さんが20年以上も前のコントのネタで大きな騒ぎになっているのを見て、怖くなったのもあるかもしれません。

ネタの是非はともかく、彼の著書を読んで今の人柄をある程度知っていますし、考え方に大いに影響を受けて育ったものですので…。

 

でも改めてコバケンさんの本のメモを見返したら、今必要なヒントが書かれているように感じました。

これまで何度も間違え、何度も失敗してきました。きっとこれからも。けれど、そのたびに正しくはどうあるべきだったかを考えるようにしています。ただネガティブな思い出を増やすだけでは、せっかくの失敗がもったいないですからね。後悔ではなく、反省です。

結局間違ったなぁと思っても、じゃあどうすればよかったのかなとまた1つずつ積み直していくだけですね。

机の上で知ったことは、その実際を知る入り口にすぎないのです。「知識」は「記憶」だけでは不十分で、経験が伴わなければ、本当の意味で「知った」ということにはならないんだと思います。
経験すれば、なにかしら自分の感情が動きます。

私が知ったような気になっていたこと。

そこに経験が重なって、結びついていってるように感じます。

そう思うと私が後悔したり、イラついたり、悩んだりしていた時間もとても大切なものですね。

インターネットって、参考にすべき監督の発言と、たあいない酔ったサラリーマンのヤジが、まったく同じフォントで並んでいるのです。自分の評価をネット上で確認したかったら、そこをきちんと判断することが条件です。そして見たあとも「影響」ではなく「刺激」にとどめること。できないのなら、見なければいいだけ。

ちょっと前の自分は刺激を受けているだけだったのに、今は影響を受けてしまっていたなと感じました。

デジタルデトックスしようと思い立った自分は、無意識ながらも理にかなっていたんですね。

大事なことは「人にどうあってほしいか」よりも「自分がどうありたいか」です。

他人から受けるのは刺激にとどめ、自分がどうありたいかに集中したいと思います。 

「塞翁が馬(さいおうがうま:人生の幸・不幸は予測しがたく、幸運も喜ぶに足らず、不幸もまた悲しむにあたらないとのたとえ)」という言葉もありますが、おそらく本来はその出来事自体には善も悪もないフラットなもののはずで、人間が勝手に良い悪いと判断しているだけにすぎないものではないかと思い至りました。

なので自分のエゴで判断してしまわずに、ただ今の自分がどうありたいかに集中していきたいものですね。

 

今回、このような考え方のクセに気がつけたことで、改めて少しずつ「どんな私でも大丈夫」と許可しながら進んでいければなぁと思いました。

ハイキュー!!の旭くんに共感してしまいました

ハイキュー!!を読んでいたら、烏野高校エースの旭くんが力を発揮できず考え込んでしまったところに、仲間たちから「世界の終わり顔ヤメロォ」「調子乗って凹んでんじゃねぇーっ!!!」とツッコまれていました。

試合でブロックされる度「自分はなんてダメなんだ」って思ってた
ご丁寧にも失点の都度な
「自分はなんてダメなんだタイム」が無駄だったってわかっても頭が勝手にソッチ行っちゃうんだよなあ
危なかったありがとな

これはこうだとわかったつもりになっても無意識のうちに、頭が勝手に元の考え方のほうへふわっと行ってしまいそうになることがよくあります。 

ただ一人信頼してこなかった奴が居る
「お前はどうせ失敗する」「どうしてできないんだ」「足を引っぱる奴め」


…さあ相手は強敵だ
「自分」と戦ってる余裕は無いぞ
罪悪感も恐怖心も在って当然
ぜんぶ背負って俺は今日俺を味方にする

人生はほっといても色々起こるもの。

私も全部受け止めて、常に私が私の最大の味方でありたいです。 

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認識の共有を図るためには定義って大事だなって思う話。

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定義って大事だと思います。しえるです。

 

会話の中でのすれ違いって、最初の定義の認識の差から始まっていることって多い気がします。

この画像面白いなと思ったんですけど、こちらは平面的(2D)に見るか、立体的(3D)に見るかでまったく見え方は異なります。

最初に「この画像は立体的なものである」という定義を共通認識として話さないと、いずれきっと再生しなかった人とは話がかみ合わなくなるでしょう。  

 

このブログでは視点の違いについてはちょくちょく触れてきたと思うのですが、今回は視点の先にある対象の定義について、つらつらと書いてみました。

若干ややこしい内容になっている気がしますが、1つの考え方としてお楽しみいただければ幸いです。

認識の共有を図るためには定義って大事だなって思う話。

定義を明確に示すのは大事と気がついたこと

以前、メルカリの値引きについてこのブログで触れたことがあります。

ciel-myworld.hatenablog.com

こういったフリマアプリでの値引き交渉って、なんでそんなに値引かないとならんの?というぶっ飛んだ声掛けも少なからずあったりします。

 

最大で75%引きのお願いまであったりして、私はこの数字を大きいと感じたのですが、それでもこの値引きに対する感覚って人それぞれなんですよね。

私はこれに対し「特に明確な理由なく10%以上の値引き交渉に応じるつもりはない」というような内容をプロフィールに明記したことで、私にとっての無茶なコメントはほぼ来なくなりました。

 

おまけで7割引きもするわけないじゃない!ではなく、自分がどこから不快に思うかという明確な線引きを定義することは大事だなと学びました。

YouTubeの生配信でも…

最近、東海オンエアてつやの個人チャンネルのゲーム配信にハマっているのですが、いろんな層がコメントするため、チャット欄がよく荒れていました。

今は概要欄に「マイつや配信のルール」が追加され、具体的にどんなコメントがやめてほしく、モデレーター(チャットを取り締まる人)を増援し、削除対象としていくのかが明記されるようになりました。

 

中には親切心や純粋なファン心から来るものもあったりして、本人に悪気はなかったりしますが、明確に定義することでこれはよくないんだと認識する確率は上がります。

 

たとえば、これはSNS等で誤情報が拡散されていく状況に似ていると感じたのですが、チャット欄の人がどれだけそのゲームに詳しいかなんて名の知れた配信者でもない限りわかるわけもないのに、まぎれてしまった勘違いや、わざと流した偽の情報でも「こうした方がいいらしい」と復唱されてしまい、誤った誘導で混乱するという場面が度々発生したりしていました。

ただの文字情報を本当にそうなのか正しく取捨選択していく、いわゆる「リテラシー」が必要になってくるのですが、視聴者のリテラシーレベルはバラバラなので「自分のプレイ経験から得た確かな知識でのみアドバイスをいただけると嬉しいです」というお願いにつながるわけですね。

 

そして、てっちゃんの場合は事前の情報やチャット欄を参考にはしながらも、実際に試してみて「レッドストーントーチはリピーター含めずに15個置いて大丈夫」とか「分岐しても効果は発動する」など自分の目で確かめることでアイテム効果の定義を明確に把握していっており、こうやって自分で検証していくから東海オンエアが成り立っているし、トップに君臨しているんだなぁと改めて思いました。

ドーナツの穴で考えた定義の意義 

togetter.com

ドーナツの穴は1個なのか(それぞれの側から見て)2個なのか

という子どもの質問に、哲学的だ!と反応していたのですが、なんでそんなに反応しているのかあまりピンときませんでした。 

 

私はひたすら文系脳なので、今の時代の共通認識として穴を数えるためには、 言葉の定義に立ち返ろうとします。

デジタル大辞泉によると

  1. 反対側まで突き抜けている空間。「針の—」
  2. 深くえぐりとられた所。くぼんだ所。「道に—があく」「耳の—」

とあります。 

ということはこの質問に関して穴を数えるとしたら、ドーナツの穴は反対側まで突き抜けているので、言葉の定義的に穴は1つと言えるのではないでしょうか?

 

「ドーナツの穴だけ残して食べる」という有名な哲学ネタがあるようですし、簡単に言えば、真理とか、不可能と思えることを追究する営みが哲学ですから、時代に左右されない捉え方という意味で考えれば哲学かもしれません。

でもそれを言うならまずドーナツの穴に限らず、 世の中のすべてが哲学になると思います。

 

その中で皆が共通のものを認識できるように名前がつけられ、どこからどこまでがその名前のものを指すのか定義があるわけなので、現時点の答えとしてはやはり穴は1つなのではないかと思います。

『サピエンス全史』の認知革命「虚構を共有する」 

『サピエンス全史』という本では「認知革命」という考え方が紹介されています。

私は全部を読んだわけではないので概要になりますが「虚構を共有する」、つまり国も貨幣も宗教もすべては、ただ皆が同じように信じているだけのフィクションであり、自分の持つお金や所持品も突き詰めていけば、自分が持っていると信じているだけですし、世の中のルールや国境に貨幣の価値も皆があると信じているから存在し得ているだけというものです。

本来土地はただそこにあるだけであり、1人だけで自分のだ!と主張してもおそらく気にも留められないでしょうが、名前や国境が定められ(=定義)何億人が信じること(=共通認識)で虚構の存在が認められるということですね。

そしてその虚構の積み重ねが、自分たちが勉強してきた歴史ということになります。

www.youtube.com

現象を定義して認識の共有を図る

つまり今の生活を形成する価値観とか歴史とかルールとか組織といったものはすべて、今を生きる人たちがそう信じているだけのフィクションとなります。

だからこそ時代によって信じられているものが違いますし、時にパラダイムシフトが起きてガラッと価値観や組織等の環境が変わったりします。

 

しかしその過程で山が崩れたり、大地が動いたり、動植物が繁殖したり、または絶滅したりといった現象は実際に起きていると思います。

たとえば私がにんじんを食べたとき、私がしえるであることやお金をはらってにんじんを買って…といった類は虚構ですが、動物が植物を食べた結果として1つの植物の存在がなくなったというのは実際に起きた現象だと思うんです。

ということは政治やビジネスといった社会全般は皆が認識を共有するフィクションの中でやりくりしているにすぎませんが、自然発生した現象に対し、実際の現象に即していないことを定義してしまうとややこしいことになる気がします。

ウイルスを顕微鏡で確認し、実際に多くの人が発症し被害に遭っているのに(Googleによると執筆時点の全世界で2億人感染、435万人が亡くなられているようです)ウイルスはないとか無害だと言うのを聞くと、それは事実に即してないと感じます。

 

そしてこういった現象というのは、フィクションには関係なく起こるものなのだと思います。

つまりは起きた現象があり、その現象に対し、どうフィクションを整備していくかという順番が基本となるのではないでしょうか。

 

もしこの世界が誰かの手によって動かされている、マトリックスのような仮想の世界だったとしたら話はまた根本から変わってきますけどね。

コロナ禍において定義の差が目立つ気がします

新型コロナウイルスに対する捉え方、ワクチンを受けたいかどうか、日常の過ごし方など、さまざまな点で対立したり、行動の差を感じる場面が多いこの頃。

その背景にはそもそもの定義の認識の差があるから、いつまでも平行線な部分もあるのではないかと思いました。

かかりつけ医の定義のあいまいさ

ふだん健康だと、かかりつけ医のことをそこまで気にしなくてもあまり支障はないですが、新型コロナウイルスの流行があるとそうも言っていられないなぁと感じます。

でもその割にあいまいなものなんだなぁということにも気がつきました。

なんでも相談できる上、最新の医療情報を熟知して、必要な時には専門医、専門医療機関を紹介でき、身近で頼りになる地域医療、保健、福祉を担う総合的な能力を有する医師。

かかりつけ医を持ちましょう|国民のみなさまへ|日本医師会

日本医師会のHPでは、かかりつけ医の定義についてこう示されています。

私にとってこれは意義でしかなく、具体的にどの病院が該当するのかという本当の定義は明記されてないんですよね。

www.tokyo-np.co.jp

1回でも行ったことがあればなのか、何回以上といった通院歴がないといけないのかなどが具体的に書かれていないから、自分がかかりつけ医だと思ってた病院から違うと言われてしまう悲しい事案が発生しています。

 

正直、私自身も自分のかかりつけ医がどこなのかよくわかりません。

風邪がしんどいときに行くところは決まっているけど、頻度で言えば年1未満です。

今の私はほぼほぼ健康体なので、通院頻度が少ないと言われてしまえばおしまいです。

当てはまる病院なんてどこにもありません。

 

引っ越してきた時、まわりにどんな病院があるか確認しましたが、体調悪くならないとお世話にならないですし、自分にとってよい病院かどうかなんて通ってみなければわからず、一発で出会えずハシゴする可能性だってあります。

その間に訪れた病院が全部かかりつけ医となる可能性もあれば、1番通っていた病院にかかりつけ医じゃないと言われてしまうかもしれないなんて意味がわかりません。

togetter.com

利用者や病院側によって受け取り方がまちまちな時点で、定義ができていないというのは明らかだと感じますし、自宅療養を掲げるくらいであればなおさら、かかりつけ医について明確に定義し、連携を図ってほしいものです。

病気の定義から発生する認識の違いと性格的な対応の差 

あれこれ定義について考えるようになったきっかけがこのツイートだったのですが、無症状でも、生死の境をさまよっていても、同じウイルスがもとであれば、それは1つで括られるのが現在の「病名」だというのを見かけて、たしかに!と思いました。

 

そしてだからこそ、人々の反応が分かれるのかな?とも感じました。

というのも性格的に大まかに分けて、物事の最もマシな状態を見ようとする人と、最悪のリスクに合わせて対策を講じる人の2種類が存在すると思うからです。 

 

たとえば毎月の収入やSNS等のビュー数やいいねなど、最もよい時を基準にする派と最も低い時を基準にする派っていますよね。

一概には言えないと思いますが、コロナに対してもそれと似たような対応の差というのは一定数生まれているのではないでしょうか。

news.yahoo.co.jp

7月下旬にあった忽那医師の説明によると、無症状が45%、80%が軽症ののち治癒するとあります。

これらが新型コロナウイルスの最もマシな状態かと思いますが、割合的にも多くを占めていると感じます。

物事の最もマシな状態を見る人は、この大半を占める部分を見ていると思いますので、それであればインフルエンザや風邪と変わらないと考えるのも頷けます。

 

ここからは現在の状況における最悪のリスクについて考えてみます。

 

私が日々の情報から現時点で考える、新型コロナウイルスの重大なリスクは以下の4つです。

  • 重症化・死亡する可能性がある
  • 感染力が高いデルタ株が猛威を振るっている
  • 医療ひっ迫で病院の診察が受けられない
  • 後遺症が残る可能性がある

ラムダ株が日本に入ってきているという問題もありますが、とりあえず喫緊のリスクはここかな?と思います。 

このツイートがとてもわかりやすいなと思ったのですが、「中等症」は重症リーチ状態であり、「重症」というのはかなり死の危険が迫っている状態だということがわかります。 

news.yahoo.co.jp

今はデルタ株という水ぼうそう並みに感染力の高いウイルスが出てきていて、すでに日本全国で80~95%がデルタ株に置き換わっていると言います。

新型コロナ「デルタ株」首都圏で95%に 国立感染症研|NHK 首都圏のニュース

gendai.ismedia.jp

感染しても自宅待機で、症状が悪化しても受け入れ先が見つからず搬送困難となっていたり、新型コロナ以外の体調不良でも手術が延期されたり、診てもらえないということが起こっています。

www.nhk.jp

さまざまな変異株が発生しているように、ウイルスというのは進化していくものですが、今主流のデルタ株は自分も当てはまる20~30代でも後遺症が残るそうです。

ウイルスの進化というのは大体強力になっていくはずなので、前大丈夫だったから今も大丈夫という理屈は通りません。

 

個人的には先日のすしりくくんの話でも書いたように、こういった現象について話を聞くのはゲンナリしてしまいますが、それでもある程度の現状把握というものは大事ではないかと思っています。

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digital.asahi.com

先手を打っていくはずのリーダーが前者というのは恐ろしいものですけどね…。

 

そしてここまで状況を認知しているからこそ、先日は自分の行動に大後悔しました。 

たった1日で、これまでの自分の努力を無に帰すかもしれないわけですからね。

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HYDEさんはルールに則り安全にとおっしゃっており、実際に安全な開催に努めているとは思いますが、デルタ株ではこれまでと発症事例が異なっており、そのルールというのはデルタ株が流行する前に設けられたものですので、守っていればいいというのは違うのではないかなぁと感じたので、結局のところ、すべては自衛に努めるしかないと再認識しました。

 

まず第一に自分は病気にかかりたくないし、とてもじゃないけどこんな苦しい状況に追い込まれたくありません。

 

そしてもし私がウイルスを持っていたとき、たとえ自分が無症状や軽症で済んだとしても、自分が持っていたウイルスが家族や友人に移り、それが原因で取り返しのつかないことになってしまったら?と考えていたので、先日の誕生日も身内との予定を延期し、かれこれ3週間は知人と会っていません。

 

基本的な感染対策としては「手を洗う」「換気する」「距離を取る」「マスクをする」「ワクチン接種」がありますが、ワクチン以外はできるかぎり徹底しています。

残念ながらワクチン接種は年齢の壁によりまだしばらくの間受けられそうにありません。

打て打て言うけど、こちらとしては早く打たせてくれって話なので、今1番のモヤモヤポイントです。


これまでコロナ禍になってから1年半以上というもの、会って一緒に過ごした人は10人にも満たないですし、電車は乗っても月1~2回以下、元々マスクは好きじゃなかったですけど、誰かと一緒にいる時や外でも飲食時以外は率先してサージカルマスク以上のものをつけています。

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マスクを選ぶときはASTMというアメリカの医療用規格を満たしているかを基準にしてきましたが、最近はN95マスク相当の高性能マスクも取り入れています。

ウレタンマスクが効果薄いという情報は得ていましたが、実際に顕微鏡で見るとスカスカなのがわかるので、自分の目で確かめるというのはやはり実感が大きいなぁと思います。ナイスな自由研究ですね。

 

最悪のリスクに合わせて対策を講じる場合、こういった情報を集めて感染予防に必要と思うことを率先して取り組むのに対し、先程大まかには2種類いると書いたように、そういう考えの人ばかりではないので、危険だからしない方がいいよと呼びかけるために、政府も宣言やら措置やらを出す必要に駆られるわけですね。

しかしそういった方達にとってはただのイベント発生であり、感染対策というよりはただ強要されるものとなるので、何度も繰り返していると、別に嘘ではなくてもオオカミ少年のごとく効果は薄まってしまいます。

第4波くらいからは窓の外から街行く人の大きな声が聞こえることも増えてきており、最近は深夜の飲み帰りのような声も散見されるようになりました。

 

そんな中、お医者さんなどが善意で情報を発信してくださるのは本当にありがたいことです。

本来なら別にわざわざ嫌な思いをしながら知らせなくてもいいのに、誹謗中傷を受けながらも淡々と正しい情報開示に努める熱意はすごいと思います。

感染者の対応にあたっている医療従事者の方々というのは、感染の不安を抱えながらも1年半以上もの間ずっと、最前線で患者を救い続けている感染者の味方であり、決して敵ではありません。

ドラクエで死んでしまい、棺で教会に運び、復活させてくれた勇者や神父に対し、「狭いところに閉じ込めてんじゃねーよ」と言いますか?

 

今年の初めにも似たような内容のブログを書きましたが、自分と同じ1人の人間が自分よりもギリギリなところでずっと奮闘してくれているということを忘れないようにしたいところです。

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また何を苦と思うかは人それぞれなので、病気という身体的苦痛を嫌だと思う人もいれば、目先にある好きなものに触れられない方が苦痛という人もいると思います。 

そもそも私は人類全員が「生きることに前向き」だとも思っていないので、そんなの関係ないという気持ちなら想像できます。

昔の自分だったらきっと、つらい気持ちを一時的でも忘れさせてくれる快楽を求めただろうなと思いますし、実際にそれに近い感覚がチラッと出てしまいました。

正確な定義か判断するために 

てっちゃんの配信の話でも触れたように、自分だけでの知識には限界があり、事実を知りたければ実際にその現象に接していて、そしてなるべくは人柄や身元のわかる人から情報を仕入れたいものです。

であれば1番は実際に治療の現場におられる方や過去にエボラなど感染症の治療経験がある専門家の意見を複数人チェックするのが、正確な情報への最短ルートではないかと個人的に考えます。

お医者さんの方々はこういった定義を基に日々研究しているそうです。

私にはその知識がないから、やはり専門家に頼るしかありません。

また、誰か1人がすべて正しいというのは考えられないので複数の意見が必要ですし、メディアを挟んでしまうと、別の主観が混ざり込むことが散見されるので、あくまで1人1人個人として判断していくのが望ましいと思っています。

 

以前、中田敦彦さんがYouTubeで「知識は全部自分が紹介するから自分のチャンネルだけ見ていればいい」という趣旨の言葉を投げかけていて、それがガチか冗談かわかりませんが、どちらにしろその発言は驕りであり、危険だと感じました。

彼は内容を把握してわかりやすく面白くプレゼンする能力はすごいと思いますが、だからといって情報判断力についてはまた別の話であり、あくまで1つの情報源にしかすぎません。

誰かの人生を左右する重みを感じない、無責任な発言をする人というのは信用ならないと思っています。

そして現象をフラットな目で判断できる人かどうかも大事だと思います。

最初に前提があるとどうしても、その前提に見合った情報を集めてしまいがちです。

こういった条件に当てはまって発信をしてくださる方というのは、基本的にわからないことはわからないと言い、断定的な言い方をしたり、人に自分の意見を押しつけたりすることはせず、ただ情報の提示に努めていることが多いように感じます。

自分にできることが何かを領分含めて明確に把握しているから、自分のSNS等で発信することはあっても、わざわざ誰かに自分の意見を伝えに行くために時間を割いたりはしません。

www.jiji.com

誤った情報というものは、たった12人からの発信にもかかわらず、恐ろしいくらい広まり、お金まで稼いでいます。 

そしてこういった情報をもとに発信する方というのは、人に情報を押しつける傾向があるように感じます。 

変異株が続々出て状況はどんどん変わっているにもかかわらず、主張内容がずっと変わらない人も本当に?って思います。

 

いろいろ書いてきましたが、すべては私が個人的に思っていることであり、誰かに意見を押しつけるものではありません。

そして逆に、誰かから何かを言われて意見を変えられるものでもなく、私が私自身で情報を取捨選択していくというスタイルを変える気もありません。

一般市民1人の頭の中として、こういう考えの人もいるだなという観点でお楽しみいただければ幸いです。

お箏を題材にしたマンガ「この音とまれ!」で感じた3つの「信じる」の重要性【美しき時瀬高校筝曲部の絆】

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「天泣」を聴いて箏の音色の魅力に気づき始めました。しえるです。 

 

アミューさんによる大好きなお箏(コト)漫画「この音とまれ!」が、7月13日まで「ゼブラック」や「BOOK☆WALKER」で1~17巻まで無料公開ということで読み直してみたら、登場時と今読んでいるところとでキャラが違いすぎて(主にさとわ)ビックリしました。

そして、だからこそ改めて、時瀬高校筝曲(そうきょく)部が積み重ねてきた箏の練習成果と人間関係の構築にグッとくるものがあります。

ゼブラック
ゼブラック
開発元:SHUEISHA Inc.
無料
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この漫画では、箏や筝曲部と向き合っていくことで部員たちが得ていく絆、つまり「人とのつながり」がとても丁寧に描かれていますが、今回はその絆を築いてきた3つの「信じること」について触れてみたいと思います。

お箏を題材にしたマンガ「この音とまれ!」で感じた3つの「信じる」の重要性【美しき時瀬高校筝曲部の絆】

あらすじ

 時瀬高校・箏曲部は、先輩たちの卒業により廃部寸前。ただ一人の部員となってしまった武蔵は、新入部員集めに苦戦していた。しかし、そこへ見るからに不良そうな愛や箏の天才であるさとわ、愛の友人・実康ら3バカが入部したことで状況は一変。ドタバタしながらも懸命な練習を重ね、学校中を納得させる演奏をするまでに。武蔵と同学年の妃呂も加わり、部員数7人となった時瀬箏曲部は県予選大会へ臨み、全国大会への切符を手に入れるまでに成長したのだった。
 そして新年度、新入部員の侑と名都を迎え、時瀬箏曲部は新たなスタートを切る!!

jumpsq.shueisha.co.jp

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1巻試し読み

相手の言葉を信じること

本音を話さなくなっていくきっかけって、自分の言葉が届かなかったとき、もしくは相手を傷つけてしまったと感じたときのどちらかってのは多いのではないかと感じます。

それはのちに時瀬高校筝曲(そうきょく)部に入部するお箏の家元の娘・鳳月(ほうづき)さとわや、冷やかしで入部した来栖妃呂(くるすひろ)のように。

 

自分が本音ではなく建前で話していると、相手の言葉も建前だろうなと思うだろうし、それでは相手の言葉を信じることはより難しくなります。

つまり相手を信じるためには、まずは自分が本音をさらけ出せるようになることが大事なのではないでしょうか。

 

また「どうせ私の言葉なんて届かない」と感じる場合には、もしかしたら自分が相手の言葉を聴こうとしていなかった可能性もあるかもしれません。

私は初対面やよく知らない人からでも、「実はね…」とか用件以外の身の上話を聴くのは日常茶飯事で、「そんなことまで話しちゃうの?」というくらい色々聞き出してしまうので(おじいちゃんの秘密の趣味の話とかかわいくて仕方ないですw)、周りから「話しやすい」「聴くのが上手い」もしくは「聴きすぎ」と言われることがあるのですが、それだけふだん話を聴いてもらえず我慢を重ねている人が多い世の中ってことなのかなぁと感じています。

噂や憶測ではなく本人の言動を見る

先輩たちの卒業により、部長の倉田武蔵(たけぞう)1人となってしまった時瀬高校の筝曲部。

その部室は不良のたまり場となっており、武蔵が暴行を受けそうになっていたところに、新入生の久遠愛(くどお ちか)が飛び込んできて蹴散らします。

 

「西中の久遠」といえば、警察沙汰の事件を起こした不良として知れ渡っており、上級生や地元民の間でも恐れられている存在でした。

不良に部室を荒らされ続けてきた武蔵は、そんな久遠の「筝曲部に入部しに来た」という言葉を信じられません。

「荒らしてるのは君もだろ!!
 っ何なんだよ一体!突然押しかけて好き勝手やって
 何企んでんだよ!部に恨みでもあるのか!?」

「だから『入部』だっつってんだろ!何度も言わせんな!!」

「信じられるわけないだろ…」

武蔵の言葉を受けて部室を立ち去る久遠。

そこで初めて武蔵は、久遠が荒らされた部室をキレイにしようとしていたことに気がつきます。

翌日、武蔵は久遠のもとを訪れますが教室にはおらず、代わりに久遠の友達の高岡哲生(てつき) から噂の事件の真相を聞きます。

「不良だろうが何だろうがあいつは俺の孫だ
 俺があいつのじいちゃんでいたいんだよ」

実際に久遠は昔荒れており、誰のことも信じられずにケンカに明け暮れていたのですが、箏職人であったおじいちゃんと過ごすうちに、ケンカやその仲間から離れていくようになりました。

しかしそれを面白く思わなかった昔の仲間が、久遠のフリをしておじいちゃんの家を襲撃し、それが直接の原因かはわかりませんが、その後おじいちゃんは亡くなってしまいます。

そんな背景から久遠はおじいちゃんが大切にしていた箏を知るため、おじいちゃんのつくった筝曲部に入部しようとしていたのでした。

「来い!!」
「は!?俺は何もしてねぇよ!それよりコイツを――」
「だまれ!誰がお前の言うことなんて信じると思うんだ!!」

そんな中、久遠に追い払われた部室荒らしの不良たちが報復として、久遠のフリをして武蔵や部室を襲撃してしまいます。

倒れた武蔵に駆け寄る久遠に対し、騒ぎに駆けつけた先生たちは久遠を犯人だと思い込み、信じて疑いません。

「ヒドい目に遭ったわね、例の久遠って子にやられたのよ
 久遠って子とはもう関わらない方がいい!
 関わるとロクなことにならない!今回ので分かるでしょう!?」
 

いてもいなくても一緒なんて言われる僕とは住む世界が違う

――久遠君と関わるって…こういうことも覚悟しなきゃいけないんだ

いてもいなくても一緒なんて言われる僕とはやっぱりもう関わるべきじゃないんだ

僕は部を守らなきゃ――…
 

「ここの筝曲部をつくったのがあいつのじいちゃんだからなんです」
「あんなんで何が大事だ 笑わせんな
 てめぇの”守る”は何もしねぇことか!」

襲撃犯が誰かわからず、保健室の先生から「ロクなことにならないから」と久遠に近づかないよう諭される武蔵は、部を守るために先生たちの言うとおりにしようとします。

しかし、汚された筝曲部の看板がキレイにされていることに気づき、不良を追い出し、荒らされた看板を拭き上げ、部室を整頓するなど、筝曲部を守ろうと実際に行動していたのは久遠であったことに思い至ります。

久遠君は筝曲部の新入部員なんです
部室にいてあたりまえでしょう!?

校長室に呼び出され、何があったのか説明を求められる久遠のもとに、武蔵が駆けつけて犯人ではないことを先生たちに伝えます。

「誰がお前を信じる!どうやって!!!」「白状しろ!」
「…俺――…」
「こんのくそガキャ!じいちゃんをナメんなよ!ちゃんと分かってる!」

武蔵が久遠はやっていないと信じ、擁護してもらえたことに、昔の事件のときにもおじいちゃんが自分のことを信じてくれたことがよぎります。

 

こういうとき、周りがどれだけ疑っていても、自分のことを信じてくれる人や話を聞いてくれる人が1人いるだけで本っ当に救われるんですよね。  

(昔、誤解からLINEグループで炎上したことがあるんですけど、1人だけ私の言葉を聞くまで何も言わないでくれていたことがありました。

夜勤明けで寝ていたというタイミングの悪さもありましたが、人って友人だと思っていた人たちであっても、疑念だけでいくらでも膨らんで拍車がかかっていき、500件以上もあることないこと無関係なことと責め続けることができることを知りましたし、そのおかげで私の言葉を聞いて判断してくれる人がたった1人でもいることがどんなにありがたく、嬉しいことかを痛感しました。)

出元の分からない憶測による偏見や先入観を捨てる

「なぜ君が筝曲部に入部を…?」

「――…祖父が…ここの筝曲部は俺の祖父がつくったものだからです
 祖父が大事にしていたものは俺のせいでほとんど壊れました
 だから残ってるモンがあれば守りたいし
 祖父の大事にしてたものが どんなものなのかちゃんと知りたいんです
 ――だから筝曲部に入部しました」

「っそんな話が――」

「嘘ではないでしょう、彼の祖父というのは私の友人です」

「だ だからといって久遠がやってない証拠にはならんでしょう!
 大体その祖父の家をこいつは――」

「言葉を慎みなさい!!それこそ証拠のないこと
 偏見から生まれた憶測でしかない 違いますか?」

久遠の祖父と友人であった校長は、久遠がどんな思いで筝曲部に入部したのかを尋ねます。

そして久遠の言葉を傾聴する校長とは逆に、久遠の粗暴さや噂による偏見から一向に久遠の話を聞く気のない教頭は、校長から一喝されてしまいます。  

勝手に決めつけない

武流(たける
何も知らないくせに勝手なこと言うな

人は自分の視野のうちでしか物事を考えられないものだと感じます。

自分が出元のわからない憶測の源にならないためにも、また自分が決めつけられないためにも、勝手で余計な決めつけはしないに越したことはありません。

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本人の言葉を聴く

俺 本人が言ったことしか信じねぇから

これは私自身、なるべくそうであろうと気をつけているものです。

責任から逃れようと誰かのせいにしたり、他者を引きずり落として陥れようとする人もいる中で、よく知らない間柄の本人以外の言葉を信じてしまうことはとても危険なものだと思います。

繊細でネガティブな内容であればあるほど尚更のことです。

 

お互いの生活パターンが合わないときなどすれ違いやすかったりしますが、相手の状況が見えないときに対話まで減ってしまうと、お互いに疑念が湧き出てくるもので、それぞれで愚痴る相手がいたりすると対立は一層深まるものだというのを経験して散々な目に遭いました。

だからこそ当人同士のコミュニケーションはとても大事と考えています。

 

伝言ゲームで最初の言葉が正しく伝わらないように、間に誰かが挟まれば挟まるほど、元の状態から遠ざかっていくものだと思います。

そうなると相手の真意を知りたいとき、憶測とか無関係な他人の感想とかを耳に入れる必要ってないと思うんですね。 

なので私はなるべく本人ソースを知ろうと心がけており、最近もデマ情報やメディア対応が話題に上がるのを見かけますが、是非を問い詰められている状況であればあるほど、その気持ちは一層強まります。

「ただ何か理由があるなら聞こうかと思って
 ――ちゃんと話してくれるならちゃんと聞くから」

相手の言葉を聞いてから、自分がどう感じるかを判断しても全然遅くはないし、むしろ判断を間違えないために欠かせない大事な意思疎通の時間だと思います。

身近な人であればあるほど、当事者としての主観や感情が入ってしまってなかなか難しかったりしますけどね。

「え 何あれ…あれが時瀬の筝曲部…?柄悪…」
「怖…不良じゃん…あんなのが本当に箏やってるわけ?」
「そーゆーの本当迷惑」
「うちら本気でやってんのに」

そして本人と言葉を交わさず、見た目とかジャンルで決めつけてしまうほどに、本質は見えてこないものだと感じます。

自分を信じること

私はこれまでの経験だったり、いろんな所でもらってきた言葉だったりのおかげで、少しずつ自分を信じることができるようになってきました。

しかし、自分が全幅の信頼を寄せる友人らが「自分にはできないから」「○○だから私には無縁の話」といった言葉を発するたびに、とてももどかしく思うと同時に、自分を信じることの難しさを改めて痛感します。

現状となりたい姿がかけ離れていても気にしない

「僕みたいな凡人には全国目指すことさえ夢みたいなことなんだ
 実力に見合わないほど夢をもつほど子供でもない…!」

「――実力なんて目指してからついてくるんですよ
 上を目指さない人に実力なんて一生つきません
 だったらなんで去年の予選会 落選結果の後泣いていたんですか」

自分が上達したことで周りのハイレベルさに気づいたとき、現状がともなってないおこがましさを感じて、勇気をなくして尻がすぼんでしまうことはあります。 

でも行動をしないことには、実力というものはついてきません。

 

個人的には昔、パソコンが苦手で、圧倒的に美的センスがないと思っていた仲いい同僚のおじさんが「フォトショで画像編集ができるようになりたい」と言い出し、最初は周りも笑っていたのですが、努力に努力を重ね、仕事として成り立つほどに成長していく様を間近で見ていたのには、とても大きく衝撃と影響を受けました。

その友人は他にもパンやケーキをつくれるようになったり、フルマラソン大会を完走するようになったりなど、ゼロの状態からひとつひとつ会得していっていて本当に尊敬しますし、私がもっといろいろできるようになりたいと思って、転職や一人暮らしをリアルに考え始めたのもこれが1つのきっかけだった気がします。

別に今からでも遅くないだろ
たとえ大人だろうが今日のあいつらみたいに
何かに全力になって本気で楽しめば
同じように輝ける
そういうのを忘れて
「もうできねぇ」って思い込んでる大人が多すぎるだけだ
変な話だよな
大人なんてガキの頃よりずっと自由で
やろうと思えば何でも自分の責任でできちまうのに

今ではYouTubeとかで簡単に人が1歩ずつ成長する姿を目にすることができますよね。

何百万人という登録者のいる大物YouTuberたちも、5~10年前の動画を見ると今とは違ってただの素人だったことが一目でわかります。 

「――鳳月さんに言われた通り 確かに僕…心の底では全国に憧れてた
 でも去年惨敗して 思い知って それでもまた上を目指すって言う勇気が僕には無かったんだ」 

その一歩を踏み出す勇気って大きい壁なんですよね。

ずーっと最前線で活躍しているような方たちというのは、自分の力不足を認識したうえで、それでも励み続けて邁進していらっしゃるのだろうなぁと今は思います。

自分を信じてくれている人の存在に気づく

「なあ 愛 お前 自分のことあきらめるなよ
 周りがまだお前のことあきらめてねぇのに
 お前が一番最初に自分見捨ててんじゃねぇ
 そんなんじゃいつか本当に孤独になっちまうぞ」

「――…今と何が違うわけ?」

他人が信じられず自暴自棄なときって、周りの人の心配や愛情はなかなか届かなかったりします。

私も気がつくまでにとっても時間がかかりました。

 

自分を見捨て続けていると、実はすぐそばにいた自分を信じてくれている人の存在に気づかないまま、味方を失ってしまうこともあります。

できれば久遠のように取り返しのつかない後悔をする前に気づきたいものです。 

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自信がなくても経験に裏打ちされていく 

「お前あんな風に言われて悔しくねーのかよ」
「や…ああいう反応慣れてるし」
「バカにされることに慣れてんじゃねぇ!!」
「っ…別にそういうわけじゃ…
 ただ気にしていないってだけで」
「だったらもっと堂々としてろよ!
 笑ってごまかしてんじゃねぇ!!」

時に「そんな(くだらない)ことやってるの?」と下に見られたり、過去の状態しか知らない人に対して、現状で成果が出せていないから何も言い返せないことってあります。 

その挫折や打ちのめされた経験によって、今の自分が手応えやワクワクを感じていたとしても、下側の立場を甘んじて受け入れていた過去の自分が顔を出し、恥ずかしい気持ちになったり、がんじがらめになって動けなくなったりします。

お前元同級生には笑ってごまかして
俺からは目をそらすのか
周りをひっぱっていかなきゃいけねぇ部長のお前が
自分の気持ちにすら自信もてねぇようじゃ
全国なんて到底無理だな

自分の気持ちは自分だけのものなはずなのですが、そういった気持ちに飲み込まれてしまうと、培ってきた何かは簡単に吹き飛んでしまって、何もできなかった頃の自分に気持ちが戻ってしまったりします。

――自信なんてどうやってもてばいいんだよ…

自信のない人間にとって、自信を持つというのはとても難しいことです。 

自信なんて一朝一夕でつくもんじゃない
だから今はせめて部長としてやれることやらなきゃ
やらなきゃ

やらなきゃ、できなきゃ、弱音を吐いちゃいけない、自分でどうにかしなきゃ…。

ついそんなサイクルに人は追い込まれがちです。

そうやってあがいている間は本当に苦しいものですが、実は周りは疑ってすらいないのに、自分で自分の不足を追及し続けている、その頑張りをいつまでも認められずにいるのは自分だけだったりすることも往々にしてあります。

 

しかしある日ふと突然、そのあがきは身になっていることに気づいたりもします。

がむしゃらになっている間は気づきにくいけど、その時に得たものってちゃんと蓄積されていくんですよね。

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不足の追及より補い合いの精神で自分の価値を否定しない

でも今は1人じゃ足りない部分とか欠けてる部分を助け合えるものなのかなって思います

一見何の接点もなさそうなメンバーが足りない部分補うみたいに支え合っててそれが…そーいうのがなんか…いいなって思ったから…

「~しなきゃ」が生まれる背景には、他人の欠点や過失など粗探しをして追及し合うコミュニティの存在もあったりします。

でももううんっざりなんです
会のしがらみも辛い過去も
自分がそれに縛られるのも
縛られて動けない誰かを見るのも

しかし、そんなコミュニティからは脱して、苦手なものは補い合えばいい話です。

 

そういったコミュニティってやめた人について、ふと思い出してはあれこれ定期的にけなしたりするので、その場にいたら蝕まれてしまうのも仕方ないことです。

誰かを犠牲にしないとエネルギーが生み出せない場所に明るい未来はないと思います。

「それにお前筝曲部の部長をやってるそうじゃないか
 なぜ言わない」

「なぜって…別に言う程のことじゃないし
 部長って言っても俺一人しかいなかったからなっただけで…」

「武蔵 自分で自分の価値を下げるんじゃない
 お前一人しかいなかったということは
 お前は一人でも存続させようとがんばったってことだろう
 十分立派なことだ」

「できて当たり前」的な考え方がまん延していて、自分がやってきたことやできることに対しての価値を下に見積もってしまう場面って多いように感じます。

たまたまやってただけとか、誰にでもできるとか、自分の力じゃないとか。

でも100%全員ができることってほぼないと思いますし、きっかけが何であったとしても、レベルがどの程度であったとしても、自分がやったことに価値ってあると思います。

やらなければその物事が動くことはなかったのですから。

 

部を1人でも守り続けていた武蔵がいたから久遠は入部できたし、久遠が部を守ろうとしてくれたから武蔵は筝曲部の部員を増やし存続することができました。

どちらが欠けても成り立ちません。

 

先日も友人が「音程聞き取ることくらいは誰だってできるよ」と話していて、それは全然普通じゃない、すごいことだよって思いました。

どおりで当時、私が主旋律を聞き取るのでいっぱいいっぱいだったのに対し、軽々と和音や伴奏を再現してみせていたわけです。

それができるから音楽で食べて行ける人がいるのであって、携わらない人からすれば、なんですぐ弾けるの?とかそういうレベルではないかと思いますし、だからYouTubeとかで初見で演奏がコンテンツになるわけですよね。 

 

自分ができること、やってきたことをかけ合わせることで唯一無二のものが生み出せるわけで、すべては価値のある大事なものなのだと思うこの頃です。

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相手が信じてくれる自分を信じてみる

――この前鳳月が自分のこと話したとき
「話してくれてありがとう…っ」――って
あれ多分あの瞬間あいつが一番欲しかった言葉じゃん
その言葉とっさに出んのすげーじゃん
あーゆーの俺は言えねーもん

これまで奔放な筝曲部員たちのことを気にかけ、まとめあげてきた武蔵に対し、部長であることに疑問を持つ者はいませんでした。

別に俺だって自分のことなんか信じてねーよ
――でも俺は俺のこと信じてねぇけどじじいが…信じてくれてお前が認めてくれたから

…え?

――前俺が疑われた時お前来てくれたじゃん

「久遠君は筝曲部の新入部員なんです!」

俺みたいなの信じて部員って認めてくれたじゃん
だから俺はお前がいたから今…

とにかくうちの部でお前のこと部長って認めてねーのお前だけだろ!
自信なんて目に見えねーもんにふり回されてんじゃねぇ!
見えねーんだからあるっつっときゃあるんだよ!!

――僕は自信より大事なものをもう持ってた

堂々として見える久遠も決して自信があるわけではありませんでした。 

それでもおじいちゃんが、武蔵が久遠のことを信じてくれたから、箏と向き合うことができています。

 

武蔵は部長の自分が皆に迷惑をかけられないと、自分の中でぐるぐるしてしまいましたが、とっくに皆にとっての部長であり、支え合える仲間だったということに気づくのでした。

弾いていいに決まってんだろ!!
っダメな理由なんてねーじゃん
お前箏すげぇ大事にしてんじゃん
じいちゃんの気持ち大事にしてんじゃん
お前がちゃんとまっすぐすぎるくれーまっすぐ箏と向き合ってきたのちゃんと見てたよ
俺らはちゃんと見てた!!!

久遠もまた、おじいちゃんの事件のことから、自分に箏を弾く資格があるのか悩み続けていました。

でも悩みながらも真剣に箏と向き合っている久遠の姿を、仲間たちはずっと目にしてきています。

久遠が頑張っているから周りの心も動かされ、一緒に頑張れていることも多々ありました。

自分ではわからなくても、時には周りの人の方がその頑張りを理解していることもあるわけで、そんな自分を見てくれている周りの人の言葉を信じてみるのもありですね。

「今の来栖さんのことちゃんと知ってるから大丈夫」

「ご心配なく あなたよりは人を見る目あるんで」

あたしはせめて倉田が信じてくれた自分でありたい

来栖さんは過去のトラブルから人を信じられなくなり、誰かを同じ目に遭わせることばかり考えていましたが、筝曲部に出会って変わることができました。

そんなトラウマの原因となった人たちと偶然再会したときに武蔵がかばってくれるのですが、過去の嫌な自分ではなく、今の姿を認めてくれるのって本当に嬉しいことだと思います。

人間ですから時にはとっさに嫉妬やエゴをぶつけてしまうこともありますが、それでも自分のことを信じてくれている人の存在が気持ちを改めさせてくれることもあります。

まあでも絶対ムリと思ってたらわざわざ言わないですよね先生は

そもそも悪意がない限りは、絶対に無理だろって思っていることをわざわざ声かけたりしませんね。 

相手を信じること

「相手の言葉を信じること」と似ていますが、あくまで非なるものだと私は思っています。

こちらは相手の言葉や行動がなくても「相手を信じる」という一段階上のものだからです。

おそらく月日を重ねないとたどり着かない境地ではないでしょうか。 

 

「好き」って言ってもらえないと不安に感じてしまう話とか、1番わかりやすい例ですね。

相手が「好き」と言ってくれていても信じられない人もいる中で、言葉も便りもない中でも、相手を信じていられる人は果たしてどれだけいることでしょうか?

この境地まで来ると、いくらでもどーんと構えていられるものだったりします。

 

以前の私はひとりぼっちになることを恐れていましたが、そのような全幅の信頼を寄せられる大切な人たちとの繋がりができたことで、心がずいぶん楽になって、自分のことに集中できるようになったし、コロナ禍で1人で過ごす時間もまったく寂しくないと思えるようになりました。

相手の歩みを信じる

全国って誰か一人に連れていってもらう所じゃないと思う…!

――…みんなで一緒に行く所だと思う

入部当初、さとわは自分が突出した力を持っていれば、高校レベルくらい勝てると考えていました。

しかし、実際の常勝校の演奏を聴いて、その考えは間違いだったと気づき、考えを改めます。

ま…周りの音が聴けないって…どういうこと…?
合わせ方が分からないってどういう意味…?

当初はさとわの想像を下回る部員たちのレベルの低さに理解が及ばず、途方に暮れていたりもしました。

先生みんなのことナメすぎです
みんなすごい勢いで上達してます
私もうかうかしてられないですよ

しかし破竹の勢いで吸収していく仲間たちを見て、どんな難関も彼らはいずれ必ず会得できると確信するようになっていきます。

…コータ!大丈夫!絶対できる!!

信じられない人を無理やり信じるのはなかなか難しいですが、相手をまだよく知らない時点や、大切な人ぐらいは信じていたいものです。

受け止めてくれると信じる

「できねーならできねーって言え
 分かんねーことは分かんねーって言えよ
 誰も怒りゃしねぇんだから」

「あの鳳月さん…もんじゃだけじゃなくて部活のことも…そうだよ?
 鳳月さんはレベル違いで上手いし経験もあるけど
 だけど完璧でいる必要はないって言うか…
 僕とかじゃ頼りにならないと思うけど でも…
 どうすればいいか分かんない時とか
 一人で解決出来ないことは みんなで一緒に考えよう」

怒られたり、馬鹿にされたり、なんらかの理由で「できない」の一言が言いづらくなることってあると思うんです。 

でも「できない」って言っても大丈夫と相手を信じてみる一歩はとても大事なものだと感じます。

もしかしたら過去にそれが許されないことがあったかもしれません。

それでもなんだかんだで「しょうがねぇなぁ」って助けてくれる人は意外と多いものですし、付き合う人や場所を変えてみたら大丈夫だったということもあります。

 

「できない」以外にも、少し人には話しにくいことっていうのは多々あると思います。

私自身、自分がマジョリティではない自覚があるので、ブログを書くときはよくドキドキしています。

でも勇気出して更新した記事にいっぱいスターをいただいたり、200人を超える読者様に見ていただけたりしているうちに、受け止めてもらえるものだなぁと思えるようになりました。(いつも本当にありがとうございます!)

最近は、みんなが自分は少数派だと思っているから表に出てないだけで、実はそれが隠れ多数派なものもあるのでは?とすら思います。

話してくれてありがとう…っ

自分が言い出すまで待ってくれる人、打ち明けたものを受け止めてくれる人たちのことは大切にしていきたいものですね。

いきなり誰をも信じるなんてのは難しいので、まずはそういった大切な人を信じることから始めると、少しずつ足場が強固になっていく気がします。 

――あんたあたしが何か話したらちゃんと聞いてくれるんでしょ
あたしだってちゃんと聞くわよ!!

自分が相手の力になりたいと思っている時、相手もまた同じように思っていてくれるものだと思います。

頼るのが苦手でも、少しずつ相手を信じて出してみるのもいいかもしれません。

――な…んで
久遠はこう
いつもいつも
いつかちゃんと返せるだろうか
もらった分だけのあったかい気持ちを
いつか

――ありがとう あの時受け入れてくれて

あたし今ここにいれてすごく幸せだよ

相手を信じるからこそ相手に合わせない

俺は今から完全にお前を信じる
お前の音は聴くけど待たない

「仲間を信じろ」
「分かった」

そういうことか…!
今までは久遠君の音を聴いてそれから自分の音を出す感じだった
久遠君も多分そう
だからテンポが速くなると手が間に合わなくてかみ合わなくなる

メガネの音を聴いてから動くんじゃだめだ
そこに必ず音が来ると信じて弾く!!!


何だこれ すごいっ 欲しい所に音がある!!!

これってカラオケで精密採点したときに覚えがあるんですよね。

バーを気にしすぎると、バーに合わせて歌ってしまって遅れちゃうんです。

自分は音やリズムをわかっていると信じて、バーを気にしないで歌わないと合わないんですよね。

音楽界では指揮のない箏だからこその独特な感覚かもしれませんが、それが対人になったとしても、やることは変わらないということですね。

 

歌や合奏だけに限らず、結構当てはまることって多い気がします。

 

たとえば、誰かに何かを任せられない場面ってよく見かけます。

何かを教えているときや仕事を振ったとき、相手が手間取ってるのを見ると、手や口を出してしまうとかよくありますよね。

 

自分でやった方が早く、精度高くできるからもどかしいというのはわかります。

しかしそれでは、相手に自分でやってできるようになりたい気持ちがあっても、機会が奪われてしまいます。

 

私は母に何でもやられてしまうのがすごく嫌でした。

自分にやらせてもらえないのが不満だったし、そのうち、自分はやらなくていいんだという気持ちにもなります。

それで相手ができない、やってくれないというのはお門違いな気がします。

 

仕事を振ったら、あとは相手を信じるだけでいいと思うんです。

最初は拙かったとしても、人というのは失敗から学んで勝手に成長していきますし、いずれはよい相棒として活躍してくれたりします。

 

それぞれがそれぞれの道を着実に歩んでいれば、合わせようとしなくてもいずれは合うものであり、持たなくてもいい相手の荷物を背負う必要はないと思います。

――そうだよ
自分で下した決断 僕が最後まで信じないでどうするんだ
――大丈夫絶対そこに音がくる!!!

俺はもう一人じゃない
俺のこと信じてくれた音がちゃんとそこにある
足りない音は誰かが埋めてくれる

自分を信じることが相手を信じることとなり、相手を信じることがまた自分を信じることにつながるのだと思います。

作者のキャラを信じる心が伝わってきます

一人一人大事に丁寧に描いていければいいなぁ

ネームに詰まったり悩んだりする度、
連載当初、先輩作家さまに頂いた
「キャラを信じろ」という言葉を
思い出しています。

アミューさんは巻末コメントにこのような言葉を残しています。

この音とまれ!」は本当にひとりひとりが丁寧に描かれている素晴らしい漫画だと思いますし、私が今回のように「信じる」について考えさせられた背景には、アミューさんのキャラたちを「信じる心」が詰まっていたのだなぁと感じました。

キャラたちは当初の予定とは違う動きをすることがあるようなのですが、「この子はこんなことしないなぁ」とか「この子だったらこうするだろう」と作者が信じて描き上げているからこそ、私もこの「信じる力」に惹かれたのだと思います。

動画も合わせるとより楽しめます 

www.youtube.com

筝曲部存続のために披露した「龍星群」という曲は、作者のお姉さんがつくったオリジナル曲。

お姉さん自身や和楽器バンドのいぶくろ聖志さんらが再現したPVが公開されていて、読むのに合わせて聴くとより情景が広がります。 

www.youtube.com

アニメ版も公開されているので、違いを聴き比べるのもまた面白いです。

www.youtube.com

基本アニメが苦手なので漫画派なのですが、それでも「天泣」はやはりグッときます。 

大会本番の様子が描かれた13巻は涙なしでは読めません。

漫画の再現演奏が詰まったこのCDもとても素晴らしいです。

3倍速からさらに加速していく「さらし風手事」とか、漫画を思い出してニヤニヤしてしまいます。

www.youtube.com

箏動画といえば、こちらのエド・シーラン「Shape of You」のカバーがとてもカッコよいです。 

アヴィー・チー「Wake Me Up」のカバーもまた素敵ですね。

最新刊情報

思っている以上にプラスチックによるダメージが大きかった件。【マイクロプラスチックや有害性の話】

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身近なものほど見落としがち。しえるです。

 

転職でめくるめく変わっていく環境についていくだけで精一杯だった私にとって正直なところ、SDGsや環境問題なんて仕事のために覚えるくらいで、これまで気にする余裕はまったくありませんでした。

 

そもそもの話、私はただのナチュラルデザイン好きで、しいて言うならポイ捨てはせず、ごみはごみ箱にちゃんと入れるくらいという、環境問題についてだいぶ気にしていないほうだったと思いますが、自分の快適や健康を追求しているうちに、避けては通れない話だと感じるように変わっていきました。

しいたけ占いで「ここ最近は健康大事と意識している」とズバリ言い当てられましたw)

 

そんな私がプラスチックについて認識していることといえば、次のことくらいでした。

・石油からできている

・「ポリエチレン」「ポリプロピレン」「塩ビ」「アクリル樹脂」など種類がある

・海に残留したプラごみで生物が苦しんでいる

 

しかし、本を読んでいるうちに、身近に利用してきたプラスチックには知らない世界が想像以上にたくさんあったことを知りました。 

 

そしてこれを書いているさなか、6月4日に「プラスチック資源循環促進法」が成立しました。

www3.nhk.or.jp

今回は、現時点でのプラスチックの問題点など学んだことをまとめてみました。

思っている以上にプラスチックによるダメージが大きかった件。【マイクロプラスチックや有害性の話】

プラスチックについて考えるようになったきっかけ

コロナ禍でおうち環境を整えることに力を入れていた一環で、ごみ箱をどうするか検討していたとき、ごみ箱のあり方は家の中での動線に加えて、ごみの収集業者や処分先にとってどうするのが作業しやすいんだろう?という発想になりました。

そう考えてみると「そういえば私は捨てたごみがどうなるのかよく知らないな?」と思って1冊の本を読んでみました。

なんとなくの流れはイメージどおりでしたが、汚れた資源ごみの対応や細かい仕分けを手作業で行っていることなど色々驚きがありました。

そして「あれ?プラスチックって思ってたよりリサイクルされていなくない?」となりました。

 

そこで次はプラスチックについて知ろうと別の本を読むことに。

この本がとにかく知らなかったことだらけで、プラスチックの基礎や歴史を学ぶうえでたいへん勉強になりました。

第二次世界大戦は、プラスチックを制した連合軍が勝った」というのは、初めての視点でした。

プラスチックには2種類ある

プラスチックには「熱可塑性(ねつかそせい)プラスチック」と「熱硬化性プラスチック」という2種類があるのだそうです。

熱可塑性プラスチック

熱可塑性プラスチックは、チョコのように溶かして成形し直すことができます。

ポリエチレン、ポリスチレン、ポリプロピレンなどが該当します。

熱硬化性プラスチック

一方、熱硬化性プラスチックは、クッキーのように一度焼き上げたら終わりで、成形し直すことができません。

クッキーになったらもう、小麦粉や卵には戻らないですからね。

 

つまり、こちらのプラスチックはリサイクルができないということになります。

種類としては、フェノール樹脂、メラミン樹脂、エポキシ樹脂などが当てはまります。

各地にあふれるマイクロプラスチックの存在 

プラスチックは海の至る所にある。

汚染が集中している場所などどこにもないのだ。

「巨大な太平洋ごみ海域」(太平洋ごみベルト)という言葉が知られるようになり、「これを取り除けばよい」というごみの島があるようなイメージがあるが、そのような島は存在などしていない。

プラスチックはごみは猛烈な風や海流で水中に沈み、細かくなる。

プラスチック片はどんどん砕けて小さくなるが、分子は変わらぬままだ。

マイクロプラスチックとは一般的に、直径5mm未満に粉砕されたプラスチックの破片(粒子)のことを指します。

 

私は結構最近まで、このマイクロプラスチックのことを知りませんでした。

海が身近になく、ふだんあまり魚介を食べない私にとっては、海の生きものたちがプラごみに苦しんでいるってニュースを聞いたことはあっても、レジ袋をそのまま飲み込んでしまったとか、漁網に引っかかってしまったとかそういうイメージだったのです。

gyoppy.yahoo.co.jp

細かい破片に砕けて、人間がつくり出す技術ではまだ集めることのできない、悪名高い「マイクロプラスチック」になるだけなのだ。

ポイ捨てしなければいいとかそういうレベルの話ではなかったことを知り、とても驚きました。 

知らない間にそんなに摂取してるの?

平均すると人は週に約5gのプラスチックを摂取している。

お店で買ってきたペットボトルの水やプラスチック容器に入ったレタス、ラップされたきゅうり、そしてレストランで食べる魚などと一緒に、あなたが”食べている”マイクロプラスチックをすべて足すとこれだけになる。

プラスチックは、私たちの命がかかっている食物連鎖そのものに入り込んでいる。

私たちは年に10万個以上のマイクロプラスチックを摂取している。

マイクロプラスチックは、私たちが食べる魚の中にもある。

胃や肝臓に有毒なプラスチックを有している魚は、既に25%を超えている。人類の半分が日々の食生活を海産物に頼っていることを考えれば、健康を脅かす最悪な事態がいつ起きてもおかしくない。私たち人間の肝臓にも思いもよらなかったペースでプラスチックが蓄積しつつある。

そして知らず知らずのうちに、大量のマイクロプラスチックを食べているのだそうです。

100年単位で残るプラスチックを自分の体内に取り込んでいるって、なかなかゾッとします。 

 

動物には排泄機能があるけど、体内にどれだけ残留し、影響を与えるかはまだ解明されていません。

natgeo.nikkeibp.co.jp

身近な日用品から発生しているマイクロプラスチック 

メラミンスポンジを使うとシャリシャリ削れていくと思いますが、これもまさにマイクロプラスチックなのだそうです。

あ、あのとき発生していた削りかすがマイクロプラスチックか…と思ったら怖くなりました。

 

「塵も積もれば山となる」とは言いますが、さらさら粒子のアレが大量に100年単位で海に漂い続けるって、想像以上に深刻です。

最近の調査から、北極でさえ、雪に混じって空からマイクロプラスチックが降っていることが分かった。

研究の示すところによると、大気中の微粒子の3~7%が、路上を走行している何百万台もの車のタイヤから生じた塵だという。

実は車の問題は排気ガスやガソリンだけじゃなかったという…電気自動車や自転車にまで及ぶ不可避案件です。

 

ほかにも合成繊維でできた服の洗濯、歯磨きや洗顔フォームからもプラスチック繊維やマイクロビーズが流出していくのだそうです。

紙だからといって無関係ではありません

カナダの研究者は最近、プラスチック素材のバッグに入ったティーバッグ1つをお湯に浸すと、約116億個のマイクロプラスチックと31億個の「ナノプラスチック」がカップ内に放出されると発表した。

粒子が小さければ小さいほど、簡単に体内の臓器に入り込める。

紙製のティーバッグは破れやすいため、業界は数年前にプラスチック素材の層をティーバッグに重ねることになった。

つまり、業界はティーバッグには気を配るが、消費者のことは気にしていないということだ。

ふだん利用しているティーバッグ、大量の微粒プラスチックが放出しているのだそうです。

さらにはナイロンなどだけでなく紙製のものからも出ているという話ですから驚きでした。

 

たしかに、紙コップやミルクカートン、耐油紙といった水や油に強い紙というものは、フィルム材のコーティングなどがされているわけですから、そりゃそうかと納得しました。

gigazine.net

欧州連合EU)は、2021年までに使い捨てプラスチック製品の禁止を施行する。

興味深いことに、EUはプラスチックコーティングした紙は例外とした。

カナダも最近、同じような禁止令を実施する意思を表明しており、おそらく同様の例外扱いを認めるだろう。

これは製紙業界のロビー活動の成功であり、環境にとっての成功ではない。

プラ禁止を進めている地域でも、コーティングに使われているプラは例外扱いされている現状があるそうです。

エコとうたわれているものがエコじゃない件

www.nishinippon.co.jp

洗剤を使わずに済むから環境にやさしいと売り出されているアクリルたわしも、実はマイクロプラスチックを生み出しています。

天然素材でつくられたセルローススポンジに、環境配慮された洗剤を使う方が実はダメージが少ないのだそうです。 

 

プラスチックの有害性について

次に読んだ本では、プラスチックの有害性などを知っていきました。

旦那さんの体調不良を機に、プラスチック製品に含まれる内分泌攪乱物質(環境ホルモン)などの存在を知り、生まれる赤ちゃんのために身のまわりの持ち物を見直していった経験がまとめられています。

内分泌かく乱物質ってなんですか?(公益財団法人 日本学校保健会)

ideasforgood.jp

個人的によりわかりやすくて、まとめやすかった以下の本を中心にこの記事を書いていますが、各材質ごとの特徴や危険性は「プラスチック・フリー生活」の方がわかりやすく表でまとめられています。

元祖プラスチック「ベークライト」の原材料

1907年、ベルギー生まれの米国人の化学者レオ・ベークランドが「ベークライト」を開発した。

合成素材でできた最初のプラスチックだ。

ベークライトには、ホルムアルデヒドアスベスト、極めて有毒なポリマーが含まれている。

今日ではベークライトは「サイレントキラー」(無言の殺人者)と考えられ、取り除く必要がある。

そして、禁止後何十年も経った今でも、特別な処理施設に持ち込まれている。

実際のところ、現代のプラスチックに伴う危険性はほとんど分かっていない。

プラスチック業界には、戦略的優位性をもたらす添加剤の使用に関する機密事項が山のようにある。

100年以上前にレオ・ベークランドが行った貢献と同様、イノベーションがもたらす長期的な影響についてのどんな懸念よりも、今日の使い勝手の方が大事なのだ。

ベークライトは別名フェノール樹脂と呼ばれ、フェノールとホルムアルデヒドを原料につくられた世界初の人工プラスチックです。

添加剤にアスベストが使われているものもあり、それが鍋の取っ手などに使われていたそうです。

 

現代ではホルムアルデヒドは有害物質として制限が定められており、アスベストに至っては原則禁止されていて、フェノールからも脱却の動きが強まっています。 

ベークライト

家電製品も早くからアスベスト汚染 - 藤森照幸的「心」(アスベスト被害者石州街道わび住い)

5 ホルムアルデヒドとはどんな物質ですか 東京都福祉保健局

アスベスト(石綿)に関するQ&A |厚生労働省

プラスチックの添加剤について考えたことありませんでした

プラスチックには、柔らかくするための可塑剤や寿命を延ばすための紫外線吸収剤など、ほかの化学添加剤も含まれている。プラスチック業界は、フッ素や塩素や臭素といったハロゲン、リン酸エステル、アンモニウムやホウ素や硫黄の化合物、それから重金属の水銀やスズ、鉛、さらにはヒ素さえ使用している。
含有量はたいてい1%未満であり、情報開示の必要がない。

しかしこのことが根本的に意味しているのは、「私たちは、健康リスクに関して何の知識も理解もないままに、化学物質の”カクテル”を消費している」ということだ。

プラスチック製造の際、さまざまな添加剤が使用されているそうです。

化粧品なら全成分表示が定められているため、防腐剤や紫外線吸収剤など何が使われているかを確認することができますし、実際私は宇津木さんの本を読んで以来、成分表示を見て買う商品を決めています。

しかし、プラスチック製品の品質表示には原料樹脂が書かれているだけで、その過程で何が使われているかを知るよしがほとんどありません。

プラスチックの多くには、使い勝手を良くするために毒性が強い添加剤が使われている。

例えば、プラスチックのおもちゃには、子供たちの安全性を考えて難燃剤が含まれている場合がある。

柔らかくするために可塑剤としてフタル酸エステルが入っているプラスチックもある。

プラスチックの寿命を延ばすための紫外線吸収剤もある。

ビスフェノールAは、長い法廷闘争の後に禁止されたが、いまだに海を漂う古いプラスチックの中に存在している。

こうした添加剤の多くは企業秘密として認められ、情報を開示する必要がない。

つまり、どのような健康リスクがあるのか、何の知識も理解もなしに、私たちは化学物質の”カクテル”を消費しているのだ。

BPAフリーってたまに見かけるけど…

BPAビスフェノールA)」というのは、ポリカーボネートやエポキシ樹脂の原料、缶詰の内側やレシートなど感熱紙のコーティングなどに使われているものです。

生殖機能障害や二型糖尿病、甲状腺疾患など人体に影響をおよぼす危険性があるとされています。

news.yahoo.co.jp

フランスでは、内分泌かく乱物質として食品に関わるものは厳しく禁止されていますが、アメリカでは警告の明記、日本では制限といった程度にとどまっているようです。

ビスフェノールA|国税庁

 

危険性については以前から取り上げられているため、「BPAフリー」 と売り出している商品が多く存在していますが、実は「BPA」の代替物として、同じく環境ホルモンであると考えられている「BSP(ビスフェノールS)」が使われていている可能性もあるのだそうです。

BPAフリー」だからといって安心というわけではなさそうですね。

blog.goo.ne.jp

ちなみに日本人の「BPS」摂取量は世界中でもトップクラスなのだそうです。

www.sustainablebrands.jp

アメリカでは「BPA」「BPS」を使わない「フェノールフリー」のレシートへ転換の動きが促進され、日本でもリコーが「フェノールフリー」の感熱紙を発売することが決まっています。

安全性を高めた感熱紙を2021年春に国内で発売 | リコーグループ 企業・IR | リコー

個人的には電子レシートが一般的になってほしいですけどね…。

全国の経理個人事業主が楽になると思うのですが…。

親和していない添加剤、漏れ出す有害化学物質、呼び寄せる石油

問題は、このような添加剤のほとんどが不活性であることだ。

プラスチックと科学的な結びつきはないということである。

プラスチックはガスを放出して分解する。

その時に、こうした化学物質は容易に環境(私たちが吸い込む空気、床のほこり、私たちが飲む水)の中に移動し、そこで蓄積する。

有毒化学物質は、環境中のあらゆる場所で見つかっているあのマイクロプラスチックにも含まれている。
有毒な難燃剤は、人間の母乳や魚から見つかることもある。こうした化学物質は劣化するようにつくられていないため、その量が激増していることが研究から分かっている。いくつかの報告書によると、有毒物質の濃度は2~5年ごとに倍増しているという。

プラスチックは簡単にいえば、炭素や水素といった分子が手を繋ぎ合って存在しています。

けど添加剤はきちんと手を握れていないから、すぐどっか行っちゃうよってことですね。

そしてムダに頑丈なので、よそ行ってばらまいちゃうよ!って話のようです。  

 

さらにプラスチックは、石油に汚染物質が吸着していくため、海水中の有害な化学物質も集めて濃縮していくのだそうです。

それを食べた魚を人間が食べているということはつまり…。

危ないものは避けたいですよねという話 

プラスチック業界は、難燃剤の使用を規制しようとするあらゆる試みに抵抗し、政治家に解決不可能な二者択一を突き付ける。

「火事で死ぬのとがんで死ぬのと、どっちがいいのか?」と。

意識と責任をもって設計と生産を始めれば、こんなジレンマは存在しない。

時に長期的な手に負えない問題は後回しにされがちです。 

プラスチックにはたくさんの有毒成分が含まれていることが分かっている。

まだ分かっていないのは、そうした有害物質を摂取することが私たちの健康にどのような影響を及ぼすか、である。

現在の科学では、まだ極小の粒子を調べることができないからだ。

現時点で分かっている有毒性もありますが、まだまだ解明されていないこともあります。

元祖プラスチックのベークライトも、後から有害性についてわかっていったように、現在使っているプラスチックも未知数です。

 

ただ「明らかに問題は起きているし、わかっているだけでも危険性のリスクが高く、不透明な部分の多いものは深入りせず、避けた方がいいですよね」というのが「プラスチック・フリー生活」「海と地域を蘇らせる プラスチック「革命」」ともに共通した考え方でした。

実はほとんどリサイクルできてない問題

日本では1995年に制定、2008年に一部改正された「容器包装リサイクル法」というものがあります。

 

しかし実態は容器包装の定義はまちまちでわかりにくく、プラ容器の多くは燃やされているというものでした。

 

ただでさえ容器包装プラスチックしか対象となっておらず、製品プラスチックには規制がないうえに、リサイクルされていると思っていた容器包装も実は多くが燃やされているだけってなかなか衝撃でした。 

日本のプラスチックごみのリサイクルの内訳 

日本のプラスチックごみのリサイクルの内訳は、本によると以下のとおりなのだそうです。

  • マテリアルリサイクル 23.4%物理的再資源化
  • ケミカルリサイクル  4.4%化学処理再資源化
  • サーマルリサイクル  58%焼却エネルギー利用

「熱回収」とも訳される「サーマルリサイクル」は、プラスチックごみを燃やして、そのときに発生したエネルギーを温水プールや火力発電などに利用するというもの。

技術で抑えられるようにはなっているようですが、燃やすのでCO2やダイオキシンの発生は生じます。

 

つまり再資源化しているのは「マテリアルリサイクル」「ケミカルリサイクル」の27.8%に過ぎないということですね。

forbesjapan.com

ちなみに「マテリアルリサイクル」が一般的なイメージのリサイクルですが、この方法だとどうしても「ダウンサイクル」といって品質は劣化してしまうので、永続的ではないのだそうです。

そして「ケミカルリサイクル」というのは1度分子に分解してから再生成するので、何度でも再生できるものですが、大きなコストがかかるのでまだまだ実用的ではないことを4.4%という数字が物語っています。

生分解性やバイオマスプラスチックだからいいという話ではない 

環境によいエコ製品使っていれば、扱いは気にしなくても大丈夫って話はありません。

ちゃんと分解するためには、各素材ごとに条件があるし、それなりに時間も必要とします。

earth-defense.online

生分解性プラスチック

多くの商品が、その包材が「生分解性」だと誇らしげに謳っている。

その意味するところは、その素材は土中で微生物の作用で分解されるということだ。

しかし、その同じ素材が水中に入ってしまったら、何百年もの間分解されない。

「生分解性」の意味するところは、「土壌中のバクテリアの力で、または、工業的な堆肥化設備の中で、分子が分解されるように設計されている」ということでしかない。

100%生分解性の製品であったとしても、多くはあくまで土中の微生物が分解するだけの話で、環境が変われば分解はされません。

バイオマスプラスチック

バイオマスは、再生可能な生物由来のものを指します。

植物が原料だから、地上の二酸化炭素の増減に影響を持たない「カーボンニュートラル」性質でよいとされていますが、いまいちピンと来ませんでした…。

 

もちろん石油由来じゃないということに意味はあると思うんですけど、そもそも石油由来のプラスチックや添加剤と混合も多く、生分解性を持たないものもあります。

何%配合という時点で、行く末は石油由来のプラスチックとなんら変わりないと感じます。

バイオプラスチック

生分解性プラスチックバイオマスプラスチックの総称をバイオプラスチックと呼びます。

 

たとえばトウモロコシなどを原料につくられるポリ乳酸からできたバイオプラスチックは、最終的には二酸化炭素と水になるそうです。

しかし生分解されるということは長持ちしないということも意味します。

また環境によって生息する微生物が異なるため、分解速度も変わってきますし、ポリ乳酸は高温多湿で分解されますが、土や水の中では分解されにくい性質を持ちます。

natgeo.nikkeibp.co.jp

酸化型生分解性プラスチック

「酸化型生分解性プラスチック」は太陽の光や熱で分解されるというものですが、添加剤で細分化しているにすぎず、生分解性ではないのでマイクロプラスチックとしての長期残留が懸念されています。

rief-jp.org

自治体によって異なるプラスチックごみの扱い

  • 世田谷区では「ペットボトル」のみでプラスチック類は可燃ごみ
  • 港区では「ペットボトル」「資源プラスチック」
  • さいたま市では「ペットボトル」「食品包装プラスチック」
  • 横浜市では「ペットボトル」「プラスチック製容器包装」
  • 千葉市で通常回収は「ペットボトル」のみ、「製品プラスチックの拠点回収(10品目のPP・PE製品)」
  • 名古屋市では「ペットボトル」「プラスチック製容器包装」
  • 大阪市では「ペットボトル」「容器包装プラスチック」
  • 福岡市では「ペットボトル」のみでプラスチック類は燃えるごみ

このように、大きな都市でも分別の仕方はばらけてきます。

容器包装以外のプラに取り組んでいる港区のようなところもあれば、そもそもプラごみを分別していないところもありますね。

 

ゼロ・ウェイスト(はじめからごみを出さないようにする取り組み)に力を入れている徳島・上勝町では13種類45分別しており、プラスチックだけでも「ペットボトル」「白トレイ」「プラスチック製容器包装」「プラスチック製のキャップ」「洗剤詰替パウチ」「歯ブラシ」「その他のプラスチック」と分別されているようです。

zwtk.jp

分別収集する自治体の負担が大きすぎている 

容器包装ごみを分別収集するために、不純物を取り除き、運びやすいように圧縮して一定量保管する必要があります。

それを全国自治体で年間約2,500億円かけて対応したのに対し、生み出す側の企業が負担した委託金はたった約380億円のみにすぎなかったそうです。

容器包装リサイクル法、ここが間違っている!

自治体、容器ごみ分別費2500億円 10年度推計 企業と格差: 日本経済新聞

 

どういうことかというと現在、容器包装を製造・利用・販売している企業は、リサイクル取りまとめる協会に委託金支払うという仕組みになっています。

消費者がごみを分別し、自治体が収集・選別してリサイクル業者に引き渡します。

リサイクル業者には協会からリサイクル費用支払われるのですが、企業は製品全体ではなくリサイクルされた量に対してしか支払い義務がありません。

中には関係しているのに負担金を支払ってすらいない企業も相当数存在するそうです。

 

つまり企業は生み出した製品全体の責任をそこまでリアルに背負っていないし、あぶれた分はリサイクルもされず、その処分費はただのごみとして自治体が負っている、というのが現状なのだそうです。

大手ブランドはそのようなことはもうやめたと主張するが、これまでに添加してきたマイクロプラスチックは今や海洋中に散らばっている。

汚染を取り除くには多額の費用がかかる。

この最悪の事態を引き起こした企業が、真っ先にクリーンアップの責任を負うべきである。

それが真の拡大生産者責任だ。

散らかすのをやめるだけでは、とても十分とはいえない。

先述の上勝町では、ライオンや花王なども関わっていますが、あくまで一部拠点の話でしかなさそうです。

www.lion.co.jp

花王 | ユニリーバ・ジャパン、花王が協働回収プログラム 「みんなでボトルリサイクルプロジェクト」を開始

プラスチック製品、ならびにプラ容器包装を使用した製品を生産・販売する企業は、リサイクルしやすい製品を企画・設計する。製品が廃棄されたあとは、回収して再生し、再び市場に送り出す。
消費者は、使い捨て生活を見直すと共に、プラごみはリサイクルしやすいよう、汚れを取り除いて分別する。

負担が大きく自治体に偏っていますが、どこかに無理が押しつけられたものはいずれ破綻してしまうというものです。

生産者ならびに消費者ともに意識を変えていく必要がありますね。

 

ふだん無料で回収してもらえるから忘れてしまいがちですが、ごみ処理は自治体のお仕事として、税金からまかなわれています。

粗大ごみを出すとき、「なんで捨てるのにお金を払わなきゃいけないんだよ」と思ってしまうこともありますが、そもそも処分するのにはお金や労力がかかるものだということを忘れてはいけないですね。

今の仕組みのままじゃリサイクルはほぼ無理ゲーじゃん

材質の違うプラスチックは、一緒にリサイクルできない。

簡単にいえば、空っぽの容器を一つ間違ったリサイクルボックスに入れるだけで、すべてのリサイクルの努力が水泡に帰すということだ。

現状で、リサイクルが本当にうまくいっているのは、高密度ポリエチレンHDPE)とポリプロピレン(PP)の2種類だけだ。

この2種類の再生プラにはバージン材にほぼ負けない力がある。

また、理論的にはリサイクルできるが経済的ではなく、プラスチックの材質を表す評判の悪い三角形の識別マークが付いているというのにリサイクルをされていないプラスチックもある。

 

多くのプラスチック製品は、異なる種類のプラスチックや金属、さらには紙まで含んだ様々な層でできていて、分離不可能な混ざりものになっている。

エンジニアは、大量生産しやすくするために複数のものをくっ付けるのは得意だが、くっ付けたものをもう一度バラバラに戻す方法は誰も知らないのだ。

そもそもプラスチックを再資源化するにしても、同一素材のものを多量に集める必要があるのだそうです。

プラスチックと容器包装のリサイクルデータ集

プラスチックといっても「ポリプロピレン」「ポリエチレン」「ポリエステル」などさまざまな種類の素材が存在しているわけで、そりゃそうですよね。

私は仕事で知りましたが、よっぽど興味をもっていなきゃ「ハイデン(HDPE)」「ローデン(LDPE)」とか知らなくてもおかしくないと思います。

 

これらをひとえにプラスチックごみとしてまとめて出している時点で無理があるってものだと感じました。

 

容器包装とか製品プラという考え方にこだわらず、純粋に材質で「ポリエチレンごみ」「ポリプロピレンごみ」と分けるんじゃダメなの?そしたら品質表示見て分別するだけですし、たった1つのルールとして「汚れていたら洗うこと」だけ設ければいいだけの話では…と思ってしまいますが…。

複合品捨てても純粋に単一品の回収率は今より上がりそうだし、その方がリサイクルもしやすそうですけどね。

まぁ実際にやるとしたらいろいろ障害はあるでしょうし、これは実情を理解していない人間の単なるぼやきにすぎませんのであしからず。

現在の外国の取り組み事情 

図解でわかる 14歳からのプラスチックと環境問題」で紹介されていた海外の事例の一部です。

レジ袋の禁止や課税・有料化

2002年、バングラデシュは世界で初めてポリ袋を禁止した国となった。

いつも決まったようにこの国を襲う壊滅的な洪水の最中に、ポリ袋が排水設備を詰まらせていると分かったことを受けてだ。

それ以降、中国やインド、ジョージア、コロンビアのほか、ルワンダジンバブエをはじめとする30ほどのアフリカ諸国など、世界で140カ国以上がプラスチックへの課税や部分的な禁止を施行している。

韓国は2019年、先進国として初めて、ほとんどのポリ袋を禁止する法律を施行した。

世界は既に60カ国以上でレジ袋に禁止を含めた規制が導入されている

アフリカやオーストラリアなどは、ごみ処理場の整備が不十分なことから、そもそものごみのもとをつくらないという判断のよう。

プレシャスプラスチック

ciclo.jp

プラごみを集めて手加工し、オシャレなカラフルタイルや小物などにアップサイクル(価値を高めるリサイクル)する取り組みです。

オランダ人が個人で始めたもので、方法はすべて無料公開しており、賛同した人たちが自由に参入できるようになっています。

www.jeef.or.jp

ドイツのデポジット制ペットボトル回収

lessplasticlife.com

ドイツではペットボトルを購入するときに、少額の預かり金を支払います。

これは回収機に空のボトルを返却すると、預かり金が戻ってくる仕組みになっており、みんなお金は戻ってきてほしいからポイ捨てしないというわけですね。

アルミのごみには価値がある。

そのリサイクルで生計を立てている人々がいるのだ。

それに対して、プラスチックごみには全く価値がない。

だから、プラスチックは環境や海洋、そして私たちの命と暮らしを汚染しているのだ。

プラスチック問題のソリューションは、プラスチックごみに価値を見いだすことから始めなければならない。

 まさに、ごみに価値を創出した好例ですね。

廃プラで高速道路建設

newsphere.jp

インドやイギリスなどでは、プラごみや廃タイヤなどを使って道路をつくっているのだそうです。

食べられるプラスチック!?

toyokeizai.net

インドネシアのEvowareがつくった代替製品は海藻でつくられていて、食べたり温水で溶かしたりすることができるのだそうです。

どんなものなのか実際に見てみたいですね。

プラゼロは難しいけど割合を減らすことはできる

「病院が、使い捨てのプラスチック製品を使わずに、問題なく衛生管理をする」というのは想像しづらい。

プラスチック抜きに、軽量化で燃費を改善した自動車や航空機を考えられるだろうか。

プラスチックには、優れた性能があるのだ。

問題は、たいていプラスチック製品を極めて短い間だけ使った後に捨ててしまい、広い範囲にわたって汚染を引き起こしているという点だ。

 

毎日の暮らしの中でせいぜい1時間もあれば飲み終わって不要になるというのに、分解するまでに何百年もかかるような水のペットボトルを使うことを、一体どうして許せたのだろうか。

世界全体で、毎秒2万本のペットボトルが新たに生産されている。

私たちが20分ぐらいしか使わない包装材が分解されるまでには、400年かかるというのだ。

元々、木という素材が好きだったり、節約のためにマイボトルやエコバッグを使う人ではありましたが、プラスチック製品がここまでリスクの高いものだと知ったことで、この先の考えを改めなくてはいけないなと思いました。

 

正直プラスチックは便利なものが多く、ゼロにすることはほぼ不可能なくらい身のまわりにいっぱいあります。

しかし、引き換えの代償があまりにも大きすぎると感じ、そのとき買おうとしていたものや定番の購入品は一旦保留して、全部イチから検討し直したりしました。

とりあえず自分の健康のため、少しずつ割合を変えていきたいという考えです。

 

今回の記事はあくまで入門編的なものとして、知ったうえでどう生活に反映させていくかや、ほかに学んだことについては今後別に書いていければと考えています。

参考文献

ごみ処分の基礎を知るのにピッタリです。

プラスチックの基礎を学ぶのにとても適した本です。

どうやってつくられているのか、仕組みや歴史を一気に知ることができます。

各プラスチックの材質ごとにまとめられた特徴がわかりやすく、日々の生活でプラスチックを使わずに済ませる方法がまとめられています。

あくまでゼロにすることは難しいという現実のもと、少しずつできることをしていこうという考え方がベースとなっています。

起業家視点で「ビジネスができること」や「現在の取り組み」について書かれています。

個人的に1番考え方が似ていて、すでに現在進行形で現実的に取り組んでいる方がおられることが嬉しかったし、とてもタメになる本でした。

「私はどうしたい?」不必要に消耗しないための「視界・焦点」や「鈍感力」の話など。【五月病は5月のうちに解決しちゃいたい】

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公開に勇気いる記事の前には軽いの挟みがち。しえるです。

 

何かちょっとしたモヤモヤがあるとき、気もそぞろになってしまい、いろんなものが中途半端になっていくことがあります。

そういう状態になってしまうと、あれもしなきゃ、これもしなきゃ…と焦っているわりに何も進んでいない、その場でぐるぐる回ってるだけになってしまい、ちゃんとやったとしても「できた感」が少なめで、罪悪感のようなものすら感じることさえあり、悪循環まっしぐらです。

それが蓄積してくると、ますます精神的な余裕も削られがちになってしまいます。

 

ここ最近はそんな心の揺れを抱えて過ごしていたのですが、いいかげん今月中にどうにか解消したいなと思って考えていることをぼやいてみました。

何日前から書き続けているんだろう?という、自分の中でモヤついていた思考整理の吐きだしとなっており、うちのブログにしてはちょっと毒が強い言葉を発しているかもしれないことを、最初にお断りしておきます。

「私はどうしたい?」不必要に消耗しないための「視界・焦点」や「鈍感力」の話など。【五月病は5月のうちに解決しちゃいたい】

基本姿勢:「失敗」じゃなくて「下手こいた」だけ

失敗したことがないわけではない。

「下手こいたなぁ」と思うことはそれなりにあるが、今振り返ると「失敗」として残っている記憶はない。

そのときは深刻に思えたことも、今ではディテールも思い出せないほどに些末な出来事となっている。

たとえ思い出せたとして、「その1回をやり直すチャンス」が与えられたとしても、その先のどこか別のところでコケることまでは避けられない。

それなら、「失敗」をいちいち律儀にカウントせず、行きついた先で、過去のすべてを正当化してしまえばいい。

東海オンエアリーダーのてつやくんが著書「天才の根源」でこう書いているのですが、これはまさに私がめざしている考え方そのものでした。

 

と言うのもいざ行動してみたら、失敗はそこで止まらなければ失敗とはならないと気づき、そういう考え方に徐々に変わっていきました。

まだ消化しきれていない部分はあるものの、当時あれだけ深刻に感じていたものが思い出せないほどに些末なものに変わるという感覚がわかるようになってきたのです。

 

それに伴い、昔の自分はずっと過去のことばかり振り返ったり、未来に不安を感じてよく落ち込んだりしていましたが、最近は今か直近のことしか考えないことがほとんどです。

きっと今に「焦点」をあてるって、こういうことなのかなと思います。

 

ただし、思い出せない過去のできごとというものには2種類あると感じています。

1つは自分の中で清算できてどうでもよくなったこと。

もう1つはつらすぎて記憶を封印して追いやったつもりだけど、実は心の奥底にまだ残っているもの。

 

今回は、そんな過去を1つずつ清算していきながら「視界」や「焦点」を変えてきた過程のお話を中心につぶやいていきます。

親友と話していて…

実は少し前に、友人に会ったときに気分が若干落ち込んでいたんです。

 

その子は中学から一緒の長い付き合いで、1番自分がありのままでいられる大好きな親友ですが、クラスは一緒になったことがなくて、部活や塾は同じだったけどパートはバラバラ、塾のクラスは途中で追いついた形、高校も別々、一時はまったく会わない期間も何年かあったりしました。

それでも今、1番一緒に過ごす時間の長い大切な友達です。

「無」か「負」ばかりだった10代の頃の唯一の願い 

軽い学級崩壊から始まった10代は、「無」もしくは「負」の感情が多くを占めており、自分があってもなくても上手くいかなくて何が正解かわからないという気持ちで、そんな私の唯一の願いは「普通になって、目立たぬ存在として埋もれて消えたい」でした。

だから何もしなかったし、大半の人が怖かったし、自分はモブだと思っているから、相手が自分のことを憶えているだけで驚いていたものです。

 

そんな私にとっては、心を許せる友達と過ごす時間があったから今生きているようなレベルなので、本当に大切な存在です。

活発でおもしろい、魅力的な周りの友達に憧れ、圧倒され、引け目を感じるだけだった

てっちゃんが冒頭でこのように話していて、めちゃくちゃ共感しかなかったのですが、すごくて大好きな子ばかりだったからこそ、コンプレックスも強く感じており、何人かはそれで関係を失ってしまったと思います。

 

久しぶりにそんな中学時代の話をして、こんなに見える世界が違ったのかと驚きました。

「学校」の中で苦しんだ10代の記憶はおぼろげです 

私にとってつらい学校生活だったのは、大多数の圧に負けて自我を失って、相手を同じ人間として見ていなかったからだと今ならわかりますが、当時は中学校という狭い世界に生きていたので、まったくわかりませんでした。

 

何度も何度も何度も何度も苦しんで苛まれて、つらさや後悔を味わいきったので、今ではもう大半は断片的にしか覚えていませんが、私が見てきた世界は殺伐としていて、裏の顔や裏切り、いじめの連鎖などが数々あって、とてもピリついたものでした。

 

でもその子にとっては、クラスにも部活にもよい思い出があり、私よりもずっと先輩や後輩のことを憶えています。

そんな視界の差に、なんだか愕然とした気持ちになってしまいました。

 

吹奏楽部だったのですが、大好きな友達はみんな金管楽器で、ほのぼのした空間が居心地よくて入り浸っていたのですが、部長・副部長がそろっていて先輩の壁が厚い木管はピリピリしてとても息苦しいもので、最後の演奏会は逃げて中国旅行してました。

それだけしんどかったのだと思いますが、今考えるとなかなかぶっ飛んでますね!

 

そんなだったから私にとって中学時代は、個性豊かな先生と友達と共に過ごした面白い塾の記憶しかなく、学校の記憶は本当におぼろげで、手で数えられる程度しか残っていません。

残った記憶のだいたいは楽しかったものですが、中には誰にも言ったことない嫌なできごともまだ少しだけ残っています。

心の奥に抱えたものを話すのって勇気とか信頼が必要 

でもそんな私にとっては地獄だった世界を平穏に過ごせていて、頭がよくて、所作が美しくて、歌が上手くて、几帳面で心優しい、尊敬しかない友達が、高校で私と同じようなトラウマを抱えていたことを知って驚きましたし、よく話してくれたなと思います。

 

私は「着ぐるみの力士のような子にブスと言われて唖然とした」くらいの話は冗談のように話したことはありますが、ガチトラウマは親に話したかどうかくらいのレベルで、誰かにほぼほぼ話したことがありません。 

本当につらいことって、なかなか人に言えないものではないでしょうか。

 

そこまで考えたとき、もしかしたらいつか機会があれば、その友達にだけは話すことがあるかもしれないなと自然に思えました。

境界線の見極めって大事 

私は結構オープンになんでも話すほうですが、それは本当に話したくないものを抱えているからであり、自分から話さないことをしつこく聞いてくる相手には嫌悪感を覚えます。

 

1個上の同級生が「年齢は先輩だからな」と年長者を前面に出して、皆の悩みを根ほり葉ほり聞き回って、挙句の果てに「重すぎる…」と言ってさじを投げる姿を見て、その思いは一層強くなったし、年齢は関係ないと思うようになった気がします。

人それぞれ違う「視野・視界」

私は先のような経験を重ねて、すべては「視野の狭さ」から起こっているのだと思うようになりました。

 

最初は自分の視野がめちゃめちゃ狭すぎて、至る所で問題が起きていました。

 

そのため、少しずつ視野を広げていったのですが、そうしているうちに「その次の話してるんだけどなぁ…」とか「そうじゃない世界で生きてきたんだけどなぁ…」と思うことが増え、齟齬が生じるようになっていきました。

 

ずっと1つの学校や会社にいる人には転校・転職してきた人の気持ちはわからないし、移ってきた側の人は長年同じところで過ごしてきた人たちの感覚はわかりません。

ずっと同じ場所にいればそこに詳しくなるけど、転々としてきた人は詳しくない代わりに別の世界観を知っています。

規模感や首長のよしあしなどによって、環境はいくらでも変わります。

 

得意な人は不得意な人の気持ちがわからないし、不得意な人は得意な人の考えが想像できません。

でも不得意を努力で乗り越えて得意になった人はきっと見える世界が広がるし、もしかしたら人に教えるのも上手くなるかもしれません。

前提条件の差 

これまで「人はみな違う」とか「失敗するのは当たり前」と言いながら、自分の感覚や考え方を押しつけられることがしょっちゅうありました。

なんでかな?と考えてみたとき、私は基本「自分の視野が狭い」を前提にして話しているのですが、絡まれるときは「相手より自分の方が視野が広い」というていで話してくる人が多かったように感じます。

 

だから年齢や学力、国籍などの違いで相手を軽視してしまうことが起こるし、「学校」「会社」「業界」「業種」「チーム」「バイト」「一般職」「総合職」「管理職」「家族」「町」「市」「都道府県」「国」「地域」「世界」「宇宙」「動物」「植物」「趣味趣向」といった大前提の視野がすれ違っていることを見落としているために、話が平行線になったり、相手を思いやらずに責めたり侵害したりしてしまうのではないでしょうか。

 

そして同じ視野内だったとしてもどこに「焦点」を当てているかで、また見える世界は変わってきます。

そもそも人によっては「視野」か「視界」かから違うかもしれません。

  • 「視野」…目を動かさずに見える範囲
  • 「視界」…一点から見通すことのできる範囲

同じ場所でもぐるりと見渡せば、見える景色は違ってきます。

 

気を抜くと視野が偏ってしまうので、定期的に周りを見渡すようにしており、このような考えのもとに、知らない視野を知るため、私の知りたい病は発動しています。

「みんな違って、みんなどうでもいい」

私はインプットを重ねることで自分軸を形成できるようになったので、自分にはわからない感覚でも「そういう世界や考え方があるのか」と知るのは私にとって見識を広げる面白い話題です。

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自分軸が形成できてきた今は基本的により自分を知ることに集中しているので、興味がわいたときに飛び込むだけであり、情報を得たいときは信用のおけそうな人や公式情報を探しにいくような感じに落ち着いています。

 

つまり「焦点」は常に自分に合うように心がけているため、ふだんは誰かの意見や感想をまったく見に行かず、私にとってSNS類はすべて情報収集の場でしかなく、コメント欄は投稿者への感想かメモを書く場所であり、コメント欄の中での盛り上がりにはついていけません。

note.com

落合陽一さんのnoteにあった「みんな違ってみんなどうでもいい」は本当に共感します。

 

なにかしらの物事に対して最初に「私はどう思う?」があり、私がどう思うかわからないときに情報や意見を探しに行くという感覚で、ほかにエネルギーを裂く余裕はありません。

だからこのブログも「私はこう思った」という書き方に終始しています。

(もしそうでないときがあったとしたらついエゴが出てしまったかもしれませんごめんなさい。)

 

こう思えるようになったのはコツコツ経験値を重ねて、自分軸を築きあげてこれたからであって、それ以前の自分は「焦点」を他人にばかり合わせて見ていたから、おそらくそういうことなのだろうなと想像します。

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ただ揺らいでしまうときもあるんです

やりたいことを邪魔されたり、やりたくないことを強制されることが何より嫌いだ。

だからこそ僕は誰かのやり方や考えに口出ししたり、奪おうとは思わない。

てっちゃんのこの考え方にもすごく共感するし、私の基本的姿勢でもあります。

ただ、考え方を押しつけ続けられてしまうと疲れてしまったり、嫌な気分になったりしてしまいます。

今してる対策:SNSなどネガティブな発言などを見ないようにする

私はブログを更新するときに、よくはてなブックマークTwitterを活用しています。

 

Twitterだとフォローやリストなどを使い分けてタイムラインをコントロールすることはできますが、はてなブックマークでは表示される対象を選ぶことができないので、便利ではあるけど、いらない情報も表示されてしまうのが嫌で、最近ちょっと困っています。

 

匿名ダイアリーなどの見出しには「弱者」「売れ残り」「格差」といった言葉が飛び交っていたり、攻撃的な言葉が並んでいて、ちょっと弱っているときに見ると一気に心が揺らいでしまいます。

 

同じ理由で、すぐに他人を茶化したり比較したりするテレビの見る時間もだいぶ減りました。

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「こんなのも知らないの?」と自尊心を削るような切り口は、視界に入れる必要がありません。

つくる側も出演する側も感覚がまったく違うんだろうなぁと感じます。

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10~20代の約半数、ほぼテレビ見ず「衝撃的データ」:朝日新聞デジタル

「何を今更w」と一言だけ書いてブックマークしたら、スターが100超えてビックリしました。笑

前提として今の自分の生活は大好きです

私は現在、駆け出しのフリーランスの独身女性という立ち位置になります。

それに対して何も不満はないし、新しい生活を今までで1番楽しいとすら思っています。

 

久しぶりに人間関係に悩まされることなく、コロナもあって堂々と1人で過ごせるこの時間がたまらなく嬉しいし、この先そうじゃなくなっていくことを考えたら、今を満喫しない手はありません。

ずっと他人に「焦点」を合わせてきた自分にとって、「焦点」を思う存分自分に合わせる時間をいただいたという感覚です。

とにかくひたすら自分の快適を追求・構築したい一心で、日々過ごしています。

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コロナのニュースはもう大丈夫って話じゃない限り、大半は「自分ができるかぎり、かからないように行動する」という方針に影響がないのでほとんどスルーしています。

行動範囲や時間帯をたまにチェックするぐらいですね。

 

周りの目ではなく、自分がかかりたくないからいくらでも家にいるし、滅多に人に会わないし、予防に力を入れます。

それでも必要だから買い物に行くし、必要だから息抜きするし、必要だから外に出るので、それを勝手な偏見で不要不急と決めつけられて強制させられるのだけはまっぴらごめんだと思っています。(最近は特に対象の矛盾が著しくて余計に…)

コロナ禍でわかった、日本人が患う「管理されたい病」の重症度 | 情報戦の裏側 | ダイヤモンド・オンライン

少数派の恋愛観はあまり理解されない

別に恋愛が嫌いでも苦手でもないし、恋愛にのめり込むことに否定もしないし、人並みにキュンキュンすることもあります。

ただモテたいという気持ちがわからず、1人の大切な人がいればいいという感覚なので、他人から見れば、私の恋愛の順位はおそらく低いほうなのだと思います。

 

だから「こんなんで恋愛に結びついてしまうのか」という境界線がわからず、思っていたよりすぐそばに、そこらじゅうに散らばっているものだと気づくまで苦労しました。

性別も国籍も恋愛の重要度も人それぞれだと思うのですが、「種の保存」なんて話題になるくらいですから、なかなか理解されないものですね。

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ジュキヤくんの話はめっちゃわかるし、相馬さんみたいな反応されることはしょっちゅうです。

 

たしかに以前は焦ってしまった時期もありました。

それでも結局、いつだって自分は「一緒にいたい人がいないかぎり、結婚する必要性を感じない」という考えが一貫してあったことに気がつきました。

昔から「一緒にいたいかどうか」以外に一切の条件というものはなく、決めるのはすべて感覚でした。

 

こういう気構えでいられるようになったのは、すでに必要な人に出会えているという感覚を持っているのも大きいかもしれません。

籍を入れたいと思う人がいるから結婚するのであり、そのために生じる問題は都度解決していけばいいという考えで、時期じゃなければ放任します。

私の家族や近い親せきには口出しとか急かしてくる人がいないし、いとこたちは「結婚は無理してするもんじゃないからね~」と言ってくれるような環境で育ったので気楽でよかったです。

縁談とか知らない間に来てたらしいですが、私に通すことなくお断りしてくれていたらしくてGJだと思いました。

 

日本だと話を聞いていて、「結婚できない」「恋愛できない」という烙印のような感覚を持つ人は正直多いと感じますが、恋愛や結婚の優先度や必要性が低いから「しない」人は一定数いるものだと思います。

なんだかしなきゃいけない感みたいなものに振り回されたこともありますが、別にそんな必要はなかったんだと今では感じています。

 

私は思い返せば小さい頃から、遠い親戚が「女の子は好きでしょ」と近所の教会に連れてってくれても、まったく興味がわかなくてポカーンとしているような子でした。

結婚式やりたいという願望がまったくなく、結婚してる同僚からは周りのためにやるんだよと諭されましたが、ピンと来ていません…。

何でも恋愛に結び付けられるのがめんどくさくて仕方ないし、それが嫌で男性は恋愛対象として自分を見ないと感じた人とだけ遊んでいた時期もありました。

帰り際に振り返らずスタスタ帰ったことを怒られたことがあるのですが、一緒の時間を過ごしていることがすべてだと思っていた自分は、寂しい思いをさせてしまったことに全然気がつけなかったです。

そしてこういう女性もいるので、女性像を勝手に決めつけるのやめてくれ、だからそこらの恋愛話は興味がないんだとも思います。

 

そんな性格だから心理描写の丁寧な恋愛マンガとかは好きだけど、恋愛リアリティ―番組やカップルチャンネルはまったく興味がわかず、唯一たまに見るのが軍曹と歩兵という別居婚夫婦のチャンネルです。

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同居するなら阿佐ヶ谷姉妹みたいな感じがいいって共感します。笑

それでも揺れるときは揺れます

そんな自分でも、弱ったときにネガティブな言葉をずっと見てしまうと「自分もそんな目で見られているのかな…」と不安が湧き上がってしまったりします。

元々強い人ではないので、どんなに自分が納得して満足していても、傍から見れば独身で収入が安定しているわけでもなく、遊んでるような寂しい人と見られると思ってしまうと、やっぱりいい気はしません。

 

だからそんなときはネットから離れて、「自分でそんな言い方しない!自分に優しく!」と言い聞かせてメンタル回復に専念しています。

これからの対策:鈍感力を鍛えようと思いました

東海オンエアのてっちゃんを見ていて、メンバーやYouTuber仲間、視聴者などからあーだこーだ散々言われているにもかかわらず、その揺るがなさはどこから来るのだろう?と思ったとき、こんなことが書いてありました。

幾度となく逃げ切ることに成功してきた経験から言えるのだが、宿題は、なかったことにできる。

先生が「出しなさい」と言う数週間を乗り切れたら、日常が戻る。

この「風化」経験は、YouTuberになった今も意外に生きている。

大抵の「炎上」は、放っておけば絶対に鎮火する。

騒がれると、つい反論や弁明をしたくなる。

ただそういうときに何を言っても、文字通り「火に油を注ぐ」結果にしかなっていないケースをよく見かける。

騒ぎ立てる人の体力や興味というものは、永遠に続くものではない。

話題にするのが100人から10人になり、一人になり、火が消えたら、「ふぅ……今回もいなくなりましたね」と胸をなでおろせばいい。

すでにマイナスのことが起きてから後出しで行うことには、とてつもないハードルが生じるのだ。

それなら僕は、沈静するまでじっと耐えてやり過ごしたい。

しかしそもそも、やらかしたこと自体、実はどうでもいいってことはないでしょうか。

1年前の誰かの炎上とか、覚えているだろうか?

いずれは忘れ去られることのために、炎に飛び込むエネルギーを使う必要はないのではないかと、僕は思うのです。

あぁ、私はまじめに受け取りすぎていたのかもしれないと思いました。笑

窓の外の強風や雷の音は、家の中にいても気になってしまいますが、それが気にならないくらい夢中になるなにかをして過ごしていればいいってことですね、きっと!

「受け取らない」も有効だと感じたこの頃

たまに外で知らない人に変な絡まれ方をされることがあります。

 

たとえば電車とか店内で、私がいるの関係なしにカートでぐいぐい進んでこられることがあって、身を守るために荷物の位置を変えたら気に障ったようで、ずっとグチグチ言われ続けたことがあります。

そもそも食い込んで痛かったのは私なのに、なぜ責められなければならないのかよくわからないのですが、電車のときは一駅間の10分くらいずっと嫌な思いをしました。

 

でも店内で同じことが起きたとき、何か言われているのはわかっていたけど「私はこの言葉を受け取らない」と思って右から左へ受け流し、商品選びに集中したところ、ちょっとしたらその方は悪態をつきながらも去っていきました。

 

まさに「放っておけば絶対に鎮火する」「悪口は受け取らないと相手の元に戻る」、てっちゃんとお釈迦様の言うとおりでした。

「他人は変えられない」ということ

世の中には、自分の手で変えられるものと変えられないものがあります。

自分のことは変えられますが、他人を変えるのは困難です。

 

バタフライ効果」とか「風が吹けば桶屋が儲かる」といった言葉があるように、自分が何か一石を投じることで、歯車が動き出したり波紋を起こすことはあるかもしれません。

だからこんな考え方もありますよと「提示」して、こんな人もいるよというのが上手く伝わるといいなとは思うけど、それをどう受け取ってどう動くかはその先々しだいであり、どうしようもないことだとも認識しています。

 

なので私は基本的に「勇気を与えたい」というような考え方が苦手です。

その心意気は素晴らしいものだと思いますし、きっと勇気をもらって奮起した方もいらっしゃるのでしょうが、私は押しつけ感やおこがましさを感じてしまいます。

あくまで自分にできることは「提示」だけで、それに対する反応は相手に委ねられると思うからです。

自分の「視界」を変えられるのは自分だけ

どんなに相手が元気に暮らしているといいなぁと思っていても、何かあったときに自分ができることは本当に限られていると思います。

いくらでも話を聞くことはできるし、自分の考えを伝えることもできますが、そこからどうするかとか根本的な解決は本人にしかできません。

 

最近も、私が謎解きを好きになるきっかけとなった方が、SNSで生きる気力を失った発言が続いていて、とても悲しいし心配です。

でも遠い距離の自分は何があったかも知らないし、どうすることもできないのも知っています。

 

それは経験則として、差しのべられた手に気づけるかや乗り越えられるかどうかは自分次第であり、自分で「視界」や「焦点」を変えないと見えないと思うからです。

あるときはテレビのコーナーみたいに、誰か私のことを変身させてくれないかな~なんて思っていた時代もありましたが、自分が動かなければ物事はまったく動きませんでした。

伝える努力やできるかぎりの最善は尽くしたいと思っています

実は先の方には年の変わり目にメッセージを送っているんです。

そのときは自信喪失されているようなレベルだったのですが、久しぶりに見た姿は完全に悪化していて、やはり届いてなかったことを知りました。

ただそれでも自分にとって価値のある出会いと感じていることには変わりないし、後悔したくないので何かできることはないかと考えて、Twitterの報告機能を初めて利用してみました。

あとは無事を祈るばかりです。

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100%何かが悪いってない 

「相手の気持ちを考えて」とはよく言いますが、本当にみんなが相手の気持ちがわかるのなら、世の中にこんなに苦しむ人が多いのはなぜでしょうか?

 

差別やいじめに誹謗中傷、離婚や事件、ちょっとした嫌な気持ち、どれも相手が自分の気持ちがわからないから起こっていると思います。

それに対し、自分も相手の気持ちが理解できていないため、お互い様です。

 

これも結局「視野」の話ですね。

全部の「視野」を100%網羅するというのはおそらく不可能でしょう。

 

だから一方的に相手のせい100%にしてくる人とは離れたほうがいいということを学びました。

 

離婚したことについて「どれだけ相手が悪かったかを説明して、周りにはわかってもらったんだ~」と話している人とかいましたが、そういうところにお相手は疲れてしまったんだなと思いました。

その考えから私は、鬼を100%悪とする「鬼滅の刃」がどうも好きになれず、自分なりの善悪や正義についての答えを探す「呪術廻戦」の虎杖の方が好感が持てます。

 

炭治郎の家族をころしたのが鬼ではなく人だったら、炭治郎はどうしたのでしょうか?

そんなことを話したら「冷めてるね」と言われてしまいました…。

自分はマイナーだとようやく気づいた

最近ようやく理解したのですが、私の考え方は基本的におそらくマイナーです。

 

このブログで、東海オンエアリーダーのてっちゃん、ヒカルくん、ひろゆきさんなどの話題をよく取り上げていますが、私がこの面々の考え方に感じるのは「驚き」「憧れ」ではなく、ただひたすら「共感」が多いのです。

彼らは私の内心を体現している方々として参考にしています。

 

それに対する他メンバーやコラボ相手、視聴者さんなどの反応を見ていると、「おかしい」「普通じゃない」という言葉がよく飛び交うので、おそらく異質なのでしょう。

 

ただ、私は彼らと違って自我がとっても弱く、対人力がとてもへたくそで、自分の性質を理解するのに時間がかかりました。

 

そしてそんな自分が「普通になりたい」は不可能なことでした。

そりゃ苦しかったはずですよね。

僕、どんなに、重要なミーティングとかがあっても、仕事の予定よりも「睡眠」を優先したりするんですね。
そうしていると、まあ、いろいろなチャンスを失うことはあるんですけど、「そういう人とはうまくいかないものだ」と決めてきまいます。
自分ルールを決めると、僕のそういう面を「気にしない人たち」だけに囲まれて、かなり快適に生きていくことができるわけです。

生活サイクルの感覚

てっちゃんが何かの動画で「おいしいごはんを食べるのは好きだけど、集中しているときにおなかがすくのがめんどくさい。食事の時間はまとめたい」的な内容を話していたのですが、これを打ちながらおなかの鳴る自分に同じことを考えていたので「わかるー!!」とテンションが上がってしまいました。

案の定ほかのメンバーからは何言っているんだとツッコまれていましたが…。

毎日編集するのはキツイというのもめっちゃわかりますし、「てつやの毎日は2~3日だからなぁ」と言われていたのも、それそれ!となります。

 

ブログを書く日、校正をする日、本を読む日、モンハンする日、買い物に出かける日、ごはんを食べる日、お風呂に入る日、惰眠をむさぼる日…ってまとめて同じことに集中していたいのです。 

ブログを書いたり、本を読んでいる間、おなかは空かないでほしいのです。

そしてそれは、できるだけその日の気分でやることを決めたいのです。

 

そんな私にとって、てっちゃんが説教される回はいつも切ないです。。。

気持ちがわかりすぎるからこそ、どれだけ頑張っているかが想像つくし、よくハードスケジュールをこなしているなぁと心から尊敬します。

つい深掘りしちゃいますよね

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シルクくんのクリエイター目線で見るマンガの構成などについての話とかも似た感覚を持っています。

私は同じような感覚で、マンガやYouTubeを見ながら人の心の動きとか、どうしてこの行動を取ったのか?とかいくらでも考えていられます。

作者の描きたいものがあり、その中で勝手にキャラが動き出すのをまとめる系の作家さんのマンガが結構好きかもしれません。

そして全部、他のジャンルに転換していけるから、好きなのや興味がどんどん増えていっちゃうんですよね。

 

シルクくんのスマブラとか、てっちゃんのモンハンとか、忙しい中であれだけゲームも上手くなるのは本当にすごいなぁ…と思います。

私もゲームや切り返しにもうまく応用できるようになりたいなぁ…。

シルクロードがスマブラSPのアイアンマンチャレンジやったら完走できるのか!? - YouTube

【モンハンライズ】視聴者さんと狩ろうの会【概要欄必読】 - YouTube

好きな過ごし方をしようよってだけなのに…

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「食べたいものがバラバラ」「なじみの仲間内でのごはん」

この状況になったら私も行きたい店に分かれようって提案しちゃいます。

たまにしか会わない相手だったらすり寄せますけどね。

 

むしろ毎日同じメンツでごはんを食べに行き続けるというのができません。

たまになら行きますが、ずっとは無理です。

この動画は面白要素のためだとは思いますが、実際ちゃんとみんなのこと好きなんだけど、こうやって責められてしまうんですよね。

時間感覚の違い

私はよい印象を持った相手に対しては、どれだけ会った回数が少なくても、どれだけ会っていない期間があっても、この先会う機会がないかもしれないとなってしまっても、私にとっては友達だという感覚は変わりません。

会わない間もずっと好きなままだし、よい思い出は残り続けるし、元気にやっているといいなぁと思っていて、機会があればごはんにでも行きたいよねって感覚です。

ただ、電話とかLINEは基本的に用がなければ全然しません。

 

この感覚をわかち合える人は少なく、数年越しに声かけると相手に驚かれる経験などを経て、これは人と違うのだと気がつきました。

 

長期間放置するなんて冷めてるととられたりするのですが、こちらの感覚はたった数カ月や数年で関係なかったことにしてくるほうが冷たくない?と思っています。

「好き好き!」と相手から来ていたのに、いつの間にか無視されるようになってるのとか結構寂しいものですよ。

 

こんな私の友達は必然的に、間がどれだけ空いても変わらない関係でいてくれる人たちばかりです。 

そうやって自分と感覚の合う人間関係を築いていけばいいのだと思っているので、無理して誰かと出会おうという考えはなくなりました。

「視界」調整ってむずかしいけど、こうかはばつぐんだ

先日、久しぶりに会った別の友人と話していて、自分にビックリしたことがありました。

1年前に自分の家で会ったことをまったく覚えていなかったのです。

 

なんでかな?と考えてみたところ、ちょっと刺さった小骨のような言葉があったことを思い出しました。

「失業手当、楽でいいね」的なことを言われて、それまでの苦労とか、これからの不安とかがないがしろにされた気分になって、しばらくじわじわと落ち込んでいたのです。

 

ただそこで以前の自分と違うのは、とことん落ち込んだあと、フラットな状態に戻れるようになったという点です。

会ったことすら忘れてしまったのはさすがに忘れすぎたなと思いましたが、心の平穏的にはたいへん健康に過ごせていたと思います。

昔の自分だったらずっとそこに焦点を当て続けていたと思うので、ずいぶん変わったなと思います。

感情の消化は大事

感情を消化するために、とことん感情と向き合うのは大切だと感じています。

親とも「なんであのとき助けてくれなかったの?」など何度も本音でぶつかってきたからこそ、今の良好な関係になれ、親の気持ちもわかるようになったし、どんなときでも助けてくれる心強い味方だとすら思えるまでになりました。

 

探偵ナイトスクープ」でもよく、10年以上会話のない不仲な家族の仲裁案件がありますが、誠意を見せ、当人同士が腹を割ってぶつかり合うことで解決しています。

自分の気持ちがわかるまで問い続ける「私はどうしたい?」 

「しえるはどうしたい?」

私が仕事のことなどで悩んでいたとき、私のことを気にかけてくれた大切な人達が口々にかけてくれた言葉です。

 

それは子どもの頃にはほとんど意識したことがなく、大人になって目から鱗が落ちた言葉でした。

自分の気持ちに「焦点」を当てるのに最強の言葉だと思います。

コレットは死ぬことにした」で…

毎日毎日しっぱい

ぜんぶぼくがぐずなせい

でも…でもぼく

すきでぐずに生まりたわけじゃない…っ

…っぼくだってみんなと同じように泳ぎて

エサもとりるカワウソに生まりたかった…っ

みんながあたりまいにできることが

どうしてぼくはできないんでしか?

ぼくもなりたい…

コレットは死ぬことにした」では、グズすぎると家族から見捨てられ、拾ってもらった先でも失敗を繰り返して追放されてしまったコツメカワウソのエピソードが出てきます。 

そういうことが続くと、怒られたり、失敗するのを恐れて余計に動けなくなってしまうんですよね。

このコツメのつらさは痛いほどわかります。

好きでできない人なんていません。

 

先日、炎上後のDJ社長がLINEライブで「海を越えて炎上するなんて本当にヤバいなと…ほんとに俺ってモラル欠けているんだな…って思いました」とさすがに落ち込んでいて、初めて見たしゅんとする姿に、改めてどんなにパワーのある人でも何かしら悩んだり落ち込んだりすることはあるよねって再認識しました。

ただ転んでも倒れても、起き上がって進んでいるだけなんですよね。

…コツメくんは皆と同じになったら何がしたい?

修業していたころの自分と重ねたコレットは、コツメにこう問いかけます。

「皆と同じになったら」この問いかけってとても大切なものだと思います。

私もそうですが、勝手に現状から自分で決めつけてしまったり、他人から受けた影響で無理だと思ってしまうんですよね。

【1か月限定】落合陽一✕林修!「日本の47歳はまだまだ若者!」「ガッツはレッドオーシャン!」 - YouTube

たとえば年齢について、落合陽一さんが話されていましたが「日本人の平均年齢は47.8歳だから、47歳だって全然若者ですよ。平均寿命から見れば昔の27歳くらいですよ。若いっていうことはあまり意味がない。90歳まで働けばいいんですよ」というのは切り口は違うけど私の考えに近い感覚です。

ciel-myworld.hatenablog.com 

むしろそれ以前に、そもそも何がしたいかわからないことすらあります。

なのでそれを知るために、1回制限を外して、ピントが合うまで自分に問いかける必要があると思います。

そして選択肢を増やすために、見識を広めることはとても有効でした。

わからないなら比較サンプルを増やせばOKってわけです。

この音とまれ!」にて…

モモヤン、今はモモヤンがどうしたいのかを聞いてるんだよ

全国に出るなら週4日はモモヤンの時間をもらうことになる

俺らは一位を目指してるから

そこの意識も共有してもらう必要がある

でも俺らはモモヤンの時間にも人生にも責任を持てない

後で時間を返すこともできない

だから自分のことはちゃんと自分で決めて 

琴マンガの「この音とまれ!」では、音楽的センスは高いが人と距離を取りがちな冷めた後輩くんが出てきます。

その後輩はそれまでの経験から、どうせ毎日一緒に過ごさないなら仲間じゃないんだろ…という思いを抱えており、「毎日長時間練習をする先輩がたには合わせられないので、いやならどうぞ切ってください」 というていで判断を相手に委ねようとします。

 

でも自分の人生の責任を負うのは自分だけです。

先輩たちは誠実に求めるものを伝えたうえで、後輩の気持ちを確かめます。

このマンガではいつだって、大事なのは「本人の意思」というのがとても丁寧に描かれていてグッときます。

 

今週のお題「やる気が出ない」

 


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